「教育」tommyのつぶやき2004年

 日経新聞によれば、横浜市の新設する市立東山田中学校の校長として、インターネット“楽天”の元副社長で非常勤取締役の本城慎之介氏を内定したとあります。

 民間人校長の就任は過去にもありますが、32歳の公立学校の校長としては全国で最年少だそうで、最年少記録を最年少記録(?)の中田市長が指名したとすれば、これまた新記録ではないですか? パリーグの近鉄オリックスの新生に“楽天”が名乗りを挙げて驚きましたが、今度は教育界の改革に出馬とは、はたまたタマゲました。しかし、氏は2002年に教育関連事業を設立しており、まんざら無縁ではありません。
それに「全国の学校関係者が『まねしたくなっちゃう』施策をどんどん実施していく」と意欲的だそうですから、これからの学校教育の行方が楽しみですねぇ。

 年取らないと校長になれない旧弊の学校制度を破壊して、若さの特権で子供達中心の教育改革を進めて、子供達に活気を取り戻してくださいよ。

年寄りの校長先生方も、若い民間校長などに負けないよう、『マネシタクナッチャウ』ではなしに、『まねしてみろや!』くらいの“テンで楽しい”学校づくりで対抗してみたらどうなの? 教えることより先に「学校へ行くのが楽しい」ようにならなくっちゃねッ!
 比較の対象にはなりませんが、私が25歳の時、企業内学校(技能者教習所)で、はからずも講師を委嘱され、先生の真似事をしていた時に、未熟な私の授業を所長さんが誉めて下さいました。「教育はテクニックではない。生徒に対する愛情であり、情熱である…」と。(可愛い女生徒がいたからじゃあないの?/残念ながら、むくつけき男ばかりじゃぁ!)( Dec. 28. 2004 )


 子どもの生い立ちと性格の変成についての重要な指摘と考察が、「倫理」(倫理研究所発行)617号(6月号)より丸山敏秋氏の“親子の絆と母性の考察”のシリーズにある。

 特に、618号で述べられている、胎児の母体での進化と、出産による諸問題が、子どもの躾や教育以前に大変重要な意味を持っていることが明らかとなっている。
ご存知とは思いますが、胎内での胎児の知能の発達に付いては、既に科学的に明らかにされつつありますが、胎児の感受性が母体である母親によって胎児の成長段階で獲得され、更に出産時と出産直後の母親との関わりに大きく左右されることが指摘されています。これらは参考文献にもありますが、1983年に邦訳されているヨーク大学のT・バーニーによる「胎児は見ている」や、1984年に邦訳のJ.C.ピアスによる「マジカル・チャイルド育児法」を参照していただきたい。
 また、先日の日経新聞にも「利き手決定 胎児の時」として、英クイーンズ大学のピーター・ヘッパー教授らが、人間の利き手は妊娠10週目の胎児の段階で決まっていると、超音波診断装置を用いた観察から発見し、学会で報告したとあります。従来の学説では、3,4歳になってから脳の機能が左右で分かれるのに伴って表れるとされていた。

 当コンテンツでも、「これから生まれる子供のために」と題して結婚、胎教、出産、育児に関わる母親や家庭環境の重要性を述べていますが、更に重要なことは、分娩と出産の方法の重要性で、現在は、出産のほとんどが病院であり、母親の自力による分娩が、病院の医者と機械器具と陣痛促進剤等の薬物に取って代わられ、昔の助産婦さんによる母親と子の自然出産とは異なり、新生児に対する弊害が指摘されている。

 また、性の解放による男女の多様な結びつきや結婚が、子育てよりも親となる男女の自由が優先された生き方が出産の重要性や子育ての重要性を希薄にしており、子どもの生育環境を劣悪にしているのではないかと危惧されています。それゆえ、生物的な母性愛が欠落し、子どもを得る喜びや、育てる楽しみ、慈しみが、それとは反対の、生むことが苦しみとなり、子育てが煩わしいこととなって、幼児虐待や殺害が平然と行われ、躾=虐待ともなり、出産時の疎外感や幼児期の虐待などの脳への記憶の影響が、更には児童を含む青少年の理解しがたい犯罪にシフトしているのではないかと推測される。

