% 午前と午後

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\section*{▼午前と午後▼}

世の中には、正午が午前なのか午後なのか気になる人がいるようで、関係がありそうな施設や機関には問い合わせがよくあるそうだ。しかし、私を含め多くの人には、どうでもよいことに違いない。実際は、法律やら時刻が重要な意味を持つ鉄道組織やらでは、``それぞれに''区別があるようだ。``それぞれ''と強調したのは、各所で決め方がバラバラでなんの統一もないからだが、それでも混乱なく世の中が回っているのは、要するにどうでもいいことなんだろう。

でも、ここで話題にした以上、一定の見解は示しておきたい。数学っぽい考えにしたがえば
\begin{center}
\textbf{(数直線上の$0$が正の数でも負の数でもないように)正午は午前でも午後でもない}
\end{center}
と断言できる。実は、数学っぽいことを言わなくても、言葉遣いの上からもそう断言できるのだけれどね。

まず数直線は、$0$を\textgt{基準にして}、$0$より大きい数を正の数、$0$より小さい数を負の数と呼ぶと\textgt{定義}している。$0$は基準だから、$0$自身に「より大きい」だの「より小さい」だのはない。だから$0$は正の数でも負の数でもないのだ。

で、正午だが、``午''は干支の午(うま)のことだ。これは昔、一日を$12$等分して、今でいう深夜零時から$2$時間ごとに子(ね)の刻、丑(うし)の刻、寅(とら)の刻、$\dots$、亥(い)の刻と割り振ったことの名残りである。すると午の刻が、今でいう$12$時から$14$時にあたる。その初っ端---$12$時だよ---を正午と言って、日中のど真ん中としたのである。つまり基準だ。

ものごとの前とか後というのは、基準があって初めて決まるものであるから、基準自体に前も後もない。基準なのに前だの後だの言うのは、言葉遣いとしておかしいだろう。そこで、基準である正午の前と、基準である正午の後という分け方をすれば、$正午の前 := 午前$、$正午の後 := 午後$という名称で呼ぶのは自然なことだろう。よって、基準である正午は午前でも午後でもないことになる。はい、断言しました。

それでも、正午を午前か午後のどちらかに含めたい強情な人はいるかな? だったら、そういう人は正午は午後に含めるとよい。なぜって、一日は子の刻から始まるからである。子の刻の始まりは深夜零時だ。じゃあ、子の刻の終りはいつだろう。$2$時だろうって? 違うね。$2$時は丑の刻の始まりだから、子の刻は\textgt{すでに終っている}。ある時点が子の刻と同時に丑の刻であるはずがないからだ\footnote{満年齢に関する法律では、この重なりの時点を一年の満了時として、一歳加算することにしている。}。

大雑把に言えば、子の刻から巳(み)の刻までが午前で、午の刻から亥の刻までが午後になるが、正午は午の刻の始まりなのだから午後に属することになる。さっき断言したことと見解が違うじゃないか、と思わないように。基準を設けることなしに、大雑把に午前と午後を分けるなら、という前提の話だ。厳密には、午前と午後に分けたいなら先に基準が必要であって、その基準が「前も後もない正午」という話とは少し違うことに注意してほしい。

蛇足ながら、正午の別称は『午後零時』である。『午後$12$時』と呼ばないように。なぜなら、正午が午後の始まりだからだ。$12$は$11$の次に数えるものである。というより、午前・午後の区別をした場合、$12$時は回ってこない。午前$11$時$59$分$59$秒まで数えたら、次は午後零時から数え始めることになるからである。で、午後$11$時$59$分$59$秒まで数えて一日が終る。$12$時間制には$12$時はないのだ。このことは数学において、$2$進法なら$0$, $1$まで、$8$新法なら$0$, $1$, $\dots$, $7$まで、というように、$n$進法には数字$n-1$までしか使わないことに似ている。どちらも数え始めが$0$なので当然か。

まあ、結局はどうでもよいことなんだけど。

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