% eスポーツの矜持

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\section*{▼eスポーツの矜持▼}

eスポーツは、主に競争・対戦型のアプリケーションソフトウェアによる競技を、コンピュータやネット空間上で行う。ハタ目にはゲームに興じているようにしか見えないが、れっきとしたスポーツである。いいね。とうとうアルゴリズムやプログラムが、肉体だけで勝負してきたスポーツの世界に入ってきたんだ。でも『スポーツって呼び方おかしいだろ』という人もいる。いいえ、おかしいのはそう言ってる人の認識です。

そもそも``sports''ってのは英語で、まんま読んで日本語にしただけだ。なんで? それは上手い日本語がなかったからである。sportsは運動(exercise)でも競技(competition)でも競争(contest)でもない\footnote{福沢諭吉はcompetitionを競争と訳したようだが、私にはcompetition := 優劣を競う := 競技、contest := 順番を競う := 競争のように感じる。}。強いて言えば、それらが並列的に混ざった複合的な行為なんだろう。だから適切な言葉がなかったんだと思う。だったら、新たな造語を作ればよかったのに。昔の数学者/数学教育者は、たくさんの新語を捻り出したもんだけど。\textgt{正弦}(sine)、\textgt{余弦}(cosine)、\textgt{正接}(tangent)などは上手いと思う。\textgt{有理数}(rational numbers)や\textgt{行列}(matrix)みたいにちょっと失敗かと思うのもあるんだけどね\footnote{意味的には、rational numbers $\to$ 比数、matrix $\to$ 行列基(盤)とかがよかったか。}。

言葉が輸入された当初は馴染みのない言葉なので、sportsって『これこれこういうものだよ』という認識と共に広まったかもしれない。広める人も矜恃(きょうじ)---自信と誇りを持って振る舞うこと/プライド---を胸にしまっていただろう。

ところが、``sports''が``スポーツ''として定着する頃には、概念が単純化されていったと思われる。要するに『$\textrm{sports} \approx (運動,~競争,~競技)$』だったものが『$スポーツ = 運動競技競争$』の``一語''になったということだ。いつの間にか\textgt{定義}が変わってしまった。で、それが一部の人たちの間で『勝利至上主義』を生んだのだろう。

とくに人の体は薬物に弱くできているようで、薬物による快楽を知ってしまうと容易に抜けられないものである。勝利至上主義になると、勝つためにはどんな理不尽なことでもやるものだから、心や体が悲鳴をあげることもしばしばあるはずだ。それでも、勝てばそんな理不尽は全部吹っ飛んでしまうからやめられないのだ、指導書も競技者もね。ほとんど麻薬漬け状態になってる。

すると今度は、勝ち負けを決めないなどという正反対の行為に出る人たちが出てくる。『競争はしません』とか『全員一番です』とか妙なことを口走るのだ。ちょっとー。どうして運動/競技/競争を並列してできないの? どうして運動競技競争と直列にしちゃうの? さらに競争だけにする? 人間だもの、仕方ないか。

人間は複雑なことより単純なことを好むもので、運動と競技と競争の要素を織り交ぜながら一つの行為にしていくより、運動だけ楽しむとか勝つことだけを目指すとかの行為に絞る方が分かりやすい。それに麻薬効果もあるし。難しいものだ。

eスポーツの最初の定義はなんだったのだろうか。矜恃が保たれ、将来も定義が変わらないことを祈りたい。

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