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旧満洲談話室
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今日と明日 投稿者:ローラ 投稿日:2005/07/28(Thu) 09:31 No.3195   HomePage
静岡に出かけます。
入院中の姑見舞い、市役所ほか諸手続、家の内外の掃除。

暑くなりそうだなあ。ふー。


ただいま。 ローラ - 2005/07/29(Fri) 20:04 No.3197   HomePage

元気に帰りました。
列車内の冷房が以前ほど強くなくて快適な旅でした。
文春文庫版の「チャーズ」中国革命戦をくぐり抜けた日本人少女(遠藤誉著)の(上)をほぼ読み終わるところ。

姑(はは)は私の手をしっかり握りしめて離そうとしないので、別れるのが少しつらかったなあ。
やはり寂しいのだろう。


Re: 今日と明日 ノーラ - 2005/07/29(Fri) 20:15 No.3198   HomePage

お帰りなさい。
この蒸し暑さには、健康なものでもグロッキーです。


Re: 今日と明日 ローラ - 2005/07/29(Fri) 20:56 No.3199   HomePage

静岡は気温は高くても海からの風が心地よく吹いてました。
こちらは無風ですね。
埼玉は内陸性なので更に暑いと想像しています。

夏バテされませんように…。

9月3日の予定については、明日にでも少し調べてみます。


Re: 今日と明日 ノロ - 2005/07/30(Sat) 13:56 No.3200  

ローラさん、こんにちは。

>文春文庫版の「チャーズ」中国革命戦をくぐり抜けた日本人少女(遠藤誉著)の(上)をほぼ読み終わるところ。

同じ著者の「チャーズの検証」を併せてお読みになることをお勧めします。「雪白血紅」から引用された中国共産党の資料が多く載っていて参考になります。



チャーズ ローラ - 2005/07/30(Sat) 14:50 No.3201   HomePage

ノロさん、「チャーズの検証」の紹介ありがとうございます。

文庫本も以前に読んだ大きなサイズの「チャーズ」上下と同じだろうと読み出したのですが、かなり書き加えられており驚きました。

それにしても彼女の記憶力と学者らしい粘り強い検証の仕方には、頭が下がります。


チャーズ バガボン - 2005/07/30(Sat) 16:06 No.3203  

ローラさん、文春文庫の「チャーズ(下)」は単行本の「続」にさらに大幅に書き加えられてます。(下)も是非お読み下さい。

・・・という私も、ノロさんに刺激されて、(上)(下)を読み終わって、バガボンよろしく旅舎にて、遠藤誉著「チャーズの検証」(明石書店、1997)を読んでいるところです。「遠藤の作品と『大地の子』の類似点とその矛盾に関する考察」の第二章などは、これこそ物理学者らしい考察振りですが、いろいろと違った意味で胸が痛む章です。

ノロさんお薦めの「雪白血紅」をはじめ、「長春党史資料」「長春文史資料」等々、多くの中国語文献、日本語文献を活用した書きぶりも緻密ですが、よく読むと「まてよ、そこはこうじゃないのかな」と思ってしまうところがあって、そのような意味も含めて興味深い論考です。

「長春は今、六時半なり」という第三章も、あれから約半世紀経った現場写真もあってすごいです。

ノロさん、読み終わったら、私もいろいろご教示願おうと思います。その節はよろしくお願いします。


チャーズ ローラ - 2005/07/31(Sun) 10:41 No.3205   HomePage

>「遠藤の作品と『大地の子』の類似点とその矛盾に関する考察」の第二章などは、これこそ物理学者らしい考察振りですが、いろいろと違った意味で胸が痛む章です。

裁判沙汰がどうなったのか知りませんが、私が山崎豊子の「大地の子」を読んだ時に「遠藤さんの体験にあまりにも似てるなあ。」と感じて驚いたことは確かです。

尚、この話題は次からは新規投稿でお願いします。


番組、映画、芝居 投稿者: 投稿日:2005/07/27(Wed) 20:42 No.3186   HomePage
 今年も8月に近づいてきました。例年通り、戦争に関する番組、映画、芝居は目白押しです。そのうちのいくつかをご紹介します。

