% 現実離れの数学感覚

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\section*{▼現実離れの数学感覚▼}

数学は結構嫌われている。人参とかピーマンみたいに。だけど、世のお母さん方が小さな子に人参やピーマンを食べさせたくて細かく刻んでハンバーグに混ぜたりするように、数学関係者も数学を何かに混ぜて食べさせてあげられるといいのに。そうすれば、栄養たっぷりの知識が体に蓄積されるから。でも、数学を毛虫や蜘蛛みたいに嫌っている人にはお手上げだ。さすがに工夫して食べてもらうわけにはいかない。なんでそんなに嫌うのだろう。やっぱり現実離れしてるから?

たしかに、数学には現実離れしたところが多い。まず、得体の知れない記号がたくさん出てくる。意味不明のことをねちねち論ずる。こんなの生きてく上で必要ないじゃん。計算さえできれば困らないよ。ふつうはみんなこう考えている。じゃあ、私はふつうじゃないのかい? 愚痴ってばかりでは進歩がないので本題に入ろう。現実離れをしている例の一つ、「対偶」を取り上げよう。

数学で論証をする際、「AならばBである」という命題を扱うことがある。
\begin{enumerate}\bfseries
\item[] 「地球の上に朝が来るならばその裏側は夜である」
\item[] 「俺が昔夕焼けだったならば母ちゃんは霜焼けだった」
\end{enumerate}
などは命題である。数学っぽいものなら
\begin{enumerate}\bfseries
\item[] 「正三角形ならば三つの角の大きさは等しい」
\item[] \boldmath「$x \ge 0$ならば$x^2 \ge 0$である」
\end{enumerate}
などがそうだ。さて、命題の言い方は「BでないならばAでない」と言い換えることができる。この言い換えをもとの命題の\textbf{対偶}という。だから、前述の対偶はそれぞれ
\begin{enumerate}\bfseries
\item[] 「地球の裏側が夜でないならば地球の上に朝が来ない」
\item[] 「母ちゃんが霜焼けでなかったならば俺は昔夕焼けでなかった」
\item[] 「三つの角の大きさが等しい三角形ならば正三角形である」
\item[] \boldmath「$x^2 < 0$ならば$x < 0$である」
\end{enumerate}
となる。ここまでは、言葉の言い換えにすぎないので問題ないだろう。少々変な言葉遣いになってしまうのは勘弁してもらって。

問題はここからだ。数学の理屈では、もとの命題(対偶)が正しければ対偶(もとの命題)も正しい。もとの命題(対偶)が正しくなければ対偶(もとの命題)も正しくない、となっている。その証明は省くが、要するに命題と対偶は``ともに正しい''か``ともに正しくない''かのいずれかになる。先の例では、「地球の上に朝が来るならばその裏側は夜である」は変な言い方だが、表が朝なら裏は夜ということで正しい。その対偶「地球の裏側が夜でないならば地球の上に朝が来ない」も変な言い方だが、裏が夜でない(つまり朝)ならば表は朝でない(つまり夜)ということで正しい。もとの命題と対偶はともに正しいと言えるので、数学の理屈どおりである。

その理屈にしたがえば、「$x \ge 0$ならば$x^2 \ge 0$である」と「$x^2 < 0$ならば$x < 0$である」は、どちらも正しいかどちらも正しくないかのいずれかである。「$x \ge 0$ならば$x^2 \ge 0$である」という主張は正しい。しかし、「$x^2 < 0$ならば$x < 0$である」は正しくないのんじゃないの? だって、$x^2 < 0$になることはないんだから。仮に、虚数を使えば$x^2 < 0$になるよと言っても、虚数には大小関係をつけられないので$x < 0$と言うのはおかしい。あれ、理屈に合わないじゃん。

でも、数学の解釈はあくまでも「$x \ge 0$ならば$x^2 \ge 0$である」は正しい主張だから、その対偶である「$x^2 < 0$ならば$x < 0$である」も正しい主張なのである。どう考えても現実的でない気がする。でもね、やっぱりこの理屈は現実的な判断に照らせば間違ってないのだ。

現実的判断とはこういうことである。本来数学の世界では$x^2 < 0$になることはない。なのに、$x^2 < 0$なんていう事態が起こっている\textbf{ならば}、そりゃもう何が起こったって不思議じゃない、というノリだ。架空の世界で架空のことが起こるなら、それは正しい。非現実なことがらであっても、現実的判断は下せるのだ。だから『俺が昔夕焼けだったころ、母ちゃんは霜焼けだった』というのは、俺が夕焼けであるわけないので命題は真だ。正しい歌詞で歌って?たんだよ(←って聴いたことある? 『地球の上に朝が来りゃぁ、その裏側は夜だろぉ』もね)。

もっとも、こんな言い方では十分な理解と納得ができないのは分かる。正しく理解するには、きちんとした証明が必要である。証明は決して難しくないし、集合論をちょっとかじれば済むのでそうしてほしい。けれど、なんだか理屈に合わないような例を見ると、不信感が生ずるのは仕方ないだろう。実生活において、自分の思考を理屈に沿うように保つことは難しい。数学が現実から離れてしまう理由のひとつは、そんなところにあるかもしれない。

\end{document}