VJEの歩み 萩原健バックス社長に聞く(5)

目次

5 Windows時代と日本語入力プログラム

1995年、マイクロソフトはWindows95を発売した。これまでのWindowsからすると格段に使いやすくなり、このころくすぶり始めていたインターネットブームとも相まって、「パソコン」が一般家庭や事業所に普及してゆくきっかけとなった。このころから、ワープロ、表計算ソフト、ブラウザなど必要最低限のソフトはプリインストールされることが当たり前となり、パソコンショップでパッケージソフトを購入することが減ってきた。日本語入力プログラムも、MS-IMEが初めからインストールされ、当初芳しくない評価を受けていた性能も、向上しつつあった。

5-1 淘汰の兆し

太田: ちょうど1995年ぐらいに日本UNIXユーザ会の日本語入力ワークショップがあり、当時の日経パソコン編集長をお呼びして、日本語入力の今後について伺ったら、まずMS-IMEとATOKだけ残ってあとはなくなるよねという話を、ちょうど10年前ですが、されてました。で、かなりそれに近い状況になってきた。
まあそれはメインストリームのPCの上での話であって、携帯端末とかそのほかのPDAとかの話ではないんですけども、ただ、まあその当時、あと1年くらい前のデータとして、1994年のアスキーかなんかの調査で、WXは14%ぐらいのシェア、VJEはDeltaだったかな。4%ぐらいのシェアというふうに見ていました。

萩原: WXGじゃないですか、それじゃあ。

太田: いや、そうなるともうちょっと前かもしれない。VJEはDeltaじゃなかったかもしれないです。ごめんなさい、Windows95のころだったですね。

萩原: じゃあVJE-γですね。

太田: Windows3.1からγですよね。

VJE-γ
VJE-γ

萩原: はい。

太田: 4%ぐらいのシェアだったと思います。で、当時OSがどれくらいの本数出てるかわかりませんし、日本語入力何使ってるというアンケートに対する4%というシェアが実数としてどれくらいの本数か分からないです。実際のところ、MS-DOSのころとそれ以降に関して、商売のやりやすさはどうだったでしょうか。

萩原: ええと、たぶんね、Windows95からね、パソコンが一般に認知されてぎゅうっと伸びたじゃないですか。だから、そこから影薄くなっちゃったんでしょうね、VJEなんかもね。

太田: VJEもそのころはまだ単体で売り上げが開発コストを上回る程度の。

萩原: そうですね。黒字ではあったんですけども、まあ、ただあまりパッケージに依存しないで、アドバルーンなんですね、パッケージって僕らにとって。それによって、違うパソコンへのポーティングビジネスとか、違う機器への組み込みビジネス、という商談がうまく流れるじゃないですか。そういうところで稼いでた、ということはありましたね。

5-2 Windows版のVJE

太田: VJEがWindowsに対応したのはいつごろだったでしょうか。

萩原: Windowsの2.1でしたっけ。2.0かな、に載せたことがあるんです。アスキーさんがビジネスショウか何かで、デモするんで3か月で移植してくれと言われて。まだ、商品にならなかったです。Windows自体が商品になったのでしたっけ。

太田: Windows1.0も商品としては出ましたよ。

萩原: そうですか。

太田: エルゴソフトさんか、イーストさんだったか、Windowsに対応したところがもう1社あったと思います。

萩原: そうでしたか。

太田: Windows対応に当たって、FEPから、まだIMEじゃなかったのでしたか、デバイスドライバという形でしたか、それともアプリケーションという形でしたか。

萩原: Windowsの仮名漢の仕組みも徐々に変わってきて、マイクロソフトの日本法人でいろいろ検討しながら進化していきました。Windows2.1の時にMS-Kanji APIを叩いて仮名漢をするという仕組みにしたんじゃないですか? ちゃんとしたIMEの仕組みが出来たのはWindows3.0からで、1アプリケーションとして実装したと思います。Windows95からIMEの構造や実装方法がガラリと変わり、DLLとなりましたね。

太田: その辺で、開発の苦労は具体的にありましたか。

萩原: ちょうど僕も、DOSのEMSの辺りから、OSが変わったときにコーディングしてもらうというのは、別のスタッフにやってもらっていたので、あまりその辺にタッチすることは少なくなってきちゃったんです。そのころの苦労話はあまり出来ないですね。

太田: Windows対応のころは、開発メンバーはどのくらいの人数がいましたか。

萩原: 多いときでも、10人までいかなかったでしたかね。

太田: Windows対応よりAI変換の方が後でしたでしょうか。

萩原: そうですね。VJE-Deltaからでしたからね、AI変換は。

太田: Windows3.0は、東芝版のWindowsに付けていたATOK7やVJE-γなど数種類しか日本語入力プログラムがなかったです。まだMS-IMEが出ておらず、日本語入力に苦労していました。この当時、VJE-γを売り出したことで、世の中の評価とかWindows関係の開発をやるというアドバルーンとしてメリットはあったでしょうか。

萩原: あまり大きなものはなかったんじゃないですかね。

太田: Windows2.1のころから3.0で仕組みががらっと変わったので、大分苦労されたのではないでしょうか。γで辞書も変わったようで、内部的に変化があったのではないでしょうか。

萩原: βからγで3文節最長一致に拡張したので、エンジンの書き換えが起こっているんです。でもαからβほど大規模なものではないです。

太田: バッファ周りの管理が大きいことで、文法周りではそれほど大きい変化はなかった。

萩原: ないですねえ。

太田: 辞書は非常に大きくなりましたが、この段階でも社内でお作りになっていた。

萩原: そうですね。

太田: このころはデータを集めるのに電子的な手段があったと思います。電子辞書の広辞苑なども出ていましたが、そうしたものを利用して何か特別なことをしていましたか。

萩原: γではまだやっていなかったと思います。

太田: Deltaでは。

萩原: Deltaのときの辞書拡張では、いろんなところから買い集めたりしてましたね。

5-3 VJE-DeltaとAI変換

Windows3.1が登場した1993年、しばらく新たなバージョンを出していなかったジャストシステムは、AI変換をうたったATOK8を発売した。それに対抗するように、各社もAI変換を打ち出してゆく。

VJE-Delta(Linux/BSD版)パッケージ
VJE-Delta(Linux/BSD版)
VJE-Deltaパッケージ
VJE-Delta

太田: Windows3.1のときには、VJE-Deltaも出ていました。VJE-Deltaは非常に大きな拡張だったかと思います。AI変換がATOK8で出ていましたし、VJE-Deltaがそれに対抗するいちばん最初で、WXIIIもAI変換を取り入れ、大きく変わりました。このころは何人で開発されましたか。

萩原: エンジン部分は、2人か3人だったと思いますよ。逆に、ユーティリティとかあっちのほうが重くなって。ユーティリティや辞書の作成は外注して、取りまとめとか、エンジンの開発だけは中で押さえておこうと。

太田: 辞書は、AI辞書を作るために、格フレーム辞書など、用例に対応するコーパスを基にした共起辞書が必要だったと思いますが、それも外注ですか。

萩原: それは、パートさんを集めて作りました。

太田: 基になったデータは何ですか。これは普通の辞書を見ては作れなくなったと思いますが。

萩原: 辞典も見るんですよ。辞典の説明文を見ると、用例が書いてありますよね。この単語はこういう用例で使うんだと。後は、単語を見て自分でいろいろ考えて、膨らませていったり。

太田: 家内制手工業のような感じですね。

萩原: そうですね。

阿部: パートの人は普通の人なのですか。

萩原: そうですね。言語に興味がある人ということで集めました。

太田: 具体的にどういった形で集めるのですか。

萩原: 職安ですよ。町田はベッドタウンですから、フルタイムでは働かない高学歴の主婦の方が結構いらっしゃるんですね。

太田: ATOKがATOK8でAI変換を可能にしていて、ATOK委員会を作り辞書に関してきちっとしたことをやり始めていました。VJE-Deltaは辞書に関してはそういうことはされていなかった。

