% 掛ける順番にこだわる理由
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\section*{▼掛ける順番にこだわる理由▼}
私は算数教育に疎いことを承知しているが、あえて野暮なことを書くことを許してほしい。
たとえば「$100$円切手を$8$枚買うといくらになるか」という問題は、一般に
\[
100\times8 = 800
\]
と計算して、$800$円と答えるのが正答とされているようである。小学校段階では、これを
\[
8\times100 = 800
\]
と計算するのは間違いであると教えられるようだ。
何が間違いなのだろう。どっちにしろ同じ答になるのだから、掛ける順番なんてどうでもいいんじゃないかと思っても不思議はない。後者が間違いである理由は、掛け算は
\[
(一あたり量)\times(数量)
\]
の順でなされるものだという考えに基づいているようだ。そう言われると「$8\times100$」というのは「$8$円切手を$100$枚買う」ことになってしまい、現実とは違う計算をしていることになる。切手なら掛ける順が違っても被る被害は小さいかもしれないが、カップラーメンなら「ふたを開けて熱湯をかける」のと「熱湯をかけてからふたを開ける」のでは雲泥の差がある。
そもそも何で掛け算が$(一あたり量)\times(数量)$かというと、それはおそらく掛け算が足し算の延長で
\[
\overbrace{(一あたり量)+(一あたり量)+\dots+(一あたり量)}^{n個} = (一あたり量)\times n
\]
と決めているからだ。なぜその順番に書くのかと言われれば、おそらく日本語が
\begin{center}
(一あたり量)を$n$個加えることは(一あたり量)を$n$倍することに等しい
\end{center}
と読むからだろう。実際に、読み方が掛ける順番に影響しているかは定かではないが、英語圏では
\[
\overbrace{(一あたり量)+(一あたり量)+\dots+(一あたり量)}^{n個} = n\times(一あたり量)
\]
とするようだ。
まあ、そういうことなら掛ける順番にこだわることには意味がある。と言うより、こだわるべきである。なぜなら、算数は計算だけを習うものではなく、物事の仕組みを理解する能力も開発するものだから。もしこの段階で、答さえ合っていれば過程はどうでもよいというなら、短絡思考を助長しているに過ぎない。だって、掛け算の勉強中に二つの数があれば、何も考えず二つの数を掛けりゃ済むってもんだ。それは単に``九九''でしかない。掛ける順番が大事なのは、(一あたり量)と(数量)をきちんと区別する必要があるからである。
で、結論---じゃあないよ。私に言わせりゃ$8\times100 = 800$も正答である。
たったいま「$8\times100$」は「(一あたり$8$)の$100$倍」と読めると言ったばかりだと思うが、本当にそうだろうか? 「$8$倍の$100$円切手」の順に読んでもおかしいことはないだろう。それどころか「$8$倍の$\dots$」はそのまま「$8\times\dots$」になるんじゃないか? 逆に「$100$円切手の$8$倍」は「$100\ 8\times{}$」じゃないの?
私は、足し算を掛け算に見なす正しい解釈は
\[\begin{array}{l}
\overbrace{(一あたり量)+(一あたり量)+\dots+(一あたり量)}^{n個} \\
\qquad = (一あたり量)\times n\quad または\quad n\times(一あたり量)
\end{array}\]
であると思う。なぜなら、「$100$円を$8$倍する」でも「$8$倍の$100$円」でも正しい意味が通じるからだ。したがって、掛ける順番はどうでもよいことになる。ただしさっき言ったように、(一あたり量)と(数量)がきちんと区別できていなければいけない。その場合は、$8(枚)\times100(円/枚) = 800(円)$のように、単位を式中に書かせるか、または式とは別に、どちらの数が(一あたり量)を表しているかを明記させる必要があるけれど\footnote{要するに掛け算の順序を``重視するか無視するか''の問題は、``真理''の問題ではなく``視点''の問題である。(一あたり量)と(数量)が区別できているかどうかで、掛け算の順序を無視できるかどうかが決まる。つまり視点が異なれば扱いが異なって当然である。地球が太陽を左回りに周るか右回りに周るかは、北半球から見下ろすか南半球から見下ろすかで異なるようなもので、どっちも正しい視点なのだ。地球が太陽を周るか、太陽が地球を周るかの真理を掛け算に持ち込んではいけない。}。
もっとも(一あたり量)がはっきり分かるものならよいが、長方形の面積のように(一あたり量)と(数量)の関係にないものもある。この場合は、掛ける順番にこだわりたくてもできないだろう。
ということで、掛ける順番が違う式が間違いにされる理由は考え方が間違っていたのではなく、``教えられた通りに書かなかった''ことが間違いなのである。掛け算の記述の順番は一通りに限ると教えられた以上、それに従わなければならないのである。でも、「正しいのに、教えられた通りじゃないから×」ってどうなの? 近頃は機械でさえ、指示以上の正しいことができるってのにさ。
\end{document}