「Weekly Needs」1995.5.14号(Vol.1 No.10)

Vol.1 No.10 表紙

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集え!!復興の力「長田復活祭」



日時:5月20・21日(土・日)
午前11時〜午後7時(時間は予定)
会場:水笠公園
主催:すたあと〜長田を考える会・「長田復活祭」実行委員会
連絡先:078-521-7187 神戸市長田区御蔵通5-5

 天候が崩れる度に祭当日のお天気が案じられます。前日祭・本祭ともに、是非とも好天に恵まれたいと、心から祈る祭スタッフ一同です。祭プロジェクトも本番まであと一週間というところまで進んで来ました。当初は「屋台は震災でお店を失った商売人さんに、今一度やる気を出してもらう場所」という希望を持っていたわけですが、実際に震災でお店がつぶれてしまい何もかもを失った方々の大部分は、屋台を出してもらうのも非常に酷な状態で、我々は自分達の単純な考え方に気付き、恥ずかしくなりました。我々にもっと力があれば、苦しい思いをしている人に、復興への力を見いだしてもらうことができるのにと、歯がゆい思いもしました。
 ステージに関しても、3月・4月とボランティア活動として被災地でコンサートを行ってくれたミュージシャン達も「もう限界」と本業に復帰する時期になり、出演して下さるバンドがなかなか見つからなかったり、こちらも思うようにはかどりませんでした。
 しかし、震災に負けず、テントで店舗を確保して商売している人々は、とても意欲的に参加して下さり、「屋台を出すのなら食材を使って」と支援してくれる方までいて、とても助かりました。そして、祭への参加を呼びかけるため街頭でビラをまくPR部隊に対して、「頑張って」との声だけではなく、中にはあ、カンパまでして下さる方も。その他にも、ポスターを無料で提供できるという方も来て下さいました。同じように被災し、充分に立ち直っていないはずなのに、敢えて熱心にお力添え下さるみんなに大感謝!お祭りの日を迎える前に、既に「長田復活祭」は成功をおさめている、そう確信しました。後は20・21日にみんなに楽しんでもらえるように頑張るだけです。

 その他、地元の人たちを中心にお好み焼き・たこ焼き・焼きそばなど、お祭りに欠かせない屋台も多数参加して下さいます。

 バンドの演奏、屋台の他にも、子どもたちにも楽しんでもらうために、「チビッコ広場」を企画しています。

 などなど。チビッコ広場でのイベントです。

 ステージ出演では、

 20日には、地元アマチュアバンドによる演奏、21日は民族音楽を中心にしようと考えています。
(淳)


がんばれ!長田の若者たち〜神戸を去ったボランティアから〜


 三月三十日、私は東京の中野駅に着いた。雨の夜だった。私はアスベストまみれの合羽を着込み、アパートへと急いだ。布団に倒れ込み、泥のように眠り続けて丸一日後、ようやく煙草を買いに外に出ると、通りは桜が咲き乱れていた。私はしばし立ちつくし、煙をくゆらせていた。
 二月、私は神戸にいた。空気は悪く、風は冷たい。日に日に疲れていく私がその地に留まっていた理由はただ一つ、「私がやらなければ」という傲慢な使命感だった。結局、体を壊すまで私は長田にいた。当時、私がいたピースボートで半強制的に退去を言い渡され、家に帰ってからも、私の頭から長田は離れなかった。四月、風邪と気管支炎の完治していない体を引きずるように長田へと向かった。
 戻った私を待っているものはなかった。私がやっていたプロジェクトが消滅してしまっていたのだ。引き継ぎもままならぬうちに帰った私の責任だった。「明日帰ろう」私は肩の荷が下りたという気持ちで、心の空しさに折り合いをつけていた。「小林さん、帰ってしまうのん?せっかく来たのに。祭りやらへん?」ある女の子の口からそんな言葉が出た。彼女は被災した地元のボランティアの子だった。「祭り?どこで?」「問題がある場所なら余計にそこでやりたくなるわ。だってな、祭りってな、すべてを解決してしまう力があると思わへんか?」私の眼からごそごそっとウロコがこそげ落ちた。何ということだ。私がいつも追われるようにやってきたボランティアとは全く異なった視点で、彼女は長田を復興させようとしている。
 彼女の名前は、じゅんちゃん。後に長田復活祭の実行委員となる人だ。彼女の言葉を聞いてから、私の考え方はガラリと変わった。私はあまりにも大きなことを見失っていた。大切なのは、「やらなければ」ではなく、「できることは何か」を考えることだった。私のそれまでの行動はとても自発的に動いていたとは言えなかった。「できること」は山ほどあった。私の中で次第にそれは「やりたいこと」に変化していった。
 心地よい疲れを伴って帰った私の目に飛び込んできたのが中野通りの桜だった。震災があり、今も避難所で不自由な暮らしをしている人がいる。しかし、花は咲き、散り、また新しい芽がふいてくる。季節は残酷なまでに優しく力強くめぐってくるのだ。そして、この長田にも、確実に新しい風が吹き始めている。季節が変わるように、人から人へ。今日から明日へ、確実に。
(小林真弓)

聞いて!聞いて!akiからのお知らせ

 4月29日の3時30分から予定しておりましたクリーン大作戦(長田区を清掃する企画)は、雨のため延期とさせて頂きました。次回「クリーン大作戦」の日程は未定ですが、後日ウィークリーニーズに載せる予定です。次回はぜひ参加して下さい。よろしくお願い致します。
長田区ボランティアセンター・それいけネットワーク
(秋塚 香織)


長田のEatころみっけ!


 5月10日、高速長田駅近くの山陽長田ビルB2Fに、震災後3店舗が再開店しました。<寿し富長><酒処松っちゃん><とんかつとん知>の3店は、震災後2月8日〜3月末日まで、共に屋台で営業していました。この度の新装開店に際し、それぞれの店にお話を伺いました。店長から、長田区の皆さんへのメッセージを交えながら、各店をご紹介致します。

 3店とも、今回の開店に当たって、多々なる苦労や資金繰りの問題を乗り越えてきたそうです。店内は活気づいていて、とても明るい雰囲気で一杯です。気さくな店長と語りながら料理を味わってみては如何でしょうか?ぜひ足を運んでみて下さい。
(白坂・高嶋・林原)


吉良さんの車イス雑記


”すたあと”との出会い
 僕が初めて、このプレハブの”すたあと−長田を考える会”に顔を出したのは2月の中旬だったと思う。丁度、新潟の友人がわが家に泊まり込みでボランティアに来て、僕も何か出来ることはないかと思っていたところだったので、興味津々で参加した。第2回の準備会だったと思う。準備会終了後にウィークリーニーズのスタッフの募集があったので、その場で飛びついた。仕事がら、編集・印刷のことならお役に立てるんじゃないかと思ったからだ。
 その頃は、まだピースボートのメンバーからアドバイスを受けて、色んなことに取り組んでいる頃で、「福祉塾」という福祉の勉強会も開いていた。その塾の講師として、障害者の立場から現在の問題点とか、これからの課題などを大いに我見も入れながら話をさせてもらった。

”車イスガイド”を制作して
 ピースボートが撤退して、「福祉塾」が終わるのは寂しいし、これからの長田(神戸)の街づくりのためにも僕たち障害者の声も聞いてほしくて、福祉塾を続けていく参考にと思い、去年発行された「車イスマップ」を事務局の”すがちゃん”こと菅田さんに見せた。
 すると、大いに感激されてしまった。それから3日もしないうちに”すがちゃん”から「ガレキの街の車イスマップ」を作ることを聞かされ、今度はこっちの方がびっくり。半ば強制的(?)に調査隊に入れられて調査をしていくうちに、今まで車イスの僕でも気付かなかったことがどんどん出てきた。普段は何気ないことが、意識して調査をすると見えてくるんだな、と変なところで感激。調査隊に加えてもらえて感謝している。
 ぜひこのマップが車イスで震災後の長田の街に出ていく時の参考になり、勇気づけになればと念願している。と同時に、行政に携わる人たちにも見てもらって、これからの街づくりの参考にして頂きたいし、また参考にして頂けるようなマップをこれからも作りたいと思っている。
(吉良 和人)
 ◇    ◇
マップづくりのスタッフを募集します。興味のある方をお待ちしています。
078-521-7170 (担当:船越まで)


みなぎる活気 長田マダン


 5月7日(日)、大橋中学校にて盛大に行われた「長田マダン」に、お好み焼き”チヂミ”百円につられ参加した。

遊びのルーツは共通なんだ。
 みんなで遊ぼう”朝鮮の遊び”のコーナーがあった。お姉さんが子供達にハングル語も教えている遊びのコーナーで、目ざとく駒を廻し出した老人がいた。駒を棒に付けた鞭でたたき勢いをつけるのである。僕たちの子供の時を思い出す。「これはチエギなんや」と5円硬貨のような穴空きコインを紙で包んだ「おじゃみ」を足の甲で蹴り出した。四・五十代の長田の人なら覚えているだろう。”じゃんげり”である。

もともと、一緒やったんやから。
 老人は康奏鈴さんとおっしゃる。73歳でやる気満々の方だ。船の仕事をされていた関係で、時々英語を混ぜて話される。「I was born in 1922.」というようにだ。康さんからユという双六遊びを教えてもらい、コンギというお手玉遊びを見ていると、何だ同じ遊びをしていたんだね、と気付かされる。

踊りの輪が広がる。
 待望のチヂミを食べビールを飲み豚入りキムチをおつまみに、またビールを飲んでいると、眠くなってきた。カラオケの歌が子守歌に聞こえる。「ひとつになろう 民族のマダン(広場)で」の圧巻はなんと言っても、ブンムル(農楽)である。
 ソゴ・チャンゴ・ブツ・ケンガリ・チン。長田の人なら一度は目にした、耳にした楽器である。お手伝いをしたすたあとの人も手拍子で合わせる。長田マダン実行委員会のスタッフも楽器を持ち、ブンムルに加わっている。長田の知り合いの輪が広がっていく。チャンゴの響きが強くなっていく。各地の同胞の人も同じ楽器でブンムルの輪に入っていく。つられて踊り出す人も多くなる。
 震災で生き残った我々で、また一つずつ築き、この長田で生きていくんだ、というみんなの気持ちが伝わってくる。朝鮮の遊びを教えてくれた康さんも、きっとこの踊りの群れの中にいるんだろう。皆さん元気をありがとう。一緒に頑張りましょう。
(幹)


がてん日記 僕からのありがとう


 ○月×日 8時起床。今日の仕事は屋根のブルーシート張り。2人で2軒を回る。「うーん、2人ではちょっときついかも知れん」と思いながらも、相棒の17歳・佐藤と出発。「おはようございます」。出てこられたのは、おばあさん。よく聞くとこのアパートに住んでる人はみんな一人暮らしのおばあさんばかり。女の人では高いところに登れないし、しかも天気予報では、明日からまとまった雨が降るらしい。「これこそ俺の出番」と、気合いを入れ屋根に登る。「あら、結構、高い」。もう一度、気合いを入れ直す。
 近所のおじいさんも手伝ってくれて、3人でやるが、アンテナが邪魔したり人が少ないのでなかなか進まない。屋根の半分ほど進んだところで、少し休憩。高台の家なので街が見渡せて景色が良い。いつも、劇場の中という日光を遮る場所で仕事をしている僕にとって、太陽の下での仕事はとても気持ちがいい。
 はじめて長田に着いたときは、4月になったばかりなのにまだ寒かったが、桜も咲きつつじも咲き、緑がだんだん増えてきた。あんな大きな災害の後でも、春は毎年同じようにやってくるんだなあ。何だか自然の力の恐ろしさ・冷たさを見たような気がした。
 おじいさんに「この家はこの後どうなるんですか」と尋ねると、「家主の方に、直すように、代わりに言いに行ってあげたんやけど、なかなかねぇ.....」。この先、いつ風で飛ばされるか、いつ破れるか分からないブルーシートの屋根で何ヵ月も過ごすのか、と思うと、出来るだけ長く大丈夫なように、と願いながらひもを結ぶ。
 見た目では70歳ぐらいのおじいさん、一体何歳なんだ、と思うほど身が軽い。しかも仕事が丁寧。僕の知らない重石を作ったりと、いろいろ勉強になる。2軒目に応用しよう!と、そうこうしているうちに何とか終わり、おばあちゃん達にさよならを言う。
 「ありがとう」いつも思うことだが、どんなにしんどい仕事や時間のかかる仕事でも、終わった後にお礼を言われると、今までの疲れがいっぺんに吹っ飛ぶ。給料をもらってやる仕事とは大違いのすがすがしさ。おばあちゃん、そんなありがとうを言ってくれてありがとう!いつまでも元気で。また、来ます。
(榎 太郎)


すたあと・活動報告 〜地元ボランティアから「忘れないで!」


 近頃の報道番組は、サリン・オウムの事件ばかり。地震のことなんてすっかり忘れ去られてしまったのだろうか?鉄道等もJRが大阪まで一本でつながり、ライフラインも大部分で復旧した。余震も減った。でもそのことだけが復興の目印ではない。すたあとの周りの街の風景も変わりつつある。瓦礫の山が更地になり、更地の上にプレハブが建つ。だが、まだまだ瓦礫の山のところはいっぱいある。私がここに毎日来る迄の間でも、まだまだ普通ではない。神戸電鉄が長田から新開地まで不通なのでバスに乗る人が増えた。車も増えているのか、道も渋滞する。みんな諦めたように長田8丁目から高速長田までバスを降りて歩く(ちょっとローカルな話でゴメンなさい)。JR兵庫駅まで行きたい人は諦め顔。高速長田まで歩いた人も、まだ高速鉄道が通じていないため、みんなバスか地下鉄を利用するしかない。
 人も車も増え、再開する店も続々。ある仮設のパン屋では、菓子パンばかりの販売だったが、最近サンドイッチの販売も再開した。私はそこのサンドイッチが大好きだ。.....そんなことはどうでもいいとして。みんな復興のため頑張りだした。自活できる人はどんどん動き、以前にもまして忙しい毎日。余裕など誰もない。
 そんな中で、私たちはボランティア活動をしている。街が動きだした中で必ずいる取り残された人、−老人であったり子供であったり−。私たちはその人達の存在を忘れてはいけない。また、そんな人達の手助けをしたい。地元の人間なので自分の生活もあるから、活動はまだまだ未熟。他地域からのボランティアにもいっぱい頼っている。
 毎回、このページで活動報告を書くとき、頭を悩ませる。ボランティア活動って言っても、毎回毎回変わるものではない。同じことの繰り返しだ。特にイベント事がない限り、報告することはない。最近またもや取材も増えている。祭が近いからだ。報道は中身を選ぶ。祭は話題性もあり、確かに取材のしがいはあるだろう。あの長田区での祭、大いに注目して欲しい。しかし、そこで本当に言いたいこと、訴えたいことを報道してほしい。
 みんな頑張っています。しかし、復興にはまだほど遠いことを忘れないでほしいです。自分達の出来る範囲で、これからも神戸の復興への支援をお願いしたい限りです。
(島本 由美子)


「長田復活祭」



1995年5月20日・21日開催 水笠公園にて

長田復活祭

〜たましいの融合〜
歌い踊ればすべてはひとつ、
長田はそこからみえてくる。
他、いろいろと企画中。

主催
長田復活祭実行委員会
吉岡順子
TEL 078-521-7187
FAX 078-577-0157



numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp