VJEの歩み 萩原健バックス社長に聞く(4)

目次

4 VJE-β

VJE-βパッケージ
VJE-β

アスキーとの共同開発で1986年に生まれたVJE-βは、変換ロジックに2文節最長一致法を採用、連文節変換の精度を高めることに成功したほか、ベタ打ち変換(自動変換)など様々な新機軸を取り入れた。販売流通体制にも、ライフボートから離れるという変化があった。

4-1 販売流通体制の変化

太田: VJE-βは、アスキーと共同でということで、ライフボートから離れてしまったのですか。

萩原: だんだん疎遠になっていってしまいましたね。流通は、ソフトバンクにやってもらっていましたね。

太田: アスキーとは、ソフトハウスとしての付き合いだったのですか。

萩原: ちょうど、アスキーは、JS-WORDをジャストシステムと共同開発していたのですが、それをジャストシステムが引き上げちゃった。そこで仮名漢をVJEにしようかなと。

太田: ジャストシステムは、JS-WORDを引き上げた後、JX-WORDを自社開発し、太郎、一太郎と続いて行きます。KTISのころには、ジャストシステムとアスキーは切れてしまったのでしょうか。

萩原: KTISは、アスキーも使っていたんですよね。その後アスキーはKTIS3だったか4だったかの自社開発も検討したけれど、やはりVJEを一緒にやろうという話になったと記憶しています。

太田: 当時のアスキーはそれほど多くの種類のソフトがなかったですが、VJEを何と合わせて売ろうとしていたのでしょうね。

萩原: The CARDがありましたよね。The WORDもありました。

太田: VJE-βが出たころは、パッケージ売りがメインになったと思うのですが、どれくらい売れたのでしょうか。

萩原: βはどうでしたかね。資料はすぐ出てきませんが、αの時代で初期ロット2000本出るビジネスになっていました。多分βはせいぜい5000じゃないですか。

4-2 メモリ容量との闘い

当時のNEC PC-9800シリーズは、メモリ容量が640KBで、セグメントの壁があった。そのために、2文節最長一致法というメモリを食うロジックをいかに効率良く実装するかに苦心することとなる。その後、EMS(拡張メモリ)が搭載されるようになったが、メモリとの闘いは続いた。

太田: βの開発は、どのくらいの期間が掛かりましたか。

萩原: 長かったですよ。7、8か月掛かった気がしますね。

太田: 連文節変換や、ベタ書き(逐次自動変換)変換が搭載されたが、そのほかにVJE-βで大きく変わった部分はありますか。

萩原: ロジックが2文節最長一致になったということで、ほとんど書き直しているんですね、中を。

太田: 当時、まだLattice Cだったのですか。

萩原: Lattice Cだったと思いますが、このころに変えたかもしれない。

太田: VJE-βは割とサイズが大きくなった。デバイスドライバもバージョンが上がるたびに少しずつ構成が変わったが、どんな理由があったのですか。

萩原: どういう風に作ったかなあ。ちょっと覚えていないですね。

太田: VJE-βはCのソースで行数は何行くらいでしたか。

萩原: そんなに大きいものではないはずですけどね。アセンブラでドライバを書き、Cの部分は1万行を超えたくらいだったんじゃないですかね。

太田: 他社の日本語入力プログラムでも、ローダーとデバイスドライバを2つに分けたものがよくありました。

萩原: セグメントの64KBの境界があるじゃないですか。その関連だったかもしれないですね。

太田: VJE-αまでは恐らく64KBまでに収まっていたが、βのときは128KBまで使うようになっていましたよね。これは2文節最長一致を入れ連文節変換になったということでワークエリアが必要になったのですか。

萩原: たぶん、そうだったと思います。

太田: 128KBというメモリを取るために、セグメントごとにドライバを2つ別々に持って、お互いに通信し、メモリを共有してアクセスするような仕組みが必要だった、と。

萩原: 確か、データ領域側は64KBに収まっていたような気がします。コードが超えちゃったのかもしれないですね。そうすると、2つにしてfar call使えないじゃないですか。そういうのはリンカーがちゃんとセグメントを入れてくれるのだけど、そういう賢いローダーを書くのは大変だから、それぞれはシングルセグメントのモデルで作っておき、どこかを介在させてjmp farで飛ばすというテクニックを使ったような気がするんですけど。

太田: その後メモリが増え、EMS対応になったときも同じような苦労があったのではないですか。

萩原: βになった辺りから、ロジックの改良より、メモリとの闘いが大きくなってきましたよね。

太田: その辺も萩原さんが1人で書かれていたのですか。

萩原: その辺は何人かでやっていましたよ。

太田: それはバックスの社員ですか。

萩原: そうですね、はい。

太田: それは、VJE-βが商品として認知され、軌道に乗ったころの話ですか。

萩原: そうですね。1989年ころでしょうか。

太田: VJE-βが出たころには、MS-DOSマシンは640KBのメモリを積むのがかなり普通になって、業務で使う場合はさらにEMSも積むようになっていました。VJE-βがEMSに対応したのはいつごろでしたか。

萩原: AX(AX協議会によるPC/AT互換日本語PC共通仕様)が出るころでしたかね。

太田: 販売チャネルはまだソフトバンクですか。

萩原: ですね。

太田: アスキーと一緒に開発されていたのはバージョンいくつまでですか。

萩原: 2.0ぐらいまでですか。

太田: そうですね……。ちょっとバージョンまでは覚えてません。

4-3 アルゴリズム、辞書

太田: その当時アルゴリズムの開発でどんな苦労があったか、辞書の開発が具体的にどのように行われていたか、また機能の追加がどのように行われてきたかについてお伺いします。
まずアルゴリズムの開発についてですが、2文節最長一致などのアルゴリズムを改良させていくに当たって、どんな情報集めをされてましたか。

萩原: 大学の論文で仮名漢字変換に関係するものをいくつか見て、2文節最長一致で結構行けそうだねということで、ロジックはそれに決めてしまったという感じですね。

太田: 文法要素とか、接頭辞接尾辞とか、文字種の混在などをどのようにしてうまく扱うか、英字や数字が日本語の文章に入ってきたときにどうやってそれらを文法的に接続させるのか。たとえば数詞と助数詞がつながっているものは1つの文節として扱いたいと思いますが、こういったものは一つ一つ思いついて機能として実装してきたのでしょうか。それとももっと統一的に形態素解析を設計してきたのでしょうか。

萩原: いや、試行錯誤ですよね。あのころもやっぱり試作品をチューニングして製品化するというような、そんな感じです。

太田: 他社でも同じような感じだったのでしょうか。

萩原: だと思うんですけどね。

太田: 情報としては大学の論文ぐらいしかなかったですよね。

萩原: ないですね。

太田: 辞書に関しては、そろそろ大規模な辞書が出てきて、VJE-βでもラージ辞書として1MB近い辞書を提供してましたね。

萩原: そうですね。7万語ぐらいまで集めたんじゃないですか。

太田: それはアスキーさんでお作りになられた。

萩原: そうですね。

太田: VJE-βの辞書はアスキーがずいぶん手を入れたと聞いてますが、後にバックスがアスキーと別れて単独で製品を出すに当たって辞書を作り直しましたか。

萩原: いえ、同じものをずっと使ってたと思います。

太田: それはアスキーの許諾を得てアスキーの名前を出さずに使われたということですか。

萩原: はい。途中でアスキーが「VJEもういらなくなったよ」というところでお話させていただいて、全部もらいました。共同開発だったので、どちらかが売ったらもう一方にロイヤルティが入るような仕組みを作っていたのですが、アスキーが売らなくなったのでうちからロイヤルティを払うばっかりになったんです。で、そろそろ勘弁してよということで(笑)、全部もらったということです。

4-4 ライバル

VJE-βが出た1986年は、5月にATOK5がリリースされたのを始め、松茸も「松茸86」としてリリースされた。その後FIXER、MGR、Katanaなどが次々と開発され、1990年代前半に掛けて日本語入力プログラム開発の一つのピークを迎える。