 「倫理」の“親子の絆と母性の考察”シリーズには、

   617号  @ 母子一気のはじまり
            1. 胎教のルーツ             2. 胎児との「氣」の感応             3. 胎教の意義
   618号  A 胎児の能力と出産の問題
            1. 母体での進化             2. 出産に関する諸問題
   619号  B 母子の絆とその破壊(J.C.ピアスからの警告)
            1. ウガンダの母と子             2. はぐくまれる母と子の絆               (1) 心臓のつながり               (2) 感覚機能の発達             3. 破壊される母子の絆
となっており、極めて重要な考察と提言であるので、是非ご一読をお薦めしたい。

 これらの定期刊行物(51年の歴史を持つ月刊誌です)は、1冊100円、年間購読1200円で購読できますので、倫理研究所( 03-3264-2251 )にお問い合わせ下さい。姉妹誌に、より一般的な雑誌「新世」(200円/1冊)もあります。
 また、全国各地区に「倫理」の会員がいて、毎朝5時より“朝の集い”を行っていますので、もしご存知でしたら会員さんにお尋ね下さい。( July 29. 2004 )


 青少年の犯罪がエスカレートして、先日も富山で二人の女子高校生が、夏祭りで見物していた警備員の青年を、自分達の日頃からの鬱憤を晴らす目的で、包丁で刺して重傷を負わせたという事件が発生しました。報道では、二人で誰か刺す相手を決めたということですから、相手は誰でも良かったわけで、刺すことによって気分が晴れたそうですから、何ともはや、常識では考えられないような狂気の沙汰です。

 小6女子の同級生殺害や、女子中学生の幼児突き落とし事件など、空恐ろしい事件が連続して発生しており、母親による子育て中の幼児虐待・殺傷事件も含めて、女性の犯罪が激増しているように感じます。原因の特定は難しいのですが、殺人が何のためらいも無く行われること自体が不気味に感じます。教育の問題が云々され、教育基本法の見直しがまことしやかに喧伝されていますが、これは学校教育で改善したり、解決できる問題とは異なるのではないかと思っています。何しろ緊急に対処すべき重要な課題であることは確かです。

 ちょうど、“「家庭の教育力」回復を図る学校の対応策”という特集が「学校運営研究」7月号(明治図書発行)に組まれています。この中で、「今も昔も変わらぬ“家庭教育の原理原則”」として次の点が述べられていますが、この原理原則が実行できない原因・理由こそが問題点であろうと思います。

  @ 生活のしつけ(規範意識の低下や基本的生活習慣の欠如)
     率先垂範。例えば、挨拶(及び“ありがとう”、“ごめんなさい”)は、      大人がその行為を行う。      子どもと一緒に行う。
  A 学習習慣のつけ方(低学年から指導しないと身に付かない)
     勉強する時間がきたら時間通りに始める。      やる順番を決めておくこと。      短い時間で良いから毎日やること。
  B 親子会話の場つくり(母親だけでなく父親も参加すること)
     会話のきっかけをつくる。      豊かな話題を持つ(共通の話題があれば尚良い)      会話しやすい環境をつくる。(一緒に作業をし、体験を共有しながら)
  C 生活のリズムづくり
     生体のリズム(バイオリズム)に合わせる。      日常生活のリズムづくり(家族共々規則正しい生活をする)       特に父親不在やパート労働による母親不在、不規則な生活は避けたい。
  D 生活体験づくり(過保護、過干渉をなくし、年齢相応な体験をさせる)
     人間関係体験      共同体験      挫折・困難体験      欠乏体験      感動体験      勤労体験      自己決定体験      自然体験       コミュニケーション体験
   これらを、どう進めて行けば良いのかについては、
     @ 子どもの要求を安易に受け入れない。      A 要求をコントロールする力をつけるために一定の期間を置く。      B 要求に見合う労力の提供を求める。      C 何事にも手続きが必要なことを教える。      D 自分の得意なもので、他人に役立つことを要求する。
以上、多少原文とは相違するところもありますが、ここに述べられていることは当たり前のことであって、親や保護者が実行できなければならないことで、十分な理解と実行力が必要ではなかろうか。( July 25. 2004 )