1.8/3(水)21:15〜21:58 NHK総合「その時歴史動いた」シリーズ終戦60年・ソ連参戦の衝撃〜満蒙開拓民はなぜ取り残された〜

2.8/6日(土)〜8/19日(金)、戦後60年記念特別企画「戦争と人間」山本薩夫監督、五味川純平原作。70年〜73年に製作された3部作を上映。
 場所:東京都文京区本駒込2丁目の三百人劇場(千石駅、電話03・3944・5451)。http://www.tr3.net/sachiko/

3. 9/2(金)〜9/4日(日)中国残留婦人の半生を描く語り芝居「帰ってきたおばあさん」
 場所:銀座博品館劇場(03-3571-1003)


Re: 番組、映画、芝居 ノーラ - 2005/07/27(Wed) 21:44 No.3187   HomePage

有り難うございます。

全部観たいと思います。


Re: 番組、映画、芝居 ローラ - 2005/07/27(Wed) 22:39 No.3190   HomePage

芝居「帰ってきたおばあさん」は日を決めて、皆で一緒に観てもいいですね。
その後は又喫茶店〜〜↑(^^_)ルン♪


Re: 番組、映画、芝居 MIE - 2005/07/28(Thu) 00:04 No.3191  

ローラさん、芝居「帰ってきたおばあさん」
9/3、ご一緒しませんか?


Re: 番組、映画、芝居 MIE - 2005/07/28(Thu) 00:56 No.3192  

ノーラさん、
わたしも、みなさんに遅れを、とらないように、
今日、本注文しました。


Re: 番組、映画、芝居 ローラ - 2005/07/28(Thu) 09:05 No.3193   HomePage

MIEさん、本の購入ありがとうございます。
娘さんや7人のお孫さんたちにも読み継がれると良いですね。

>9/3、ご一緒しませんか?

ハーイ、その方向で計画しましょう。(*^_^*)


Re: 番組、映画、芝居 ノーラ - 2005/07/28(Thu) 09:06 No.3194   HomePage

高さんの書き込みの中のURLは「帰ってきたおばあさん」」のところですね。
http://www.tr3.net/sachiko/

渡航前のひととき、みんなで観ましょう。 
予約はどうしましょうか。


Re: 番組、映画、芝居  - 2005/07/28(Thu) 15:56 No.3196   HomePage

>高さんの書き込みの中のURLは「帰ってきたおばあさん」」のところですね。
http://www.tr3.net/sachiko/
ノーラ様、ご指摘ありがとうございました。

もう一つ映画の情報を補足いたします。

8/6〜26日 東京池袋・新文芸坐で「戦後60年企画第5弾・映画を通して戦争を語り継ぐ」をテーマに19作品を上映。

http://www.shin-bungeiza.com/schedule.html


本を申し込みました 投稿者:ノーラ 投稿日:2005/07/27(Wed) 10:30 No.3180   HomePage
 ローラさんにお借りしたのを一気に読み、お返しした後、改めて
注文しました。

 彼の地へ行くまでに、暗記するほど読んでみます。


一子さんのこと ローラ - 2005/07/27(Wed) 15:59 No.3183   HomePage

「裂かれた大地」気に入ってくださったようで良かった!

ツアー専用掲示板の方で一子さんについて知りたがっておられたので、ここでお答えしておきます。

彼女は大阪に在住なので、京都開拓団の話に興味をもたれたと思われます。
一子さん自身は牡丹江からの引き揚げです。
勇気ある3人の女教師に引率された女学生だけの集団でした。

これも以前に紹介してありますが、本になって出版されています。
「シャンコシャンコお馬」ー牡丹江高等女学校職員生徒避難流浪記
 著者 安部兆子(当時の教師) 文芸社

お読みになりたければいつでもお貸しします。
でも、中国語の勉強をするならお互いもうあんまり時間はありませんね。(^○^)



Re: 本を申し込みました 一子 - 2005/07/27(Wed) 18:19 No.3185   HomePage

ローラさん
一子の件で・・・
お世話お掛けしました。
タマタマ、「裂かれた大地」に同じ歳"一子"同名の、お方が
載ってたからだと、思います。

手前の出生地が、京都。京都開拓団の事も知らず新聞連載
(京都新聞)で、知り、此方へ書き込み・・・皆さんの反響の大きさは、感無量でした。

そして、出版と同時に読者も大きく膨れ、「京都・平安郷開拓団調査会」までも出来ましたとか・・・取り上げ執筆下さった、ご尽力に、些少なりとも、手助けが、出来ましたのも、此方皆様のご温情有ったればこそ、と、この欄を、拝借し厚く厚く御礼申し上げます。有り難う御座いました。


