「Weekly Needs」1995.6.25号(Vol.1 No.16)
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花マル復興
第1回 丸五市場がんばろうフェア
- いざ、美人の待つ丸五へ
- 「丸五市場は歴史があり、美人の多い市場だ」という友人の言葉につられ、丸五(まるご)に買い物に行くことにした。震災後5ヶ月がたち、それぞれエライ目におおた、菅原市場(ウィークリーニーズ13号紹介)や、パラール(15号)が次々とオープンしていくことは、本当にうれしいことである。
- 6月18日からは100%オープン!
- 「地震で丸五市場もごっつうやられたんやけど、みんながんばってくれて、1月30日に4割の店が『スタート』しました。改修したり、仮設を建てたりして、18日には100%開店です。」と丸五市場の事業協同組合の西村理事長は、まじめさを感じさせるメガネの奥から目を輝かせて語ってくれた。西村さんの店は、西通り(1部)にある鶏肉店(市場マップ8)です。☆ここからは次頁の地図を見ながらどうぞ。
- 丸五は4つの入口を持つ
- 丸五市場へは、大橋2丁目バス停近くの本町筋商店街を入り六間道商店街に突き当たる直前に東通り(3部)の入口から入る。くだものを扱う安田商店(マップ77)が目印だ。約80店舗があり、買い物好きの人には元気のでるスペースだ。他の入口は六間道商店街から入れる南通り(4部・5部)、二葉町に接した、八百屋の明石屋(マップ30)のある北通り(2部)、そして、二葉商店街側の西通り(1部)にもある。合計4つ。西通り(1部)の入口の青ものを扱う水田さん(マップ12)は親切な方だ。
- 子ども達も楽しそうだ
- 東西南北とそれぞれに入口のある市場って、珍しいんじゃないだろうか。入口があり、まっすぐ行けば出口がある単純なつくりではない。人や店が寄り集まって、時間をかけて市場を作りあげていった、トルコのバザールがここにもある。この道が子供たちにも、たまらなく楽しそうで、店の人にもらった、ガス風船を手に市場の中を走り回っている。西通りには、「ふれあいのイス」(マップ21と22の間)があり、小休止がとれる。
- タコヤキ三人娘に会う
- 「美人揃いやろう。(タコヤキも)玉子がたっぷり入って、十個二百円、地震のあと、安うしとうねん。美人の写真もとってよ」と、タコヤキのかさい(マップ68)の三人娘の内、一番の年輩の娘さんが語りかけてくれた。やっぱり、美人の多い丸五市場だった。かさい商店は六間道商店街側の入口にあるが、7月中旬には大正筋店も再開させるという。
- 仮設店舗もある
- 「私の店も、市場もよう残ったわ、若いもんが助けてくれたから。」クリーニング上田(マップ5)のおばさんは語る。「南通りの7軒がつぶれましてん。仮設たててやっと再開できました。震災前の店には私が入れるくらいの冷蔵庫あったんやけど、今はこんなんや。」と大きなタコをつかみながら、土橋さん(マップ72)はご自身と同じくらいの高さの冷蔵庫を指さした。
「仮設より、中の設備の方が高ついたんや。お好み焼屋にタコなんか卸しもしとんやけど、店開けている人まだ少ないしなあ、お弁当を街でやっとったんやが、やはり、本業でがんばらなあかんと思っとります」と土橋さんは元気一杯だ。
- 丸五のルーツが分った
- 東通りには、くじらを売る小林屋(マップ50)がある。その隣りの、大黒こんぶ(マップ51)の平野さんは、神戸史読会に属し、六間道あたりの歴史にもくわしい。「昔は、駒ヶ林でとれた魚を東の方に売りに歩く道が必要でした。八間の広い道だった今の国道2号線や、六間の幅のあった六間道もみんな昔からの道路で、商売人の道でもありました。」「この辺りは、駒ヶ林に近く、新鮮なものを売るのに便利なところで、牛車の通る1間半の道路添いに、人が集まり、店が集まり、市場ができてゆきました。今の形ができたのは大正8年くらいのことです。」と平野さんは教えて下さった。市場には一部から五部までの区割りがあったので、この「五」をとり「丸五市場」となったとのことである。
- がんばろうフェア開催
- 6月18日(日)には、わが街長田の早期復興を願って、第一回「丸五市場がんばろうフェア」の売り出しが行われた。一週間の間にためこんだ、縁日のキップを手にして、子供たちが、12時過ぎからイベント広場に集まった。ヨーヨー釣りの糸が切れて泣きだす子もいるが、お父さんと金魚すくいを楽しむ子なんか見ていると、日曜の市場って、親子が楽しむ場であって欲しいとも思う。カキ氷、ポップコーン、綿菓子など子供たちにとってうれしい一日となった。
- ええとこやで丸五市場
- 丸五市場に何回か買い物に行き、お店の人に接すると、気軽なおしゃべりが楽しくなってくる。震災2日目、なすすべもなく六間道や二葉町の被災を呆然と見つめていた私も、丸五市場の復興の頑張りを見て、勇気がわいてきた。これからも5つのチームが助け合って、丸く、丸くそして長く、長く、町を盛り上げてもらいたいものだ。私もまた、美人にも会いにいこう。
(幹)
Foreigners In Nagata 〜長田に生きる外国人 2〜
外国人生活復興センター、オープン
兵庫県定住外国人生活復興センターの事務所開きが、17日、菅原通7丁目で行われました。被災された定住外国人の一日も早い生活復興を目標に、スタッフの皆さんはやる気まんまんです。活動の内容については、
- ■生活復興に関する総合的な相談
- ・民族差別問題
・商工業者の事業(税務、融資)
・就労・生活関連
・各種専門家による相談(法律、建物相談等)
- ■情報収集、情報提供
- ・定住外国人の被災状況調査
・外国人を視野にいれた災害対策のあり方についての調査
・阪神地区及び他地域のNGO、エスニック・グループとの情報交換
・行政機関等への情報提供及び提言
などを考えているとのこと。所長の金宣吉さんは、「始まったばかりなので、まだどんな力になれるのかわからないが、外国人だからといってあきらめる前に、一度ここに来てください。そして、読者の皆さんの近くに困っている人がいたら、こういう所があるよ、と声をかけてくだされば嬉しい限りです。」とおっしゃっていました。
また、同センターでは住宅・就労問題の相談に関して協力してくださる専門家を募集しています。そしてセンターの長期的な活動のために皆さんに活動の参加支援をしていただければ、とのことでした。
この紙面の上では充分御理解いただくには不安があります。相談したいことがある、お隣ご近所に困ってる方がいる、お手伝いしてくださる、そんな皆さん、是非とも『兵庫県定住外国人生活復興センター』にご一報を!
『兵庫県定住外国人生活復興センター』
- 【開設時間】
- 月曜日〜土曜日 午前9時〜午後5時半
(日曜・祝日は休み)
・専門家による事業相談
毎週金曜 午後1時〜午後5時半
・専門家による建物相談
第1・3土曜日 午前10時〜午後3時
- 【場所】
- 神戸市長田区菅原通7の52第2美和ビル5F
TEL: 575・6160
FAX: 575・6805
郵便振替: 01150-4-61877
長田のEatころみっけ! 〜お好み焼き屋「ますや」の巻〜
御蔵通のある一角に、『ガンバルお母さん』をモットーにしている谷口トミ子さん(69歳)のお好焼き屋さん「ますや」があります。今回の「Eatころみっけ」は、6月7日にオープンしたこのますやにお邪魔してきました。
お昼の2時をまわり、お客様もひいてきたかなあとお店をのぞいてみると、谷口さんを中心に、オープンを待ち望んでいたお友達との、温かい光景が目に入ってきました。取材に来たことを伝えると、皆さん快くいろいろな話を始めてくれました。谷口さんは8月で70歳になられるそうですが、避難所で一緒に暮らした方々や、まわりの友人に支えられて、10年近く続けてきたこの『ますや』の再度オープンを決意したそうです。
「年金がないので、一からやり直すのには無理がある」と言っていた谷口さんですが、「仕事してなかったら死んだも一緒」「ええ方に考えんと生きていかれしません」と、とても前向きな考え。人間、何歳になっても自分の気持ちの持ちようでこんなにも生き生きしていられるのだ、とこっちの方が元気付けられました。
お店に来られていた、谷口さんと20年来のつきあいだというお客さんに話を聞いてみると、「みんな今回の震災にもめげず、良い方向に考えて、思いやりがある。良い経験をしました」と話して下さいました。
みんなが助け合って、約半年ぶりに焼くお好み焼き。勘が狂ってしまったとおっしゃいましたが、とてもおいしかったです。皆さん「ますや」のオープンにより、憩いの場所を取り戻したようで、会話は途切れることなく続いていました。私たちも帰るのが忍びなかったです。焼け跡の中で再び立ち上がった強い希望の光が、長田の復興に近づいています。
(野崎 聡子・大石 輝)
【営業時間】 11時半〜20時
【定休日】 今のところ無し
【場所】長田区御蔵通 4-5
TEL: 575−6694
【おすすめメニュー】
すじ焼き 450円
そばめし 550円
その他谷口さん特製のお味噌汁が大人気!
☆「ますや」は店先の赤い提灯と「お好み焼」の紺色ののれんが目印です。
あの唄このうた 朴保&切狂言・もののけサミット
途中から降り出した雨なぞにめげるわけもなく、唄声は響きわたった。19日(土)、長田区四番町3丁目の広場で行われた『朴保(ぱくぽう)&切狂言(きりきょうげん)』と『もののけサミット』のライブである。これらの名前を聞いても「?」と思われる方がほとんどかも知れない。2つのバンドの名前である。今回は日本の戦前のはやり唄、民謡、韓国・朝鮮や沖縄の唄などを披露してくれた。
朴保さんは在日2世のミュージシャンで、もののけサミット(実はソウルフラワーユニオン)は震災後、慰問のために被災地にたびたびかけつけてくれてるバンド。5時スタートのはずが朴保さん・ソウルフラワーの面々は、渋滞に巻き込まれ30分遅刻。音が鳴り出したのは6時前だった。5時の時点では子供が20人ほど、大人が数人という具合で、どうなる事かと思ったが、チンドンのリズムで音が鳴り始めると、どこからともなく人が集まって来た。ビール片手におばちゃん、銭湯帰りのおじちゃん、車イスのおばあちゃん、イスを家から持ってきて会場の真ん中にじんどるおばちゃん。中でもピンクのそでをひらひらさせ、ステップ踏みふみ踊るおばちゃん。とてもすてきでした。
途中小雨がぱらぱら・・・でもそんなぐらいじゃやめない。『アリラン』や『青い山脈』、『安里屋ユンタ』などなつかしい唄が続く。みんなニコニコ唄い踊り、子供は走り回り、みんなの表情を見ているだけで自分も嬉しくなる。踊りの輪が広がり、後ろで踊っていた人も前にでてくる。「ありがとう、またやってくれな」と沢山言ってもらえる。
おっちゃんの飛び入りや、アンコールもあって1時間半ぐらいだったろうか。日が暮れてあたりが暗くなって来た。最後の曲が終わると同時にザーッと一瞬にしてみんな散り帰っていき、「楽しかったなあ、終わったぞ」と大雨が降り出した。
(とろひも)
※『とろひも』はこのライブのために、ミュージシャン達と場所探しなどの準備をしてくれたスタッフの一人です。
サハリンへのご支援、ありがとうございます。
5月27日のサハリン地震への私共「すたあと」の支援活動をご報告いたします。
当初、6月2日のサハリン救援第2便、6月14日の第3便の2班に別れ、計6名のスタッフによる現地入りの活動を計画していました。しかし、現地よりの報告を検討した結果、言葉の問題等もあり、充分な救援活動ができないどころか、かえって足手まといになる可能性が大きいと判断し、急遽、後方支援に切り替えました。
まず地震直後第1便で現地入りした緊急医療チーム(AMDA)の要請により、毛布、カイロ、電池等の救援物資提供。ロシア仕様の発電機(単相200V、50サイクル)の調達及び改造。
ハバロフスクにある極東地域緊急事態対策本部の要請により、大型建設機械(パワーショベル、ブルドーザ、クレーン車)の日本国内、韓国、及びベルギー、オランダでの調達、輸送手配、通関手続きなどをさせていただきました。
今後も現地復旧に向けて支援要請があると予想されますが、出来る限り応えていきたいと考えています。
多くの企業、団体、そして一般の方々に多大なるご支援、ご協力に対しまして、紙面上からではございますが、深く感謝の意を表しますとともに、引き続きのご理解、ご支援をよろしくお願い申し上げます。
サハリン地震でお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表します。
numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp