% 馬鹿と天才は紙一「枚」

\documentclass{jsarticle}
\pagestyle{myheadings}
\markright{tmt's Math Page}
\renewcommand\baselinestretch{1.33}

\begin{document}

\section*{▼馬鹿と天才は紙一「枚」▼}

『馬鹿と天才は紙一重』ということばを、凡人に理解できない言動をする人に対して使うことがある。だからと言って、馬鹿と天才が紙一重の差しかないわけではない。凡人には、紙一重の差しかないように見えるだけなのだ。つまり、実際には雲泥の差があるにも関わらず、凡人にはいずれの言動も理解不能なため同じように見えてしまうのである。

人は他人と比べたがるものだ。『あいつ、馬鹿じゃね?』なんて発言はまさにそうで、相手が自分と異なることを『馬鹿』の一語で済ませている。異なることが馬鹿に見えるのなら、逆も成り立つはずだ。つまり、あなたが『あいつ、馬鹿じゃね?』と思うのなら、あいつ側から見たあなたはきっと馬鹿に見えている。で、あいつの言動が実はすごいことなんだと発覚すると、馬鹿に見えていた言動は実は天才の言動だったとなる。一瞬にして評価が$180$\textdegree 変わるので、馬鹿と天才は紙一重の差しかないように思えてしまったのだろう。

違うんだな。本当は紙一重でなく、紙一枚の差があったのだよ。それも、一枚の紙を$40$回以上折ったぐらいの差がね。

紙を四十数回折ると月まで届く、という話を聞いたことがあるだろうか\footnote{一般的なコピー用紙一枚の厚さを$0.08$mmとすると、$42$回折ると厚さは$35$万kmほど、$43$回折ると厚さが$70$万kmほどなので、月までの約$38$万kmに届く計算。}。そんなわけないだろうと感じる人が大半だが、計算上は正しい。しかし、計算を示されても納得し難いのではないだろうか。理由は、紙を$40$回以上折ることが想像できないからである。

コピー用紙なら$5$回は折れても$6$回は難しいだろう。そう、$40$回も折るのは現実的ではないのだ。折ることは現実的ではないので、半分に切って積み重ねることを繰り返すと思えば想像しやすいかもしれない。しかし、かりに$1$m四方の紙を切って重ね、切って重ね、を$40$回繰り返すと、最後は約$0.001$mm四方の紙が積み重なる計算になる。それで月まで届くことが想像できるだろうか。

要するに、馬鹿と天才の差を紙にたとえたとしても、凡人にはその差をはっきりと認めることなど無理なのである。馬鹿と天才には、本当は紙を四十数回折った厚みほどの差があるのだ。それは数直線の右の彼方(かなた)と左の彼方ほど離れているものだが、凡人にはどっちも『遥か彼方』としか捉えられないため区別ができないのである。

\end{document}