<さぽおたあ通信 No.13 1997年1月号>

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P1 挨拶と目次


〜 ごあいさつ 〜

寒中お見舞い申し上げます

今年もよろしくお願いします

平成九年一月 すたあと長田 スタッフ一同

 今月の17日には、あの日から2回目の1月17日が来ました。
 震災3年目を迎え「復興の難しさ」を実感する毎日。ボランティア活動を続ける難しさを感じる毎日です。

目次

  2頁 すたあとのニューフェイスですぅ
  3頁 桜亭の金田真須美でございまっす 第3回
4〜5頁 Saturday Express
  5頁 『すたあと長田のホームページ』のご案内
  6頁 御蔵通5‐5 シリーズ「まちのボランティア」その2
     〜思いの中で、矛盾の中で〜
  7頁 つれづれなるままに 第6回
8〜9頁 のぶ日記 Vol.3(1/4〜1/7)
 裏表紙 『さぽおたあ』スタッフ大募集/編集後記


P2 すたあとのニューフェイスですぅ


澁江 美貴
 はじめまして、私は長田に住む澁江美貴(19)です。
 私が「すたあと」に出入りするキッカケになったのは、「FMわぃわぃ」でやっているラジオ番組『サタデーエクスプレス』に、大好きなソウル・フラワーの奥野さん(キーボード)がゲスト出演したときに、スタジオを沖さんともう一人の友達とで見学させてもらってからです。
 すたあとに出入りするようなったこの2ヶ月は、あっという間に過ぎた気がしましたが、私にとって初めて知る事や色々考えさせられる事がたくさんありました。
 例えば、仮設にふれあいセンターのような住民の人たちが集まって話が出来るような場所がある事や、復興のためのまちづくりの話など、今まで長田に住んでいるのに、自分が知らない事がたくさんありました。今も、まだ全然分からない事だらけです。
 これまで私はすたあとで、色々なことをやらせてもらいました。今までラジオでしゃべった事も無かったのですが、わぃわぃでソウル・フラワーのライブレポートを放送した回にアシスタントD・Jを初めてしました。でもその時、全然うまくしゃべれなくて、めっちゃ落ち込みもしました。また、こういう文章も、今まで書いた事がなかったので、今、(この原稿を書いていて)かなり辛いです。でも逆に、初めて炊き出しのお手伝いをした時に「ありがとう」と言われたことは、とても嬉しかったです。
 去年は失敗の方が多かったけど、今年は少しでもテキパキと動けるようにがんばります。
〈Special thanks to KIN&NOBU !!〉

沖 かをり
 前号で顔だけ先行してしまいましたが、初めまして沖かをりです。
 昨年9月、ソウル・フラワーの奥野さんのラジオで<桜亭>の場所を知り、澁江さんと行ってみるともうやっていなかった……。落ち込んだ私達を真須美さんは哀れに思われたらしく、奥野さんがゲスト出演されるサタデーエクスプレスのスタジオを見学させてくれました。
 というわけで<すたあと>に来るようになったのですが、震災はもう過去のものになってしまっていた私にとって衝撃の連続でした。「まだボランティア活動をしている人達がいるんだ」という驚き。「今だに、どんな活動をしているのだろう」という疑問。
しかし色々な話を聞いていくうちに、震災はまだ終わっておらず、2年がたとうとしている今の方が難しい問題が山積みであることを知りました。難しい事の苦手なおバカな私ですが、今度小野さんが勉強会を開いてくれるそうなので、しっかり勉強して少しでもお役にたてるよう頑張りたいと思います。


P3 桜亭の金田真須美でございまっす 第3回


 早いものであの地震から2度目の年明けを迎えた。寒さの中、あの日々が昨日の事の様に想えるが私の周りで大小取り混ぜ色々な事が変わった。

 地震以来、年末年始になると街や仮設などで“もちつき”が頻繁に催される様になったのもその一つだ。住民同士が顔を合わせコミュニケーションを取りやすくする為だったり、淋しくなりがちな生活に彩りをとの考えであるが、稀に予期せぬ出来事が起こる。