 先日の日経新聞に、日本語と英語の自動音声翻訳システムを国際電気通信基礎技術研究所が開発し、2,3年後をめどに実用化するということです。日常会話や簡単なビジネス会話を、2〜10秒で翻訳できるそうですから、今、子どもの将来に必要だと、血眼になって英会話幼児教室に通わせている世の教育ママ達には、朗報と言うべきか、骨折り損のくたびれ儲けというべきか、英会話信奉者には再考の余地が出来ましたねぇ!

 幼児教育や学校教育に、早期英語教育は“是”か“否”かで議論になっているようですが、英会話を“教育”か“訓練”かという議論があっても良いようにも思います。英語が得意でない私も、うん十万掛けて英会話の教材で勉強しては見たものの、ものにならず、アメリカへ旅行してカタコト英語で何とかお茶を濁して“まあ、これでもいいや”と諦めたのも、つい昨日の事のように思い出します。サラリーマン生活でも、辞書片手に読んだり、書いたり、翻訳したりしましたが、不便ながら何とか間に合わせてきました。アメリカ英語とキングズ・イングリッシュとは、標準語と方言の違いかなどと気楽に考えましたし、ドイツ語やフランス語、ロシヤ語なども辞書を頼りに拾い読みをして間に合わせてきました。どうしても必要だという環境に遭遇しなかったせいか、片手間の独学では大して役立つことはありませんでした。

 ところが、私の子供達は、英会話など習わせたことが無かったのに、長男は外資系でもあり、英語を話す必要が生じて、何時の間にかアメリカの本社や海外の生産拠点へ飛びまわって仕事を進めるようになりました。長女は、外語大のドイツ語科でしたから、ドイツ語は当然話せましたが、これも就職してから、外国からのお客様への説明や案内などで必然的に英会話も訓練したようです。末っ子も、現在は外国での生産が主になって、管理・指導に出張せざるを得ないため、自分なりに努力しているようです。要は、環境に適応するしかないのですねぇ。(本人達は苦労しているのに、親は気楽でいいねぇ!)

 というわけで、自動翻訳機が実用化されれば、私などの英会話音痴でも不自由しなくなるので大歓迎ですが、読み書きは、パソコン抱えてとはいきませんから、手書きで書いたり、訳したりする努力は必要なのかも知れません。いずれにしても、機械が何でもやってくれる時代になりますから、何も早期教育などと、慌てることもありませんねぇ!( July 16. 2004 )


 「子供のしつけ5カ条」として、「声」、「あいさつ」、「お手伝い」、「食べ物」、「ウソをつかない」を丸山敏雄は挙げているが、「倫理」617号(6月号)の“RINRIぜみなーる 第26講”では、この「ウソをつかない」を取り上げている。

 ウソと言えば、政治家の肩書き(学歴)詐称、今回の年金未払い、贈収賄事件や、BSE事件での牛肉詐称、鳥ウイルスなどでの欺瞞、某自動車会社の車両事故証拠隠滅など、経営者のウソも数え上げればキリが無い。子供に「ウソをつかない」等と言える状態ではないが、

“子供がウソやゴマカシをも上手に身に付けながら、次第に成長を遂げていく過程で、モデルとなるのは親である。

 ある調査によると、5歳児の段階では「どんな場合にもウソはいけない」と思う子は95%に達した。しかし、11歳では「絶対にウソはつかない」と答えたのは28%に止まったという報告もある。(渋谷昌三著『人はなぜウソをつくのか』)