太田: そろそろ仮名漢字変換には競合が出てきたと思いますが、単体のデバイスドライバとして競合する製品を最初に意識されたのはいつごろですか。

萩原: ATOKは新しいものが出てくるといちおう手に入れて調べてました。FIXERなんてありましたね。あとMGR2とか。

太田: MGRはリード・レックスさんのですか。最初のバージョンはROM辞書で、その後フロッピー辞書のMGR2に変わったと記憶してます。

萩原: はい。

太田: ほかには、いかがですか。

萩原: Katanaも見ました。あとEGBRIDGEはよく見てました。Macintoshでしたけどね。

太田: まだDOS版はご覧になってませんでしたか。

萩原: あれ、DOS版っていつごろ出たんでしたっけ……。当時出てれば見てると思います。

太田: EPSONのDOS3.1が出たときに付属していたのがEGBRIDGEだったはずですが。

萩原: そうですか。EGBRIDGEとATOKはそこそこ賢かったんです。で、VJE-βで変換出来ないものが変換出来たりしたので、「なんでこれ出来るんだろうね」とか思いながら見てましたね(笑)。

太田: リバースエンジニアリングに近いことは当時なさってましたか。

萩原: いや、コードの中までは見ないですね。

太田: その当時のコードでは見てもわからないかもしれませんね。

萩原: アセンブラですしね(笑)。

太田: ATOKは当時まだアセンブラだったんでしょうか。

萩原: どうなんですかね。そのへんまではわからないですね。

太田: VJEはかなり早くからCで開発されてましたよね。

萩原: そうですね。

太田: FIXERなどはかなり後までアセンブラで書かれていたと噂されてました。組み込み系のメーカーの仮名漢字変換はご覧になってましたか。

萩原: いえ、そのころはそういうものはちょっと記憶にないです。

太田: 会社でいえばイーストさんとか。E1という仮名漢字変換を組み込み向けに作ってらして、ライブラリ売りをしてたと思います。Windowsになってからは製品も出てきましたけど。

萩原: はいはい。

太田: エルゴソフトさんも含めて、ああいう全方位向けの販売を当時からされてたんじゃないかと思うのですが。

萩原: ええ。

阿部: 1987年ですね。EGBRIDGE 2.01が出たのが。

太田: 私が見ているDOS版はバージョン2.いくつなので、バージョン1はMacintosh版だけかもしれませんけど。競合としてはATOKが大きかったのと、EGBRIDGEもそこそこでしたか。

萩原: そうですね。

太田: あとは、FIXERとかKatanaは性能的に評価するところまでは見てませんでしたか。

萩原: FIXER4でしたっけ、「貴社の記者が汽車で帰社する」を変換出来るよというので見ましたけど、意外と用例が少ないので「あ、なんだこの程度か」と思ったことは記憶にありますけど(笑)。

太田: そういうふうには評価されてたってことですね。

萩原: ええ。

太田: 当時具体的に他社と性能比較をするツールを作ってチェックするということはされてましたか。

萩原: なかったですね。IME METERを作るまではなかったです。

4-5 雑誌のレビューをどう見たか

様々な日本語入力プログラムが登場したことから、当時、松茸、ATOK、VJEと、プラスアルファでFIXERやKatanaなど4種類ぐらい集め、使い方やMS-DOSへの組み込み方など、いろいろ比較されていた。

太田: 比較されるとか評価されるということに対してバックス社内ではどういう見方をされてましたか。

萩原: 評価はいいにこしたことはないので……(笑)。

太田: 目くじらたてて一喜一憂していたのかあまり気にしてなかったのか、どちらでしょう。

萩原: そうですね。指摘されたところはどんどん直していくというのはやってましたから、気にはしてましたよね。

太田: VJE-αでは「蛙変換」といって、「いえにかえる」と打って「蛙」しか出なかったという例がありました。ああいうものも雑誌に出てから改良されたのでしょうか。

萩原: そうですね。そういう意味ではユーザーインタフェイスは登録はがきとか雑誌の評価とか、あとアスキーさんからのリクエストがけっこう大きかったですね。アプリケーションに組み込むからこういうふうになってなきゃいけないとか、こうしてほしいとかって要望があって。

4-6 機能の充実、操作性

太田: 機能面では、たとえば後変換と私は呼んでいるんですが、平仮名で入力したものを片仮名にしたり英字にしたりとか、後からそれを出来る機能が付いたのはいつごろだったでしょうか。

萩原: VJE-86から付いていましたよ。F1〜F3でひらがな、カタカナ、全角変換でした。

太田: いちばん最初からでしたっけ。

萩原: ええ。

太田: それはATOKが後追いをしたような形になるんですかね。

萩原: そうですね。

太田: あと、連文節変換で矢印キーで文節を選んで別の候補を選ぶという機能も割と最初からありましたか。

萩原: VJE-86とかは部分確定して、順番に移動しないとだめだったと思うんですよ。VJE-αもそうだったんじゃないですか。VJE-βで、やはりそれは前に戻りたいよねということで直したんじゃないですかね。

太田: ATOKは7ぐらいまで先頭文節しか確定出来ませんでしたね。

萩原: ああ、そうでしたね。

太田: VJEは割と早くからそれが出来たので……。ただ左手がコントロールキーとか忙しかったですけど。確かEGBRIDGEも早いうちから文節が選べたんじゃないかなと思うんですけど。

萩原: なるほど。

太田: EGBRIDGEは500文字一括入力という機能がありましたね。

萩原: そうそう。あったですね。

太田: ワークエリアどこに持ってるんだろうと思ってたんですが。

萩原: そうなんですよ(笑)。やりたかったけど、いろいろ制約があって出来なかったです。それ。

太田: ATOKは1行の2/3ぐらいでそれ以上入力出来なかったですから、長い文章を入れたいという人にはVJEかEGBRIDGEというところがありました。あと、VJEはスペース変換を取り入れるのが遅かったですけど。

萩原: 遅かったですね。いつでしたっけね、あれ入れたの。VJE-βで/ksだか何かオプション付けてやっとサポートしたんでしたっけね。

太田: VJE-βの最初のバージョンはそのオプションなかったと思うんですよ。多分Ver.2以降でスペース変換が出来るようになって、戻ってVJE-Σでもスペース変換出来るバージョンをお作りになってましたね。

萩原: そうですか。多分アスキーさんの要望だと思いますね。KTISから変わって操作が変わると困るというような()。

太田: 私も実はスペース変換出来ないときつかったんですが。

萩原: そうですか(笑)。最初はやっぱりキーボードの刻印に僕らこだわったんですよね。XFERってやはり変換キーで、変換という目的に使わなきゃいけないよね、っていうことで。仮名漢ってのはやはりキーボードを尊重して、その上に構築すべきじゃないのかなあと。

太田: たしかにそれは見方の一つじゃないかと思いますし、もちろん受け入れられたんじゃないかと思います。ただ、他の製品に慣れたユーザーには説得力がなかったんじゃないかと思いますね。

萩原: そうですね。XFERキーの場所が悪かったんですよね。最初から大きめで、スペースバーを小さくして、押しやすい場所にあればまた違った展開になったんじゃなかったかなと思うんですけど。

太田: 日本語入力インタフェイスって割と特許に縛られてるというふうに伺ってるんですけど、どういう調査をされてましたか。

萩原: 僕らの解釈なんですけど、昔は特許ってハードウェアに限定されて取ってましたよね。だからこういう操作が出来るワープロとか、そういう範囲で取られてた。ということは、ソフトウェアには及ばないだろうということで、ほとんどノーチェックです(笑)。だから、僕らのソフト、VJEがワープロ専用機に採用されたことがあるんですよ。そのときはメーカーさんが必死に特許調べてましたね(笑)。そうなると引っ掛かりますよってことで。そういう解釈だったんですけども。

太田: 実際ソフトウェアとして、どこかの会社にうちの特許に引っ掛かってるよといわれたという経験はないですか。

萩原: それはないですね。

太田: やはりあまり問題になってなかったんですね。

萩原: 昔はね。そうですね。今はソフトウェア特許が認められますから、昔のようにはいきませんけど。

註 日下部さんによると、「ATOKはスペースで変換できて便利だということで人気がある」というエンドユーザーの声が聞こえてきたことも大きかったようだ。

なお、スペース変換には後日談があり、オプションを付けた数週間後、アスキーのFさんが、こんどは「空白が入れられなくて不便だ」と言うので、「XFERキーで空白を出す」機能を付けることになったそうだ。(本文に戻る)

4-7 MacVJE

様々なプラットホームに対応していたVJEだが、Macintosh版だけは少々異なる経緯をたどり、別のソフトハウスからリリースされた。

MacVJEパッケージ
Mac

太田: もうひとつ、まだそのころのVJE-βと周辺の話です。VJEそのものはずっとMS-DOSの上で動いてて、他にも組み込みビジネスとかはあったと思うんですが、Macintoshの上でMacVJEという製品がありました。これのいきさつについて教えてください。

萩原: これはですね、ダイナウェアさん。なんていうか、昔からつきあいがあったんですよ。彼らMacのソフトをけっこうやってましたんで、向こうからMac用を開発させてほしいということで。僕らもMacのノウハウがなかったんで、その話に乗らせていただいたということですね。

太田: それは、モノが全然違うわけですからデバイスドライバ寄りのものは全然お渡しにならなくて、日本語変換部分だけ渡して向こうに勝手にドライバとして作ってくださいと。

萩原: そうですね。変換エンジンってのはそのころにはわりときれいにI/O周りから切り離されてたんで、エンジンだけ渡して、あと作ってよという形でしたね。

太田: そうすると、MacVJEのユーザーインタフェイスはダイナウェアさんのお考えでお作りになってたと。

萩原: そうですね。

太田: MacVJEが最初からもってて、あとでWindows版に採用された「主に半角を入力」というモードがありましたよね。英字は1バイト文字で入って、日本語は平仮名で入るという。そういう入力モードがあったと思うんですが、あのへんはMacVJEが先でしたよね。

萩原: そうでしたかね。

太田: バックスさんとしてはあまり気にしてなかったんでしょうね。

萩原: ええ。

太田: 後でMacVJEを引き上げてくるに当たって、あるいは向こうに提供している間でもですね、向こうのノウハウの中でバックスがもらってきたものは何かありますか。

萩原: 何か1点機能追加があったような気がするんですけど、何だったかなあ。ちょっと思い出せないですね。あまり大きなものはなかったように思いますけど。

太田: 最終的に、Mac版のVJEは、もっと後の話になりますけど、バックスさんでお作りになってたと思ってよろしいでしょうか。

萩原: そうですね。

太田: いまMacintosh版の開発部隊というのはバックスさんの中にあるんですか。

萩原: そうですね、はい。

太田: 具体的にどのくらいの人数で開発されているんでしょう。

萩原: Mac版てね、4人くらいでやりましたかね。

太田: VJE-DeltaのバージョンいくつぐらいからMac版があったんでしたっけ。

萩原: バージョンはよく覚えていません。僕らがやったのはMac OS Xからですよね。

太田: バックスで開発したのは、ですか。

萩原: はい。ダイナウェアさんもアプリケーションから撤退するということで、MacVJE-Deltaも引き取ってくれない?って話で引き取ったんですよ。それはサポートだけ引き取って、で、僕らが続けたのはMac OS Xから。それはUNIXだからね。UNIXのVJEをけっこう流用出来るねってことで始めたんですけど。

4-8 価格体系・販売戦略

太田: 販売戦略に関わってくるんですけど、価格体系の話で、フリーソフトの話をさせてください。最初4万8000円でWordMaster付き、という状態からどんどん値段が下がってきましたけれども、具体的な価格体系というのはどういうふうにお決めになっていたんでしょうか。業界の他社の値段でしょうか。

