% 反例探しで十分じゃね?

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\begin{document}

\section*{▼反例探しで十分じゃね?▼}

数学に証明はつきものだ。ある\textgt{言明}が正しいことを示すために必要だからである。でも、その言明に\textgt{反例}が一つでもあれば言明は正しくない。よって、証明の必要はなくなる。

だったら反例探しに精を出せばよいのでは?と思うものだが、反例が`見つからない'ことは反例が`ない'ことではない。どこかに隠れているだけで`まだ見つかってない'だけかもしれないからだ。だから本当に`ない'ことを証明する必要がある\dots というのが数学界の常識である。

私はそのことに意を唱えるつもりはないが、世間の叫びを代弁してみたいと思う。世間の叫びとはこうだ。

\begin{quote}
ある言明の証明って、ある言明を単に別のことばで述べてるだけじゃね? で、使えることばに制約があるから、正しいことを説明したのに『あ〜、それだと証明になってないんだな』などと言われるんだ。
\end{quote}

具体例を示そう。たとえば「二等辺三角形の底角は等しい」ことを示すとき、二等辺三角形は左右対称だから辺の長さも角の大きさも等しいのは当たり前、と言ってもダメである。正しくは、二等辺三角形を$2$個の直角三角形に分けて、直角三角形の合同を用いて証明するのである。なんで左右対称について言及する説明がダメかというと、\textgt{この場合は}使えることばに`左右対称'は含まれないからである。『なにそれ?』というのが世間一般の感想だろう。当然の反応だ。何しろ別の場面の証明では`左右対称'を根拠にすることだってあるからだ。

数学が不人気なのも頷(うなず)けるというものだ。しかし、それが数学なのである。数学には数学の世界観がある。馴染めない人は距離を置いてもらってかまわない。

とは言うものの、数学界自ら門を閉ざすようでは世間体がよくないだろう。少しは`広報活動'でもした方がいいんじゃないの?

数学には未解決問題がたくさんある。でも、そういう問題は解決してないから世間には広まっていない。解決したときに大々的に報じられるものだからだ。たとえば『`○○問題'が解決された!』のように。じゃあ、なんで解決してないかというと、正しいとか正しくないとかが証明されていないからである。

ただ、未解決問題の中には反例が見つからないから正しそうだけど、正しいことが証明されないために未解決なものも多い。`リーマン仮説'とか`コラッツ予想'とか`$P \ne NP$問題'とか\footnote{`$P \ne NP$問題'は`反例'というより、`多項式時間で解く決定性アルゴリズムの存在'だろう。}。だったら、こういうのは
\begin{quote}
反例が見つからない限り、正しいものとして世間に広めればいいじゃない
\end{quote}
と思ったりするのだ。世間に広まれば一部の人の関心を引くだろう。未解決問題の証明はハードルが高いけど、反例探しならイケそうな気がするものだ。ならば数学の未解決問題に取り組む人が増えるかもしれない。`数学教'の布教に役立つだろう。だけどそうしたら、反例が見つかったときに大いに困るのではないかって?

そうかな。現状、多くの議論やコンピュータによる検証が行われているのに反例が見つかってないのだから、万一反例があったとしても、それは世間の感覚から遠く離れたものではないだろうか? ということは、反例なんて(世間一般の人には)ないに等しい。つまり現在のところ、予想を確証として広めても将来(世間一般の人には)問題を引き起こすことなどないと思えるのだ。混乱は数学界の中だけにとどまるだろう。

\end{document}