% AIがあれば数学の勉強は要らない?

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\section*{▼AIがあれば数学の勉強は要らない?▼}

LLM(Large Language Model: 大規模言語モデル)によるAI(人工知能)って秀逸である。たとえば数学の問題---図形問題なんかでも---をAIに与えると瞬時に解答を作成してくれる。こうなると数学の勉強は不要だなって思うのも無理はない。結論の一つを言おう。そう思う人は勉強をしなくてもいいんじゃないの。以上。

この結論にちょっとでも疑問がある人は、この先を読んでみても悪くないと思うよ。もう一つの結論は、数学の勉強が不要になることはない、というものだからだ。その理由は、人間は身につけた`もの'を土台にしないと次の`もの'を手にいれられないことにある。それを数学に当てはめると、小中高の数学を身につけなければ、その先の数学へたどり着けないということだ。いや、数学なんて義務教育までで十分でしょ、と思う人はそれでいいです。以上。

さて、本題に入ろう。小中高の数学は言わば「答がある」数学である。だから世界中のサーバーに答が蓄積されていて、AIはそこから回答を持ってくることができるのだ。しかし大学から先の数学は「答がない」数学である。だから人間が研究して答を見つける必要がある。AIには真似のできないことなのだ。で、答のない数学を研究するためには、答のある数学が身についていなくてはならない。その都度AIに引っ張ってきてもらうようでは話にならない。

こんな当たり前のこと、そして十分身に染みているはずのことが分かってない人はたくさんいる。ハナから数学が不要と思う人はそれでよいけれど、数学の勉強が必要なのに身につけようとしない人っているんだな。たとえば、高校に進学したいのに中学校の数学を身につけようとしない人ね。AIに聞けば答が分かるんだから、苦労して身につける必要がないって思うんだろう。違うよ。

その人たちは、自分が身につけたことを土台にして新たなことをしてきたことに気づいてない。一つの例は`ことば'である。ことばって、言い方は少し変だけど「答がある」ものだ。答というのは`文字'や`単語'のことである。これらは自覚がないだけで、生まれてからしばらくの間、長い時間をかけて片言のことばを身につけてきたのだよ。だから答が身についている。

その上で、詩・短歌・小説なんかの「答がない」ものが作り出せるのだ。もしあなたが短くともなんらかの文章---これはどこかに答があったわけではない---を作れるなら、それは一にも二にも答があることばが身についていたからだ。スマートフォン片手に逐一単語を調べながら文章なんか書かないでしょ。つまり、答がない文章はAIには作れない。

いまやAIは、小説も書けるし音楽も作れると言うかもしれない。でも、AIが作る小説や音楽は、結局はサーバーに蓄積された答の中から引っ張ってきているに過ぎない。それがどんなに斬新に思えてもだ。斬新に思えるのはあなたが今まで触れてこなかっただけで、単にサーバーに記録された、どこかで誰かが作り出した答なのである。だから、人によっては「この部分はあの小説/音楽のあのパートと同じ」じゃないか?と気づくことだってあるに違いない(このような人たちをX族としよう)。本当に答がない小説や音楽は人にしか作れないのだ。

それでも、ある人がAIの生成物を斬新と思えば十分意味がある(このような人たちをY族としよう)。だからY族が多いほどAIの生成物は価値を持つ。もしこの先、人が答がないものを生み出さなくなれば、AIに蓄積される既知のものは頭打ちになるだろう。そうなると、いずれX族が増えてAIの生成物の価値は低下の一途をたどるに違いない。そうならないためにも、人は答があるものから答がないものを生み出し続けなくてはならないのである。

数学も然(しか)り。現在も数ある未解決問題を解決するのは人の役目だ。そのためにも答がある数学を身につけた人が必要になるのである。したがって、数学の勉強が不要になることはない。それが私やあなたでないとしても、だ。

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