「いらっしゃい。いらっしゃい」「まいど。さあ、まいど」「ありがとう、また来てね。また寄ってね」5月25日からオープンした菅原市場は、全店、復興まつり開催中だった。くだもの屋さんからパン屋さんに至るまで、合計22店が仮設店舗で営業を再開した。家族じゅう、親類じゅうが、お店を手伝っているせいか、市場の活気の中にも、アットホームな感じがするショッピング・スペースだ。
(幹)
麻衣子ちゃん、何か書いてね
からさき珈琲店(マップ・8)のお嬢さん麻衣子ちゃん(小6)はウィークリーニーズをよく読んでくれている。池田小学校の運動会の表紙の写真も、9号のおつけもの屋さんの東さんの記事も、良く覚えていてくれてうれしかった。ウィークリーニーズの次号に何か書いてねと麻衣子ちゃんに頼んでおいた。書いてくれるかな。
(ウィークリーニーズは投稿大歓迎です。お便りは編集部まで。)
5月14日雨、私達はいつものように、ウィークリーニーズを配っていました。配っている途中、近所の人と話をしていると、「今日、結婚式をするんだって」という話を私達は耳にしました。こんな雨の中、と思いながらも話を聞くと「がれきを処理している所にテントを張ってするみたいよ」と話してくれました。
それから私達は、その結婚式を見たくて、もう一度その場所に行ってみました。そこには、テントが建てられてあり中には机が置いてあり料理がたくさん並んでいました。わあ本当にするんだと思い、始まるのを待っていました。みんなが歌の発声練習を始めました。そろそろ始まるなと、わくわくしながら待ちました。
そこに、1台のトラックのような車が前に止まりました。すると中から花婿、花嫁が出てきました。そして次には、花婿が花嫁を抱きかかえ、「パンパカパン!」「パンパカパン!」というみんなの歌声、ライスシャワー、拍手と、いろいろな中、2人は入場してきました。私は「すごい」という言葉しかでませんでした。それからみんなは、ビールやジュースをもち始めました。私達も、めでたい席なので一緒に乾杯をさせてくれました。
それから普通の結婚式のように、誓いの言葉「ケンカをしながらも、がんばります」と言っていました。そして指輪の交換、2人ともすごく照れながらも誓いのキスをみんなに見守られておこなっていました。それに初めての2人の協同作業、「翼をください」の曲にのせた、ケーキカットもスムーズにいき、花婿も花嫁もとても幸せそうな顔をしていました。私はそれをみてとてもうれしくなりました。
この震災でたくさんの被害を受けながらも、幸せをつかみ、がれきを処理しているところではあるがテントを張り、たくさんの人に囲まれて、厳粛にこのような式をあげている2人は、とても輝いて見えました。いつまでも、いつまでもこのような式をあげたことを忘れずに、幸せな毎日を過ごして欲しいと思います。本当に結婚おめでとうございます。
(椋木 美希子)
本誌No.9でも紹介した、国道2号線の南側、腕塚町、久保町、二葉町の各5丁目にあるショッピング・ドームの名前は、「復興げんき村 パラール」となりました。名前の由来は、パラソルのようなテントの屋根の形。パラソルバザールからの造語です。
「みなさん、6ヶ月もお待たせしてごめんなさい。やっと今日、立ち上がることができました。名前の通り、元気にオープンしますので、よろしくお願いします。」パラール名店街店主一同
新湊川公園の中程の、太い道と交差する道筋に、テントが立っているのをご存じでしょうか。ここに、頼もしいねえさんが切り盛りしていらっしゃるおでん屋さん「桜亭」があります。ねえさんの名前は金田 真須美さん。震災前は御蔵通6丁目で中華料理店を開いておられました。
店も自宅も、また親類の家も被害に遭われ、しばらくは店どころではありませんでした。でも1月の寒い頃からアハマディアと一緒にボランティア活動してくれてました。
3月下旬頃に、撤退していくボランティアの人にテントを譲ってもらい、店を3月の26日にオープンする予定でした。そんなとき、テントという慣れない環境での準備作業のため、包丁で手を切ってしまいます。4針も縫う、全治2週間の怪我。早くオープンしたくて、あせりもありました。
4月の始めのある日のこと。真須美さんの友達のボランティアの若者達が、仲良くなった地元の人と飲みに行くという話をしていました。何の気なしに「どこでするの」と聞いた真須美さんに、「その辺の屋台で」と彼は言いました。「じゃあ、今日からオープンしよか」。包帯巻いて、ゴム手袋をしての営業再開です。
「炭をおこすのも初めて」からの出発でした。でも今では炭火、プロパンガスを完璧に使いこなしちゃいます。ショックもつらさも乗り越えてこその明るさ、強さ。「もうけなんか、ほんまにないけど、商売できるだけでも幸せや。とまっていたって、どうしようもない」。にっこり話す笑顔に、こちらも心があったかくなります。
地震直後、兵庫をはじめ東京、鹿児島など全国から来てくれているボランティアたち。そんな彼らが再び神戸に帰ってきて、顔を見せてくれるのを楽しみに、今日も頑張っています。
(家田 慈子)
《おすすめメニュー》ばらみそ 1本 100円
おでん 100円
野菜たっぷり
ホルモンうどん 1000円
(一人前。2人でもOK)
ぬか漬け 200円営業時間
夕方〜夜中(!)
定休日 日曜日
TEL:030-81-42250
去る5月27日、中央区の私学会館にて、アスベストシンポジウムが開かれた。地元神戸市民を中心に約170名の参加者。様々な視点からの講演者を迎え、質問も飛び交った4時間だった。
アメリカ・・・国民全員が法律によって保護されている。
し・か・し、
日 本・・・法律ではなく、<要項>や<指導>という形で、しかもアスベストを触って働いている労働者のみ保護される。
アメリカでは環境庁が非常に強く、<情報公開>という日本にないシステムをとり、消費者や一般住民との壁を透明にしているそうだ。イギリスでは行政が、「50人に1人は、アスベストによる肺ガンで死ぬだろう。」と市民に警告し続けている。
‖
日本人はアスベストに関する知識がなさすぎるのでは?
→素人がもっと知識をもって行動するべき!
今は緊急、緊急だから・・・とせかされて、みんなの体より解体を急ぎすぎてないやろうか?この街がホントに復興するには、私たちに一番近いはずの<環境>という視点から未来を考えるべきではないやろうか?
詳しいお問い合わせは、
521ー7170
すたあと事務局
マスク 担当まで
毎週日曜日は、ウィークリーニーズの配達日だ。最近の週末は、ずっと雨続きで、数百部という新聞を入れた配達かばんを背負い、雨の中を自転車で配るのは楽しい作業ではない・・。しかし、今日は良いお天気に望まれ、重いはずのペダルも不思議と軽く、鼻唄なんかも歌っちゃったりしながら自転車を走らせた。
私の配達区の中には、仮設住宅や避難所がある。避難所では「やっと仮設に当たった」というお父さんと話をし、六月にも北区の方へ引っ越すのだと聞いた。避難所で暮らす人の数は徐々に少なくなってきているが、まだ不自由な生活をされている人が大勢いることを、忘れてはならない。お墓参りに行く為に、息子さんを待っているという仮設住宅のおばあちゃんとナタデココや五木ひろしさんの話をしているところへお隣の人がゼリーを差し入れしてくれた。(ありがとう)
実は、仮設住宅での悲しい新聞記事を読んで、その希薄な人間関係や不自由な生活に、空しさと大きな心配を抱いていた私だが、よく冷えたゼリーをおばあちゃんと一緒に頂いているうちに「ここは、大丈夫だ」と、のどの潤いと共に、そうした安心感を得ることが出来たように思う。
しばらくして、息子さんが奥様、お子様づれでいらっしゃった。「まぁもう!みんなで来るから遅かったんやねぇ」と言うおばあちゃんの顔は、私にはとても嬉しそうに見えた。
また、その仮設には耳が不自由な方も暮らしておられる。私に、地震の恐さを身振り手振りで伝えてくれようとするが、なかなか分かってあげられない自分がとてももどかしく、悔しく感じた。私もあの恐ろしい揺れを経験した一人だが、耳が不自由だったら情報を収集する上でも、さぞかし不安であっただろうと、胸が苦しくなった。
『がんばってください』私も彼女に伝えたいと思った。知っている手話を必死で思い出し、彼女に送った。すると『ありがとう』が返ってきた。伝わったという喜びが、私の中に広がった。
私は、一人暮らしのお年寄り、障害を持っておられる方、すべての人が安心して幸せに暮らせる神戸・長田に一日でも早く復興されることを心から強く願う。そして、このウィークリーニーズが、長田の人々の手に渡り、情報を伝え、心と心をつなげる一つの手段としてあってくれれば幸せである。
(中林 加奈)
(島本 由美子)