萩原: そうですね。いくらぐらいなら売れそうかってことで、全然開発コストから計算した値段ではないですよね。

太田: いちばん最後のVJE-Deltaっていくらぐらいのお値段で。

萩原: 6800円でしたね。

太田: 十分の一とはいわないまでも相当値段下がってますね。

萩原: そうですね。

太田: 値段を下げる件では先駆者ですか。後追いですか。

萩原: 後追いですね、完全に。

太田: すると販売戦略的には厳しいところで値段下がってきてると。

萩原: そうですね。

4-9 ユーザーによる解析、改造、カスタマイズ

当時の日本語入力プログラムは、市販のソフトウェアがほとんどであったものの、APIが書籍・雑誌で公開され、ユーザーが中身を解析しカスタマイズ出来るものが多かった。

太田: いろいろVJE-βとかATOKとか世の中に出回って、エディタと組み合わせて使われるのが当たり前になってきたころに、いろんなユーザーがVJE-βの中身を解析して、それを外からコントロールして色を変えたりカスタマイズしたりするツールを出してきました。バックス社内からはどういうふうに見ていたでしょうか。例えば自分たちの売り上げに貢献してくれるとか。

萩原: VJE-β Ver.1.2活用ハンドブックが出たこのぐらいのバージョンからいろいろAPI公開したんじゃなかったでしたっけね。これを公開したってことは皆さんが使うだろうと、そう想定してたってことで。

太田: VJEはAPIの公開に関しては早いほうだと思いますか。

萩原: そうですね。これってもうMS-Kanji APIも入ってたんでしたっけね。

太田: 入ってます。AXインタフェイスでしたけどね。この当時私が仮名漢字変換のインタフェイスいろいろ調べてて、ATOKに関しては日経BP社、当時まだ日経の雑誌に何回か特集が出たのを見てます。バックスさんに関してはこれ(ハンドブック)のほかに何か、The BASICか何かにインタフェイスが載ったんでしたっけ。

萩原: 載りましたかね。

太田: 「辞書構造とツールの公開」ですね。1987年。

萩原: すごいな。そのへんからたくさん調べられてますね(笑)。

太田: KatanaとFIXERに関しては紙にAPIを印刷したようなものを送ってきてくれたんです。で、我々も情報を仕入れることが出来たと。ATOKは誌上に出たものに関しては分かるけども、それ以上のことが知りたくて問い合わせをしても一般ユーザーさんにはお答え出来ませんと。バックスさんはこれ(ハンドブック)があったんで問い合わせをしなかったんですが、そのころから情報がいろいろ出てきていじれるようになってました。で、いじれるようになったということが、市場で何か新しいメリットとなったとか認知されるとか、そういったブランド戦略っぽいものとして何かお考えはありましたか。

萩原: そうですね。やはりそういうパワーユーザーの方が喜んで使ってくれるような製品にしようとは思ってましたんで。

太田: パワーユーザーはターゲットとして大きいものではあったんですか。

萩原: そうですね。

太田: 実際のところフリーソフトベースというか、ああいうコミュニティ、当時パソコン通信のコミュニティですかね、パワーユーザーが多かったのは。そうしたコミュニティをウォッチされているということはありましたか、

萩原: いや、とくになかったですね。

太田: 開発はとにかく、ユーザーからの要望とかを、パワーユーザーも含めてどんどん開発していくということだったんですか。

萩原: そうですね、ええ。

太田: 後にWXPがエー・アイ・ソフトからフリーソフトとして出て、あのあと一部のコアユーザーを集めてWXというのはほとんどトレンドになってました。あれによってVJE-βにはどういう影響があったでしょうか。

萩原: ああ、けっこう影響あったんじゃないですかね。WXIIで商品になりましたよね。WXIIはけっこう売れてましたんで、シングルコピーのパッケージは影響受けてたはずですよ。(5 Windows時代と日本語入力プログラムに続く)


作成日: 2006年 1月 15日 日曜日 更新日: 2006年 1月 16日 月曜日