 フランスの哲人・モンテーニュは、ウソをつくことを最高の大罪とした。
「実に、ウソは呪うべき悪徳である。他のいかなる罪悪よりも、ウソつきの罪に対してこそ、火あぶりの刑が適用されてしかるべきであろう。ウソは子供の成長と共に増長するが、ウソをつくことだけは、あくまでもその発芽と増長を撲滅しなければならない…」

 歴史上のどの時代にもまして悪質なウソが氾濫する現代(いま)、昔の人たちの戒めと良心を、再び我々が取り戻さない限り、子供たちの将来に救いはない”と結ばれている。

 子供の“しつけ”は簡単なようであるが、両親の懸命に生きるさまが子どもに伝わるわけで、親の良識がそのまま、子に転写される。親の頭の良し悪しや学歴とは別なのである。それゆえ、親の信念(芯)がぐらつけば子も真っ直ぐには成長しない。トマトやきゅうりを育てるのと同じなのかもしれない。ほったらかしでもいけない、水よ、肥料よ、と甘やかしても決して良くは育たないし、おいしい実は結ばない。

 今一度、自分の子供たちに対するしつけを振り返って、
“子供の「生きる力」と生涯の幸、不幸を左右する人生の節操(すじめ)としてのしつけ、丸山敏雄の「子供のしつけ5カ条」”を再考してみてはどうだろうか? 政治家や経営者の皆さんにも、是非とも、この「倫理」617号(6月号)を熟読玩味してもらいたいものだが…。( May. 24. 2004 )


 NHK教育テレビで「3歳までに赤ちゃんの脳は決まるのか?」を見て驚きました。世のお母さん達の2/3(67%)は“そうだ”と考えていて、3歳までに色々な教育を施す必要があるとして、特に“英語教育”に力を入れ、大きくなったら必ず役に立つと信じていると話しています。そして、その言葉を裏付けるように、乳幼児へのネイティブによる“英語学習塾”が繁盛していると言うのです。

 確かに、乳幼児の脳は真っ新ですから、吸取り紙が水を吸うように、新しい知識を吸収する能力は素晴らしいものだと思いますが、その知識が必ずしもその子の成長に必要なものばかりでは有りませんし、大きくなってからの環境で役に立つものとは限りません。それよりも、乳幼児にとって、どういう環境において育てることが、子供の成長にとって大切かを良く考えてみる必要があります。

 私も「3歳までにこれだけは」というコンテンツを掲げていますが、これは早期の知識教育を言っているものではありません。3歳頃までは、子どもには世間の常識について経験が無いために判断ができない問題が多いので、経験を積んだ両親による“しつけ”がどうしても必要になるからです。また、3歳を過ぎると、反抗期となり自我が強くなってくるために、半強制的な“しつけ”が難しくなってくるからです。
「3歳までに」と言うことについて、世のお母様方は、それを“脳”の完成時期や“早期教育(英才教育)”と勘違いしているのではないかと思われます。

 安易な子どもの“早期教育(英才教育)”については、以前、雑誌「新潮45」で、埼玉医科大の小西教授などが、弊害があるとして警鐘を鳴らしていることを述べましたが、自分が出来なかったことや、何かにコンプレックスをもっていることに対して、えてして親は、自分を満足させるために(それが子どものためと信じて)自分の子どもにそれを期待して、やらせようとする傾向があるのではないでしょうか?
 だから、自分が貧乏で苦労したと思う人は、子どもにその苦労をさせまいと、甘い親となって小遣いを与えすぎて、勝手気ままな子どもに育ててしまい、子どもが社会人になってからも、更には、娘が嫁に行ってからも、何くれとなく面倒を見て、嫌なら何時でも戻っておいでなどと、良い親のつもりで君臨(?)するのではないでしょうか?

 子どもの“脳”や生態については、最新の脳科学を駆使して解説した「子どもの脳はこんなにたいへん」(バーバラ・ストローチ著 藤井留美訳 早川書房刊)があるので、参考にしていただきたい。特に、思春期の子どもの教育は大変なことがよく分かります。私達も乳幼児期や少年時代を経て、難しい青春時代を通ってきたわけですから、子どもの教育については十分知識も経験も有り、子育てには自信があるはずですが、子どもの教育については、未だに未熟と言わざるを得ない状態なのではないかと思います。

 以前、長男と教育について議論した際、学歴と社会に出てからの実力や将来の出世について、実績の証明方法などでお互いの意見が分かれましたが、「プレジデント」2004 5./17号の特別増大号(プレジデント社発行)で、“学力と学歴”で、詳細なデータと有力人事部の採用・昇進・学閥などについて、その本音を知ることが出来ます。

それだけでなく、

  “熱弁! 陰山校長「今、親が子にすべきこと」”
  “「嗚呼、わが子の受験と就職」父親の悩み20」”
  “経営者が直言「ここが変だ! 日本の公教育」”
など、興味ある特集となっているので、子どもの教育と将来について興味の有る方は、ご自分の経験と照らし合わせてぜひご覧下さい。(ところで、お前の子どもの教育成果はどうだったの?/まあ、教育は水物だからねぇ、悪い事せず、真面目に働いてりゃ、儲けものだぁ〜!)

 「ここが変だ! 日本の公教育」と言われるように、日本の公教育についても大きな問題なのです。既に国会での「教育基本法の改正」問題が浮上していますが、これは「憲法の改正」と大いに関係があるところなのです。ご存知のように、今度の改正案では自衛隊の防衛強化で「平和憲法」が脅かされようとして有識者からの反対が表明されていますが、教育の場での「国歌」や「国旗」の強制問題もありますし、歴史教育の問題もあります。むろん、第二次世界大戦の史実・評価の問題もあります。

 これらについては、「現代思想」4月号(現代思想刊)の特集“教育の危機”で論議されています。“教育基本法改悪と「戦争をする国」”や“教育は誰のものか”で、教育基本法の改正における問題点が論じられていますし、“「日の丸・君が代」の強行実施”についても実態がどんなものかわかります。
雑誌「世界」6月号(岩波書店発行)でも、“私たちはなぜ「日の丸・君が代」強制に抵抗するのか”で都立学校の教員と保護者の座談会が掲載されています。

 これらの問題は“良い”、“悪い”ではなく、広く国民の議論と理解が得られなければならない問題です。最近の国会では、議論を尽くさず、与党の強行採決が目立ってきています。正しい政治が行われなければ、世は乱れます。小泉政権の問題点が問われています。
 これは、私たち国民自身の政治参画問題も問われていると考えなければなりません。司法改革で裁判員制度が発足しても、国民が裁判員制度に積極的に加わることが必要で、それによって、加害者救済の現状から被害者救済につながらなければ何にもならないでしょう。政治に無関心であってはなりません。私たち国民が、積極的に政治に関わって行かなければ、日本の将来は明るくなりません。問題は全て、私たち自身の政治に対する姿勢の如何にかかっています。( May. 17. 2004 )


 「子どもの“こころ”を考える」。子どもの虐待など、被害者としての子どもの“こころ”について考えている時に、ちょうど創刊50周年の「母の友」2月号(福音館書店刊)に小沢牧子さんのインタビューが掲載されていたので手に取った。

 私たちは、子どもの“こころ”と言えば、単純に子どもの“気持ち”と考えていますが、小沢さんは、先ず“「こころ」って何?”と問いかけます。これに対して正確に答えられる知識はありませんので、ただなんとなく解かっているような、解からないような漠然とした答えで、禅問答になってしまいます。ですから、子どもを対象にした色々な問題を“こころ”の問題とすることにより、大人が扱いやすくなって肝心の子どもの本質から遊離してしまうのではないか? と考えるわけです。

 それを見方を変えて、“子どもが助けを求めている”のだと考えて、問題は「子どもの問題」ではなく、子どもからの「問題提起」だと考えるべきだと言われます。だから、子どもと同じ立場に立って、子どもの話を本気になって聞くことが必要なのです。
子どもは変化が早く、時間が解決してくれることも多いはずですし、話を良く聞いて、急がず(むろん緊急を要することもあるでしょうが…)じっくりその機会を待ってやることも重要なことです。そのためには、子どもとの信頼関係を作ることと、相互コミュニケーションが大切で、現在はこの相互コミュニケーションがほとんど無くなってしまっているのです。だから、すぐ専門家のカウンセリングという短絡的思考になるのでしょうか?