Re: 本を申し込みました ローラ - 2005/07/27(Wed) 22:33 No.3189   HomePage

>タマタマ、「裂かれた大地」に同じ歳"一子"同名の、お方が
載ってたからだと、思います。

なるほど、そういう事でしたか。歳まで一緒とは奇遇でしたね。(^○^)



丹東賓館 投稿者:ノロ 投稿日:2005/07/26(Tue) 14:04 No.3163  
丹東賓館についてはネットで紹介していますが、「未公開写真」も含めて簡単にご紹介します。

私は1995年に、むかし住んだ「江月台」という住宅地を訪ねて、丹東を訪れました。ホテルは「地球の歩き方」で「丹東賓館」を選んで、旅行社を通じて予約しました。行って見たら、この丹東賓館が江月台そのものだったというお笑いです。つまり丹東賓館は旧日本人住宅を利用したロッジ式ホテルだったのです。
別棟の管理棟でチェックインして、女中さんに案内されてこの坂道に出てきました。ここで始めて、江月台住宅の幻を目にしたわけです。



丹東賓館 ノロ - 2005/07/26(Tue) 14:07 No.3164  

坂道を登っていくと坂の右手に、この私の旧居がありました。実は私は家の記憶がなかったのですが、同行した姉が覚えていたのでわかりました。私達が興奮しているのを見て女中さんが「?」という顔をしていたので、「これが私達の旧家です」と言うと、「えっ」という顔をして、近くの家(ロッジ)にいた女中頭みたいな人と相談して、その場で部屋を変更して、旧家の向かいにある・・



丹東賓館 ノロ - 2005/07/26(Tue) 14:14 No.3166  

この家に部屋をとってくれました。当初与えられた部屋はもっと上の方の、新しく建った独身寮風の建物だったらしいのです。中国はこんな風に現場のレベルで融通がきくのでしょうかね。この家は10軒ほどあるロッジのなかでいちばん上等な家でした。旧家に泊まれればもっと良かったのですが、一部を事務所や従業員宿舎に使っていたので、客を泊める状態でなかったのでしょう。



Re: 丹東賓館 ノロ - 2005/07/26(Tue) 14:37 No.3171  

私の家の裏手に、この家がありました。ここは自民党の領袖・堀内光男さんが、当時5歳くらいで住んでおられた家です。
この丹東賓館は現在もあるようです。ネットで見たところ2002年に行った人のページがありました。現在は立派な迎賓館の建物が建っていますが、10軒ほどのロッジも依然として使っているそうです。



Re: 丹東賓館 ローラ - 2005/07/26(Tue) 19:17 No.3175   HomePage

1995年の時点でかって住んでいた家に出会えたとは、ノロさん幸運でしたね。
どの家もとても立派です。

画像ありがとうございました。


Re: 丹東賓館 TADA - 2005/07/27(Wed) 16:26 No.3184  

戦後50年経ってもそのまま残っていたとは驚きですね。しかも現在も使われているとは・・・。

9月の満州ツアーで私の住んでいた北孫呉の官舎跡を訪ねる予定ですが、10年前に行った人の話では北孫呉は一面の原野で官舎跡はジャガイモ畑に変わっていたそうです。
唯一残っていた当時の建物は軍人会館のみとのこと。現在もあれば位置確定の目印になると期待しています。


Re: 丹東賓館 ローラ - 2005/07/27(Wed) 22:28 No.3188   HomePage

建物は無くなっても、TADAさんを生んだ大地は必ずあります。
いいなあ。


『開拓団の満州』 投稿者:照爺 投稿日:2005/07/26(Tue) 17:18 No.3173  
 昨年の今頃でしたか、中国への墓参団(北海道)が現地で色々と制約を受けたと言うことが話題になりましたが、そのグループの一員(と思われる?)が、書かれた『開拓団の満州』も一読に値すると思います。哈達河、柳毛釧路等の開拓団に関するものです。特に、虎林線沿線に関係のある方に、お勧めしたいです。

 『裂かれた大地』、本が届くのを楽しみにしています。



Re: 『開拓団の満州』 小島よしゆき - 2005/07/26(Tue) 18:49 No.3174   HomePage

ローラさんに推薦されましたので「裂かれた大地」を求めました。すでに配本されましたが「涙が止まらない」なんて、やぎさんが脅すから、少し後で読もうよ思ったら、また、一冊涙の本が出た。

「開拓団の満洲」も「裂かれた大地」も、いずれも作者はお若い方。非戦闘員で老人、女、子供の集団が遭難する不条理を追及されている。
当事者で体験をした我々も、ノスタルジーに浸るだけでなく、これからは黙ってはいられない。


Re: 『開拓団の満州』 ローラ - 2005/07/26(Tue) 19:42 No.3177   HomePage

照爺さん、
横浜市立図書館は良い図書館ですね。
内容の紹介ありがとうございました。
この本については「No.3037」でminoワールドさんから紹介されてました。
彼のサイトはここです。 
      ↓
http://www11.ocn.ne.jp/~mino0722/masan0.html

小島さん、
確かにノスタルジーだけに浸ってはいられない時期になってしまったようですね。

>また、一冊涙の本が出た。

バスタオルを用意しましょうか? (⌒〜⌒ι) ポリポリ・・


共鳴するもの あなたのやぎさん - 2005/07/27(Wed) 07:49 No.3179  

おやおや、小島さんを脅かしてしまったらしい。(笑)
人の心に迫ってくる文章ってありますよね。もちろん読み手にそれを受け入れる波長がないと共鳴しない。音叉のようなもの。
私どもが書くと感情移入が強すぎて読み手がしらけてしまうことがある。若い人たちに受け入れられるかどうかはとても難しいですね。
私は二松さんはプロの書き手でそういうことは充分知り尽くして書かれている。二松さん自身も若いということで若い人たちにも読みやすいのではないかと思っています。
書かれている事実もとても大事ですが、どのように書くかがプロの書き手の手腕だろうと思います。


Re: 『開拓団の満州』 ローラ - 2005/07/27(Wed) 15:37 No.3182   HomePage

(*^_^*)


Re「大連と瀋陽」 投稿者:柳の綿 投稿日:2005/07/26(Tue) 23:14 No.3178   HomePage
バガボン様、近くの本屋で在庫の確認後「旅順探訪」、図解「満洲都市物語」の2冊を注文いたしました。写真集の方は遠慮致しました(高額?)。本の到着が楽しみです。

C57135様、「週刊鉄道」51号、C57135様ご自信が編集なさったとの事驚きました。出版社に早速電話を入れ注文致しました。情報有難うございます。

ローラ様、30数年振りのシンガポールは素晴らしい近代都市に変貌していました。狭い島に3本の地下鉄、高速道路の充実、そして広い椰子畑は動物園にと変わっており驚きの連続でした。(満洲の話題から外れて相すみません)。 柳の綿


Re: Re「大連と瀋陽」 ローラ - 2005/07/27(Wed) 15:35 No.3181   HomePage

柳の綿さん、
本をどっさり注文されましたね。(*^_^*)

私も図解「満洲都市物語」は時々眺めております。
外国人によって作られた建築物も多くあるようですが、当時の日本人技術者のレベルの高さは自慢して良いと思いました。

シンガポールの話、楽しく読みました。
ここでの話題に特に制限はありませんので、ご遠慮なく〜〜♪

ただし、迷惑投稿、個人的誹謗中傷に当たる投稿は削除させていただきます。
様々な意見や考えを戦わすのは構いません。


本当にありがとうございます。 投稿者:ふたまつ・ひろき 投稿日:2005/07/21(Thu) 07:07 No.3142  
「裂かれた大地」を書きました二松啓紀(ふたまつ・ひろき)と申します。取り上げていただき、本当にありがとうございます。1人の男性の出会いから、新聞連載を始めたのですが、実はそのとき、医療・福祉担当でした。何とか、記録に残そうと思い、2年間書き続けてきました。しかし、出版不況が叫ばれ、すんなりと出版が進んだわけではありません。いろいろとあったのですが、1人の女性編集者(戦後生まれ)の熱意で本を出すことができました。7月24日には、「京都・平安郷開拓団調査会」が正式に発足します。この暑さのなか、本の中に出てくる70代の方々が自ら本を売りに歩いています。本当に、頭が下がる思いがします。何よりも、このような形で取り上げてくださるのが関係者の方々の力になります。印刷して調査会の人に見せようと思います。本当にありがとうございました。


「裂かれた大地」その2 ローラ - 2005/07/21(Thu) 15:03 No.3144   HomePage

二松さま、
本が生み出されるまでにも色々ご苦労があったのですね。

満洲開拓団の悲劇を扱った本だけでもたくさん出版されており、中には読むのが苦痛になるものもありました。
しかし、「裂かれた大地」は事実が淡々と語られており読みやすく、かえって読者の中で国策に対する憤りが燃焼されるような効果があるように感じました。
中国人に売られた少女のけなげさの中にも凛とした生き方には深い感銘を受けました。
閉塞感に包まれているような現代を生きる若い方達にも是非読んでいただきたい良書だと確信しています。

本は既に私の手元を離れ、確実に読んで下さり宣伝隊になってくださる人々の元へ旅立っておりますよ。(*^_^*)


Re: 本当にありがとうございます。 ノーラ - 2005/07/21(Thu) 17:44 No.3145   HomePage

>本は既に私の手元を離れ、確実に読んで下さり宣伝隊になってくださる人々の元へ旅立っておりますよ。(*^_^*)

はい、宣伝隊トップとして、拝借。読み始めた途端に、もう怒り爆発です。

読了後、改めて購入します。


Re: 本当にありがとうございます。 ノーラ - 2005/07/24(Sun) 12:41 No.3156   HomePage

 読み終わりました。終わった後も延々と広大な大地の砂の臭いが私を包んでいます。不思議なことに「死臭」は思い出しません。
 自分の体臭の方がくさかったのかも知れません。

 腸は煮えくりかえっています。
 この歴史を握りつぶして仕舞った、その行為は許せません。

 近く、あちらに行きすが、心の中で、子守歌を歌って、幼い
慰霊に手向けたいと思います。

 次の宣伝隊には、明日発送します。


松花江 ローラ - 2005/07/24(Sun) 15:26 No.3158   HomePage

ノーラさん、
感想ありがとうございました。

>近く、あちらに行きますが、心の中で、子守歌を歌って、幼い
慰霊に手向けたいと思います。

そうですね。松花江遊覧の折に声を出して子守歌を歌いましょう〜♪♪


戦争の犠牲になる人たち あなたのやぎさん - 2005/07/26(Tue) 15:03 No.3172  

私も読みました。
感想も自分のHPに書きました。
http://www.geocities.jp/yajisan_ao/sakaretadaiti.html
涙が出て止まりませんでした。怒りも抑え切れません。
かの地で死んでいった多くの同胞、特に何も知らずに死んでいった小さな子供たちのあどけない姿が脳裏から離れません。
松花江遊覧は欠かせないですね。
若い人たちもぜひ見せたい本です。


Re: 本当にありがとうございます。 ローラ - 2005/07/26(Tue) 19:24 No.3176   HomePage

あなたのやぎさん、サイトでの本の紹介ありがとうございます。
やぎさんの掲示板に集まってきている若い女性たちが読んでくれることを多いに期待したいです。
まじめな若い方達にも受け入れられる本だと確信しました。(*^_^*)


南新京の給水塔 投稿者:ノロ 投稿日:2005/07/22(Fri) 22:56 No.3151  
1995年に長春に行ったときの写真を見ていたら、以前に話題のあった「南新京の給水塔」が写っていました。南新京の駅はなくなっていますが、駅前の街路の形は残っています。



南新京の給水塔 ノロ - 2005/07/22(Fri) 23:00 No.3152  

給水塔の見え方から、手前の敷地は錦ケ丘高等女学校の跡地に違いない、と同行した姉が言うので、撮った写真です。



Re: 南新京の給水塔 ローラ - 2005/07/23(Sat) 08:57 No.3153   HomePage

(O_o)WAO!!!
これが南新京の給水塔ですか!!
予想以上に大きく立派ですね。
ノロさん、よく探してくださいました。

内地引き揚げの日本人はここ南新京駅に集結し、この給水塔を見上げたはずですね。
ローラは4歳、小さなリュックを背負い、片手には団扇(うちわ)を持たされて歩いていたそうです。団扇は母が七輪で火をおこす時の必需品だったからです。


Re: 南新京の給水塔 ローラ - 2005/07/23(Sat) 17:12 No.3154   HomePage

ノロさんのお姉さんは錦ヶ丘高女に通っていたのでしょうか?

「新京の地図」によれば、
「しかし、終戦後錦ヶ丘高女は見るも無惨に破壊されて瓦礫の形骸となった。羽目板、ドア、窓枠、床板は剥ぎとられて燃料にされてしまった。この錦ヶ丘高女の先が南新京駅前広場で、そこには大きな給水塔が美しい街路樹の中に立っていた」とあります。


Re: 南新京の給水塔 ノロ - 2005/07/24(Sun) 16:18 No.3159  

はい、錦ケ丘高女に通っていました。その後、春光小学校の裏手の野原の中に、名前を忘れましたが新しい高等女学校の小さな赤煉瓦の校舎が建って、そちらに移りました。

「瓦礫」というのは響きが強いですが、その後の文章から見ると内戦のときの砲撃ではなくて、終戦直後の略奪のことを言っているようですね。私は21年の9月末に引き揚げる前の3カ月ほど、錦ケ丘高女のすぐ東側の、コンクリート4階建てのアパートに住みました。そのとき近くに国府軍の部隊が駐屯していて、毎朝「いーあーるさんすう、いーあるさーんすう」と駆け足をしていましたが、その部隊が元女学校の校舎に入っているということを聞きましたから、そのころまで建物は残っていたのだと思います。行って見たことはありませんでしたが。


錦ヶ丘高女 ローラ - 2005/07/25(Mon) 12:31 No.3160   HomePage

>春光小学校の裏手の野原の中に、名前を忘れましたが新しい高等女学校の小さな赤煉瓦の校舎が建って、そちらに移りました。

ほう、ずいぶん恵まれていたんですね。
驚いています。ノロさんも戦後学校には行けましたか?

長春の建物の材料の盗みは日本人の手にもかかっていたようですね。(燃料確保)
皆、生き残るために必死だった。


Re: 南新京の給水塔 ノロ - 2005/07/26(Tue) 13:56 No.3161  

>ずいぶん恵まれていたんですね。

恵まれていたというか、最初は3キロほど離れた学校に電車(ときには徒歩)通学で、その後は戦時型(?)の小さな校舎ですから、それほどでもないと思います。

>ノロさんも戦後学校には行けましたか?

はい、春光小学校の先生方が21年の春から授業をして下さいました。間もなく引き揚げが始まったので、短い期間のことだったと思います。建物は荒らされていませんでしたが、机・椅子を供出させられて(恐らく中国人学校に)、床に座っての授業でした。

恵まれていたと言えば、長春などの国府軍治下の都市の日本人は恵まれていたと思います。なぜなら考えてみれば「官舎」は満洲国から貸与されたものですから、國がなくなれば我々が住んでいられる理由はなにもありません。官舎は召し上げて中国人に分配、元官吏/家族は収容所、という中共軍治下の姿がむしろ当たり前です。国府軍はずいぶん寛大だった、と近頃思い帰しています。


向陽 ノロ - 2005/07/26(Tue) 14:00 No.3162  

思い出しました。新しい高等女学校の名は「向陽」でした。


Re: 南新京の給水塔 ローラ - 2005/07/26(Tue) 14:28 No.3169   HomePage

満軍の反乱をはじめ恐れていた長春市内のひどい暴動は2〜3日で収まったそうですね。
中華民国の蒋介石総統が、敗戦の日本人に危害を加えてはいけないという声明を出したからだったとか。

それに引き代え、スターリンのあくどさはどうでしょう。
本来中国に帰すべき物をごっそりと本国へ運んでしまい、あまつさえ日本人兵士を騙してシベリアへ連行した。
(-_-メ)


「大連と瀋陽」 投稿者:バガボン 投稿日:2005/07/10(Sun) 10:28 No.3081  
週刊中国悠遊紀行の「大連と瀋陽」が出たのに気がつかないでいて、昨日、本屋で見つけて買ってきました。薄っぺらな雑誌なので、文章ではそんなに詳しくはないけれど、広角レンズで撮った大きな写真が多いので、街やビルの様子が臨場感をもって伝わってきて、そこが何より好ましいです。大連の中山広場をほとんど一目で見渡せる両開きの頁なぞは、見ていて興味が尽きません。全般にどうしても観光用にはなるのだけれど、大連・瀋陽探訪の基本情報はかなり載せられているやにみえます。

その本に、大連の「日本橋」のモノクロ写真(これは小さな写真だけれど)が載っています。漱石の「満韓ところどころ」にもでてきて、「名は日本橋だけれどもその実は純然たる洋式で、しかも欧洲の中心でなければ見られそうもないほどに、雅にも丈夫にもできている。」と描いています。橋の下を満鉄が走っていて、現在は「勝利橋」となっています。

「満韓ところどころ」の旅は、1909年9,10月なので、大連の街も前世紀末にロシヤにより建設着手されていたのを日本が経営するようになり何年も経っていない時期にあたります。いろんな所が建設中で、赤土も至る所出ていたようです。

しかし、戦乱を経て半世紀余、今、高層ビルが建ち並ぶ様をこの雑誌が見せてくれます。漱石は、日本橋の記述近くで、「大連の日は日本の日よりもたしかに明るく眼の前を照らした。日は遠くに見える、けれども光は近くにある、とでも評したらよかろうと思うほど空気が透き徹って、路も樹も屋根も煉瓦も、それぞれ鮮やかに眸の中に浮き出した。」と書いています。この雑誌の写真は、そんな大連の空気まで映し出しています。

未見の方は、まず散歩がてらの立ち読みを・・・


Re: 「大連と瀋陽」 Tomo - 2005/07/10(Sun) 12:13 No.3082  

バガボンさん、私もそのシリーズは時々立ち読みしています。小学館発行ですね。満洲関係では、その他に、「長春とハルビン」が第45号として、8月18日に発売になるそうです。この2冊は持っとこうと思います。

下記のサイトで、バックナンバーの表紙や目次、在庫などを見ること出来ます。品切れの巻もあるようですが、「大連と瀋陽」はまだあると出てました。

http://www.shogakukan.co.jp/chuyu/


Re: 「大連と瀋陽」 柳の綿 - 2005/07/20(Wed) 22:09 No.3140  

 バガボン様はじめまして、柳の綿です。7/10の「大連と瀋陽」のメール読まして頂きました。文中「日本橋」のモノクロ写真・・・を読み、早速本屋で取り寄せてもらいました。

 長い間、日本橋の写真を探していたところです。終戦時小学3年生でした私は昭和22年春の引き上げまで、この橋のボンボリの様な欄干のたもとで、トウモロコシの饅頭を売って生活をし

ておりました(父死亡、母働けず)。 住まいは近くのロシア街でした。60年ぶりに昔の写真を見て当時の事を懐かしく思い出しました。雑誌「大連と瀋陽」を教えて頂き有難うございました。

 ローラさんご無沙汰いたしております。横浜のオフ会以来1年近くなりますが、元気にしております。今年は無理ですが来年牡丹江に行く積もりです。


Re: 「大連と瀋陽」 ローラ - 2005/07/21(Thu) 14:43 No.3143   HomePage

柳の綿さん、お久しぶりです。

>終戦時小学3年生でした私は昭和22年春の引き上げまで、この橋のボンボリの様な欄干のたもとで、トウモロコシの饅頭を売って生活をしておりました。

改めて日本橋の写真を眺めて感慨にふけってしまいました。
父上が満鉄病院に入院とは聞いておりましたが…。
一家を支えて頑張っていたのですね。
その頃のエピソードなどありましたら、又是非お聞かせくださいませ。


Re: 「大連と瀋陽」 バガボン - 2005/07/21(Thu) 21:43 No.3146  

柳の綿さん、はじめまして。ノロさんが飛行機からご覧になった残雪と見まごう柳じょ(No.3118)ほどではないですが、4月の北京で浴びた柳の綿の舞い姿は印象深く、道端に溜まったところは、私にも残雪を思わせたものでした。ところで、「日本橋」についての書き込みがお役に立ってうれしいです。せっかくですので調子に乗って、最近、インターネットで引っ張り出した情報から4件だけ追加させて頂こうと思います。すでにご覧になっておられたらごめんなさい。

下記の古書目録のWeb-site
http://www.kosho.ne.jp/~matikaze/index.htm 
の中の、絵はがきのページ:
http://www.kosho.ne.jp/~matikaze/tri/tri013.htm
の中に、「大連日本橋」を含むセットが出ています。売り切れの場合はご容赦を

最新 旅順・大連探訪―百年の歴史を刻んだセピアの世界
「旅順探訪」刊行会 (著) 価格: ¥1,890 (税込)出版社: 近代消防社 ; ISBN: 4421006157 (1999/05発売)
出版社の紹介文には、「1910〜30年代そのままの面影を残す関東庁、関東軍司令部、白玉山塔、日露戦跡、日本橋、ヤマトホテル、白銀山トンネル…豊富な満州時代の写真に新旧の市街図を併載。歴史に埋もれた町へタイムトリップ。」とあります。

ついでに、
図説 「満洲」都市物語―ハルビン・大連・瀋陽・長春 ふくろうの本/世界の歴史
西沢 泰彦 (著) 価格: ¥1,835 (税込)出版社: 河出書房新社 ; ISBN: 4309725589 ; (1996/08発売)のp.55には、大連日本橋の写真が出ています。立ち読みででもどうぞ。

「中国・遼寧省 総合情報サイト」(http://www.cmcc-tokyo.com/)によると:
「大連の勝利橋100年ぶりに改装;1908年、旧満州時代に建設され、当時「日本橋」と呼ばれていた大連の勝利橋など3橋が、なるべく原型を保ったまま、拡幅されることになった。観光名所であるロシア街に隣接し、市中心部の東部へ向かう交通の要所となっているだけに、交通渋滞が深刻化していた。」(大連晩報より、6/19) とのこと。「なるべく原型を保ったまま」には、ホッとします。


Re: 「大連と瀋陽」 C57135 - 2005/07/24(Sun) 01:48 No.3155   HomePage

おひさしぶりでございます。
宣伝ですみません。「週刊・・」と同様のスタイルで、ディア・ゴスティー二社から「週刊鉄道データファイル」という本が出ています。題名の通り鉄道の本ではありますが、51号で「大連駅」を取り上げました。日本橋から大連駅を見た光景や、大連といえば旅順、の駅などを掲載しました。実は私が当該コーナー(写真と文)を担当しています。通常2pのところ個人の思いいれで無理に4pで組んじゃいました。バックナンバーなので既に店頭には無いかも知れませんが、よかったらご覧ください。

http://www.de-club.net/tdf/issue.php?pos=10


Re: 「大連と瀋陽」 ローラ - 2005/07/24(Sun) 15:20 No.3157   HomePage

C57135さんも大連・日本橋の撮影をしておられましたか!
お知らせありがとうございます。

我々もいよいよ9月には大連・旅順にも参ります。
楽しみにしているのですよ。

私の次男が「鉄ちゃん」で殆どの路線(国内)を踏破しております。
お知らせの雑誌も知ってるかもしれないので、今度伝えておきますね。


Re「大連と瀋陽」 投稿者:柳の綿 投稿日:2005/07/22(Fri) 01:05 No.3149  
バガボン様、詳しい大連の情報有難うございました。ご紹介の書籍どれ一つ持ち合わせておりません。早速本屋に行く積りです。日本橋に限らず、ロシア街、浪速町、大広場などなど大連の古い写真が欲しいところでした。中国では各都市で街のリニューアルが盛んなようですが、日本橋の改装は原形を残すとかで安心いたしました。あのボンボリ型の欄干が無くなれば「日本橋」ではなくなります。
ローラさまコメント有難うございました。ソ連の侵攻で、入院中の父を頼って牡丹江から大連まで逃れてきましたが、父は戦後間もなく他界致しました。戦後は色々ありました。
これから友人の結婚式にシンガポールへ行き、25日に帰る予定です。


Re: Re「大連と瀋陽」 ローラ - 2005/07/22(Fri) 15:00 No.3150   HomePage

柳の綿さん、
昨年はアラスカ・マッキンリーの珍しい写真を見せてくださいましたね。
シンガポールの旅を楽しんでいらしてください。

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