<さぽおたあ通信 No.14 1997年8月号>

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P1 ご挨拶


 ようやく、「さぽおたあ通信」を皆さんにお届けすることができます。
 約7ヶ月ぶりというお粗末です。本当に面目次第もございません。

 本誌の中には2月の時点で書かれた原稿もございますが、内容的には決して遜色はない(はず)ですので、ご了承下さい。

 次号で本誌は最終号となります。「すたあと長田」スタッフ総出演(?)の予定です。何卒、いましばらくおつきあい下さい。

 

目次

  2頁 「さぽおたあ」の皆様へ
  3頁 桜亭の金田真須美でございますっ 第4回
  4頁 はずかしながら……
  5頁 御蔵通5−5 第7回
  6頁 つれづれなるままに 第7回/編集後記


P2 “さぽおたあ”の皆様へ


 短かった夏に別れを惜しみ、秋の気配をそこかしこに感じる頃となりましたが、“さぽおたあ”の皆様には如何お過ごしでしょうか。

 

 我が「すたあと長田」のプレハブも三度目の夏を無事、扇風機一台で乗り越えましたが、何より“さぽおたあ通信”を熱く語った夏でもありました。
 暫く休刊し、ご迷惑をおかけしておりました“さぽおたあ通信”ですが、今号と来号を以て終了とさせて頂きますこと、皆様にお知らせいたします。

 御承知のように「すたあと長田」はボランティア・スタッフで運営しており、スタッフの年齢や職業も様々で、各々の生活を背景に活動して参りました。
 発足当初は数十名にのぼった登録スタッフも、そのほとんどが入れ替わり、今では十名を割るに至り、常時スタッフを募っている次第です。とは言え被災地に生ずる問題は多岐に及び、専門的知識を要する事柄も増え、「私達のやりたい事」と「私達に出来る事」のジレンマを抱えながら、今日迄まいりました。

 そして現在、「すたあと長田」では主に以下の活動を行っています。

ウィークリーニーズ
震災関連記事や生活情報、仮設事情等を盛り込んだミニコミ誌。およそ9,000部を隔週発行。仮設住宅や地域住民へ無料配布。

サタデーエクスプレス
震災後に設立されたコミュニティFM局“エフエムわいわい”(地域在住外国人の為、8言語で生活情報や音楽、震災関連情報を放送)での毎週土曜日13:30〜14:55にゲストを招いて、まちや人の復興等をテーマに日本語枠で放送。

●その他●
イベント企画や他団体へのお手伝いに加え、各スタッフが個人的に関わる街づくりや仮設訪問など。


 以上の活動も来年の春ごろには、大きな変化を迎えようとしています。
 震災に依る区画整理事業の一環で、「すたあと長田」も立ち退く可能性が濃くなって来ましたが、“先”の見えにくい被災地のこと。今後の予定も立てにくく、予算の都合上、事務所を構えずに継続出来そうな活動方針を模索中です。

 震災から2年半が過ぎた今も、道路が整備され、大きなビルが林立しだし、街は戻ったとメディアは伝え続けます。
 そして、そこには映らない人々の暮らしや問題、悩みを伝えたくて生まれた“さぽおたあ通信”。

 本当に永い間ご支援下さいまして有難うございました。スタッフ一同、皆様に見守られての月日を忘れることなく今後につなげたいと願っておりますが、“さぽおたあ”の皆様にも、この街の姿をどうか御記憶下さいますように。

(金田 真須美)


P3 桜亭の金田真須美でございまっす 第4回


 一月と二月の2度に亘って、福井県三国町へ何かお手伝いはと訪ねた。多くの人の手に依って重油が回収される様子を前に、2年前の震災当時を想い出し、感謝と心強い思いで胸が一杯になった。
 今回の三国行きは、我が「すたあと長田」に眠るマスクやビニール手袋等を運ぶ為でもあったが、一番役に立ったのは街頭の炊き出しで連日鍛えたこの“腕”かも知れない。

 

 震災直後から大量調理の鬼と化した私は、三国町のボランティア本部へ着くやいなや「炊き出し班希望!」とさけび、毎日1,500食2,000食とやって来る本部からの指示に胸おどらせて過ごした(私は給食のおばさんを尊敬するゾ)。
 悪天候の下、回収作業に励むボランティア達の中には阪神大震災で活動した人達も多く、私の行く先々では「その後の被災地は?」等と云った質問が飛びかった(計8日間この状態が続きぐったり)。
 あれから2年、阪神間を離れては現状を知る術も無く、ましてや“仮設住宅”の事など…と云った具合だろうか。

 当初2年間の住居を目的として行政は仮設住宅を建設したが、必要戸数の公営住宅(受け皿住宅)が建設されていない2年後の今、あと3年待ってと一方的に言って来た。しかし一部の仮設住宅は民間から2年の約束で借りている土地に建設している為、その返却期限が迫っている。行政は悩んだ。と思う。(頼む!悩んでくれい)で、その結果、今は空き家となって歯のこぼれた他の仮設へ移ってもらうことにした。

 神戸の須磨区に在るT仮設住宅は、住民のほとんどが高齢者である。近くに商店らしきものも見あたらず交通の便も良くないが、何とか住民同士、肩を寄せ合い住み馴れて来た頃に土地の返却問題が出て来た。神戸市に土地を無償で貸していた所有者は、次なる使用目的も決定しており、今年の4月には空け渡す事になっている。

 行政と住民の間で話し合いが幾度かもたれ、神戸市が3万円〜7万円の転居費を支払う事(世帯人数によって異なるが少ないのでは?)、現在の仮設から割と近い須磨区内の仮設をあっせんする事、等が決まった。残す問題は、住民同士がバラバラにならずグループでの入居を希望している事だが、とかく弱者には心細いこの御時勢。T仮設住民の望みがより良く叶うことを、私も神戸市民として切に願っている。

−今後増加するであろう仮設用地返却や統廃合問題。

T仮設の事例は多くの注目するところである。−

(金田 真須美)

(本記事は今年の2月に執筆したものです)


P4 はずかしながら……


 さぽ通初登場の わだかん でーす。

 すたあと長田には、震災の年の三月十一日(土)の「長田を考える会」から、参加、それ以来、ウイクリーニーズには、ほとんど、毎号、写真と文を載せてもらっています。

 大阪府堺市に神戸市長田区から通勤する、カメラメーカー勤務のサラリーマンです。

 五十三才ですから、おそらく、すたあとでは、そう若くないほうなのでしょう。「半年くらいつづいたら」と思ってましたら、あっという間に2年半です。

 長田区での被災者であり、全壊と判定されたわが家を建て直し、お貸ししていたアパートの再建にも努力し、また、カメラの事業も、おりからの円高と、新しい写真システム(APS)の導入で、てんてこ舞い、ときはあっという間に過ぎ去っていきました。

 でも、あたりを見回しても、更地や駐車場だけが目だち、やっと建ったアパートも店舗スペースも空きが多くあります。

 3百世帯あったわが町もまだ2百世帯のままなのです。「なんとかせな、商売あがったりや、あんたら、知恵あるんやろから、人が戻ってくるアイデアをかんがえてよ」―いつも行く散髪屋さんの悲鳴です(ここには、ウイクリーニーズをおかせていただき、ときには、カンパもいただいてます)。

 さぽ通のみなさんは「そやから、被災地の様子教えてよ。なんか助けれるところあるんやから!」というお気持でしょう。

 昨年夏、わが家が完成し、今年の夏、やっと先月ですが、神戸市の"民借賃"(民間借上賃貸住宅)ができ上がり、いま、9人のかたが入居されはじめました。神戸市に二十年間市営住宅としてお貸しする制度です。空いている7戸は秋の募集となるようです。

 さぽ通は、身内だから、と思って、いままでサボらせてもらいました。「こっちは、まだ大変なんやから」といった被災者のひらき直りかもしれません。

 申し訳なく思っております。だけど、いつまでも、この地を見守っていただける皆さんであることも、信じ、頼りに思っている、長田にいる私たちです。

 随分、遅い、さぽ通でのご挨拶になってしまいました。すたあと長田も細々ですが、存在感のある団体として、活動が続いています。今後とも「さぽおと」をよろしくお願い申し上げます。

(和田 幹司)


P5 御蔵通5‐5 第7回
〜まちで住むこと、生きること その1〜


 申し訳ございません。
と、いきなりですが、あらためてお詫びいたします。私が「さぽ通」発行を遅らせた張本人であります小野でございます。もう、ホントに、面目次第もございません…。

