% どうしたら数学ができるようになる?

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\section*{▼どうしたら数学ができるようになる?▼}

「数学ができるようになったらいいなあ」とは、多くの人が思うことかも知れない(私は今でも常にそう思っている)。どうすれば数学ができるようになるんだろうか? 実は、この先の話は「数学」という単語を「ピアノ」でも「野球」でも「英会話」でも、およそ思いつくどんな単語に置き換えても同じことだと思うが、まあ、「数学」に限った話だとしておこう。

結論を言うと
\begin{center}
\bfseries 自分自身でくり返し数学を勉強する
\end{center}
であり、それ以外にない。「自分自身」というのがミソだ。はい、結論が出たのでおしまい、と言ったのでは身も蓋もない話になってしまうので先を続けよう。

自分自身でくり返し勉強する以前に、誰かに教えてもらわないとできないじゃないか、と考える人がいるだろう。もちろん、それは正しい。適切な指導をしてもらうことはとても大事なことである。そして適切な指導は有能な人にしかできない。だったら、有能な人に数学を教えてもらえば、数学ができるかといえば、それは正しくない。

矛盾したことを言っているように聞こえるだろうか。もし、矛盾した言い方だと感じても、私の言い方が問題ではないのだ。世間で使われている言葉使いが問題なのだ。ときどき
\begin{center}
\bfseries 教えてもらわないとできない(※)
\end{center}
という言い分に対して、だったら
\begin{equation}
教えてもらえばできる \label{nX-nY}
\end{equation}
のか?と問い返す場面がある。問い返した側は(※)と(\ref{nX-nY})を同等なものとして聞いているが、問い返された側は自信を持って「そうだ」とは言えないだろう。問い返された側は、(※)と(\ref{nX-nY})が同等ではないと感じているからだ。実際、教えてもらえば$100$\%できるという保証はない。

それは「雪が降れば冬である」を「雪が降らなければ冬でない」と言い換えても、決して同じことを言ってることにならないのと同じだ。なぜなら「雪が降らない晴れた冬の日」はいくらでもあるからだ。つまり
\begin{equation}
「A」だから「B である」 \label{A-B}
\end{equation}
と結論づけられることを
\begin{center}
「A でない」から「B でない」
\end{center}
と言い換えても正しいことにはならないのだ。数学的に正しいのは
\begin{equation}
「B でない」から「A でない」 \label{nB-nA}
\end{equation}
と言い換えることである。この言い換えであれば、(\ref{A-B})と(\ref{nB-nA})の真偽は一致する。これは\textbf{対偶}と呼ばれる対応である。

すると、対偶による言い回しによって
\begin{center}
\textbf{教えてもらわないとできない(※)}
\end{center}
と同等なのは
\begin{center}
できるようになったのは教えてもらったから
\end{center}
に違いないということだ。そんなことはないだろう。人は教えてもらっただけで何でもできるようになるわけではない。教えてもらって得ることは「新たに知ること」だけだ。「新たに知ったこと」をくり返し練習をしてできるようになるのだ。要するに、教えてもらわなくてもできる。したがって(※)の言い分も正しくない。

もっとも、この結論に至るために対偶を持ち出したからといって、信憑性が増したことにはならない。対偶を論ずるなら、厳密な定義がなされた対象が相手でなくては意味がない。「教える」とか「できる」とかの言葉は曖昧だし、教えることからできることまでには時間差だってある。けれど、(※)の言い分が正当ではないことを、ほんのりと味わってもらえたらと思う。

\end{document}