 年の瀬も押し迫った12月26日、私は西神第15仮設(※)を訪ねた。我がすたあと長田とも縁の深いボランティアの江上氏が、はるばる山口県から取材陣と共に“もちつき”の炊き出しに来るとの事で、取材協力を兼ねて、氏との再会を楽しみに出かけた。  仮設に到着すると TVカメラが私を出迎えるように近づいてきて、息つく間もなく江上氏との関わりや彼の人柄、活動などについてリポーターが問いかけてきた。カメラの前に照れる氏と並んで話し出したその時だった。

 大声を発しながら初老の女性が走って来るではないか。何の事やら理解できず隣を振り向くと、江上氏は表情も強張り、カメラや私達を置き去りにして先の初老の女性を追って駆け出した。状況が理解できぬものの、一連の様子に異常を察した私も全速力で2人のあとに続き仮設の1室に飛び込んだ。

 そこにはぜんざいの“もち”を喉に詰まらせた男性が血の気を失い倒れていたが、週に2度の訪問看護に来ていた看護婦が偶然居合わせ、応急処置に取り掛かっていて、私は彼女の手伝いを、江上氏は処置に使えそうな用具を捜したり泣き崩れる婦人を落ち着かせたりしていた。しばらくして「グウッ」と一声小さく聞こえた次の瞬間、意識を失い倒れている男性の口から嘔吐物と一緒に白い餅が出てきた。

「出た、出たっ!」私が叫ぶと玄関の外で「良かった! 良かった!」と声がする。救急車はまだかと表をのぞくと、心配そうに集まって来たご近所さんの人だかりができていた。

 間もなく男性は、救急隊員に運ばれていき、江上氏と私は部屋に残る婦人を気遣ったり、後片づけをして過ごしたが、婦人から出る言葉は「ありがとう」や「助かった」ばかりで、“もち”の事で責められる事は最後までなかった。

―ボランティアの想いとは裏腹な結末―

 私の中で繰り返される問題であるが、答えは未だ見つからない。
〈困っている人を見る→胸が痛む→手を差し出す→相手が助かる→自分も嬉しい〉
と考えての行為も中々そう良い結果ばかりではない。良かれと考える事が、相手の自立心を砕く時もある。

 神戸市は仮設解消は2000年と発表したが、受け皿住宅が出来て済む問題ではないし、その後の生活再建は外せぬ課題である。何にせよ阪神大震災が風化しつつある今、江上氏の様な存在は、被災地にとって行政より親しみを感じるのは確かだ。

※……神戸の西北西にある郊外型巨大仮設群の中の一つで、現在64世帯・120人程が暮らす。

(金田 真須美)


P4・5 Saturday Express


 さぽおたあの皆様、新年明けましておめでとうございます。中川久美子と申します。
 私は昨年8月から、「FMわぃわぃ」ですたあと長田が受け持っている番組「サタデーエクスプレス」を、ひょんな事からお手伝いする事になってしまい、今ではすたあと長田の一員として活動させていただいております。

 「FMわぃわぃ」は、昨年1月17日に多言語コミュニティ放送局として、鷹取教会敷地内にスタジオをかまえ、開局しました。もともとベトナムの方や、韓国、朝鮮の方が母国語で震災情報等を流していた2つの放送局が一緒になって、現在8つの言語でボランティアばかりのスタッフによって放送されています。

 私達は、日本語枠で土曜日の午後2時〜3時の一時間をいただいて、まさしく手作りの番組を放送しています。おおまかな構成としては、毎週ゲストを呼び、その方にお話を聞く時間、インフォメーション、真須美さんのコーナーと分かれておりまして、私のパートはと申しますと、ゲストのお話を聞く時間や、インフォメーションに登場致します、アシスタントDJ(と言ってもディレクター兼メインDJの小野さんや、ゲストの方の“相槌打ち役”といった方が適切ではないでしょうか)を、させていただいています。毎週、小野さんにおんぶにだっこ状態で、ゲストの方々に挑んでいるわけですが、大変勉強になっています。

 ゲストの方は、ボランティアで活躍している方、まちづくりに携わっている方、長田在住の普通のおばちゃん等、様々ですが、ゲストの方から教えられ、神戸市民であるはずの私が、神戸や長田のまちについて知らない事の多さに気づかされ、恥ずかしく思う今日この頃です。例えば、地蔵盆。聞いたことはあったのですが、どのようなお祭りか知らず、家々を訪ねまわってお菓子をもらうと聞いて、「あー、ハローウィンみたいなお祭りね」と思った私は、もはや日本国民ではないのでしょうか?!

 この様に、「FMわぃわぃ」を通してたくさんの方に出会い、何かを吸収し、ゲストからパワーをもらって、自己成長に励みつつ、長田の町と密着した、より活気づく、元気の出る放送をめざし、又、長田のリスナーと会話のキャッチボールができる様なラジオになれば、と思っています。

(中川 久美子)

※『サタデーエクスプレス』放送内容一覧


P5 『すたあと長田のホームページ』のご案内


新URL http://sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp/start/

 すたあと長田がインターネットにホームページを持っていることをご存知ですか?

 東京に住む“すたスタ”(すたあと東京支部?)の沼田英俊氏により開設された、この『すたあと長田のホームページ』では、『ウィークリーニーズ Vol.1No.1』から『Vol.3最新号』までを掲載。しかも本紙では白黒の写真も、ここではカラーで掲載! そのほか『サタデーエクスプレス』の放送内容一覧、ゲストコーナーのトークを文章化したもの(一部)、スタジオ内やゲスト出演された方の写真などを掲載。
 とにかく盛りだくさんの内容です!!

※『すたあと長田のホームページ』は、お引っ越しをして、新しい住所(URL)になりました。


P6 御蔵通5‐5 第6回
「まちのボランティア」その2 〜思いの中で、矛盾の中で〜


 ここ御蔵菅原地区では、1月15日に三回忌の合同慰霊祭を行います。僕の所属するもう一つの活動グループ「まち・コミュニケーション事務局」では、昨年に引き続き慰霊祭実行委員会の事務局を担っております。 と、言うわけで(又しても)原稿が遅くなってしまっているのは、慰霊祭準備で頭が飽和状態であるからだという事にして下さい……(ここで言い訳してどうする)。

 この慰霊祭の実行委員は、御菅地区の住民の方であります。もちろん手弁当での参加。被災を受けた皆さん自身が「ボランティア」として慰霊祭を支えていらっしゃるわけです。

 委員の方には御菅に戻れる目処がたっていない方(いわゆる「店子」)も、とりあえず「仮りの家」を建てられ戻られている方も、町づくり協議会の会長さんも、「区画整理」が掛かっていない地区の方もいらっしゃる(ちなみに実行委員長はあの田中社長)。立場や境遇を超えての「実行委員会」。おそらくは様々な思いを各々の方が胸に秘めながら、三度目の「あの日」を迎えるべく、126名の魂を慰める式の準備をされています。
 そして今年の会場は「御蔵小学校体育館」。地区の多くの方が避難されていた所です。

 生活再建のために。住宅再建のために。この2年余りの間、休むことなく話し合いに参加されてきた方たち。
 まだ避難所で生活されていた頃から地区のみんなに呼びかけしながら、「まちづくり協議会」の役員になった方々は活動をされてきた。
 自らも全焼の被災をしながら「地区住民のために」動かれたこの方々こそ、ある意味壮絶な「ボランティア」と呼べるのかもしれない(もちろん何よりも原動力は、ご自身が「ここに戻り、生活したい」という強い気持ちでありましょうが)。しかし、「区画整理」を前提にした「まちづくり」はとんでもなく重いリスクを役員の方々に背負わせることになった。

 そして今、区画整理事業の決定はなされた。しかし、結局それだけなのだ。一体、これまでに何ができたのか?役員の方々にそんな思いが去来しても不思議ではない。そして余りにも皮肉な立場にいる役員の方を、一体誰が責められるのか?

