% なんで思いつくの?
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\markright{tmt's Math Page}
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\section*{▼なんで思いつくの?▼}
数学の証明や問題の解説を見るとき、ある記述に目が止まり『なんでそれを思いつくの?』と感じることがある。で、そうなる理由は書かれていないことがほとんどで、結局『こんなの思いつくわけないじゃん』となる。たとえば、積分に関わる準公式
\[
\int_\alpha^\beta (x-\alpha)(x-\beta)\,dx = -\frac{1}{6}(\beta-\alpha)^3
\]
を取り上げよう。公式と割り切って使うだけならよいが、これを導く際、
\begin{eqnarray*}
\int_\alpha^\beta (x-\alpha)(x-\beta)\,dx &=& \int_\alpha^\beta (x-\alpha)\{x-\alpha-(\beta-\alpha)\}\,dx \\
&=& \int_\alpha^\beta \{(x-\alpha)^2-(\beta-\alpha)(x-\alpha)\}\,dx \\
&=& \left[\frac{1}{3}(x-\alpha)^3-\frac{1}{2}(\beta-\alpha)(x-\alpha)^2\right]_\alpha^\beta \\
&=& \frac{1}{3}(\beta-\alpha)^3-\frac{1}{2}(\beta-\alpha)^3 \\
&=& -\frac{1}{6}(\beta-\alpha)^3
\end{eqnarray*}
なんてやっているのを見ると、なんで$1$行目の式変形を思いつくの?と言いたくなる。
尤(もっと)もらしい説明は、
\begin{quote}
$\beta$を代入すると、$x-\alpha \to \beta-\alpha$になり、$x-\beta \to 0$になる
\end{quote}
という理由から、$x-\alpha$を活かして、$x-\beta$を$x-\alpha$に組み替えることができれば計算が楽になるだろう、という考えに沿ったというものだ。
本当にそうなの? 違うね。本当は
\begin{eqnarray*}
\int_\alpha^\beta (x-\alpha)(x-\beta)\,dx &=& \int_\alpha^\beta \{x^2-(\alpha+\beta)x+\alpha\beta\}\,dx \\
&=& \dots
\end{eqnarray*}
のように地味に計算して整理したら$\displaystyle -\frac{1}{6}(\beta-\alpha)^3$になったのを見て、『あれ? こうなるんだったら計算が工夫できるんじゃね?』と思ったからだろう。要するに、答えを知ったことで、そうなるような式変形を思いつくのだ。尤もらしい説明は嘘だね。
もし、$\alpha$や$\beta$を代入して$x-\alpha \to 0$や$x-\beta \to 0$になることに目をつけたのなら、$x-\alpha$や$x-\beta$をそのまま活かすような式変形をしなければおかしいだろう。その考えに沿って式をいじるなら、\textgt{部分積分}を利用して
\begin{eqnarray*}
\int_\alpha^\beta (x-\alpha)(x-\beta)\,dx &=& \int_\alpha^\beta \left\{\frac{1}{2}(x-\alpha)^2\right\}'(x-\beta)\}\,dx \\
&=& \left[\frac{1}{2}(x-\alpha)^2(x-\beta)\right]_\alpha^\beta-\int_\alpha^\beta \frac{1}{2}(x-\alpha)^2\cdot1\,dx \\
&=& -\frac{1}{6}(\beta-\alpha)^3
\end{eqnarray*}
とするのが自然ではないだろうか。これなら、尤もらしい理由から式変形を思いついた、と言えなくもない。
模範解答などは、答えが分かっているから唐突に見えることが書けるのだ。記述を鵜呑みにして、なんで思いつくの?と考えるのは馬鹿げている。模範解答は、苦心して解答にたどり着いたものを\textgt{清書}しているに過ぎないのだから\footnote{数学の定理や証明には、実際に『思いついた』ものはあるだろう。そういうのは天の啓示ではなく、試行錯誤の末に捻(ひね)り出されたり、過去の経験を関連づけているうちに気づいたりしたものだろう。人目に触れるものは、そうした余分な試行錯誤や過去の経験が削ぎ落とされたものだから、さも唐突に思いついたように感じてしまうものである。いずれにせよ私たちが目にする数学の記述は、料理のレシピのようなもので、裏では山のような失敗を経た末に完成された作品なのである。}。
\end{document}