「Weekly Needs」1995.4.23号(Vol.1 No.7)
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沖縄からのエール
- −ハイサイ・チバリヨがんばろう、負けるな−
- 沖縄より友がやってきた。沖縄出身の歌手、まよなかしんやさんが、まっぴるまに長田で唄った。
君の笑顔が消えたその時
僕たちに何ができる
負けるな友よ、
よみがえれ町よ、
立ち上がれ友よ
ハイサ・イヤササ
ハイサ・オジサン
「長田の今は戦災後の沖縄みたいだ。.....だけど、もう一度、生き残った者で、素晴らしい町を作ってほしい.....。」
- −うれしいわ−
- 「ありがとう。勉強になるわ。」「ほんとに、うれしいわ。」南駒栄の人からは、素直なかけ声がかかる。こんな時、同じく被災した僕なんかは、じーんと涙ぐんでしまう。だけど、人間って強いんだね。ギターに合わせて踊り出す人もいる。上手な手振りは、沖縄出身の被災者の方だろう。
- −元気だしとうで−
- ベトナムの人も避難している南駒栄公園も、多くの手伝いで、木組みの仮設も建てられ始めている。子供たちの面倒を見てくれているボランティアもいる。干してある毛布や布団の横に、誰かが小さな鯉のぼりを飾ってくれた。子供たちのことも忘れないでいよう。
- −かす汁もうまい−
- 「沖縄はアジアのまんなか。」ということで、自分たちも勉強しつつ、ベトナムや韓国の人との交流を深めている「ワンカラ」(神戸沖縄研究会)の柴田真理子さんは「すたあと」の一員でもある。がんばり屋さんだ。14日(土)は、この」南駒栄で、おいしいかす汁のご馳走にもなった。舌をヤケドしそうな、あつあつのかす汁だった。ウマイナー。
- −国籍や民族に関係なく−
- 「世界の人々と共に」は、県や市の復興計画のスローガンでもある。「すたあと」のプレハブに先日、「島原」の方が来られた。2年前、同じく被災された方たちである。韓国や中国の方も訪れてくれる。交流が広がっている。そんな中、南駒栄公園は、欧米のボランティアの人もいて、民族交流の場のようだ。
- −ハイヤ、イヤササ−
-
明日をつくろう。
ふるさとの明日をつくろう。
君がいるよ。
おまえがいるよ。
みんながいるよ。
ふるさとの明日をつくろう。
しんやさんの唄が公園にひびきわたった。
(幹)
おかあさん、だいじょうぶ? ARE YOU ALL RIGHT, MOM ?
乳幼児を持つお父さん、お母さん、震災後も、以前と同じく子どもと心を近づけていますか。親として、今、子どもに何をしてあげられるでしょうか。
- お母さん、イライラしていませんか?
- あの震災から3ヶ月。落ち着くどころか、かえって忙しい毎日を送られていると思います。私の母は地震のゴタゴタでいつも怒ってばかりいます。その影響をまともに受けているのは私です。なぜなら私が、家庭の中でいちばんメイワクな娘だからです。私は、母のストレスを理解できましたが、小さな子供は一体どうすればいいのでしょう。
お父さん、お母さんの心身が安定してないと、そのしわ寄せは、弱い存在である子供にかぶさってしまうのではないでしょうか? そこで、今日は子供についてではなく、お父さん、お母さん自身について考えました。
- 震災後、子どもへの接し方が変わっていませんか?
- 例えば、よく泣くようになった、指おしゃぶりを始めた、悪夢にうなされる等のような、子供の変化にどう接したらいいのか分からなかったり、自分の接し方が果たして良いものなのか一人で悩んで、専門のカウンセラーに相談するほどのことでもないと判断している人が多いのではないでしょうか。
たとえ、お母さんは小さな問題だと捉えていても、子供にとっては大切なことがあります。今回の震災は、誰しもが初めて経験したことなのだから、その上で新しく学ばなければいけないことがあると私は強く感じ、「それならやっちゃおう!」と、ヤル気になってしまいました。
- みんなで考えましょう
- 一人で悩んでいるより、誰かに話せば取り越し苦労だったり、私も同じことで悩んでたのなんて、育児友達の輪が広がったりする、一種の情報交換の場で、誰もが気軽に覗いてくれるような雰囲気が醸し出せたら幸せです。
今回はお知らせに過ぎませんが、次週にはそんな交流広場の第1回開催日時をお知らせする予定です。
(すたあと・阪本晴美)
がてん日記
私の神戸での日記は、一月末から始まった。はじめは2,3週間くらいの期間で、数回中学校の避難所のお手伝いをさせてもらった。そこには各班長がおられ、自分のことは省みず、自分の班の被災者の為、動かれていた。全焼してしまったとお話しておられた方が、ブルーシートを使い、上手にテントを作っておられ、また私の為にカフェオーレを作ってくれたり、人間の強さ、たくましさを感じた。
4月になり、長田のボランティアグループに参加させてもらい、「がてん」という言葉を知ることになった。私の仕事だ。「がてん」とは、「がってんだ」「引き受けた」「まかせとけ」という意味らしい。仕事は、プレハブ建て、引越、ブルーシート張りなどである。がてんのメンバーは、男女で7,8名、色々な県から集まった。その一人一人が町に出て「がてん」する。
雨が漏り、雨漏りするから何とかしてと言われ、ブルーシートを張りに行ったメンバーが、終わった後に「ありがとう」と言ってもらった。その言葉が心の励みになり、財産になる、と話してくれた。女性がてんがプレハブ建てでつけた窓が、とてもきれいだと言ってもらい、女性ならではの細やかで心のこもった仕事をすることが出来た。児童館で布団の乾燥を手伝っていたとき、そこの子供に「お兄ちゃん、家あるん?」と言われ、どう答えていいのか戸惑った。「ごめん、家あるねん」と、私は「がんばれ、がんばれ、神戸がんばれ」という思いで、一杯になった。
また、引越の手伝いをしに行ったとき、3人の女性が待っておられ、タンスを運び出したりしておられた。引越先の隣の人も「おばちゃん、頼んだで」と一声かけられた。ここにも「がてん」のメンバーがおられた。心に温かい、そして頼もしいものを感じた。このようにして、近くにいる人が、近くにいる人のために「がてん」する。人間って本当に素晴らしい。
これからの「がてん日記」は、メンバー一人一人が、この神戸で色々な仕事を通して出会った人、その出会いの喜び、悲しみを記していくだろう。
すたあと・活動報告
- ?「すたあと」とは何ぞや?
- 「すたあと」が文字どおりスタートし、数週間が過ぎ去りました。活動内容は、前回、前々回のウィークリーニーズで説明しましたが、「いったい”すたあと”って何だろう?」と疑問をお持ちの方がまだたくさんいらっしゃると思います。今回は、その説明をしたいと思います。
私たちは、私たちのボランティア活動によって、みんなに元気になってもらいたい!「元気の出た住民」が、まだ「元気の出ない住民」を少しでも手助けすることによって、地域全体が元気になることだけを目標としているのです。そこで!「元気の出た住民」の方の力を、「すたあと」は必要としています!
ボランティア活動なんて.....と構えてしまわないで下さい。ボランティア活動は、受け手がいることを頭において、責任を持って参加して下さればいいだけです。また、受け手の自立を助ける、そのことだけを認識していれば、誰にでも出来る活動です。一度、気軽に「すたあと」を覗きに来て下さい。息の長〜い活動ができるのは、地元民だけなのです。
- ”フリースペース「なごみ」報告”
- 4月15日(土)、女性支援ネットワーク主催による「妊婦さんと乳幼児の父母の集い」が開かれました。専門的な内容には入れませんでしたが、震災の中で子供を抱える父母の悩みが討論され、参加者の人たちはお互いに交流を深め、有意義に会は進みました。
クリーン・クリーン大作戦 in長田
皆さん、震災後の長田に、何となくゴミが多いと思いませんか。私たちの町長田を、私たちの手できれいにしよう、という作戦を、ご紹介します。
「ありがとう」「ご苦労様です」と駅前でゴミ拾いを始めて2週間程たった頃、見知らぬ人からそんな声をかけられた。ゴミ拾いを始めた動機は2つあった。1つは街を少しでも綺麗にしたいという思いからだ。父が川西通りで靴を作っているので、私は小さい頃から時間があったら長田にいた。震災があって、知っている風景がガレキと化したり、きれいだった道路も公園もゴミが散乱していたり山積みになっていた。そんな光景を目にしていくと、元通りにしなければ、そして前よりも美しくしたいという願いが強くなった。
2つめは、身近なところ、誰でもやれそうなことで、「街づくり意識」を高められることがしたいと考えていると、芦屋か西宮の方でボランティアの人たちがゴミ拾いを毎日しているのを地元の人たちが見て、「私たちがやらなあかんことやろ」ということで地元の人たちが受け継いだという話を聞いた。安易な考えかも知れないが、この長田でもやってみたいと思った。
引き継いでもらおうとは考えてはいない。ただこのガレキの街・長田から元の、もっと欲を出せばそれ以上のきれいな街を一人一人の手で作っていきたい。震災後でまだ忙しいと思う。一緒に参加してほしいのは事実だが、無理ならば、これからは自分達で!そして皆で!という意識を持ってほしい。
一日も早く復興できますことを祈って。
(秋塚 香)
まるちゃんの「とんこつが俺を呼ぶ」
とんこつラーメンを愛するボランティアのまるちゃんは、ふるさと博多の味を求めて、今日も行く。
- 僕と博多ととんこつと
- 博多で育った僕にとって、ラーメンは重要な存在だった。長田でボランティア活動を続ける僕は、いつしかとんこつラーメンを求めるようになり、そしてのれんを探し続けた。それがこのドラマの始まりであり、出会いのお告げであった。
- 1日目の失望
- 4月14日、僕は仲間と共に以前から目をつけていたある店へ行った。だが、僕らを待っていたのは上げられた椅子と皿洗いする店員。営業時間を過ぎた店を前に、僕らはなすすべもなかった。しかし、この出来事が僕のファイティングスピリットに火を付け、次の日の行動により、一層の熱意を持たせることになる。
- 2日目の挑戦
- 翌晩、雨の中を走る車は2台増えて3台。もう覚えたはずの交差点を僕は見過ごしそうになった。電気がついてない。飛び降りた三人の運転手は叫んだ。「なんで休みや!」一分弱のミーティングの後、僕は少し遠いがもう一軒心当たりがあることを仲間に打ち明け、尾崎豊の歌と共に夜の街を疾走した。
- なぜ、食えない!
- 二番目に着いたその店には、5,6人の客がいた。どう座ろうかと迷っている僕に大将が言った。「ごめんね。わし一人やから今対応できんわ。」振り返った僕の後ろには、。11人のボランティアが腹を空かせて立っている。皆に対する申し訳なさと悔しさに僕は肩を落とし、帰路を急いだ。
- そして、巡り会い
- 本部近くで、一つの明かりが目に飛び込んできた。「ラーメンショップとん」。僕は急停車した車から駆け下り、上目使いで小雨の中を走った。店の前で僕は無線を片手に中を覗き込む。「えー、まだやってるようです。メニューから見てとんこつのように思えます。」
- 三度目の正直
- 集団で店に向かう僕の足どりは既にスキップ。「あ、やばい」。それはほんの数分の間に閉じかけたシャッターを見た誰かの声だった。次はないと思った一人が店に駆け込んだ。「すいません、終わりですか?」大将はちょっと考えたようだったが、快く僕らを迎え入れてくれた。
- ラーメンだあ!
- ウキウキしながら注文する。ラーメン、ギョウザ、そしてビール。大将は麺をゆでながら気軽に話しかけてくれた。そしてついにご対面。しかし、それを見たとき、僕は隣の人につぶやいた。「麺は細いが、とんこつじゃない。」とにかく味を見る。「うまい!」皆がいっせいに声を上げた。これはうまい。僕は大盛りにしなかったことをとても悔やんだ。
和気あいあいとした雰囲気の中、僕たちがボランティアであることを話し、このウィークリーニーズを置かせてもらうことをお願いすると、快諾するだけでなく、ボランティア用ラーメン無料券をプレゼントするとまで約束してくれた。
- ぬくもりました
- この味と大将の人柄は、僕らの気持ちをとても明るくし、少し疲れ気味だったボランティア活動に再び力強くがんばる決意を持たせてくれた。僕らのその夜は、心地よいものとなり、良い夢が見れたのであった。
どうもありがとん。
おばちゃんの弁当
ぼくがこの震災を知ったのは、テレビだった。画面では、長田の菅原商店街が火に包まれて焼け落ちていた。それが、僕が神戸に行こうと思った動機だった。僕がボランティアを始めたのは一月の末だった。それから2ヶ月間、長田にいた。
今の仕事は「ガテン」だ。ガテンというのは要するに力仕事だ。例えばプレハブ作りも引越もガレキの撤去もやる。ここ数日、菅原の焼け跡にプレハブを建てる仕事をしている。テレビで見た、あの菅原である。そこで、これからお店を開こうとしているおばちゃんのために、プレハブを建てるのだ。
毎日お昼になると、おばちゃんは出来たてのあったかいお弁当とお茶を届けてくれる。、おばちゃんは、お弁当を毎日家で作って運んでくれるのだ。「おおきに」。おばちゃんがそう言って運んでくれるお弁当は、おいしい。僕にはおいしいだけではない。おばちゃんの気持ちが伝わる気がするのだ。
僕も、テレビで見た菅原にプレハブを建てている充実感のようなものがある。おばちゃんにその話はしないけれど、僕はプレハブを一日も早く完成させたい。でも、長く菅原で仕事を続けたい気持ちもある。それは、おばちゃんの弁当のせいだけではないのだけれど。
(田中靖二)
「長田復活祭」〜ここよりはじまる〜
ご存知ですか?「長田復活祭」。名前ぐらいは聞いたことがあるという方もいれば、全く知らないといった方もおられるに違いありません。そこで、なぜこのお祭をすることになったのか、そして、なぜ「長田復活祭」なのか.....お祭の成功のためにも、ぜひご理解を頂きたいものです。
阪神大震災から、はや3ヶ月。あまりにも多くのものを失った長田は、時と共に力強く復興しつつあります。しかし、震災は人命・家屋・数え切れないほどのものを奪っただけではあきたらず、生き残った人々にも魔の手をのばしています。それは、今再び立ち上がろうとする活力を阻む、恐ろしい力です。
しかし同時に、たくさんの人が、各々の方法でそんな力に負けず今一度自分達の街を取り戻そうと立ち上がりました。その中に、19歳の女の子がいました。それが、我らが「長田復活祭」実行委員長、吉岡順子さんです。彼女のとった方法は「お祭り」。そんな彼女を助けんとして集まったのが我々祭スタッフです。「長田復活祭」には、被災者のみんなに元気を出してもらいたいという思いが根底にあります。吉岡さんのおうちも、震災の4ヶ月前に始めたばかりの串カツ屋さんでした。しかし今は、お店は開くことができません。このお祭りには、そんな親御さんへの、「もう一度頑張ろうよ」という思いが込められているのです。
また、「復活祭」には、長田に住むそれぞれ異なる文化を持つ人々(もちろん日本人も)が、お互いをより深く理解し合うという、いろんな国の人たちが住む長田でこそできる重要なテーマを持っています。前号でも紹介したとおり、私もこのテーマを己れの胸に強く抱き、お祭り作りに取り組んでいます。
稚拙な文章ですが、少しはお祭りのことが解っていただけたと思います。多くのものを失い、再スタートをはかる長田。そのスタートを告げる合図となるべく、「長田復活祭」プロジェクトは、着々と進んでいます。祭に関するご質問は当然のこと、今までに引き続き、祭制作スタッフ・ステージ出演者・屋台参加希望者・外国人参加者およびその紹介などなど、皆さんの声を心待ちにしています。
文責:「長田復活祭」スタッフ 稲垣 淳
すたあと「長田復活祭」実行委員会 078-577-0157
numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp