明泉寺町に住む丸山リリアさんは、8年前にフィリピンから日本に来た。長田の街がとても好きだ。海もあるし山もある。「外国人も多く「コスモポリタン」(世界主義的)な町だと思う。地震の時もその後も、沢山助けてもらったよ」と彼女は言った。リリアさんの家は、水道の復旧が遅く、給水車へ水を汲みに行った時に情報交換をしたりした。どうしても地震の直後は情報が不足していて、困ること・不安は多かった。しかし、助けられるばかりではなく、自分の蓄えを近所の人にあげたり、自分からボランティア活動もした。救援物資の集積地へ何度も往復し、食料などを車で長田区〜西区の各地に配って行ったりした。
地浦 英二君(中学3年生)「出発」
ガタン、ガタン、ガタン
高速道路の居眠り予防の凹
凸で目が覚めた。
とても窮屈な感覚に
襲われた時、
車窓のカーテンから
陽の光が差し込んで
目に入った。
眠気がさめて
正気に戻った。
周りをよく探って見ると、
体の上に沢山の
救援物資が
落ちてきていた。
「そうなのだ!」
僕は今、
車で神戸に向かっている。
昨日の夜から
8時間もかけて。「帰宅」
「パシャッ」
知り合って間もない人との
記念撮影、
でも、みんな
リラックスしている。たった2日間の
ボランティア。
心を通わせる
ボランティア。
そして、何より、
笑顔が見える
ボランティア。もっと沢山の笑顔を見に、
また来ます。
今度は僕が運転して・・。(抜粋)
1月17日、あの日からもう2ヶ月が過ぎようとしている。私の心の中では神戸に対する思いが薄れていた。そんなとき、整骨院の先生からの勧めで、迷うことなく神戸に行くことを決めた。
3月9日、不安と緊張の中、出発した。神戸の街が近づくにつれて、灰と化した瓦礫の山が頻繁に目に映るようになり、改めて今回の地震の規模の大きさを思い知らされ、ピースボートのプレハブで夜を過ごし、翌朝、長田神社へ復旧祈願のため参拝に行った。その後、名倉小学校、兵庫県立文化体育館など幾つかの避難所を回った。その避難所では共同生活を強いられ、朝食と昼食がパンで夜は冷たく固いお弁当。野菜類が少なく、体調がよくないとおっしゃっていた。
そのような中、蓮池小学校で昼食を頂いたが、あの時のあの暖かさは忘れることができない。また、お昼からは家々を回った。その時、どういうことを話せばよいのだろうかと、かなり迷ったが、同情するのはよくないと思い、「震災の時はどうでしたか」「一人だったんですか」「怖かったでしょう」と積極的に話をした。すると、「ホンマ、怖かったわ」「タンスに埋もれとったんですわ」と少々悲しげな顔で答えられた。が、このことを聞くのはやめておいた方が良かったとは、思わなかった。
夜はピースボートのミーティングに参加させて頂いた。ミーティングでは、「今日は雨にも風にも負け、活動しませんでした。」と和やかな報告がされていたかと思うと、「これからの長田を考える会」を創ろうと色々と計画されていた。その時の真剣な眼差しがとても印象的だった。
3月11日、御蔵小学校へと向かい、一人で教室の扉を叩き、「無料整骨医療ボランティアの者ですが、肩や腰、膝の痛い方はいらっしゃいませんか」と言えるようになった。もちろん初めのうちは、ドキドキしながら小声だったが、回を重ねるうちにそのようなドキドキはなくなっていた。治療の後、「おおきに。」「ありがとさん。」と言って下さって嬉しかった。自分は人の役に立っているのだと実感した。
私が今までテレビなどで見ていた神戸の人は、遠慮も何もないのかと思っていた。しかし、それは映し出される映像が氷山の一角に過ぎないからだと分かった。事実、私が見た神戸の人は、ボランティアに頼りきっているのではなく、復興に向けて日々前向きに頑張っていらした。その頑張りに負けないように、私も頑張ろうと思った。
私が大人になっていく過程の中で、今回のボランティアは貴重な体験になった。このようなチャンスを作って下さった隈本整骨院の先生には、深く感謝しています。また、一日も早く神戸の頬を撫でる風や周囲の風景も春の装いとなることを願いつつ、今日もゆっくり食事をとり、お風呂に入れることを幸せに思い、亡くなられた方のご冥福と一日も早い神戸の復興をお祈りします。
「吉田君、引越の手伝い行ってもらえる?」「がってんです」5月某日、よく晴れた日に「すたあと」より預かった仕事は、長田区内の避難所から有馬温泉の近くまでの引越手伝い。長田区内の避難所で2トントラックに荷物を満載し、依頼人のSさんの運転で有馬方面に向けて出発!国道428号を北上するにつれ、緑が増えてくる。箕谷を過ぎると元気よく繁った新緑の山々。ゴミゴミした南関東から逃げるように神戸に来た僕は、すっかりドライブ気分。「少し車を走らせたら、こんなにのどかなところがあるんですね」「そうだろ、山に囲まれていい景色だろ」「今も良いけど、秋の紅葉も良さそうですね」「紅葉の時期に有馬温泉に行くと最高だよ」Sさんと会話を弾ませながら目的地へ。
ってな感じで、毎日楽しみを見つけながらガテン(仕事)をしてる吉田です。4ヶ月や半年の短期間のアルバイトを繰り返し、時には、観光業界などの住み込みのアルバイトを見つけ、北海道などで生活する。そんなフリーアルバイター(プー太郎)の僕は、2年ほど前から神戸での生活に憧れていた。なぜ神戸に憧れてたかって?コテコテの大阪弁をしゃべる祖母の影響で子供の頃から”関西”という土地と関西弁に憧れていた(以前は神戸弁と大阪弁の違いを知らなかった)。その憧れを実現させようと考えたとき、関西地方の中で一番興味を引いたのは神戸だった。そんな中、阪神・淡路大震災が起きた。
4月19日に長田に来るまでの3ヶ月間、ある事情から、アルバイトを辞められず神戸のことをラジオで聞くだけの毎日。「震災で仕事を失った人もたくさんいるのだから、今仕事をしていることを喜ばなくては」と自分に言い聞かせ、もどかしい気持ちを制していた。地震発生から3ヶ月が過ぎ、やっと長田に来ることができた。不幸な形で”神戸での生活”が実現された.....。
海が近くにあり、いつも山を見上げることのできるこの街は、今まで憧れていた以上に魅力的な街だった。・・・しかし、「ここは素敵な建物だったのだろう」「ここには綺麗な町並みがあったのだろう」と、魅力を感じさせながらも痛々しい姿ばかりが目に入って来る。
また、素敵な街が神戸に戻って来るだろう。そのために「ほんの小さなことでも力になりたい」。それが、ここにお邪魔させて頂いているせめてものお返しにならないだろうか。
(神奈川県鎌倉市 吉田 信昭)
「車イスガイドなんだから長田区に限らず、面白そうなところには足をのばそう!」そんな声が上がり、しつこいながら即断即決をモットーとする私たち調査団は、長田から比較的近くて車イスを使っても利用しやすい公共施設ということで、須磨海浜水族園のガイド制作を行うことになった。調査日当日。朝から雨。絶不調の調査日和の中、(わたくしすがちゃんはスタッフ内評判の雨女)すたあと事務局を後にする。
ところで須磨水族園は、例の震災で半数以上の魚達を失い(イルカとラッコの命を守るだけで精いっぱいだったらしい)何とか魚の数は取り戻せたものの、今なお水族園隣の大きな駐車場は巨大な瓦礫置き場と化していると聞いた。ここでも震災の爪痕が未だこんな形で残っているようだ。
雨とエレベータの設置されていない駅の階段を何とか切り抜け、最初予定していた順路通りに何とか無事水族園に到着。噂の瓦礫の山を横目に早速入園。水族園内での調査を進めながら、車イスの視点からでも充分魚を見ることのできる高さに作りつけてある水槽から、魚たちをみんなで見つめる。
外へ出ると、すぐ瓦礫の山だけど、そんなことと関係なく、私が小学校の遠足で見たときと全く変わらない印象で、魚はゆっくり泳ぎ、イルカは相変わらずピョンピョン、ジャンプしていた。
月日が経ってよそで何が起こっていても、一見魚達はなあんにも変わっていないようで、それがかえって私たちの心を和ませた。調査隊の一人、九州から来たあるボランティアの女の子はイルカに握手までしてもらい、興奮冷めやらぬまま調査を終え、一路帰路についた。
今回のこの調査をきっかけに、これから私たちは長田区内のみに拘らず、ガイドを作る人もガイドを使う人も楽しめそうな場所に飛んでいって、調査をしていくことになった(もちろん長田区内の調査も重点的においた上で)。
もともとこのガイドには、大きく確立されているスタイルがなかったものが、毎週の様々な経験によって、どんどんいいものになりつつある。実際にこのガイドを見て車イスを使う人達が楽しめる場所が一つでも多く見つけることができればええなぁ、と思いながら、今日も調査に飛び回る毎日である。
(菅田 智子)
◎車イスガイドに関するご意見・ご要望をお待ちしております。
・あそこを新たに調査してほしい!
・このガイドはこうした方がいいのでは
等ありましたら、
(電話)078-521-7170
すたあと事務局 担当:船越まで
「子供達はもう元気ですよ。喜んで、一人で6枚も7枚も絵を描いている。会場には50人くらいの子供達が集まりますが、カラフルで楽しい絵が多いです」。各地で移動お絵描き教室をお世話されているアートスペース・森羅の藤田敏則さんは、電話口で丁寧に答えて下さる。
長田などの子供達が描いた絵を見てきた後、震災前後の子供達の絵の変化を問い合わせてみた。「同じ子の絵を見ていないから、変化は分からないけれど、子どもはもともと元気なんですよ。地震そのものの絵はなく、動物や植物や、キャラクターの絵を描いていますね。」「震災後は、親の方が不安やストレスがあり、子どもにそれが移っていたのではないでしょうか。絵を描いた後は、子どもたちは実に伸び伸びしてきますねぇ。」
「自動車につっかい棒を描いた子に聞いてみたんですよ。地震があっても倒れないし瓦礫の中でも走れる車なんだ、と話してくれました。」と、スタッフと絵を描く子供たちとの優しいやりとりが目に見えて来るようだった。
長田商店街にある兵庫銀行・長田支店の二階にある会場で、5月31日まで、絵は展示されている。
(幹)
楽しいおしゃべりと ともにお絵かきタイム |
芳原文子さん (60歳) |
かみでみことちゃん (5歳) |
大野 誠くん (5歳) |
1995年5月20日・21日開催 水笠公園にて
11:00 a.m.〜7:00 p.m.
長田復活祭
〜たましいの融合〜
歌い踊ればすべてはひとつ、
長田はそこからみえてくる。
他、いろいろと企画中。
- 地元の人々による文化の披露
- 万国食べ物屋台・民芸品屋台
- アマチュアバンドの演奏
- 民族衣裳ファッションショー
- 文化で遊ぼうコーナー(チビッコ広場)
- 世界の人々によるパッチワークアース
主催 長田復活祭実行委員会 吉岡順子 TEL 078-521-7187 FAX 078-577-0157 |