% 二度あることは三度...目の正直

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\begin{document}

\section*{▼二度あることは三度$\dots$目の正直▼}

\begin{itemize}
\item[a)] 二度あることは三度ある
\item[b)] 三度目の正直
\end{itemize}
という``真逆''とも思えることばがある。三度目の正直って、最初の二回は失敗したり当てにならなくても三回目はうまくゆくこと、だよね。最初の二回がダメなら三回目もダメなんじゃないの?

数学にも『あれ? 逆じゃないの?』みたいに感じるものがある。たとえば
\begin{center}
$y = a(x-p)^2+q$のグラフは、$(p,~q)$を頂点とする放物線である\quad$\dots(*)$
\end{center}
なんてのがそうだ。『え? 符号が違うの、おかしくない?』 もちろん$(*)$は塵(ちり)一つも間違っていない。別の、まったく同じ内容に言い換えてみよう。
\begin{center}
$y-q = a(x-p)^2$は、$y = ax^2$を$x$軸、$y$軸方向にそれぞれ$p$, $q$平行移動したものである\quad$\dots(**)$
\end{center}
となる。符号は揃っているね。『え? 符号、逆じゃない?』 もちろん$(**)$で正しい。

一体、どういう勘違いをしているのだろう? それは``背景''を勘違いしている。平行移動というと、ふつうはもの(グラフ)が移動すると認識するだろう。その際、正なら右または上へ、負なら左または下へ移動すると考える。移動に関する方向感覚はそれで正しいのだけれど、$x-p$、$y-q$という式は$x軸$、$y$軸に関する言及であることに注意しよう。つまり、``$x$軸や$y$軸が$-p$, $-q$だけ動く''のだ。

\newcommand\xyAxes{
\draw[->, thick] (-2, 0) -- (2, 0) node[right] {$x$};
\draw[->, thick] (0, -2) -- (0, 2) node[above] {$y$};
}
%
\begin{center}
\begin{tikzpicture}
\xyAxes;
\node[below left] (0, 0) {\small O};
\draw (0.75, 0.05) -- (0.75, -0.05) node[below] {\small$p$};
\draw (0.05, 0.5) -- (-0.05, 0.5) node[left] {\small$q$};
\draw[domain=-1.4:1.4] plot (\x, \x*\x); %
\begin{scope}[shift={(5, 0)}]
\xyAxes;
\node[above right] (0, 0) {\small$(p,~q)$};
\draw (-0.75, -0.05) -- (-0.75, 0.05) node[above] {\small$\Leftarrow 0$};
\draw (-0.05, -0.5) -- (0.05, -0.5) node[right] {\small$0$};
\draw (0, -0.9) node[right] {\small$\Downarrow$};
\end{scope}
%
\begin{scope}[shift={(10, 0)}]
\xyAxes;
\node[above right] (0, 0) {\small$(p,~q)$};
\draw (-0.75, -0.05) -- (-0.75, 0.05) node[above] {\small$0$};
\draw (-0.05, -0.5) -- (0.05, -0.5) node[right] {\small$0$};
\draw[domain=-1.4:1.4] plot (\x, \x*\x); \fill (-0.75, -0.5) circle (0.04) node[below left] {\small O};
\end{scope}
\end{tikzpicture}
\end{center}

ほらね。頂点を言うときの$p$, $q$と、平行移動を言うときの$p$, $q$では背景が異なるのだ。だから逆に見えてしまう。実は冒頭のa)とb)も背景が異なるから真逆に思えてしまうのである。

a)はおもに、本人の意思と関係ないことがらに対して使う。たとえば『一昨年と去年の夏休みの旅行は二度とも台風に当たっちゃったよ。今年はどうかな?』『二度あることは三度あるって言うからね、また台風に当たるんじゃない?』のような場合だ。

b)はおもに、本人の意思が通じることがらに対して使う。『明日は三度目の昇進試験だ。今度は合格できるかな?』『三度目の正直って言うじゃないか、合格するよ』のような場合だ。

しかし、こういう使い分けをしている人はいないだろう。私だって、そんな使い分けはしない。そもそも『二度○○だったよ』と言われた場合、○○のことがらが当人の意思でどうのこうのより、返答する人がどういう気持ちを返すかによるはずだ。二度台風に当たったことを気の毒に思うのなら『三度目の正直』と言って励ますだろうし、二度不合格になった試験が当人の怠けと思うのなら『二度あることは三度』と言って貶(けな)すだろう。要するに異なる背景のどっちにも使えるから、逆の意味のことばが共存できるのだ。

そう、a)、b)のことばは、事象に対する見通しを述べるものではない。返答する人の本当の気持ちを表すものである。もし、誰かが自分のことをどう見ているかを感じ取りたければ、『前回、前々回は○○だったよ。今度はどうかな?』と問いかけてみよう。a)、b)いずれの返答も可能であるとしたら、肯定的に使うか否定的に使うかで、あなたをどう見ているか分かるだろう。

\end{document}