「Weekly Needs」1995.5.7号(Vol.1 No.9)

Vol.1 No.9 表紙

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花いっぱいの笑顔 感謝しと〜よ、お母さん


 来週の日曜日は、母の日ですね。これを読んで下さっているお母さん方、毎日みんなのために頑張ってくれて本当にありがとう。そして、天国へ逝ってしまったお母さん達にも、今までの感謝の気持ちを捧げます。

 「母の日」にお母さんに何をプレゼントしようかなー、なんて考えているあなた、今年は自分の手でカーネーションを咲かせてみませんか。たとえしゃれたプレゼントが用意できなくたって、手作りの物には既製品にはない味があるもの。ただの紙に命を吹き込む楽しさも味わえます。それに、思ったより簡単です。花びらはビニール紐でもできますが、紙の方が柔らかい風合いがでます。

用意するもの 1 用意するもの 2 で作る→ つくりかた

お母さんの休日
 いつもお世話になりっぱなしのお母さん。慣れてしまって、お母さんのありがたみを忘れてしまいがちです。せめて母の日はお母さんを家事から解放してあげましょう。

カーネーションの由来
 どうして母の日の花がカーネーションになったのか、ご存じの方は少ないかもしれませんね。起こりは20世紀の初頭、アメリカである女性が亡くなった母の命日に教会で礼拝をお願いしたとき、白いカーネーションを配ったことなのです。カーネーション=赤というイメージは強いのですが、意外にも起源は白の花だったのです。カーネーションは彼女の母が生前好んだ花でした。そして数年後、当時の大統領の制定により、彼女の母の命日に近い5月の第2日曜日は、アメリカ全土で「母の日」になりました。

白い花に想いを込めて
 この度の震災でお母様を亡くされた方も多くおられると思います。心よりお悔やみを申し上げます。本来は亡くなった母のための贈り物だった「母の日」の花。母の日の起源を偲んで白いカーネーションを飾ってみませんか。もちろん、カーネーションのみにこだわらず、お母様のお好きだった花と一緒に−−。

 

(註:家田慈子副編集長(後々)のデビュー記事)


音楽が運ぶ神戸の笑顔「ファイト神戸市吹奏楽コンサート」


 去る4月29日、中央区のさくら銀行本店前広場において「第57回神戸市吹奏楽祭」が行われました。神戸市吹奏楽連盟主催、神戸市民文化振興財団後援により「ファイト神戸吹奏楽コンサート」と題され28の中学、高校と3のアマチュアバンドにより22曲が演奏されました。当日は雨が降る中、多くの人が演奏を聴きに来られ、隣の建物の解体作業の音にも負けず、皆さん元気よく演奏を楽しんでいました。
 長田区からは、高取台中、丸山中、雲雀丘中、西代中、駒ヶ林中が参加して、5校合同で「デキシーランドメドレー」を演奏しました。長田区内の前記の中学校のように複数の学校によるグループや高校とアマチュア混合のグループもあり、曲目も「ひょっこりひょうたん島」から「ディズニーメドレー」「がんばりましょう」(SMAP)など幅広く、あるグループは「青い山脈」から「セーラームーン」などのオリジナルメドレーを披露するなど、とてもバリエーションに富んだコンサートになりました。
 参加アマチュアバンドのブラスポルテーニョのメンバーにお話を伺ったところ「震災で練習する場所が無くなった。今日の本番前の練習は中央区役所の横の広場でしました。」と震災によるコンサートへの影響を聞かせて下さいました。練習場所だけでなく「神戸市吹奏楽祭」は例年、神戸文化ホールで行っていましたが、震災による建物の被害や避難所になっている等の理由から、今年は音響の面で悪条件の屋外でのコンサートとなりました。
 皆さん、震災による多くの障害を乗り越えて、今回のコンサートを大成功させて下さいました。
(ほりでぇ吉田)


長田の人たち


〜駒中先生・がんばる〜
 一月十七日のあの大震災から百日が過ぎました。この震災でたくさんの人が被害を受けました。その中で私の目に強く映った人がいます。担任の松下先生です。松下先生は地震で家が倒壊し、避難生活をしながらも、私たちのことを心配して校区内を見回り、そして家庭訪問にと来てくれました。当時、3年生の担任をしていた松下先生は、昼は学校で、夜は家族のことと、毎日が戦争みたいな生活をしていたに違いないだろうと思います。更に避難所となっている駒ヶ林中学校では、交代で寝泊まりしながら避難されている方々のために頑張っていました。3年生の受験が間近だったのでそのことも松下先生にとっては大きな心配だったと思います。全員が合格するように震災後、ひげをのばし願をかけていました。その結果、3年生のほとんどが自分の進む道に行くことができたそうです。
 そして、新学期からまた3年生の担任として私たちを迎えてくれました。また、松下先生の地震当時のことについての話を聞くと、二階で寝ていて、一階から折れた柱が畳を突き破ってきたそうです。そして、その柱が倒れかかったタンスを支えてくれたため、家族全員が無事だったそうです。2歳になる長男と奥さんを守り、もし折れた柱の突き破った場所が少しでもずれていた場合のことを考えた時、もう一度家族を抱きしめたそうです。
 今回の地震で、いろいろなドラマが生まれたと思います。しかし、誰もが被災しながらも、今しなければいけないことを頑張ってやり遂げたと思います。私もこの地震で自分なりにできることのベストを言うよりベターぐらいしか出来なかったかも知れませんが、少しでも役に立ちたいという思いで、ボランティアに参加してみました。二度と地震にはあいたくはありませんが、この経験が私を少し成長させてくれ、少し大人に近づけたような気がしました。
(椋木美希子)

おつけもの屋さんからの変身 <東充(あづまみつる)さん 50歳>
 六月十日(土)に久二塚(くにづか)に大きなショッピング・ドームが誕生する。81軒のお店が大テントの下に集結する。量販店もある。マルハ市場の人も入る。美容院や散髪屋さんもある。
 お昼過ぎに東さんを訪ねると、即席うどんで遅い昼食中。15分後に、また訪れることを約束する。ショッピング・ドームの地図にハサミとノリでお店を割り付けておられる。「食事をとっている暇もないくらい忙しいんです。オープンまでもう1ヶ月ですから。」「850坪の土地を借りて大テントを建てて、その中にあらゆるお店が入ります。」「仮設住居も104軒あるんですよ。職住近接です。」「久二塚というのは、久保町5・二葉町5・腕塚町5の人たちの街づくり協議会だからです」。
 東さんは事務局長だ。ショッピング・ドームの名称を考える余裕もなく、ここ2ヶ月の短期間で大テント計画を実行されている。大正筋の横、神戸デパートの南に、楽しいショッピング・ドームが出来上がる。「震災前は市場でつけもん屋やっていたんですよ。借地権とか借家権とか、むつかしい言葉知らんかったんやけど、よう勉強しました。」「協議会で借金し、数億円規模のセンター作るんで、大変ですよ。」と笑いながらおっしゃる。「長田ですから、きどった雰囲気でもなく、空調も効いたしっかりした大テントで、気楽に買い物ができるんを目指してます。」「一軒で頑張ってみてもお客さんは集まらないんで、125人の人に土地を借り、協議会でお金を借りて、やっと実現にこぎつけました。」
 「仮設住居は6月1日、お店のオープンは6月10日、きっちり頑張ってみます。」きさくでテレ屋で、生活力があり、負けず嫌いの感じがした。長田で張り切る東さんにお会いしてインタビューした私も同年代。私にも活力が湧いてきた。「一緒に頑張りましょう」という言葉が出る。
 長田の皆さん、6月10日(土)の久二塚のショッピング・ドームの開店を東さんと共に楽しみにお待ち願いたい。
(幹)


がてん日記 女ガテン誕生


 被災地に近づくにつれ、ブルーシートに覆われた青い屋根が増していく・・・。今でも覚えている。この長田に来たときのことを。去る4月11日、ここに来たときは見るもの全てが驚きの連続だった。地割れした道路、崩れ落ちた建物の群れ、空襲にでもあったような赤茶けた焼け野原。そして、それらを元の素晴らしい街にしようと復興を急ぐ人間達。テレビで見たあの景色に今自分がいるということが夢のように感じた。またそれと同時に自然の強さを感じることができたような気がした。
 「2、3日頃には女ガテンも作ろうと思っているけん」私がこのすたあとに来たその日、九州なまりのリーダーが言った。ガテン?不思議な名前だ。でも何となく力強い名前のように感じた。それから翌日、女ガテンが誕生した。主な仕事は粉じんマップ、プレハブの掃除、ウィークリーニーズの折り込み・配達などなど。力こそは男ガテンには及ばないけれど、女性ならではの細やかさを生かして一生懸命にそして楽しく活動している。正直な話、私はボランティアというのは福祉のこと、と思い込んでいた。無知というのは恐ろしいものだ。だからはじめの頃はこの活動にいささかギャップを感じたものである。
 しかし日がたち、活動していくうちに、人の役に立ち、人が喜んでくれる姿を見て、いつしか自分が嬉しくなり、この精神がボランティアなんだ、ということを知った。それと同時に人との協力がどれだけ大切かというのもここに来て教えられたような気がする。ここに来て勉強になったという人は私だけではないはず。しかし私はあと少しでこの大好きな神戸から離れなければならない。茨城に帰っても私は決してガテンを忘れない。そして私たちの活動を喜んでくれた地元の方々の笑顔が、本当の意味の笑顔に戻ることを願いたい。
 そのためにもあと少しの期間、一人でも多くの笑顔に巡り会うため、私はこのガテンで素晴らしい仲間達と精いっぱい活動しようと思う。
(安 亜沙美)


車イスガイド制作雑記


車イスガイド誕生まで
 4月2日をもってピースボートから完全引き継ぎを受けた私たちは地元ボランティアとして、福祉活動にも力を入れていこうという動きが出てきました。そんな中、実際に車イスを使って生活をし、このウィークリーニーズの制作にも協力して頂いている吉良和人さんに、今この長田で障害者の人々はどんな問題を抱えているのか、私たちが今出来ることは何なのか、お話を聞く機会がありました。そこで、彼から偶然にも、以前長田で存在した車イスマップの話を知った訳です。

第1回車イスガイド調査隊出勤!
 「ガレキの街の車イスガイドを作ろう!」この計画が上がってわずか3日後、記念すべき第1回の車イスガイドの調査隊が出動しました。そしてこれまで私たちは約10回にわたって調査を重ねてきました。区役所、地下鉄、商店街などを吉良さんと共に私たちも車イスに乗って彼と全く同じ視点で実際に街に出てみました。

「めっちゃ目が疲れるなぁ...」
 そこに私たちの前に立ちはだかったものは、道路の段差、階段、ガレキ、放置自転車、そして通行している人々の視線でした。また、何よりも違和感、恐怖感を感じたのは、今にもぶつかりそうに向かってくる人々のスピード。ただ歩いているときは人と”すれ違う”だけのものが、車イスに乗っていると、まるで目の前を通る人が自分に押し迫ってくるような感覚に陥ります。それらに気を取られていると、本当に目が疲れるのです。もちろん、私たちには今まで経験したことの無い感覚でした。しかし、この車イスガイドに携わることによって、あらゆる方々の温かい心に触れ続けています。

今週のみんなありがとう
 地下鉄地上から改札まで車イスごと運んでくれた通行人の皆さん、駅構内を丁寧に案内してくれた駅員さん、デパートの中で車イス専用トイレを走って探し出してくれたおじさん他、この調査にあたってあらゆる方のご協力を得ることができました。この紙面をもってお礼に代えさせて頂きます。これからも、この調査隊は色々な処に出没します。この紙面を読んでいるあなたからもご協力を得る機会があるかも知れません。その時はぜひよろしくお願いします。
 このガイドを見てのご意見、ご感想もお待ちしております。これからのガイド制作にあたっての貴重な情報源ともなります。どしどしお寄せ下さい。
(菅田 智子)
来週の車イスガイドは長田復活祭に向けて水笠公園周辺ガイド、長田商店街マップを掲載する予定です。
お問い合わせ:078-521-7170(担当:船越まで)


育てよう ボランティアの芽


 四月二十九日(土)に長田区役所内長田ボランティアセンターでボランティア一日講習会が開かれた。参加者は近隣区の地元民五十数名。

ボランティアとの出会い
 「これが私が最初にボランティアをしたときの貴重な思い出ですわ」。シルバーカレッジ教務主任の山林知佐子さんは、鞄の中からピンクのエプロンを取り出しながらコテコテの関西弁で話を始めた。彼女が「ボランティア」という言葉に出会ったのは、何と二十数年前のアメリカ。当時ご主人について渡米したものの、右も左も分からず家に閉じ込もっていた山林さん。見かねた近所の少女に連れられ、ピンクのエプロンを渡され、その言葉の意味も分からずにボランティア「BOLUNTEER」活動を始めたそうだ。バスで座る場所さえ差別されていた異国の街。そこで地道に活動を続けたことが、その後の山林さんのボランティア活動につながっている。

ココロはつながる
 「何したらええんやろ。でも何かしたい」大半の人々がこう思い、活動を始めようとする。「それではあきません。裁縫ひとつでもいい。自分に何ができるんやろか、と考えてみて下さい」と山林さん。そう、今は自分を見つめ直すいいチャンスだ。また、活動を通じての人との触れあい、心の触れあいも大切。「ゴミ拾いするときにも、下向いて一心不乱にゴミ探すんじゃなくて、周りの人たちと交流を深めて下さい」そこからヒト、ココロはつながり、広がっていく。

私たちにもできることが...
 後半は、目の不自由な方を介助するにあたって、簡単な講習を受け、実際に介助を体験した。あらゆる日常生活動作に困難がつきまとう全盲の方や弱視によって、今回の震災により外出は常に危険と隣り合わせ。参加者はマスクで目隠しをし、二人一組で会場を回ってみた。
 ただ誘導するだけでもかなりの注意点が.....。でも一度聞けば、頭の隅っこに留めておけば、いつか街のどこかで役に立つのではないか。近い将来、ここが活気を取り戻す頃、こういった小さなお勉強が芽を出すような気がする。
(ひろみ)


東灘のテント村で −ティピー開き−


 4月24日に東灘区にある中野南公園テント村にティピーが建てられ「ティピー開き」が催されました。ティピーとは、アメリカンインディアンの住居用のテントで、ティ=「住むために」、ピー=「必要な」という意味ですが、今回建てられた中野南ティピーは、「皆さんと一つの場に集い、言葉を交わし、町づくりや地元・外部といった立場を越えた協力関係について考える場を持てれば」と「自立の村の応援団」(代表:吉田比登志さん)の呼びかけに、地元の方々や周辺のボランティアなどが賛同して建てられました。
 24日夜8時頃から始まった「ティピー開き」では、地元の方々をはじめNGOや被災地障害者センターの方などおよそ30人ほどの人が直径約10メートル、高さ約10メートルの円錐形のティピーの中に入り、最初にアメリカンインディアンの風習の通りに、セージーという植物を焚いて清めの儀式をして、その後は焚火を囲み、テント村のボランティアの方々の作った料理やお酒などを口にしながら座談会が開かれました。
 座談会では、県会議員の筒井もとじさんも飛び入り参加されて、「被災されたお年寄りや障害者の方々がどれほど不自由な生活を強いられているか」といった話を中心に進められました。
 中野南公園テント村で避難生活をされている神戸さんは、「今までも集会所のような所はありましたが、避難所から距離があるし、「建物」だと堅苦しくなりがちだけど、今回のティピーなら遊び感覚で気軽に入れるし、心も体もリラックスできそう。震災後、落ち着きを取り戻すにつれて、人と人との繋がりが薄れていくように思うので、人の触れあう場所としてたくさんの笑顔が、ここから生まれてほしい。テント村の象徴として多くの人に見に来てほしい。ティピーの中で宴会なんかもしたいなァ」と心を弾ませながら話して下さいました。
(ほりでぇ吉田)


粉じん調査隊 今日も行く


 4月19日、毎週水曜日恒例の粉じん調査のスタートだ。防塵マスクを身につけ、地図・鉛筆・メモ帳・皆に配るマスクを手に町へ繰り出す。この日の調査のターゲットは、坂道の多い名倉町を筆頭に長田のはしからはしへと向かう。震災による家屋の倒壊や、解体工事によって建材に使用されているアスベストが、この空気中に飛び散って髪の毛の5000分の1という細かい繊維が体内に吸収され、肺癌を及ぼす原因を作っている。このような恐ろしいアスベストがどこの地域で多発しているか長田区を守るため、やす・ねぎの2人は長田橋から出発する。長田神社前付近でこの日1番目の解体工事現場を発見。
 少し様子を見ていると、工事は休憩中らしく交通整理のおじさんの姿だけしか見えない。この日、晴天ということもあり、間違いなく工事の際にはアスベストが飛びやすい危険な日である。マスク1枚で体をアスベストから守ることができるのであれば、と思いが募り、交通整理のおじさんにマスクをあげることにした。いかつくて一見怖そうなおじさんだが、マスクをあげると180度表情を変え、笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。
 その後、ゾロゾロと3人の工事現場のお兄さんが、お昼の買い物から帰ってきた。私たち2人はアッという間に囲まれ、「なんやー、ボランティアさんか?」と、気軽に話しかけてくれた。マスクをあげるいい機会である。「お兄さん、マスクいらない?」と聞くと、「あっ、いるいる。欲しかったんだ。無料でこんなええマスクもらえて嬉しいな」と、喜んで受け取ってくれた。すると、「これな、今出来たてのコロッケこうてきたから、食べな」と、私たちに気持ちよく勧めてくれた。出来たてアツアツのコロッケである。
 工事現場の仕事であれば、たくさんの量のご飯を食べるに違いない。そんな貴重なコロッケを頂いていいものか少し戸惑ったが、既に手はコロッケへと伸びていた。「それじゃ頑張ってや」、と励ましを受け、私たちはコロッケをほおばりながら、再び粉じん調査を続けた。こんなほのぼのした嬉しい気持ちを味わえたのは、ボランティアの仕事を通し、人と人との対話があったからこそできたことに違いないと思う。感謝します。
(根岸香織)


すたあと〜私の活動雑談・2〜


スタッフ竹の場合
 あの震災の日、私は京都の下宿で熟睡していた。揺れはかなりのものだったが、京都ではよくあること、とさして驚かなかった。その時は、まさか京都よりも神戸の方が断然ひどいとは全く思いもしなかった。それからは、テレビが流す自分の生まれ育った神戸のすさまじい変わり様を、信じられない思いで見入り、通じない電話をかけまくっていた。
 二十日後、春休みに入ると同時に神戸に帰り、ボランティア活動を始めた。何もせずにじれったい思いで神戸の変化を見送るのは、もう嫌だった。「すたあと」には、友人の誘いで3月の末から参加している。ここには、実に様々な境遇の人々が集まっているが、皆”地元の復興のために”という一つの目的で活動している。この人々と触れあうだけでも非常に勉強になる。
 確かにボランティアといえども責任ある仕事だから、シンドイ面も多々ある。しかしここでの経験は決して学校では学べない、私を一番成長させてくれるものだ、と思っている。

GWでボランティア急増!
 わが「すたあと」にも、ゴールデンウィークを利用してのボランティアが続々と来ており、頼もしい限りです。しかし、彼らが去った後の寂しさも倍増しそうです.....。

5/1一階と二階を入れ換えました
 「すたあと」本部は、これまで1階をフリースペース「なごみ」、2階を事務所として来ました。が、2階が機材等のために重量オーバーとなる危険性があることが分かり、このたび、入れ替えを決行!1階が事務所、2階が「なごみ」となりました。今後も気軽にお訪ね下さい。
(竹内 伸子)


水笠公園はどこだ!!


 「長田復活祭(5月20・21日)のある水笠公園ってどこだ」−−長く長田に住むけど、水笠公園はどこにあるん?

−区役所で地図をもらう−
 長田区役所の3階のまちづくり推進課で、”ながたすこやかマイロード”の地図をもらい、長田のげんきくんになってしまう。区役所の角っこの高齢者ケアセンターの小さな庭には、コブシ・ケヤキ・クスノキが植えられ、つつじやタンポポも咲いている。げんきくんは、もうここで一息いれてしまう。

−桜橋より西へ向かう−
 新湊川の西側の公園では、ゲートボールを楽しむ人の姿もあった。「練習しとんやけど、家のあとかたづけや、仮設に当たったりして、人が集まらんのや」。ゲートボールも少し教えてもらうが、先に進む。

−ええ公園やんか−
 げんきくんは、新緑の高取山を右に見ながら、避難所になっている新しい長田図書館に着く。行き過ぎてしまった。その手前のNTTの前が水笠公園であった。大きな樹々に囲まれた、静かなええ公園であった。近くに西神戸YMCAがある(区役所より徒歩25分、トイレあり)。
☆地下鉄新長田・東出口より出て、山側に徒歩5分。
☆バス81・82・85系統、大橋2丁目下車、北へ15分。
☆JR新長田駅よりも遠くない。
(幹)


「長田復活祭」


「長田復活祭」御協力願います!

 学校・会社が始まったので、それぞれもとの生活の場に戻っていた学生・社会人ボランティアのみんなが、この連休を利用してここ長田に戻って来ました。その名も「連休部隊」。その「連休部隊」の支援を受けて、祭スタッフはパワーアップ。以前に増して活動に熱が入っています。そんなスタッフの熱意を感じとって下さり、祭への参加をお願いする地元の皆様から熱い声援と支持を受けることが出来、一同大喜びしております。
 「長田復活祭」まであと約2週間。会場である水笠公園の整地や、ポスター作りなど、当日の下準備にとりかかり緊張感のます我々に、いろんな人のいろんな応援。様々な思いが込められているこのお祭りの成功のため、是非とも皆さんご協力願います!

「長田復活祭」は
5月20日(土)
  21日(日)
午前11時〜午後7時
(時間は予定)
水笠公園で行われます。



numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp