% 数学ができない根本って?

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\section*{▼数学ができない根本って?▼}

数学が苦手な者にとっては、学校の数学の授業はひどく苦痛であるはずだ。ひとくちに数学が苦手といっても、小学校の頃から算数ができなかった者もいるだろうし、中学校まではよい調子で過ごせたのに高校から駄目になった者もいるだろう。途中から数学ができなくなるってのは、勉強不足がたたっている場合が多い。これはこれで自分の怠惰を悔やむしかないので、巻き返そうと思えば勉強に励めばよいのである。でも、自分では努力しているのに数学が理解できないこともあるだろう。単に努力している``つもり''なら勉強の仕方が甘いことになる。しかし、本気で努力しているのに成果が上がらないとしたら、それは努力の方向が違っているのである。

数学に計算力は必要であるが、計算が得意でも数学の問題がさくさく解けるわけではない。高名な数学者の中には、日常の買い物における計算があやしい人も多くいるらしい。ポール・エルデシュ\footnote{Paul Erd\"os (1913--1996):ハンガリーの数学者。}は一般の人が理解できない数学が理解できる代わりに、一般の人が普通にできる日常の行為---お茶をいれるとかお金を数えるとか---ができなかったと言われている。要するに計算力が人並み以下でも数学者になれるのである。もっとも普通の数学者は、計算力も人並み以上だけどね。

では、計算力以上に努力する必要があるものって何だろう。他の場所でも書いているかもしれないけれど、数学ができるためには\textbf{国語力}もしくは\textbf{読解力}が欠かせない。しかし、国語力というものは何も数学に限った話ではなく、どんな勉強においても要となるはずだから、国語力を高める努力をしたからといって数学ができるようにはならないだろう。国語力が不足していれば数学は---他の教科だってもちろん---できっこない、って話である。

じゃあ、数学ができるために根本的に必要なものって何だ? それを考える前に、数学でつまずくありがちな地点を振り返ってみよう。

はじめのヤマは小学校で訪れる、分数の計算だろうか。計算力が根本ではないというものの、分数の計算で遅れを取ると、ちょっとした問題は解けなくなるだろう。なぜって、数学は思いのほか分数の計算が多いものだからだ。

次のヤマは中学校で一般化される、座標の扱いかもしれない。座標自体は計算ではなく概念であるから、その感覚を身に付けられるかどうかが鍵となるはずだ。中学校ではもう一つ、$\sqrt{~~}$がヤマであろう。$\sqrt{~~}$の計算自体は機械的に済ませられても、$2$乗して$a$になる数が$\sqrt{a}$であるという考えに馴染めないと、その先の数学はまずできない。

だいたい中学校を卒業する頃に、これらのヤマを越えられた者とそうでない者に二分されるものだ。しかし、実はここまでなら、数学ができるために根本的に必要なものを欠いていてもヤマは越えられるのである。分数の計算や$\sqrt{~~}$の計算などは、その本質を理解しなくとも、機械的にできるようになるものだし、座標の扱いも決まりきった使い方しかしないので、訓練さえ積めば普通の文章問題を難なく解くことができるからである。

ところが、そのようにしてヤマを越えてきた者は、残念ながら高校で初めて目にする、三角比や対数関数でつまずくことは必至である。必要な能力が身に付いていないために。

さて、さっきから何度も繰り返し言っている必要なものって何だろう? それは、すべてのヤマに---分数にも座標にも$\sqrt{~~}$にも三角比にも対数にも---共通していることだ。それは
\begin{center}
\bfseries 二つの値で一つのことを表している
\end{center}
ということである。$\sqrt{~~}$はそれに当てはまらないんじゃないの、って思ったら大間違い。$\sqrt{a}$は$\sqrt[2]{a}$の$^2$が省略されているので、本質は$\sqrt[3]{2}$のようなものと同じである。

そう、数学ができるかどうかの境目は、二つのものを一つに\textbf{転換}して扱えるかどうかなのである。そもそも計算が機械的にできる理由は、一つの式を別のもう一つの式に同値変換しているだけだからだ。たとえ分数や三角比が二つで一つになるものであっても、計算をするだけならそのことは気にならない。だから、計算``だけ''はできるようになるのである。また、何かを証明する問題などは、二つどころか三つも四つもある事柄を別のものに転換する作業をするので、機械的にできないことが多い。だから、型通りにいかない問題が解けないのである。

このことは、高校で数学が比較的できた者が大学の数学でお手上げになる場合にも当てはまる。二つで一つなら図示もできようが、$n$次元ベクトル$(x_1,~x_2,~\ldots,~x_n)$なんて言われたら図示どころではない。その場合は、頭の中で相応な概念に転換できないといけないのだ。

数学を本気で努力しているのに伸び悩んでいるとしたら、計算力や国語力をさらに伸ばすのではなく、転換力に磨きをかけなくてはいけない。

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