萩原: そのころジャストさんは一太郎で随分儲かって、売り上げも社員も増えていたころですよね。体力的に(バックスと比べ)差が付いてきたころじゃないですか。「ジャストさん、すごいなあ」と思って見ていましたけどね。

太田: ジャストシステム以外に競合として見ていたところはありますか。

萩原: エー・アイ・ソフトさんが出てきてからは、WXIIがそうですね。

5-4 日本語入力プログラムをめぐる人々との交流

太田: 業界内部ではどのような人材交流がありましたか。また、技術力やカリスマ性で、興味のある方はいらっしゃいましたか。

萩原: MS-Kanji APIを作ったときに、マイクロソフトに各社集まったんですよね。そのときに、何人かの方と面識は出来たのですけど、それ以外はあまりないですね。

太田: 技術力や開発力で、業界内部で気にされていた方はいらっしゃらなかった。

萩原: 誰が作っていたか分からなかったですからね、当時。

太田: もうちょっと業界内部で人材交流があると思っていたのですが。

萩原: ジャストさんでは四宮さんという方がATOKをやっていましたね。あとはエー・アイ・ソフトの小山さんとかJISの委員会で面識がありましたね。

太田: 四宮さんは確か、日経の雑誌か何かに文章を書かれていて、名前が出ていました。VJE関係では、こちらの本に名前が出てくる田中さんと新井さんはどちらの方ですか。

萩原: 新井さんは、古くからいたうちの営業で、OEM営業を専門にまわっていて、あちこちのメーカー行っていまして。

太田: 田中さんは。

萩原: この方は、VJEファンだったということで来てもらいました。本を書きたいと言うので、書いてもらったりして。彼は独立したいといって辞めて、インプレスの本を結構書いていますね。『できるWord』などを書いてヒットしましたね。

太田: 日本語入力で「これがやりたくてやりたくて」というのではなくて、時期的にそういう場所にちょうどいたんで、これをやっている方が多くて。後から自分で勉強して、日本語入力の仕組みを考えついて、実装して動かしているという方が多くて、大学で研究して開発されたという人はあまりいなかったようです。

阿部: バックスは、AI変換絡みでも情報収集は大学の論文を参考にしていたのですか。

萩原: そうですね。論文を色々見ましたね。

阿部: 共同研究はしなかったのですか。

萩原: 予算があれば共同研究したかったですけどね……。

阿部: 基本的には萩原さんが、文法解析については論文を読んで、こういう方法がいいだろうと判断し、実装方法を見極めた。辞書集めもパートの人がやり、まさに家内制手工業という面が大きいのですね。

萩原: そうですね。

5-5 手間が掛かるツール作り

太田: VJE-Deltaのレベルのものが個人で作れるとは、信じられないのですが。

萩原: ツールは大変ですよ。環境設定とかね、住所入力とか、単語入力とか、それぞれ1人ずつ張り付いていますもん。

太田: そうすると、全部集めると10人ぐらい必要になる。

萩原: ローマ字のカスタマイズとかね。カスタマイズ機能は、結構人手が掛かるんですよ。

太田: カスタマイズは、ユーザーから随分やれやれという話がきていると思うのですが。

萩原: やっぱりハードコーディングしたほうが楽ですよ。そういう仕組みを実現するためには、テーブルやファイルをどうやって設計するかというところからやって、そこからいちいち情報を取って動くというプログラムはそこそこ重たいじゃないですか。DOS時代はメモリの制約から出来ないという説明が出来たけれども、Windowsは出来ないとまずいですよね。

5-6 MS-IME

太田: Windowsに関しては、MS-IMEが出てきて、サードパーティ製品が厳しい状態になってきました。MS-IMEは、エー・アイ・ソフトから基本的にリソースを買って作ったという話は早くからご存知でしたか。