区画整理・地区計画
 ご無沙汰していた約7ヶ月(あぁ)の間、ここ御蔵通5・6丁目の動向はと申しますと、(残念ながら)特筆すべき事柄は特にございません。相変わらず震災以前の2割弱の方々しか生活されておらず、方々には野ざらしになったままの更地があり、まち全体にも震災後の重い現実がのしかかったままです。その中でゆっくりと、区画整理による「仮換地 」の準備が静かに進行している(はず)といったところでしょうか。

 それから「地区計画」なるものを住民集会で可決し、行政に提出しました。
 「地区計画」とは何かと申しますと、簡単にいうとこれから建てられる建物に対して一定の規制をすることにより、建ぺい率 を増やすというものです。ここはそうでなくても、小さい敷地を所有している方が多いのですが、そのままですと建築基準法により、敷地の6割にしか建物を建てることが出来ません。それを「地区計画」を導入することにより、7割にする事が出来るというわけです。

 解りづらいかもしれませんが、要は再建する時に少しでも家の間取りを広く取れる様にしようということです。区画整理が掛けられた地域では大体どこでもやっています。震災前と同じような土地の使い方は、まず出来ないからです…。
 何にしても、地域に人が戻る手だてではないことは確かです。

「地域の力」とは?
 誰もが何気なく生活していた、その時に襲った震災。
 住民の力で火を消し止めた地区もあれば、為す術もなくただ炎を見つめざるをえなかった地区もある。 そして、震災後の「まちづくり」。
 もちろん住民の力だけではどうしようもなかった「現実」が突如襲ってきたわけですが、震災後の「まち」は、「まち」で生活していく私たちに、様々なことを問いかけているといってよいでしょう。

 震災後2年8ヶ月、未だ元の2割の人しか住めぬここ御蔵から、「最後のメッセージ」を次回、お伝えしたく思います。

(小野 幸一郎)


P6 つれづれなるままに 第7回


 こんにちは。パミールです。私は現在、整体師になる為、修行しています。ところでみなさん、「整体」ってどんなのか知ってますか? 私はよく「整体って何」とか「どんなことするの?」っていう質問を受けるんです。そこで今回は、整体について少し語りたいと思います。

 整体とは読んで字のごとく「体を整える」ことです。中国の伝統医術の一つで、手技のみで、身体のバランスを整えていく治療法です。本場中国では推掌(スイナー)と呼ばれていて、大きな病院の中で、内科や外科と同じように、推掌科というのがあって、西洋医学と同レベルで国の医療として認められています。

 では実際、どんな事をするのかというと、中国医学でもっとも重要視されている「気」を見ていきます。

 「気」とは、人体の生命エネルギーの事で、この「気」のバランスがくずれると体が悪くなります。「どこにそんなもんがあるんだ? 見えるのか?」と思っているあなた。「気」は見えません。しかし、感じることは出来ます。そして体には「気」が通る道があります。その道のことを「経絡」といい、その道に「経穴」いわゆるツボがあるのです。体の調子がくずれてくると、このツボに反応があらわれます。そしてそのまま放っておくと、具体的に体の表面にあらわれてきます。たとえば、背骨がゆがんできたり、筋肉がはってきたり、内蔵気管が衰えてきたりするのです。腰痛や、肩こり、頭痛、便秘、不眠、関節痛、生理痛などといった、あらゆる症状としてでてきます。

 これらの症状は「気」のバランスがくずれてしまっているので「気」を整えていくことにより、体を健康な状態に戻す療術なのです。

 まだ、日本では国の医療とは認められていないので、健康保険が使えません。よって患者に金銭的負担がかかってきます。しかし、現在の医療が限界に来ている今、副作用のない、自己治療力を高めるこの整体療術はみなおされて来ています。整体治療院もふえてきていますので、みなさんも一度試してみて下さい。

(次回かどうかわかりませんが、「気」についてくわしく書いてみたいと思います)

(パミール)


ヘンシュウコウキ・編集後記・へんしゅうこうき


 我が家から見える立派な明石大橋。まちの至る所で物議をかもす神戸沖空港建設問題。十月二十六日に控えた神戸市長選。在日外国人ゆえ票のない己がもどかしいが、現市長再選のあかつきには多くの市民の頭上より湯気が立ちのぼるだろう。

(ますみ)



numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp