「Weekly Needs」1995.6.4号(Vol.1 No.13)

Vol.1 No.13 表紙

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らっしゃい!!ゲンキやで! −菅原市場−


 「いらっしゃい。いらっしゃい」「まいど。さあ、まいど」「ありがとう、また来てね。また寄ってね」5月25日からオープンした菅原市場は、全店、復興まつり開催中だった。くだもの屋さんからパン屋さんに至るまで、合計22店が仮設店舗で営業を再開した。家族じゅう、親類じゅうが、お店を手伝っているせいか、市場の活気の中にも、アットホームな感じがするショッピング・スペースだ。

〜生きていて良かったね〜
 「テレビで見て、菅原市場が開店したというから、来てん。無事でよかったね」と、焼け跡になっていた菅原近辺だったが、再会を喜び合う場でもあった。市場の人たちは、まだ、避難所や妹や弟の家から菅原市場に通われている。苦労や悩みを笑顔に変えてのオープンだ。「みんな、バラバラになって、さみしいなあと言うとるわ。でも、市場でこうして会えてうれしいわ。がんばってね」と言うお客さんも被災者の方が多かった。

〜きれいやな、明るいわ〜
 市場の前の街路樹、プラタナスの木々にある焼け焦げた跡が痛ましいが、市場のプレハブは屋根付きで、照明も明るい。まっさらで、清潔感もある。村上商店(マップ・1)の店頭での会話が聞こえてくる。「あんた、ちょっとやせたみたいだけど、元気そうね」となじみの客にひやかされている。出店惣菜店(マップ・2)のコロッケが、あつああつで、あまりにおいしそうだったので、『菅原コロッケ』のニックネームをつけた。昨夜、遅くまで家族で翌日の準備に励んでいる姿を見たからである。この勢いでもうけてもらいたい。

〜若いもんが元気出してくれた〜
 「震災の日、向い側も皆焼けてもて、私は家の3階にいたんやが、高校生の孫が助け出してくれた。」「大学生の孫も、焼けた跡を、おばあちゃん、どこやというて探してくれたんや」という話も、大堀商店(マップ・3)の店頭でされている。買い物の途中にも、震災の話がまじる。「皆、無事で良かった。市場も、うちの息子らが懸命になって作ってくれた.。」色々うれしい話が、店頭で聞ける菅原だ。22店の人それぞれに、数々のドラマを経て開店にこぎつけた。

〜お客さん、来て下さい〜
 「大勢のお客さんが来てくれてます。用意した魚がなくなるまで店を開けてます。」とは、さかなやの高瀬さん。(マップ・4)「菅原市場は、アメリカやイギリスでも有名になったんやけど、これからも繁盛祈ってます。」と佐伯商店(マップ・5)のおかみさんは、てんぷらを売りながら話してくれた。唐崎商店(マップ・6)には、大きな魚の絵が壁に描いてある。いとこの描いた、とりのイラストが、まもなく鳥清(マップ・7)につけられる。ぜひ、にぎわってほしいものだ。

 たくさんの人の熱い想いで菅原市場は“すたあと”した。市場の皆さん!長田に 元気をありがとう。

(幹)

麻衣子ちゃん、何か書いてね
 からさき珈琲店(マップ・8)のお嬢さん麻衣子ちゃん(小6)はウィークリーニーズをよく読んでくれている。池田小学校の運動会の表紙の写真も、9号のおつけもの屋さんの東さんの記事も、良く覚えていてくれてうれしかった。ウィークリーニーズの次号に何か書いてねと麻衣子ちゃんに頼んでおいた。書いてくれるかな。

(ウィークリーニーズは投稿大歓迎です。お便りは編集部まで。)


プレハブからの門出 ご結婚おめでとう


 5月14日雨、私達はいつものように、ウィークリーニーズを配っていました。配っている途中、近所の人と話をしていると、「今日、結婚式をするんだって」という話を私達は耳にしました。こんな雨の中、と思いながらも話を聞くと「がれきを処理している所にテントを張ってするみたいよ」と話してくれました。
 それから私達は、その結婚式を見たくて、もう一度その場所に行ってみました。そこには、テントが建てられてあり中には机が置いてあり料理がたくさん並んでいました。わあ本当にするんだと思い、始まるのを待っていました。みんなが歌の発声練習を始めました。そろそろ始まるなと、わくわくしながら待ちました。
 そこに、1台のトラックのような車が前に止まりました。すると中から花婿、花嫁が出てきました。そして次には、花婿が花嫁を抱きかかえ、「パンパカパン!」「パンパカパン!」というみんなの歌声、ライスシャワー、拍手と、いろいろな中、2人は入場してきました。私は「すごい」という言葉しかでませんでした。それからみんなは、ビールやジュースをもち始めました。私達も、めでたい席なので一緒に乾杯をさせてくれました。
 それから普通の結婚式のように、誓いの言葉「ケンカをしながらも、がんばります」と言っていました。そして指輪の交換、2人ともすごく照れながらも誓いのキスをみんなに見守られておこなっていました。それに初めての2人の協同作業、「翼をください」の曲にのせた、ケーキカットもスムーズにいき、花婿も花嫁もとても幸せそうな顔をしていました。私はそれをみてとてもうれしくなりました。
 この震災でたくさんの被害を受けながらも、幸せをつかみ、がれきを処理しているところではあるがテントを張り、たくさんの人に囲まれて、厳粛にこのような式をあげている2人は、とても輝いて見えました。いつまでも、いつまでもこのような式をあげたことを忘れずに、幸せな毎日を過ごして欲しいと思います。本当に結婚おめでとうございます。

(椋木 美希子)


復興元気村 パラール誕生!! 6月10日(土)AM11:00オープン!!


 本誌No.9でも紹介した、国道2号線の南側、腕塚町、久保町、二葉町の各5丁目にあるショッピング・ドームの名前は、「復興げんき村 パラール」となりました。名前の由来は、パラソルのようなテントの屋根の形。パラソルバザールからの造語です。

「みなさん、6ヶ月もお待たせしてごめんなさい。やっと今日、立ち上がることができました。名前の通り、元気にオープンしますので、よろしくお願いします。」

 パラール名店街店主一同


長田のEatころみっけ! 〜おでん屋さん・桜亭の巻〜


 新湊川公園の中程の、太い道と交差する道筋に、テントが立っているのをご存じでしょうか。ここに、頼もしいねえさんが切り盛りしていらっしゃるおでん屋さん「桜亭」があります。ねえさんの名前は金田 真須美さん。震災前は御蔵通6丁目で中華料理店を開いておられました。
 店も自宅も、また親類の家も被害に遭われ、しばらくは店どころではありませんでした。でも1月の寒い頃からアハマディアと一緒にボランティア活動してくれてました。
 3月下旬頃に、撤退していくボランティアの人にテントを譲ってもらい、店を3月の26日にオープンする予定でした。そんなとき、テントという慣れない環境での準備作業のため、包丁で手を切ってしまいます。4針も縫う、全治2週間の怪我。早くオープンしたくて、あせりもありました。
 4月の始めのある日のこと。真須美さんの友達のボランティアの若者達が、仲良くなった地元の人と飲みに行くという話をしていました。何の気なしに「どこでするの」と聞いた真須美さんに、「その辺の屋台で」と彼は言いました。「じゃあ、今日からオープンしよか」。包帯巻いて、ゴム手袋をしての営業再開です。
 「炭をおこすのも初めて」からの出発でした。でも今では炭火、プロパンガスを完璧に使いこなしちゃいます。ショックもつらさも乗り越えてこその明るさ、強さ。「もうけなんか、ほんまにないけど、商売できるだけでも幸せや。とまっていたって、どうしようもない」。にっこり話す笑顔に、こちらも心があったかくなります。
 地震直後、兵庫をはじめ東京、鹿児島など全国から来てくれているボランティアたち。そんな彼らが再び神戸に帰ってきて、顔を見せてくれるのを楽しみに、今日も頑張っています。

(家田 慈子)

《おすすめメニュー》

ばらみそ 1本  100円
おでん      100円
野菜たっぷり
 ホルモンうどん 1000円
(一人前。2人でもOK)
ぬか漬け     200円

営業時間
    夕方〜夜中(!)
定休日   日曜日
TEL:030-81-42250


見えないキケンが飛んでいる!! アスベスト・シンポジウム


 去る5月27日、中央区の私学会館にて、アスベストシンポジウムが開かれた。地元神戸市民を中心に約170名の参加者。様々な視点からの講演者を迎え、質問も飛び交った4時間だった。

なんで日本は違うの?
 まずタレントのマリ・クリスティーヌさんが、アスベストに関わりだした経緯を話し、アスベスト除去について疑問を投げかける。彼女によると・・・?

アメリカ・・・国民全員が法律によって保護されている。
          し・か・し、
日  本・・・法律ではなく、<要項>や<指導>という形で、しかもアスベストを触って働いている労働者のみ保護される。

 アメリカでは環境庁が非常に強く、<情報公開>という日本にないシステムをとり、消費者や一般住民との壁を透明にしているそうだ。イギリスでは行政が、「50人に1人は、アスベストによる肺ガンで死ぬだろう。」と市民に警告し続けている。
      ‖
日本人はアスベストに関する知識がなさすぎるのでは?
→素人がもっと知識をもって行動するべき!

あなたのお子さん大丈夫?
 東京から来られた平野敏雄医師から、アスベストによる病気の実態を聞く。
〔過程〕
アスベストは、気管支を通って肺に
  ↓
肺胞の先まで細かいアスベストがたまる
  ↓
肺が、炎症をおこす
  ↓
酸素と二酸化炭素の入れ替えができず、呼吸困難に
  ‖
アスベスト肺
ほかにも肺ガン、悪性中皮腫など。
〔発生率〕
 アスベストは別名、<静かな時限爆弾>。吸い込んでから発病まで、な、なんと約20〜40年・・・というわけで、まだ先の長い、そしてバラ色の神戸を創るであろう今の子ども達が、一番高い発病率を持つことは言うまでもない。
〔前例〕
 若い頃、アスベストを扱っている現場へお弁当を届けてあげていた女の子が、数十年後発病した例もある。


なんでもきいてえー被災地のアスベストQ&Aコーナー

Q1、木造建築にもアスベストはあるの?
A、ビル解体に伴って飛散が問題になっているのは吹き付けアスベストですが、現在日本で使用されているアスベストは90%以上が建材として使用されています。木造の建物の中にも内装材や壁、天井材、屋根材などにアスベスト含有建材が使用されている可能性があります。

Q2、屋内に入れば安全なの?
A、アスベストは非常に細かい繊維なので、屋内にも入ってきます。できるかぎりホコリを入れないように、近くで解体作業が行われている場合には、外気をいれないように注意するべきです。 クーラーの吸気フィルターではアスベストを除去することはできません。

Q3、雨が降ったらどうなるの?
A、雨が降れば、アスベストの飛散は抑えられます。しめったアスベスト繊維は地面にたまりますが、晴れて乾燥すれば、風に乗ってまた飛散する恐れがあります。大雨になって海や川に流されないかぎり、いつまでも被災地にとどまります。解体作業が続くかぎり、状況は変わりません。

Q4、いつまでマスクしとかなあかんの?
 A、倒壊したビルの解体作業は約2年かかると言われています。その間、アスベストの飛散は続きます。無用なアスベストの被曝を避けるために、解体現場に近づく可能性がある場合には、マスクを着用することをすすめます。

 今は緊急、緊急だから・・・とせかされて、みんなの体より解体を急ぎすぎてないやろうか?この街がホントに復興するには、私たちに一番近いはずの<環境>という視点から未来を考えるべきではないやろうか?

詳しいお問い合わせは、
521ー7170
すたあと事務局
マスク 担当まで


配達員日記〜心のふれあいをWeekly Needsとともに〜


 毎週日曜日は、ウィークリーニーズの配達日だ。最近の週末は、ずっと雨続きで、数百部という新聞を入れた配達かばんを背負い、雨の中を自転車で配るのは楽しい作業ではない・・。しかし、今日は良いお天気に望まれ、重いはずのペダルも不思議と軽く、鼻唄なんかも歌っちゃったりしながら自転車を走らせた。
 私の配達区の中には、仮設住宅や避難所がある。避難所では「やっと仮設に当たった」というお父さんと話をし、六月にも北区の方へ引っ越すのだと聞いた。避難所で暮らす人の数は徐々に少なくなってきているが、まだ不自由な生活をされている人が大勢いることを、忘れてはならない。お墓参りに行く為に、息子さんを待っているという仮設住宅のおばあちゃんとナタデココや五木ひろしさんの話をしているところへお隣の人がゼリーを差し入れしてくれた。(ありがとう)
 実は、仮設住宅での悲しい新聞記事を読んで、その希薄な人間関係や不自由な生活に、空しさと大きな心配を抱いていた私だが、よく冷えたゼリーをおばあちゃんと一緒に頂いているうちに「ここは、大丈夫だ」と、のどの潤いと共に、そうした安心感を得ることが出来たように思う。
 しばらくして、息子さんが奥様、お子様づれでいらっしゃった。「まぁもう!みんなで来るから遅かったんやねぇ」と言うおばあちゃんの顔は、私にはとても嬉しそうに見えた。
 また、その仮設には耳が不自由な方も暮らしておられる。私に、地震の恐さを身振り手振りで伝えてくれようとするが、なかなか分かってあげられない自分がとてももどかしく、悔しく感じた。私もあの恐ろしい揺れを経験した一人だが、耳が不自由だったら情報を収集する上でも、さぞかし不安であっただろうと、胸が苦しくなった。
 『がんばってください』私も彼女に伝えたいと思った。知っている手話を必死で思い出し、彼女に送った。すると『ありがとう』が返ってきた。伝わったという喜びが、私の中に広がった。
 私は、一人暮らしのお年寄り、障害を持っておられる方、すべての人が安心して幸せに暮らせる神戸・長田に一日でも早く復興されることを心から強く願う。そして、このウィークリーニーズが、長田の人々の手に渡り、情報を伝え、心と心をつなげる一つの手段としてあってくれれば幸せである。

(中林 加奈)


すたあと活動報告


「活動報告」復活
 お久しぶりです。先週・先々週と、うれしいやら悲しいやら、車イスマップの力・復活祭の力におされ、「活動報告」はお休みさせて頂きました。この間の活動報告で、やっていることは変わりないのでこのページを埋めるのは大変だ、と書きましたが、いざ2週飛ばされるとふっと寂しい気になってしまった。(あー複雑だなー)これからも毎回必要はないと思いますが(活動報告という形では)、地元の1ボランティアとして活動する上で感じたこと、訴えたいことを書きたいと思います。

サハリン緊急支援開始
 5月28日未明に起きたサハリンの大地震、以降に流される映像、場所も建物の様子も阪神大震災とは全然違うが、悪夢のよみがえる映像の数々。ニュース・新聞を見るたびに変わる死者の数。しかし詳細はわからぬまま不安かりを残す映像・報道。何かをしなくては、でも何ができるのか。5月29日。NGOより毛布の支援依頼入る。10枚単位、新品、クリーニング済ということでうちには在庫なし。兵庫区ボランティアからも毛布の依頼あり。4枚でもいいということで準備。うちのその他の手持ち物品リストを上げ、スタンバイ状態。5月30日は一日それでつぶれる。6月1日物資ストップかかる。現地へのルート、現地でのさばき方難あり。結局は、絶対に無駄にならない”義援金”の活動を始めます。(詳しくは裏表紙をご覧下さい。)
 今こそ阪神大震災を知ってるからこそ気持ちがわかる私たちが、出来る限りのことをしよう!

(島本 由美子)


緊急支援!! サハリンへ義援金を


サハリンへ愛を込めて
 サハリンの地震の被害をひと事のように思えず悶々としている方もおられるのではないでしょうか。

これまでの救援活動
 長田でも最初の1ヶ月間区役所で医療ボランティアをしてくれたAMDA(アジア医師連絡協議会)がまず5月30日現地状況把握のため医師3名を派遣しました。
 続いて阪神大震災地元NGO救援連絡会議などの団体も加わって集めた緊急医療物資とその他の救援物資第1陣を6月2日航空便で送ると同時に医師等8名による派遣第2陣も出発し、実際の被災者治療などにあたります。

これからの活動予定
 救援物資こそ集まっていますが、実際の輸送にかかる輸送費(1回の飛行機チャーターに一千万円)などの経費を確保できなければ役に立たない上、今後ロシア国内で物資を調達できることも考えて、すたあととしては、まずお金集めを呼び掛けることにしました。各団体と協力して活動していきます。

◆すたあとの救援募金
さくら銀行 長田支店 普通預金
口座番号:322-6790422
口座名:「すたあとサハリン義援金窓口」 

◆大量に提供頂ける救援物資(特に車イス)の情報を阪神大震災地元NGO救援連絡会議で集めています。



numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp