% 「数学できない頭」の作り方

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\section*{▼「数学できない頭」の作り方▼}

いきなりだが、ニンジンを切る場面を想像してもらいたい。

ニンジンを単に切るときは包丁を使う。スライスするならスライサーを使えばよい。皮を剥きたければピーラーを使うことになる。こういうことをやっていると、ニンジンを賽の目切りにするには新しい道具が必要になってしまう。ニンジンを切るということに対して、いくつもの道具が必要だ。なぜそうなるかと言えば、「切ること」でなく「切り方」に気が向いているからだ。単に切ることに比べて、スライスするには均等に薄く切らなくてはいけないとか、皮は厚く剥きすぎてはいけないとか、そういったことを考えるから、包丁を軽視するのだ。

このような感覚で数学に取り組むと、次から次へと新しいことが押し寄せてきて、とても対応できなくなってしまう。道具がなければ何一つ出来ない状況が「数学できない頭」である。

さて、ニンジンは、単に切るだけなら包丁を上下に動かせばよい。スライスするなら包丁の面に指を添えて、指の位置で厚さを調整して切ればよい。皮を剥くなら包丁を横に寝かせて、手の動きで剥き方を調整すればよい。賽の目切りは、適度な厚さに切ったニンジンを重ねて、縦横に包丁を入れればよい。なぜ包丁ですべて出来るかと言えば、スライスも皮剥きも「切ること」だと認識できたからだ。そして、ニンジンをジュースにする必要があったときに、初めて包丁ではなくミキサーを使うのである。

このような感覚で数学に取り組むと、最小限の準備だけでことが足りる。最小限の道具を使いこなせばよいからだ。「数学は覚えることが少なくてよい」と言う人はこのタイプである。彼らは、新しいことに直面したとき、まず手持ちの知識を動員し、手間を惜しまず試している。しかし、新しい(と思える)ことに直面するたびに、新しいものに飛びつくようでは、いずれ破綻することは間違いない。そのことを具体的な数学の問題で示すために、$2$次関数のグラフの頂点を求める場合を取り上げよう。
\begin{enumerate}
\item[a)] $y = x^2+4x+1$の頂点の座標を求めよ
\item[b)] $y = 2x^2+4x+1$の頂点の座標を求めよ
\item[c)] $y = 2x^2+3x+1$の頂点の座標を求めよ
\item[d)] $y = \displaystyle\frac{1}{2}x^2+3x+1$の頂点の座標を求めよ
\end{enumerate}

いずれも平方式---すなわち$(\quad)^2$の形---を作る必要がある。

\begin{enumerate}
\item[a)] は$x$の係数を$1/2$にした数を用いて平方式にする
\item[b)] は始めに$2$をくくり出してから、さらに$x$の係数を$1/2$にした数を用いて平方式にする
\item[c)] は$2$を出すと$x$の係数が分数になるので、分数の分母を$2$倍した数を用いて平方式にする
\item[d)] は$\displaystyle\frac{1}{2}$を出すと$x$の係数が$2$倍されるが、結局それを$1/2$にした数を用いて平方式にする
\end{enumerate}

これって、すでに破綻してるよね。じゃあ、$y = -2x^2+3x+1$のときは、どんな手順を踏むの? そして、あとどれだけの手順が必要なの?

平方式を作るというのは、単に$ax^2+bx$を$a(x+p)^2+q$の形にするだけの話だ。道具はこれ一つ。で、$ax^2+bx$が$a(x+p)^2+q$になるように使うだけでよい。こんなことは、繰り返し練習問題を解けば身に付くものである。

数学できない頭を作るのは簡単だ。その場しのぎで物事を解決する要領を磨けばよいのだ。その場しのぎの方法は、本当にその場限りの方法であることが多い。すると、$100$通りの問題に$100$通りの解法が必要になる。実際に必要な解法は、その何分の一かで充分なのにね。でも、現実には国を挙げて数学できない頭が作られている。学校の授業がそうだ。

数学の学習は時として、いままで考えたこともなかった概念を新たな単元として学ぶことが多い。そういう場合、新たな概念は高度な内容を含むことがあるせいか、大抵さらりと過ぎて行く。そして、具体的な例題や問題を丁寧に解いて、基本的な問題が十分できるようにする。さらに、発展的な話題に進むのだが、ここでも高度な内容を含むことが多いせいか、結構さらりと過ぎることがほとんどである。

逆だろう! 導入に高度な概念が含まれるなら、なおさら丁寧に指導すべきだ。しかし、具体的な問題を解くことは、一人ひとりが勝手にできることである。丸投げしてよろしい。だが、発展的な話題となると将来の布石となる考えもあるだろう。だったら、なおさら丁寧に指導すべきだ。要するに、多くの学校で行われている数学の授業は、すべきことと真逆のことをしている。それもこれも、目先の出来具合を最大限にするための戦略であり、始末の悪いことに一定の成果が上がっているのだ。で、数学できない頭が増殖するのだ。

だったら、現在行われていることを真逆にし、正しい方法で授業をすればいいんじゃない? なるほど。でも、たぶんうまくいかないな。そんなことをしたら、本当に一握りの者しか数学を続けないだろう。現状なら、数学できない頭になったとしても、数学を続けることはできる。このほうが遥かに有益だ。

\end{document}