% ちょっと考えれば分かりそうなのに何で...?

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\begin{document}

\section*{▼ちょっと考えれば分かりそうなのに何で...?▼}

詐欺に遭うとかネットに上げて炎上するとか、うっかりでは済ませられない事態に陥る(あちら側の)人はそこそこいるようだ。そして、詐欺や炎上の話題が会話の中に出てくると
\begin{center}
\textgt 『(ヤバいことなのは)ちょっと考えれば分かりそうなのに、何でそうなるかな』\dots($*$)
\end{center}
などと言う(こちら側の)人がいる。そう言うからには、自分はあちら側の人でないと思っているのだろう。ぷぷっ! たしかにそんな事態に陥らない点ではこちら側だが、『ちょっと考えれば』という点ではどっちの側も同じだ。なぜなら、こちら側の人がそんな事態に陥らないのは``ちょっと考えた末の結果''ではなく、単に``運が悪くなかった''だけだからだ。

「ちょっと考えればすぐ分かる」という文章を\textgt{命題}と呼ぶには少々勇気がいるが、この命題の\textgt{対偶}は「すぐ分からないのは何も考えていない」である。つまり($*$)の発言内容は
\begin{center}
\textgt 『(ヤバいことなのが)すぐ分からないのは何も考えないからで、\dots』
\end{center}
と言い変えることができる。であれば続きは『\dots 当然そうなるよね』となるだろう。それこそ、ちょっと考えれば分かることだ。実際、詐欺に遭ったりネットで炎上するような事案は思考停止が原因と思われる。しかし、それは何も考えなかった本人のせいというより、思考停止---つまり何の疑いも持てなくなっている状態---になってしまったからだろう。もっとも、そいう状態においた本人に責任があると言う人もいるだろうけど。でも、私が言いたいのはそこじゃない。ほとんどの人は考えて行動するなんて、これっぽっちもないってことだ。($*$)のような言い方がよい例で、その発言でちっとも考えてないことが分かる。

詐欺に遭わないとかネットで炎上しないとかは、そうなる確率が低いだけのことである。考えて行動しようがしまいが、確率的に悪い結果にならないのだ。たとえばスマートフォンを見ながら歩いていても事故に遭うことは滅多にない。たしかに、''ながら歩き''は周囲を見ながら歩く場合に比べて事故に遭いやすい。しかし、そもそも歩いて事故に遭うこと自体少ないことなのだ。飛行機事故に遭うことが宝くじに当たることより何倍も高い/低いと言ったところで、どちらも極端な低確率であることに変わリはない。

要するに、詐欺に遭わなかったりネットで炎上しなかった(こちら側の)人たちは思慮深かったわけではなく、そうなる機会に出くわさなかっただけのことである。つまり、詐欺や炎上に巻き込まれた(あちら側の)人は考えずに行動した結果ではなく、運悪く希少な機会にでくわしてしまっただけなのだ。だから、こちら側の誰かがあちら側の誰かと入れ替わったとしても、やっぱり詐欺や炎上の憂き目に遭ったはずである。だって、みんな大して考えて行動なんてしてないんだから。

さて、かくいう私も大して考えて行動するわけじゃない。なのに、こんなふうに人をくさすのってどうなの?と思われるに違いない。でもね、人を見下すのってやめられないでしょ。なにしろ、\textgt{自分は何の努力もしないで人より相対的上位にいられる}のだから。SNSが``大繁盛''なのもうなずけるよね。

\end{document}