萩原: 他社のことはコメントしづらいですね。

太田: 業界内部からそういう話が伝わったのでしょうか。

萩原: 業界の人しか知らない情報ですから、そういうことになりますかね。

太田: そういった話は、ほかでも聞きます。マイクロソフトさんは自社開発を考えていなかったのでしょうか。

萩原: ということになりますね。

太田: MS-IMEが初めからOSに付いていて、しかもそれで一般ユーザーが困らない程度の性能を持っている状況になって、このことは商売に影響したと思われますか。

萩原: そういう意味では、パッケージがほとんど出なくなりました。

太田: もし、「一太郎にATOKが初めから付いてくる」というような形で、VJEが標準添付されているアプリケーションがあったとしたら、売れていた可能性はありましたか。

萩原: VJE-PenのWindows版はあったんですけどね。

太田: キラーアプリケーションと呼ぶには……。

萩原: そうそう。そっちも早々に撤退してしまったんですよ。Wordと一太郎の2強になってしまったので、駄目でした。

阿部: アプリケーションがプリインストールされていたマシンも、Word搭載モデルと一太郎搭載モデルでした。

萩原: そうでしたね。パーソナル編集長は、入力するソフトじゃないので、バンドルしてもしょうがないよね、と。ユーザー層が全然違うんですよね。

太田: 今よく売れている、年賀状ソフトにバンドルしていたら本数は出ていたかもしれない。

萩原: そうですね。

太田: MS-IMEが出たことで、販売戦略をもう少し頑張って売ろうというようにはなってなかったのですか。

萩原: いや、それはなかったですね。多分あまり力を入れても、マーケット自体が小さくなっていたから駄目だろうということですよね。

5-7 携帯電話に目を向けるが…

Windowsでの日本語入力プログラムが縮小することが明らかになり、組み込み、とりわけ携帯電話に着目した。しかし、そこでもビジネスは厳しくなる。

太田: Windows以外に有効なマーケットはありましたか。

萩原: 携帯電話が立ち上がってきたじゃないですか。携帯電話メーカー向けに売り始めたんですが、京セラは早い時期から使ってくれました。一時期はいいビジネスだったのですが、電話機メーカーが1台いくらというロイヤルティを払いたがらないので、1機種何百万円というビジネスになっちゃうと、儲からなくなりますね。

太田: 携帯電話では、バックスとオムロンとジャストシステムの3社のほか、メーカーがケータイ書院とか、モバイルルポとか名前を付けているものがありますが、自社ではどのくらい作っているものなのですか。

萩原: 東芝はとてもこだわっているという話を何度か聞いたことがありますが実情はどうなのか分かりません。

太田: シャープと富士通は自社開発ではないという話を聞きます。

萩原: そうなんですか?

太田: 今富士通に入っている日本語入力プログラムの予測変換がシャープと全く同じなのですが、あるところから「あれはケータイ書院ではないんだよ」いう話を聞きました。私の目から見て、辞書も連文節変換の癖も全く同じもので、恐らく富士通もシャープもどこかからOEMで買っているようです。しかし、どちらもオムロンのWnnよりは賢く、ATOKでもない。あるとすれば、エルゴソフトかイーストか辺りかなと。

萩原: 違うと思います。イーストさんは今はやっていないんじゃないですか?

太田: 実は書院IMEは、中を見るとイースト株式会社と書いてある。あの当時はイーストがWindows版の開発をやっていたので、イーストがまだやっているのかなと思っていたのですが。

萩原: イーストさんは、Sさんと親しくさせていただいているので、どんな事業をしているかよく分かるのですが……。

太田: 今は開発されていない。

萩原: ええ。WindowsアプリとWeb系にシフトしているようですね。(6 個人サポート終了と今後に続く)


作成日: 2006年 1月 15日 日曜日 更新日: 2006年 1月 16日 月曜日