小沢さんは、
“子どもが泣いていたら、どうしたの、と真剣に聞く。それでいいのです。わからないことがあったら、子どもと一緒に考え、子どもに聞いて、一つ一つ丁寧に一緒に生活して、子どもと親しくなっていくことが大事なんです。子どもはやっぱり、小さなかけがえのない友達ですから”と結んでいます。

 ちょうどこのインタビュー記事の後に、「子どもをあずけること・あずかること」と題して、伊藤雅子さんの記事が掲載されておりますが、私も保育所や学童保育の問題で、厚生労働省の坂口大臣が少子化対策としてこれらの増設を進めている事に対して、いささか疑問を感じていたので、この記述にとても興味をそそられました。
ところが、これは1974年12月号の記事の再載と知って驚きました。読んでいって現在の状況に対して問題点を指摘しているとしか思えない新鮮さがあるのです。あるいは、この問題が、未だ何の進捗も無いままなのかも知れません。

 子どもを預けるということは、母親が働くためということが一般的だったのは昔のことで、現在では、それ以外の色々な動機や理由から、(たとえば、市民運動や学習活動、ボランティアやPTA活動などができるよう託児をすべきだ、という意見など)託児所の要求が出てくるとのことです。

 ところで、子どもを預けることにためらいがあるわけですが、預ける理由として、自分が何かしたい、それには子どもが障害になる、だから預ける、少しぐらい我慢させてもしかたがない、これが現状だからやむをえない―そういう精神の地すべりは、とかく子どもを自分の行動のじゃまになるモノとしてしか見ないし、預ける相手は面倒を押し付ける対象としか見てなくて、単なる事務的な契約関係になってしまう。そうなると、預けられた方は預かり物を破損しないで無傷でお返しするというわけで、コインロッカーと同じではないか。

 それでは、子どもにとって預けられる、預かられるとはどういう意味があるのかと言うことですが、子どもの生活は子ども自身のものであって、大人や他の何かに従属させて考えられるものであってはならない生命の一刻一刻であることを、忘れたり見失ってしまってはいけないのです。だとすると、大人の都合でどこに預けるかでなくて、子どもの幸福な成長と大人の自由な生活をいかに共存させるか、それにはどんな配慮が必要かという発想にならなければいけないのです。
それゆえ、保育者は、親の代用でもないし、下請けでもない。親と保育者は、どちらが主でも従でもない対等な関係にあり、夫々の場から子どもに真向かって、真剣に緊張関係のある信頼関係の中で、子どもの成長を支え合う共同作業となるのです。

 しかし、現状に見られるように、都市化、核家族化が進んで、母と子の関係が物理的にも心理的にも地域から隔絶してくると、昔に比べて若いお母さんは我慢しなくなつてきているので、子どもを預かってくれるところを要求するようになります。だからといって、子どもを預けることが母親の利己的だとも言いきれませんが、子どもを預けることの便利さに流されて、対症療法的に預けることで問題解消と考えて、子どもを預けることで開かれていく視野と、預けることであいまいになってしまう矛盾についても良く考えておく必要があります。
「それゆえ、保育施設や託児のあり方を、地域や家庭での生活ぐるみ、見直していきたい。そのためにも、こまかな子どもの預け方、預かり方について、みんなして、もっとこだわっていきたい」と伊藤さんは結んでいます。はたして、今のお母さん方はどう考えているのでしょうね?

 子どもを預ける、預かると言う問題は、単に施設を沢山作って託児の要求に答えることだけでなく、子供の生活や成長、更には地域との関わり方まで含めた大きな問題だと言うことですねぇ。少子化に歯止めをかけるため(?)に、託児所や学童保育所の増設や児童手当の拡充などをひけらかす、公明党の誰かさんに良く読んでほしいような気がしますが…。( Feb. 5. 2004 )


 最近の報道を賑わしている青少年の犯罪、あるいは少女への性的虐待や未成年売春など、性に関わる犯罪が多発していることでしょう。青少年自身が犯罪を犯すことも無論ですが、青少年自体がその被害者となる場合が非常に多くなっているのが実態ではないでしょうか?

 これらの事件を考えると、単に無知が引き起こす問題とか、親と家庭教育の問題や子供の躾だけに原因を求めるには、早計に過ぎるような気がしてなりません。確かに、その中には、子供に対する親の無関心さや子供への行きすぎた過保護の問題もあるようですが、一概には断定することは出来ません。
その点で、「世界」(岩波書店発行)2月号の特集“私たちは若い世代を「育てている」か”を良く検討する必要があるのではないかと思います。

 ここでは、子供達の置かれている環境、世相に焦点を当てて、子供と大人との関係を分析しています。青少年犯罪の中でも、小学生、未就学児に関わる犯罪が増加していますし、子供が拉致されたり誘拐されて、性犯罪の対象となっていることも問題です。それに対して大人社会が青少年犯罪防止のために“少年法の改正”や“学校への警察力の導入”という強硬手段を盾にして、犯罪の立地条件を改善することよりも、犯罪への厳罰化を進めていることが更に問題を複雑にしているのではないでしょうか? そこには子供に対する人権擁護の思想は少しも見ることが出来ません。“大人社会の歪”が子供たちの犯罪を駆り立てているという認識があまりにも低いのではないでしょうか?

 この特集では、子供問題の根本原因を、彼らを取り巻く環境の激変にあるとして、

   @ 学校の問題… 詰込み教育による学校の塾化、稚拙な「教育改革」
   A 家庭の問題… 家庭の崩壊。団欒の無い食卓、進む孤食、子供の虐待
   B 地域・社会の問題… 子供をターゲットにした産業構造。                子供の性の商品化(出会い系サイトなど)
に分けて考えています。学校教育の問題にしても、小泉内閣は、何が何でも「教育基本法の改正」を押し通す考えのようですが、現在の教育基本法にこれらの問題が派生する要因でもあるというのでしょうか? むしろ、教育問題を“教育基本法”に求めていることこそが大きな問題なのではないでしょうか?
これらを改めて考えるとき、私たち大人が子供を守り成長させると言う責任と義務を放棄しているために、子供達を不幸にしているのではないかと考えます。

 問題はこれだけではありません。“使い捨てられる若者たち”では、「労働基準法」を知らないで就職して問題を起こす若者や、「労働基準法」の存在さえ全く知らない経営者、逆にそれを悪用する経営者が沢山居ると言います。私たちの時代には、就職して入社する際には、学校でもらったガリ版刷りの「労働基準法」を持参したものですが、現代の若者は、入社しても労働組合に加入しない者が多いと言いますし、働くということが金銭を得ることであり、アルバイトやフリーターなどで、それが容易になっているために、労働と法律の関係に無頓着になっているのではないでしょうか?

 この特集の最後を飾る安田菜津紀さんの報告では、日本の子供達の恵まれすぎている環境と対照的なカンボジアの子供達の様子に、涙なしでは読むことが出来ません。NPO法人「国境なき医師団」の青少年教育プログラム「国境なき子供たち」の活動に参加したカンボジアでの体験報告である。
地雷でもぎ取られた手足や指の無い子供たち、親に売られてトラフィッカーに監視されながら路上での労働や物乞いで生活する子ども、売春を強要させられ笑顔を忘れた少女、その売春宿を経営する日本人に愕然とし、必死に生きている子ども達に言う言葉も見つかりません。

 いずれにしても、現代の青少年犯罪の凶悪化という形で、“子供の人権”や“子育て”を真剣に考えていない私たち大人に対して、“現代の子育てをどうするか”と言う大きな命題を突き付けられているのではないでしょうか?( Jan. 19. 2004 )


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