% 『1%の努力を1年間...』のまやかし

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\section*{▼『$1$\%の努力を$1$年間...』のまやかし▼}

世間のあるところでは『$1$\%の努力を$1$年間続けると$38$倍になる』みたいなことを言って、ほんの少しの努力でも毎日続けることで大きな成果を得られるような物言いをする人がいる。これは努力を続ける大切さを説いているのだろうが、荒唐無稽な発言だ。努力の継続を促したければ、もうちょっとまともなたとえにしなくちゃ。

この考えの元はおそらく『$1$日$1$\%の割合で$1$年間増え続けると$38$倍になる』という\textgt{複利計算}だろう。たしかに$1$日$1$\%の複利で$365$日回せば$1.01^{365} \approx 37.78$となって、元本$1$が$37.78$になるのだから正しい。でもね。複利の計算を努力の成果にすり替えるのってどうなの?

このリクツを日常的な行動に当てはめてみよう。あなたが明日から毎日ウォーキング(またはジョギング)程度のことを始めるとする。初日は、家から$500$m先の地点まで行き、折り返すことにする。往復で$1$kmのウォーキングだ。次の日は\.ほ\-\.ん\-\.の$1$\%だけ距離を伸ばして、$505$m先の地点で折り返す。往復で$1$kmと$10$mのウォーキングだ。昨日より十数歩余計に歩いたに過ぎない。

半年後はどうなっているだろうか。それは、$1.01^{183} \approx 6.18$だから、$6$km強のウォーキングにあたる。いや、そんなの毎日の通勤/通学で歩く距離でしょ。楽勝だね、と思うだろう。では、$300$日後はどうだろう? $1.01^{300} \approx 19.79$である。果たして毎日、約$20$kmのウォーキングを続けていられるだろうか。で、次の日はこれより$1$\%距離が伸びるのだよ。続けられていたとしても、たぶん一杯々々じゃない? なのに毎日$1$\%づつ距離が伸びるんだ。現実的な話じゃないよね。

そもそも『$1$\%の努力で$1$\%の成果が得られる』との考えが間違ってる。人間の体ってそんな風にできてないのだよ。たとえば、毎日$1$kgの食事を取っても$10$日後に体重が$10$kg増える、なんてことはないでしょ。

この話は、$1$\%の増加が``いつだって同様の割合''と思うことが間違いなのだ。お金の話なら、$1$万円の$1$\%も$100$万円の$1$\%も、機械的に計算される。でも人は、$500$gのものを食べた後$1$\%(つまり$5$g)余分に食べることは難なくできても、$5$kgのものを食べた後$1$\%(つまり$50$g)余分に食べることは難しい。通常の$1$\%増しと限界付近の$1$\%増しでは、そのためにかかるエネルギーは雲泥の差がある。

私の感覚では、努力と成果の比は$1:1$ではなく、体積比($a^3:a$)程度じゃないかと思う。そして『$1$\%の努力を$1$年間続けると$38$倍になる』とは、\.成\-\.果が$38$倍になるのではなく、\.努\-\.力\-\.の\-\.積\-\.み\-\.重\-\.ねが$38$倍になるのだ。したがって、成果は$\sqrt[3]{37.78} \approx 3.36$となり、$1$年後は$3$倍程度のパフォーマンスが得られる、と考えたい。

このことは、$a$\%の努力が$\sqrt[3]{a}$\,\%の成果につながることを意味するので、毎日$1.01$倍の努力が$\sqrt[3]{1.01} \approx 1.00332$倍の成果になると言える。するとジョギングの例では、現在$10$km程度のジョギングができる人なら、$1$年後に$10\times1.00332^{365} \approx 33.5$kmのジョギングができる計算になる。もうちょっと頑張ってフルマラソンの距離が走れるよ。どうかな? 現実的な話になっただろう。

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