% お客様は神様です

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\begin{document}

\section*{▼お客様は神様です▼}

\begin{center}
\bfseries お客様は神様です
\end{center}

いつ頃、誰が言った言葉なのか知らないけど世間に広まっているのは確かだ。世間とは、金持ち・金なし、教養人・無教養、商売人・消費者、などなどの人々の集まりである。すると当然のことながら、言葉の意味を正しく理解する人と勘違いする人が出てくる。問題なのは、この言葉が商売人の世界に留まらず、消費者の下に届いてしまったことだ。勘違い野郎は消費者の中からわいてくる。

さすがに自ら「私は神である」と言う人は滅多にいない。そう言ってる人は、どこかがオカシイのだ。でも、他人から「あの人は神だ」と崇められる人はたまにいる。といっても、本物の神だと思っているわけではない。要するに、神様のようにありがたい人だと言っているのだ。

だから「お客様は神様です」というのは「お客様は神様(のようにありがたい人)です」のことだろう。そりゃそうだ。何しろ品物を買ってくれるんだから、ありがたいよね。つまり、お客様がありがたいのは``商売人にとって''なのだ。消費者が言う言葉ではない。もし、商売人に向かってそう言ってる消費者がいたら、その人は勘違い野郎である。

しかし、その勘違いは「消費者が使う言葉でないのに使っていること」ではなく、もっと別の部分で勘違いをしているのである。それは数学でいう\textbf{定義}の話である。

定義は最初に決める約束事だ。そして誰もが共通して同じ理解をしていなくてはならない。たとえば、自然数の定義って「$1$, $2$, $3$, $4$, $\dots$」だよねと考えている人と、「$0$, $1$, $2$, $3$, $\dots$」だよねと考えている人がいるとしよう。実は、これらの定義はどちらかが完全に間違っているという類のものではない。自然数の定義としては、どちらでも問題ないのだ。ただし、どっちの定義で議論しているかが明確でないと、この二人の意見はどこかで食い違ってしまうに違いない。

「お客様は神様です」もそう。定義にズレがあるから勘違いが起こるのだ。ズレは、神様の定義ではなく、お客様の定義である。おそらく世間---とくに消費者の間---では、品物を買いに来てお金を払う人が``お客様''だと思っているはずだ。けれど、大げさに言って経済学的には、彼らは単に``客''である。丁寧に言ったとしても``お客''であって``お客様''ではない。したがって、
\begin{center}
\bfseries お客は神様ではありません
\end{center}
となる。お客は、ありがたい人ではあるが、神様と呼ぶには程遠いありがたさでしかないのである。

じゃあ、お客様ってどんな人? 毎日のように買い物をする人? いいえ、それは``お客さん''です。お客様とは、単に買い物をするだけでなく、店舗や店員を敬(うやま)って経営を気遣うような買い物ができる人をいう。要するに``上客''なのだ。言っとくけど``常連''じゃないよ。上客だよ。上客ってのは、店側が困ったときに手助けしてくれるものだ。

で、そんな人はどれだけいるっていうんだろう。滅多にいません。だから、お客様($=上客$)は神様なの。根本である定義があやふやだと、あちこちで勘違いが起こる。お客がお客様づらしたらダメでしょ。近江商人が言う三方良し(売り手良し、買い手良し、世間良し)の精神だって、買い手良しってのはたぶん単なる客じゃなく、少なくともお客さん以上を想定しているはずだ。すると、世の中、決して世間良しになっていない理由が分かるってものである。

\end{document}