「Weekly Needs」1995.4.16号(Vol.1 No.6)
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やさしさの花咲く長田
長田の町が、長田区民の手に戻ってきた。ボランティアが帰って、この町は何か変わっただろうか。地元ボランティアと、町の人に話を聞いた。
- 日曜日のSOS
- 「うちの屋根にブルーシート張りに来て!」
ザーザー降りの日曜日、すたあと事務局にSOSの電話が鳴り響いた。一人暮らしのおばあちゃんのアパートで雨漏り。さっそく4人のボランティアが飛んで行った。とても寒い日だった。
- 前向きな声が聞こえる
- 「ボランティアがおらんようになったから、これからは何でも自分達でせな」。
ウェイトレスをしていた20代の女性は、町でこんな声をよく聞く。初めは少し気落ちしていた人々。でも、ちょっとずつ前向きになってきたのを感じる。今までは、与えられ、何も言わなくてもボランティアがやってくれたことを少しずつ引き継いでいこう、という気になってきている。とても心強い。
- 大丈夫、やっていけるよ
- 「ちっとも変わらへんで。かえってみんながまとまってええんとちゃう?」。ある避難所の人々はお米を袋に分けながら答えてくれた。
「私らで埋めていくからええよ」と笑うのは、ウィークリーニーズの編集部で重要なポストを占める高校生。彼女から見ると、ボランティアが去った後の長田は、以前とあまり変わらない。自らがボランティアとして、その穴を充分に埋めている。これからは、そういうパワーが長田を支えていくのだろう。
- 「活き活きと生きよ」
- 「ボランティアの若い人たちは、みんなイキイキしとった。一生懸命やったな。みんな何かを探しに来とうみたいやった」。長田中央小売市場のおっちゃんは、たこ焼きを作りながら言った。
「特に何か変わった訳やないけど、彼らは何か頼もしかったような気いするわ。これからは地元が頑張っていかなあかんな」。
- 力仕事とボランティア
- 「すたあと」の力仕事チームの目から見ても、今、長田の町は自活しつつあるようだ。「プレハブ建てたり、お店再開の手伝いをしたりすると、ああ、長田は着々と活力を取り戻しとうな、と思う」。
震災直後のように、ボランティアが必要不可欠な時期は過ぎた。しかし、必要としている人も確実にいる。僕たちがいなくなったら、その溝を誰が埋めていくのか。それが今、長田が抱える課題かも知れない。
- 忘れないで、寂しい人たちを
- 復興に向かうその陰で、老人いこいの家などで、来なくなったボランティアを、とても寂しく思っているおばあちゃんもいる。おばあちゃんの大切な話し相手が、今はいなくなってしまった。
町の飲食屋でも「あのお兄ちゃんどうしたん?いつも来てくれたのになあ。東京帰ってしもうたんか?」と言うおばちゃんもいる。ボランティアが帰って、何かが変わったのだろうか。
- ボランティアが残したもの
- 「ボランティアは、おればおったで助かるけど、おらんでも長田は動いていく。私らにはそれだけの力がある。だけど、いなくなったボランティアが与えていた優しさも、私たちは埋めていかなあかんと思う」。今ボランティアをしている彼女は言った。外から来ていたボランティアがそれぞれの街へ帰ってしまった後、再び取り残されてしまう人々がいることを、忘れないようにしたい、と。
- 長田区民が引き継ぐもの
- 震災が運んできたボランティアは、失敗も多かったし、邪魔になったこともあったけど、長田にたくさんの優しさを持ってきた。長田復興のためにも、この優しさこそ、引き継いでいきたい。私たちはもっとこの街に優しくできる。ここに住む私たちは、新しいボランティア像を作ることもできる。長田の町で、取り残されていく人が一人も出ないように、私たちはいつもアンテナを張って、できることから始めよう。そして長田に、優しさの花を咲かせよう。
すたあと・活動報告
先週号では、”ガテン”の紹介をしました。今週はその続きです。
”避難所の手伝い”も、ガテンと同じく、朝8時〜8時半頃に出発をして9時に仕事が始まります。トラックが入ってくるたびに仕分け作業をし、昼は避難所の人へ、夜は避難所及び近隣の方へお弁当配り。待機の時間を利用して子供達と遊ぶ−そして結局、全てが終わって帰ってくるのは7時から8時になり、と一日がかりの仕事になります。仕事の他にもボランティアの抱える問題等を論議しあい、「そのことが自己を見つめ直すいい機会になります」と、12日まで仕事をしていたK嬢は故郷へと去っていきました。
次に”ウィークリーニーズの編集・配達”ですが、編集に関しては夜中の大変な仕事で、ここには書ききれない、涙・涙物語でありますので、ここではとりあえず省略。配達の仕事の一日を紹介します。日曜日朝9時。すたあと1階のフリースペース”なごみ”には、前日に印刷した六千部あまりの新聞の山の中に、30人程の地元ボランティア登録者が配達員兼記者として集結してきます。長田区内を1区から6区まで区分けし、事前に調査したそれぞれの必要な部数を、1区につき4〜5人のチームで、自転車もしくは自分の足を使って、避難所や商店を中心に配達に回ります。記者でもある私たちは、地域の皆さんの生の声や情報を得るために、常にアンテナを張っています。「街で私たちを見かけたら、声をかけて下さいね!」。
配達が終わって帰ってくると、3時からミーティング。配達状況や記事について報告し、問題点等を論議して、有意義な一日が終わります。
このように私たちの活動は正しくすたあとしました。これからの活動は、読者の皆さんにかかっています!
チャレンジ!!高取登山
マスクで町を歩く毎日である。思いきりきれいな空気を吸いたくなったら、そんな朝、高取山に出かけてみよう。我々の裏山である。長田の町からはブルーシートをかぶった高取山の山頂が見える。しかし、登山道は無事だった。高取山って長田の我々にとって、自然がいっぱいある大きな公園だ。
- 子供のはずむ声がする
- 仮設市場で賑わう長田商店街を通り、長田神社の横を流れる新湊川にかかる谷御所橋は渡らずに、川に沿い細い道を歩く。ここからもう高取山が見える。宮川町5丁目にある第2宮川橋を左に折れる。坂が続くが、長田小学校の子供達の元気な声が聞こえてくる。小学校の横の小さな階段を昇り、陸橋を渡りたいのだが、地震で通行止めだ。うどん屋さん(志満屋)の辺りを注意して渡ろう。ふとん屋さんの朝比奈商店が目印だ。
- 長田も坂のある町だ
- 西山町4丁目の坂をS字型に昇っていく。高取山の登り口はまだかとハーハー言っているうちに、駐車場の横を抜けると山道にやっと出くわす。
(長田神社−登山口・・・30分)
- どの茶屋まで歩けるか
- つえを片手に登る老夫婦がいる。犬を連れたおばさんも登る。駆け抜けていく高校生の運動部の子も。みんな「おはようさん」と挨拶している。元気がいいものだ。
岩田歌子さんの調査では、高取山には54種の野鳥がいるという。チーチーとさえずりながら、鳥が”あかめかしわ”の木の横を飛んでいく。高取山には、豊春神社を過ぎると、清水茶屋・中の茶屋・安井茶屋・潮見茶屋・月見茶屋と茶店が続く。長田小学校より測ってみると、高取神社のある山頂まで、千五百mくらいらしい。震災後の体力で50歳をもう越えた私も、約1時間で登ることができた。
- 弁当持ちの登山もエエゾ
- 緑の山の中での弁当はことのほかうまい。桜の木も多い。菜の花も咲いていた。暖かくなったんだから、外を歩いてみよう。活力も湧いてくる。町の中心に近く、1時間少々で登れる山を持っている区民なんて、そういない。山から見える海も我々のものだ。
(下りは30分)
育英高校の近くの鷹取団地前バス停のカフェレストラン・ソレイユの横からも登れる。道は清水茶屋のところで合流する。
(幹)
車いすから生き方をみつめて
〜体の不自由な方からの声〜
−3月29日に行われた福祉塾の会合にいらした、車イスの小さな体の女性、安積遊歩さんに原稿を寄せて頂きました−
何と言っても、人間の限界知らずの生きようとする意志のすごさ。的確なサポートさえあれば、誰も絶望の中で閉じ込もらないということ。そのために、ボランティアの人の活躍がどんなにその絶望からの立ち上がりに力になったかと、心おどりしました。
障害を持つ人の命は、人の手と注目をたくさん必要とします。それ故に、命がどんなに大切かを思い出させてくれる大切な大切な存在なのです。生きる、ただそのことのために、私たちは人の中にいつづけなければなりません。一人になりたいとか、人間はどうぜ一人なのだなどと、ニヒルに人とつながらないで生きることは、即、死を意味します。特に今回の地震は象徴的でした。一人でいる人の安否確認がどんどん遅れたのですから。しかし、ここで大切なことは、皆といればそれでいいだろうということで、施設に押し込めるのは、全くの間違いだということを、皆さんによく分かってほしいということです。
自由への意志は、時に死への恐怖を越えるほどに本質的なものなのです。施設の中で閉じ込められるのではなく、自分で自分の人生を作っていくこと、生きていくことに、お互いに手をますますさしのべ合って、この緊急事態を「出会いと共生への場」としていって下さい。障害を持つ人との出会いによって、あなたの人生がさらに豊かになることでしょう。
自分の人生のリーダーシップをとり続ける一人一人の私たちに、心からの祝福を贈って・・・また何処かでお会いしましょう。
法律相談 Q&A
〜全壊借家の敷金返還・所有者不明の不動産の持ち主は〜
- 問
- アパートの借家人です。建物は全壊・滅失し、家主に敷金の返還を求めましたが、敷き引きして返すと言われました。全額返還は無理なのでしょうか。
- 答
- まず、賃貸借の契約書をよく見て下さい。紛失したり焼失した場合は、仲介した不動産業者に尋ねるか、同じ家主から部屋を借りている借家人に見せてもらう方法もあります。
神戸市の中央区や長田区で多くの契約書を見ましたが、「天災地変の場合は家主の負担とする」とか「賃借人の都合により契約を解除する際に敷き引きする」という特約が多いようですから、今回の地震のように不可抗力で建物が全壊・滅失した場合には、全額返還を求めるのは当然で、契約書に特約がない場合も全額返還請求できます。
また、家主が、明け渡しの際の権利放棄を確認する文書を、借家人に署名・捺印するよう求めているケースもあるようですが、このような文書を家主と取り交わす義務はありません。
なお、滅失と言えるかどうかが微妙な場合もあり、羅災都市借地借家臨時処理法の権利行使にも影響があります。敷金返還の問題で疑問のある時は、契約書や写真を持参し、法律相談へ行って下さい。
- 問
- 自宅裏にある高さ2メートルの擁壁が、幅20メートルに渡って崩れ、下にある我が家の屋根のひさしにまで迫っています。修理してもらいたいのですが、誰の所有になるのか分かりません。どうすればよいのでしょうか。
- 答
- まず、境界に打ち込んである鋲(びょう)や、図面で、境界の位置を確かめて下さい。その上で、擁壁の所有関係を確認して下さい。また擁壁はたいてい、上の家の人が所有者ですが、法務局に行って登記簿謄本で所有者を確認して下さい。なお、土地の図面も法務局にあると思います。その上で、所有者に修理を要求して下さい。もし要求に応じてくれない場合や連絡が取れない場合は、近所の人と一緒に、裁判所に修理することを求める仮処分の申請をして下さい。
(いずれも近畿弁護士会連合会:加納雄二弁護士)
「長田復活祭」スタッフ募集!
- 「復活祭」現在進行中!
- 本誌に掲載された記事を見て、「食べ物の屋台ができる」「学校が終わった後なら手伝える」そんな頼もしい声が私たちのもとに届いています。一日中走り回っていた祭スタッフ3人衆は狂喜乱舞。しかし、依然として人手不足は否めず、参加者も充分とは言えません。
- 渉外のお仕事
- 私個人は、祭のテーマの一つである「長田に住む外国人に対する理解」を懐中に、南駒栄公園でテント生活を営むベトナム人の皆さんをはじめ、いろんな場所のいろんな人に祭への参加を呼びかけています。長田区にとどまらず、神戸にはベトナム・ペルー・中国からブラジル・フィリピンと、ほんとにいろんな国の人たちが住んでいます。以前から、いろんな国の人たちと知り合うことが出来たら・・・そう思っていた私にとって、今の仕事は非常に楽しいものです。
- みんなのお祭りのため
- わたしが、そういったことを考えて、祭の渉外を希望したように、祭スタッフとして来てくれたみんなも、きっといろんな思い入れがあって来てくれたんだと思います。それが、みんなの「長田復活祭」につながるもっとも大切な要素です。そしてこれからも、そんな思い入れのある人がたくさん来てくれたら、その分だけ充実したお祭りが出来ること間違いなしです。そんなこんなで、私たち「長田復活祭」制作班では、老若男女国籍問わず、祭スタッフ募集中です!
パミール 花まつりへ行く
ボランティアのパミール君は、よく晴れた春の日に、花祭りに行きました。以下は、パミール君の花祭り体験記です。
- まずは腹ごしらえ
- 4月8日(土)、天気は晴れ。菅原商店街にはたくさんの人が集まった。この日は、花祭り。お釈迦さんの誕生日だ。三万本ものお花が飾られ、南米料理の揚げ物の屋台や、ポップコーン・クレープ・ココナッツミルクなど各国の屋台が出ていた。5枚で一組百円のチケットを買って、南米料理の揚げ物を食べてみた。不思議な味だ。かなりの人が並んでいたので、食べるのにも一苦労だ。
- ステキな風景
- ふとまわりを見渡すと、子供達が風船や紙飛行機を持って楽しそうに遊んでいる。この長田に来て2ヶ月以上たつが、こんなにみんなが楽しそうにしているのを見るのも久しぶりだ。中央には舞台が用意され、南米の民謡が演奏されたり、曹洞宗国際ボランティア会の人たちが弾き語りをしたりしていた。南米の民謡を生で聴くのは初めてだが、その音色には人を引きつける何かがあるように思える。
- 10年後のぼく・わたしへ
- 不思議な気持ちで少しの間、南米民謡を楽しんでいると、ビデオカメラがしきりに花まつりに来た人々を撮っているではないか。何をしてるのか聞いてみると、10年後へのビデオレターをしているという。10年前の自分は何をしていたのかをビデオに録画して、10年後にまたこの場所に来て、このビデオをみんなで見ようというものらしい。粋な計らいだ。カメラの前で恥ずかしそうにしゃべっている女の子や、一生懸命将来のことをしゃべっている子供連れのお父さんを見ていると、暖かい気分になり、春が来たんだなと感じてしまった。
- みんな楽しかったね
- ポップコーンやアイスクリーム、綿菓子を両手一杯に抱えて走っていく子供たちや、舞台での生演奏を静かに聴いている人たち、一生懸命に料理を作っているボランティアたち、鮮やかでたくましい花を咲かせている三万本もの花々、みんな楽しそうで良かった、良かった。ちなみに私ジーメンことパミールは、チケットを3枚も残してしまいました。
おしまい。
numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp