% 逆に書いてもいいの?

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\section*{▼逆に書いてもいいの?▼}

中学生ぐらいになると文字式の計算をするようになる。こんなとき「自分で計算したら$a+3$になったんだけど、解答を見たら$3+a$だった。$a+3$は間違いなの?」とか「$(x-3)(x+4)$って書いてあるけど、$(x+4)(x-3)$じゃだめなの?」のように、どっちでもいいこと---というより、どうでもいいこと---をなぜ疑問に思うのだろうか、って場面に出会うことはないだろうか。ま、この書き出しは大人目線だな。中学生目線なら、「---は間違いなの?」とか「---じゃだめなの?」のように、自分の答と解答が異なっていて不安になったことはないだろうか、って書き出すところだ。けれど、この先も大人目線で続けよう。

大人目線だから、上述の二つの例のような疑問が生じることが疑問である。なぜなら、和と積は交換して書いてもよいと決まっているからだ。もし交換することに不安を抱いているとしたら、どこかで、交換してもよさそうなのに交換することができない場面に出会っているからだろう。すると少々数学をかじっている身には、中には行列の積のように交換法則が成り立たないものもあるんだから、積の交換に懐疑的になることもあり得る、なんて考えるかもしれないが、疑問を抱いている相手は中学生だぞ。行列の計算は習ってないだろう。

となると、妙な出会いをしているのは小学校辺りだ。それなら思い当たるフシがある。それは、掛け算は
\[ (一あたり量)\times(数量)\ \dots(*)
\]
ですると習うからである。たとえば、一人あたり$4$脚の折り畳み椅子を運べば、$9$人で$36$脚の椅子が運べる。また、一人あたり$4$枚の原稿用紙を使えば、$9$人で$36$枚の原稿用紙が必要になる。さらに、一人あたり$4$個のシウマイ(←横浜っぽいかな)を食べれば、$9$人で$36$個のシウマイが消費される。いずれも
\[ 4\times9 = 36
\]
と計算する$\dots$。

違うよ! それぞれ
\begin{eqnarray*}
4(脚/人)\times9(人) &=& 36(脚)\\
4(枚/人)\times9(人) &=& 36(枚)\\
4(個/人)\times9(人) &=& 36(個)
\end{eqnarray*}
って\textbf{勘定する}んだよ。だから、$9(人)\times4(脚/人)$なんてのは間違い。だって、$(*)$の定義と違ってるんだから。

そう。ここだな。交換できない掛け算が存在していることを知るのは。たしかに、勘定する際の定義があれば定義に従うのは当然のことであるから、逆に書いたら間違いになる、という考えは正しいと思う。だけど、掛算九九の\textbf{計算}においては、$4\times9$も$9\times4$も同じことであるから、これは逆に書いてもかまわない。

要するに、勘定と計算が区別できないまま先へ進むから、冒頭のような疑問が出てしまうのだ。じゃあ小学校のときに、勘定するならきちんと単位を書いて掛け算をさせ交換は認めない、しかし、計算ということなら単位を書かずにする掛け算は交換を認める、というように指導するなら、冒頭の掛け算には単位がないから交換して書いてよいことが理解できてよいかも。

あほ。自分で書いておきながらなんだが、そんなことはどうでもいいんだ。そもそも、ものによって数量の数え方が異なるってことが問題である。そんなことしてるの、日本だけだろう。おっと、口が滑ってしまった。ものを$4$脚、$4$枚、$4$個などと数えるのは日本に根ざした大切な文化である。個人的には、箪笥(タンス)は一棹(ひとさお)、二棹、$\dots$と数えるみたいに、どうかと思うものもあるけれど、いまどきそんな数え方をするのは箪笥関係者以外にはいないか。まあ、いまどきはどうであっても数学では関係ないことである。掛け算は計算であって勘定ではないのだ。

$4$脚の椅子を$9$人が運べば$4\times9 = 36$脚、$9$人が$4$脚の椅子を運べば$9\times4 = 36$脚。そんなものは読んだ順番に積をとれば済むことである。でも、算数の掛け算の授業で日本の伝統も学ばせたいって人がいても、私は反対しない。だって、それはそれで悪くないって思っているから。

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