 2年前の1月17日からの時間の流れは、思いと矛盾を飲み込みながら「今」に注がれている。

(小野 幸一郎)


P7 好評(?)連載 パパ&パミールの
    つれづれなるままに 第6回


 ☆さぽおたあの皆さん、こんにちは!! このところずっと「手づくり&健康シリ-ズ」が続いているので今回も……。  皆さんは、「手前みそ」という言葉を御存知ですか? そう!!みそはやっぱり手づくりに限ります。そこで今回は以外とカンタンなみそのつくり方をお教えします。題して「みそをつくってみそ!!」

☆では、まず必要な材料と道具と容器の準備です。
【材料(甘口のみそ10・分)】
*大豆 2kg
*米こうじ 3kg
*塩 1〜1.3kg
※こうじが多いと甘口に……お好みで調整してネ

【道具】
*大豆を煮るための大鍋
*煮えた大豆をつぶすための布袋とビールの空きビン

☆それでは、
  いよいよ作ってみましょう!!

▼1、大豆を煮る▼
*大豆は4倍の水に一晩つけておきます。
*最初は強火……煮立ったら弱火で、大豆が親指と小指で楽につぶせるくらいにやわらかくなるまで(4〜5時間)煮ます。→この煮汁は残しておく

▼2、こうじの塩切り▼
*こうじはよくほぐし、塩と混ぜ合わせておきます。

▼3、みそを仕込む▼
*煮えた大豆をざるにあけ、煮汁は別にとります。
*大豆は熱いうちに、布袋に入れて、空きビンでたたきつぶします。次に冷めないうちに、塩切りしたこうじをよく混ぜ合わせます。
*これをこぶし大に丸めて「みそ玉」をつくります。固さは耳たぶくらい。固いようだと煮汁を足します。
*この「みそ玉」を容器の底の方からバシッと打ちつけるように詰めていきます。
*詰め終わると表面をならして塩をふり、ラップなどでピッチリ押さえます。
*落としぶたを置き、重しをのせます。容器の口を新聞紙などでおおって、冷暗所に置きます。

☆その後の保存・管理について……
基本的にあとはこのまま、ほったらかしにしておいて大丈夫!!
時折、ようすを見て、もしカビが生えてたら、その部分だけ取り除いて下さい。この時期に仕込むと、秋〜冬には美味しいみそになるハズ! です。

(以上、パパでした)


P8・9 のぶ日記 Vol.3(1/4〜1/7)


 今年の正月は、何年ぶりかに『正月気分』を満喫させていただいた。

『すたあと埼玉支部』(?)の金ちゃん(時々すたあとの手伝いにはるばるやってくる:金原雅彦)が年末から来ていて、新年を迎える直前に『すたあと東京支部』の沼田さん(すたあとのホームページを作っている(^^):東大大学院生)がすたあとのプレハブに来た。おかげで、静かではあるが、楽しく、新年を迎えることが出来た。
 元旦は、みんなで長田区内にある“高取山”に初日の出を見に行き、その後一日中酔っぱらっていた。
 3日には、和田さん宅で『沼田さんを囲む会』と称した、新年会を開いて頂いた。
 今まで、正月をただ『通過点』の様に過ごしていた僕にとって、今年の正月は、思い出に残る正月でした。
 しかし、天国のような日々は、長く続かぬもので、正月気分の覚めやらぬ4日から『ウィークリー』の制作が始まった。

 

1月4日(土)
 午後2時からラジオ『サタデーエクスプレス』の放送が有るので、僕は例によって、ラジオのインフォメーション用の原稿書き。……をしなくては行けないのだが、年賀状書きをしているうちに時間が無くなってバカボン(筒井裕貴)に急かされる。
 年賀状の仕事が残っているので、今回の放送には、僕は参加しなかったが、今のすたあとにはクルマを運転出来る人が、僕とたむたむ(田村圭子)しか居ないので、メンバーの送迎役として、わぃわぃのある鷹取に向かう。
 3時になり、わぃわぃにメンバーを迎えに行くが、遅くなったので、小野さんに電話で急かされてしまった。
 すたあとに戻ると、土曜日恒例のミーティングが始まり、ウィークリーの詰めの話や、さぽ通の原稿の割り振りの確認を行う。ミーティングが終わろうかとする頃に沼田さん現る。
 ミーティングが終わった6時頃、ウィークリーの制作に取り掛かろうとすると、久美ちゃんが「(原稿の)打ち込みやったらすんで」と優しいお言葉。さらに、パソコンの達人、沼田さんが居るではないですか。ふだん、持て余しているパソコン達を起動させて、3人で、打ち込みを始める。記事作りとタイトルを描いてくれている真須美さんと沼田さん、久美ちゃん、僕の4人が、いっぺんにウィークリーの仕事をしている風景は、今まで、ほとんどの制作作業を一人でしていた僕にとって、感動に値するものでした。

 作業が一段落した10時頃、真須美さんが「沼ちゃん達、家に来えへんか」と言いだし、沼田さん、久美ちゃん、僕の3人は、真須美さんの家に伺うことになった。その時、銭湯に行っていた金ちゃんは、置いてきぼりになり、電車と徒歩で真須美さんの家に来ることになる。
 お茶を飲みながらみんなで話していると、たむたむから「今すたあとに居る」と電話が入り「それなら、あんたも来いや」と真須美さん。しかし、たむたむが来たのは「みんながそろそろ帰ろうか」と思い始めた時間であった。
 午前1時30分頃、帰り支度をして、真須美さんの家を出ると同時に「のぶ、うち(実家)で、茶飲んで行かんか?」と沼田さん。「はい」と返事をして、沼田さんを家まで送っていくことになる。
 通り道(西神)の中川邸で久美ちゃんを降ろし、さらに西へクルマを走らす。西区岩岡の沼田邸までの道のりは、緑も多く、運転が楽しくなる。しかし、沼田邸のすぐ近くに来たとき「左に大きなため池がある」と沼田さんが案内してくれるが、よそ見をしながら運転していると、たんぼに落ちそうになるので少ししか見れんかった。
 沼田邸につくと、吠えまくる犬(名前は「ちぇりぃ」)に迎えられ(夜中だっていうのに……)、新品のDOS/V(パソコン)で『すたあと長田のホームページ』を見たりしながら、パソコンの話を金ちゃんと2人で聞いていた。
 気がつくと午前4時を回っていて「ここで寝ていくか?」との誘いもあったが、ウィークリー制作の事が気になったので、すたあとに帰って寝ることにして「明日はすたあとに寄らずに、東京に帰る」と言う沼田さんに手を振って沼田邸をあとにした。

 

1月5日(日)
 10時に目を覚まし(今さらながら生活が乱れている)、年賀状書きの続きをする(年末はすたあとの年賀状ばかり書いていたので、自分の年賀状は、今頃書いている)。
 午後になり、沖さんたちが来たので、Mac(パソコン)の操作を教えながらウィークリーの編集作業をする。平行して、澁江さんに記事の見出しを書いてもらう。金ちゃんに校正をお願いした。いつもは月曜日に出来上がる版下が、今回はいつもより早く出来そうだ。
 表面の版下の仕上げと裏面の編集を澁江さんと一緒にしている頃、沼田さんがプレハブに入ってきた。「(今日中に)帰れなかったよ〜。寝んと、明日の朝、ここから(東京に)帰る!」神戸に来ると、いつもドタバタしている沼田さんであった。
 結局、朝までみんなで雑談していた(その時のメンバーは、沼田さん、小野さん、澁江さん、僕)。
 午前6時を回り、ほかのみんなが眠っている頃「そろそろ新幹線が動き出してるよな」と言って、沼田さんが帰り支度を始めた。いつもお世話になってる沼田さんに感謝の気持ちを込めて、新神戸駅までクルマで送っていった。今度こそ東京に帰ったようだ。

 

1月6日(月)
 今日も10時に目が覚める。
 版下製作の作業をする。ほとんど出来ていた、表面の仕上げを午前中にすまし、午後から裏面の版下製作。夕方に、2枚の版下が完成! バンザーイ!!
 夜に、横ちゃん(横田ゆり)が来たので、裏面の印刷をまかせ、インターネット用に、電子メールで東京の沼田さんにテキスト(原稿)を送り、今日は早く寝た。

 

1月7日(火)
 今回のウィークリーでは、『新年特別号』(?)ということで、『Vol.3』では初めての“2色刷り”に挑戦する。
 ウィークリーの発行部数は約1万部! 黒インクの部分と赤インクの部分を別々に印刷していくので、まずは、黒の部分の印刷。とくに問題もなく、約3時間で完了。
 インクを乾かすために、数時間別の作業をしてから、夕方、6時頃から赤インクの部分の印刷を始める。
 黒インクの部分とうまくかみ合うように調節して、ズレがないか確認するため、 印刷機から出てくるのを 一枚一枚見張っておく。とくに難しい事ではないのだが、とにかく時間がかかる。ミスプリントを見逃さないように、電話が鳴る度に印刷機をストップさせ、ミスプリが出たら、すぐ取り除く。
 わずか46文字のために、6時間印刷機の前に張り付いていた。印刷がすべて終わったときは、夜中の12時を回っていた。(T_T)
 しかし、僕が印刷をしている間に、金ちゃんと横ちゃんが“折り”の作業(配達先ごとに部数を数え、配達しやすいように2つ折りや3つ折りにしていく。紙折り機を使用)をしてくれ、残る作業は配達だけなので、明日は楽できそうだ。

(吉田 のぶ)


P10 『さぽおたあ』スタッフ大募集!


☆さぽおたあ通信の制作を手伝ってくれる人!
☆さぽおたあ発送などの事務作業を手伝ってくれる人!
大募集!!

 現在の“さぽおたあ通信”は、制作から印刷・発送まで全てが、すたあとスタッフの手によって行われています。そのため『ウィークリーニーズ』や『サタデーエクスプレス』などの普段のすたあとの活動を行っている合間に “さぽおたあ通信”を作っているのですが、それでは、どうしても、被災地向けの活動である『ウィークリーニーズ』と『サタデーエクスプレス』の活動を優先しがちになり、“さぽおたあ通信”の発送が不規則になったり、制作から、発送までにかなりの時間がかかったりするほか、時には、今回のように「更新のための会費の請求書」の発行が、著しく遅れたりしています(さぽおたあのみなさんスミマセン)。

 この“さぽおたあ通信”をより充実させ、確実に、定期的に、発行させるためのお手伝いをしてくれる人を募集します。

 神戸・長田のすたあと事務所に来れる方はもちろんですが……
「震災関連の活動の手伝いをしたいけど……神戸にはなかなか足を運べない」といったお便りが、時々すたあとに届けられることがあります。
 原稿依頼のまとめ役や発送の準備など、電話などの通信手段を使えば長田に来れなくても自宅で出来る作業もあるのではないかと考えています。
 やるきのある人!! 一緒に「県外からの“すたあと活動参加”」の可能性に挑戦して見ませんか?!

連絡先は、すたあと長田(アドレスは、表紙にあります)担当:吉田信昭まで


ヘンシュウコウキ・編集後記・へんしゅうこうき


 慰霊祭の前に『さぽ通』が届くようにしたかったのですが……。遅くなってしまって、ホントに申し訳ありません。でも、今の現状では「反省して、今度からは……」とは言えないのが悲しい……。

(吉田 のぶ)



numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp