・・・・んじゃ、またな・・・・・
不意に、1年前解れ際に言われた言葉が蘇ってくる。
以前なら、泣いてしまっていた。
でも、もう涙は出ない。
涙を流し尽くしたからではない、自分の中でライルに対する想いの整理は出来ている。
・・・・その為に、この1年を過ごしてきたのだから、もう泣きはしない。
変わらない物など無いのだろう、今見上げる空と月だって、全く同じではないのだから。
だから、今の私なら、きっと・・・そう、きっと彼に会っても、泣かないで済むだろう。
「・・・・何考えてるのかしらね、私」
妙な高揚感、月重(つきがさね)の月に生まれたせいか、月が綺麗に輝くこういう日には妙に感覚が鋭くなる事はあった。
でも、今日は何かいつもと違う気がした。
やたらに思い出される昔の事、そして1年前のあの出来事。
それらから予感される事柄があった。
恐らくは、気のせいなのだろう。
人に話した所で笑われるだけだ、
クレアなら、
「姉さんって時々そういう訳の解らない事言うわよね」
・・・・・とか言うに違いない。
そんな事を考えていると、扉がノックされる音がした。
「どうぞ」
振り返ると、扉が開けられるのと同時に光が差し込んで来る。
月明かりだけを照明にしていただけに、その光は少々私にはきつかった。
扉を開けたのはお父さんの秘書官を務めているシルヴィアだった。
私にとって実の姉よりも姉的な存在の彼女は、私にとってとてもありがたい存在だ。
「セレネ様・・・・、明かりも点けないで・・・またお月見ですか?」
「ええ、ごめんなさい。今明かりを点けるから・・」
天井から吊り下げられた魔力灯は、一本の紐を垂らしている。
それを引っ張るとスイッチが入ってそれが輝いた。
瞬く間に、部屋が光に満たされた。
同時に、外の景色が暗く沈む。
「それで、どうかしたの?」
「ザルステム様がお呼びです、お話したいことがあると・・」
「お父さんが?」
「はい、なんだかとても楽しそうでしたよ、何か企んでおられるかもしれませんから、素直に驚いてあげて下さい」
そういうと、シルヴィアは穏やかに笑った。
そういえば、1年前も、同じ笑顔で私を慰めてくれたのは彼女だった。
顔すら忘れてしまった兄の事を不意に思い出す。
私が幼い頃に失踪してしまった兄は、今では生きているのかすら解らない。
シルヴィアは兄の事を知っている様だけど、何故か、その事についてはあまり話してくれない。
私も、あえて聞こうとはしなかった。
なんとなくだが気が咎めたからである。
・・・そんなことを一瞬考え、すぐに思考を中断させた。
今、考えなければならない事でもない。
「・・・・・ええと、お父さんの部屋に行けばいいの?」
「はい、あと1時間ほどしてからですけれど。・・・・・セレネ様」
そう言ったきり、シルヴィアはじっと私を見つめている。
「何?、どうかした?」
「ライル君の事を考えていたんでしょう?」
「え・・・・・・・・・解る?」
シルヴィアと私の付き合いも8年になる。
ポーカーフェイスには自信があるのだが、流石に彼女には通じない。
私は、素直に認める事にした。
「ええ、・・・とても、寂しそうな顔をされてますから・・・。そんな顔でザルステム様にお会いになったらご心配なされますよ」
「寂しそう・・・・・か、やっぱり吹っ切れてないのかな・・・・・」
「・・・いいえ・・」
ゆっくりとシルヴィアは首を横に振った。
肩ほどまである、青く、ともすれば緑色に輝くような髪が微かに、そして滑らかに揺れる。
「忘れられないということは、セレネ様にとって大切な想い出だということです。
それに、私の見た限り、吹っ切るというか・・・心の整理はきちんと出来ておいでですよ。
1年前とは違って泣いておられませんし・・・」
「その事は・・・・・・もう言わないでよ・・・、ちょっと恥ずかしいし・・」
うろたえる私をみてシルヴィアは小さく笑った。
「口が過ぎました。・・・・でも・・・また会えるかどうか不安なんですか?」
少し考える。
私がライルについて知っている事全てから判断すると、答えはすぐに出た。
「ちょっと・・・ね。・・・・・なんだか色々と物騒な事もやっているみたいだから、いつ何時死んでもおかしくないし・・・・・死なれたら、言いたいことも言えないわ」
「彼に限って大丈夫ですよ・・・・・・いつかまた会えると信じて下さい」
そういうシルヴィアの表情は穏やかで寂しげだった。
なんとなくしんみりとしてしまった空気を払拭する為に、私は勤めて明るく話し出す。
「・・・信じる・・・か。・・・そうね、ありがとうシルヴィア」
「いえ・・・・」
「大丈夫よ、お父さんに変な心配はかけないから・・・・・・それにね・・・・」
「それに・・・・・?」
不思議そうに私に尋ね返す彼女に背を向けつつ、私は月を見上げ、答えた。
「なんとなくだけど、・・・会えそうな気がするのよ」
夏の夜空に浮かぶ月は、柔らかい光でこの月都ムーナムを照らしていた。
正門の前からムーナム城を見上げつつ、頭に尻尾を着けた黒髪の青年がそう呟くのを俺は聞き逃さなかった。
「アルスぅ・・・・お前、何の捻りもないぞ、ソレ」
「え?・・・・・うん、俺もそう思ったけど、他に思いつかなくてさぁ・・・・駄目かな、やっぱ」
「お前なぁ・・・・・」
ついこの前から始まった割には、俺にとって普段通りと感じられる会話を交わしながらでも、俺の心は重かった。
何故なら、ここは俺が一番近付きたくない所だからである。
「何をやってるんだ、二人供?」
目の前の入城口で時間外入場の為の書類にサインをしていたはずの兄貴が目の前まで戻ってきていた。
入城手続きはどうやら終わったらしい。
兜こそ被っていないが、戦闘用の金色の飾りが印象的な全体的に黒い甲冑に身を包み、黒いマントを肩当の下から垂らしているその姿は俺に親父を思い出させた。
親子なのだから当たり前といえば当たり前だが、兄貴のそういう姿は今まで見た事が無かったので、それでそう思ったのかもしれなかった。
兄貴は、ムーナイア王国軍の主力騎士団の一つ、天雷騎士団の団長をやっているらしい。
今から丁度丸一日前から黒天騎士団に襲撃されたムーナム市街を守るべく戦っていた天雷騎士団の総括者として、実戦に多少加わっていた様である、
ただ、本人曰く大した事は出来なかったらしい。
ムーナムの防衛拠点は5つ。
市街の中心部に一つ、そして市街を囲む様に北東、北西、南東、南西と配置されたその拠点上それぞれに50人程の兵士が駐留している。
兄貴を含めた市内警備担当の兵士達が駐留している市街の中心部まで侵入した黒天騎士団の兵士はごくわずかで、
その大部分を相手にする羽目になったのは市街北東部に駐留していた部隊であったらしい。
市街を取り囲む形で戦線を展開してくる黒天騎士団を相手に、兄貴はもっぱら戦力の振り分けや状況把握等の頭脳労働に終始していて「精神的に疲れた」等と言っている。
事態に気付いたムーナム近辺の部隊が増援に来てくれなければ最悪市街を制圧されていたかもしれないそうだ。
詰まる所、俺が倒れていた間に全ては終わっていたということらしい。
無理して急ぐ事もなかったという事なのだろうか・・・。
・・・・・・それはともかく戦闘の終結したムーナム市街・・・特に、このムーナム城の近辺は静かだ。
途中通って来た繁華街の辺りでは祝勝ムードで多少盛り上がっていたが、この辺りにはそれはなかった、まだ気は抜けない・・・という事なのかもしれない。
普段は城の庭は常に開放されていて、出入り自由である。例外は議会等の国務施設がある区画への立ち入りで、それには許可が要る。
また、ここには王族も一応住んでいるが、そこへ入るには特別な許可はいらない、とはいえ普通の家と同じく、見も知らぬ人間が非常識な時間に来れば、当然ながら叩き出されるが。
今は事態が事態なだけに城門は閉ざされ、特別な許可がなければ入れないらしい、もっとも近日中には解除されるのだろうが。
「では行こうか」
「おう、行ってらっしゃい」
「・・・・・・何をしてるんだ、ライル?」
「見送り」
「お前は絶対に連れて行く」
「・・・・・・わ、解ったよ・・・・」
兄貴の声は暗に『冗談でもそういうことは言うな』と言っていた。
ものすごく怒っているらしい・・・兄貴の心情をを考えれば当然とも言えるのだが、怒られるこっちとしては自業自得とは言ってもあまりいい気はしない。
溜息を吐きつつ、歩き出すと、
「いやー、なんかワクワクするな」
と、アルスの子供みたいな声が聞こえた。
気楽でいいな、お前・・・・。
内心毒づきつつ、俺は約1年ぶりにムーナム城の門をくぐった。
周りにいるのは俺と兄貴とアルスだけだった、残りは兄貴の家であるエミュタイン家にいる。
何故こんな事になったのか、話は少し前に遡る。
「あ、あのさ、何か用事あったんじゃねえの、今ここってやばいんだろ?兄貴騎士団の重役なんだから現場離れちゃイカンでしょ?」
「お前が心配しなくても大丈夫だ、私如きがいなくても重鎮の方々が何とかしてくれる」
「でも、無断ってのは良くないんじゃあ・・・」
「お前に言われたくは無い。それに、連絡ならさっき伝えた。重要な用事ができたとな」
「・・・な、何すか、重要な用事って・・・・?」
ある程度予測はついてるが、あえて突っ込む。
「お前の事だ。・・・・逃げようとしても無駄だぞ、その時はお前の体の自由を奪うだけだからな、最悪死ぬかもしれんから、命を粗末にしたくなければ大人しくしてろ」
・・・ぐぅの音も出なかった。
そうして、これ以上無い憂鬱な気分で馬に揺られる事暫く、
ムーナム市街から少し西に外れた所・・・・周りの景色が俺の良く知る物と変わりつつある中、
ようやく、その家は見えてきた。
夕暮れの森の中から、人工的に生み出された淡い光が漏れ出ている。
それはその家の窓から漏れ出る魔力灯の光ではあったが、説明されなければ良く解らない程で、以前そこに住んでいた俺にさえ幻想的な雰囲気を醸し出して見せる。
今はどうだか知らないが、昔はたまに画家が絵を書かせて欲しいと言って来る事もあった。
200年前から天雷騎士団の総括者の地位を代々受け継いできたムーナイアの名門貴族の家・・・それは森に囲まれ、今、夏夜の闇をも纏って木々の間に溶け込もうとしていた。
多くの木々に囲まれている為に、その全体象は良く解らなくなっているが、そのせいで実際よりもだいぶ小さく見えるこの家が俺は好きだった。
家の作りも古くはあるがしっかりしていて、親父や兄貴を思い出させる。
それ故に、ここはもう、俺の家ではありえなかった。
「ここが・・・お前の家なのか、ライル?」
家の前に着くなり、アルスからそんな事を言われた。
なんだか釈然としない表情である。
「厳密には違うけど・・・なんか問題でもあるのか?」
「似合わないなあと思って」
返す言葉も出なかった。
「確かにまあ、ライルには不釣合いなほど落ち着いたたたずまいだな・・・」
「うん、なんかライルのイメージには合わないね」
「・・・・・・お前ら・・・」
ザメルとキャンの追い討ちに、流石の俺もちょっと御機嫌斜めだ、言いたい放題言いやがって・・・。
しかし、言い返す事は出来なかった、何故かと言うと・・・・・・俺自身、そう思っていたからである。
仕方なく、頭を掻きながら周りを見回した。
驚くほど変わり映えのしない景色だ。
もうしばらくすれば、1年前と同じで静かで深い闇に覆われるに違いない。
そう思いながら、俺はふと視線を止めた。
ノールが何やら真剣に考え込んでいる・・・・、
それが、何故か気になった。
「ライル」
「ん・・?何だ、兄貴?」
考え事をしていたため、一瞬反応が遅れたが、兄貴は意に介さない様だった。
話しかけるタイミングを計っていたのかもしれない。
「さっさと荷物を置いて来い、出かけるぞ」
「出かけるって・・・、俺も行かなきゃいけないのか・・大体何処行くんだよ?」
「ムーナム城だ」
「え!?」
俺の声を最後に、場が沈黙する。
周りの全員の視線が俺に集中している所を見ると、自分では解らないが余程変な声だったらしい。
「こっ、こいつらの相手どうすんだよ?」
「モルファスさんに任せる、我が家の大切な客人だからな、お前などに横着な対応をされてはかなわん」
「行かなきゃ・・・・・・駄目すか・・・・・・・・?」
「当たり前だ」
その瞬間、俺のげんなりが最高に達した
最高にブルーって奴である。
・・・逃げようかな・・・・・?
「逃げたらボコにするからな」
お見通しらしい。
渾身の溜息をついて、気を紛らわしたその瞬間、能天気な声が響いた。
「あのー、俺も着いてっていいですか?」
「君は・・・・?」
不意の声に兄貴が怪訝そうに声の主であるアルスを見やった。
「アルス=アズザウィアです。俺、冒険者やってるんですけど、ムーナム城って行った事なくて、ちょっと見てみたいんですよ、駄目ですかね?」
「アルス君・・・か。別に構わないが・・・・、行ってどうするんだ?」
「純粋な好奇心ですよ、気にしないで下さい」
「純粋な好奇心・・・・・?」
不思議そうな顔をする兄貴と、何も考えてないようなアルスの顔を見比べつつ、俺は兄貴の為にフォローでも入れてやる事にした。
こうでもしておかないと、アルスが誤解されかねない。
「ああいう奴なんだ、特に他意は無いと思うから連れてってやろうぜ・・・」
「・・・まあいいだろう・・・」
「どうもっす」
コイツには自分がやろうとしてることがどういうことなのかがどこまで解っているのか、
アルスの嬉しそうな顔を見ながら俺は考えたが、無意味そうなので即座に止めた。
「さっさと中に入るか・・・」
呟いて玄関に向き直った俺は、初老の紳士然とした人を目に捕らえた。
柔らかく微笑むその顔には見覚えがある。
「モルファスさん!」
「お帰りなさいませ、ライル様」
モルファスさんは10年ほど前、母さんが死んでから家の家事全般と雑用を取り仕切っている人だ。
親父や兄貴には言えない事でも、この人には相談できる、俺にとってはそういう人だった。
1年前も、この人にだけは出て行く前に会って(というか出くわしたのだが)、話をしている。
「モルファスさん、丁度良かった。彼等の案内とライルの荷物を部屋まで持って行ってやってくれないか」
「・・・これはまた大勢のお客様ですね、かしこまりました。お世話はお任せ下さい。それで・・・・どちらにお出かけですか?」
「ムーナム城だ、帰りはそんなに遅くならないと思うから」
「解りました」
兄貴が勝手に話を進めて行く。
口は挟めそうになかった、普段穏やかなだけに今みたいな状態ではかなり怖い。
荷物もモルファスさんに渡せということは、置きに行くふりをして逃げるというのも無理くさい。
ここまで来て逃げるというのもなんだが・・・・。
「じゃ、よろしく頼むよ・・・、おい、アルス。お前も荷物」
「あ、よろしくお願いします」
「ご一緒されるのですか・・・では、貴方のお荷物はライル様の部屋に運んでおきましょう」
「よろしくお願いします」
丁寧に礼を言うアルスを横目に見ながら、俺は重い足取りで歩き出した。
「どうしたんだ、ライル?らしくないぞ」
「・・・俺がらしいかどうか、会って1ヶ月経ってないのに断言すんなよ」
先を歩く兄貴の後をついて、俺とアルスは並んで歩いている。
例によって、その会話には緊張感は皆無だ。
自分でもちょっと不思議である。
「解るんだからしょうがないだろ」
「まあ、俺もお前がどういう奴か理解してるぐらいだからな」
「じゃあ、俺がどういう奴なのか言ってみろよ・・・」
「言って・・・・いいのか?・・・・」
俺の問いにアルスはしばらく黙り込み、考えを巡らせているようだった。
「・・・・いいや、なんか碌な事言われなさそうな気がするし・・・・」
「賢明な判断だ」
「二人供」
不意に兄貴が立ち止まって振り返った。
「なんだよ、五月蝿かったか?」
「いや、なかなか面白いやり取りだった・・・、二人供大会議室で待っててくれ」
「はぁ・・・なんだそりゃ?、あんな無意味に広い所で何やるんだよ?」
「いいから行け、陛下からのお達しなんだ」
「げっ・・・おじさんからかよ・・・・」
親父の友人であり、俺も知らないわけではない一人の男性の姿を思い出す。
・・・・時々何を考えてるんだか解らない人ではあったが・・・・。
「逃げるなよ、ライル」
「わかってるよ、ここまで来て逃げやしねえよ、兄貴はどこ行くんだ?」
「陛下の部屋だ、私だけ来るように言われてる、ではな」
「ああ・・・」
何か、釈然としない物を感じる・・・が、気にしても仕方ないだろう。
おじさんの言う事だから、ある程度ぶっ飛んでても不思議は無い。
「じゃ、行こうぜ」
「場所解ってんのか、ライル?」
「当たり前だろ、俺はここに来るの初めてじゃないんだぞ」
「・・・・・意外だな・・・・」
「しめんぞこのヤロウ・・・・」
先に立って歩きだす。
「変な所に行くなよ、お前のお兄さん怖そうだからな・・・」
「行かねえよ・・・・・、今日は特別機嫌が悪いみたいだからな」
この野郎は天然入ってるくせに変な所は妙に鋭い。
逃げようかなと思っていた俺はなんかやる気が失せてしまった。
「なあライル」
「何だよ?」
「何がそんなに嫌なんだ?」
「何が・・・って、どうして?」
「ここに来てから妙にらしくないし、来る時も嫌がってたからな」
「あー、それはなぁ・・・・・」
「それは?」
・・・・どうしよう、会うとすごく気まずい人がいるから・・・とは言えんしなぁ・・・・。
当たり障りのない事柄でごまかしてもいいが・・・・・。
「アルス・・・・お前さ、学校の職員室って好きか?」
「藪から棒だな。・・・・・・説教される時以外ならそれほど嫌いでもないぜ」
「そうか・・・・・、今の俺はその説教される時の気分なんだよ・・・・・」
「へぇ・・・・苦手な人でもいるわけか?」
やっぱり・・・意外と鋭いな、コイツ。
そう思い、溜息を吐きながら俺は言葉を押し出した。
「そうだ。・・・・・・着いたぜ、ここだ」
話が途切れた丁度その時に、俺達は大会議室の扉の前に立っていた。
場所を知ってはいたが、俺自身入った事は数えるほどである。
学生時代に遊びに来た時に何度か入った事がある程度だ。
扉を押し開け中へと入ると、大会議室の全景が目に入る。
部屋の内部はほのかに明るかった。
部屋の中央奥に演台と供に開けた空間がある。
そこを要の部分にして、部屋は扇形に広がり、
同時に扇の先端に行くに従って高くなってゆく構造だ。
扇の部分にあるのは座席で、会議の場合出席者達はここに座る事になる。
俺達が立っている入り口の部分は部屋全体で最も高い位置であり、俺は部屋全体を見下ろす形になっていた。
「うへぇ〜・・・広いなぁ・・・」
アルスは周りを見渡してそんなことを言っている。
その言葉に対して、俺は返事を返す事もせずに部屋の奥の方へと歩き出した。
部屋の中の唯一の光源が演台の上にあって、当然演台の近くだけが明るいからである。
先ほど感じたほのかな明るさは、部屋の大部分が暗く、明るい部分が部屋の容積に対して小さいからである。
歩き出すとアルスも黙ってついて来ている様だった。
振り返りこそしなかったが、石造りの床に響く足音がそれを俺に教えてくれていた。
「あ、そういやさ、俺達剣なんか持ってるけどいいのか?」
黙ってるかと思えばいきなりの質問に、俺は一瞬振り返り、話ながら歩き出した。
「何だよ、藪から棒に」
「いや、やっぱり気になるからさ」
「はぁ・・・入る時止められなかったから多分大丈夫だろ。・・・今は非常時だから参考にはならねえけど、普段なら何も言われないせ」
「いいのかよそんな事で・・・。ここって、この国の中枢機関じゃねえのか?」
「中枢機関なのは議会が召集される時だけだよ、議会がある時はある時で警戒厳重だけど、普段は静かなもんだよ」
本当に静かなものだ・・・とはいえ、いつもは今に比べればまだ少しは騒がしいのだが。
「へぇ〜・・・。あ、ついでだから聞きたいんだけど、ムーナイアって王国だろ、王族とかどこに住んでるんだ?」
「あー・・・と、一応この建物の隣に王族の家があるな・・・・」
「家があるって・・・・、それなのに普段は帯剣してても何も言われないわけか?」
「ま、な。王族つーたって、実際は飾りだからな、飾り」
「大した権力は無いって事か?」
「ああ、国王といっても議会で2議席持ってるってだけだ。この国の最高権力は詰まる所議会だしな。・・でもまあ、発言にはそれなりに影響力があるな・・」
「へぇ・・・・、象徴ってことか・・・もしかして血縁で継承するってわけでもないとか・・・?」
「いや、一応血縁で継承していくことになってるけど、血統が絶えたらその時はどっかの大貴族が引き継ぐって事になってるらしいぜ」
話しながら、内心苦笑した。
何故なら、話した事のほとんどは現国王の受け売りだからである。
「なるほどね。・・・・・・ん、来たらしいぜ」
扉が開く音で話が途切れた、
話が途切れた時、俺達は丁度演台の周辺に立っていて、光の加減で扉の方を向いてもそこに誰がいるのかは良く解らなかった。
俺達が歩いてきた通路部分を、ゆっくりとこちらへ降りてくる人影は、こちらに近付くにつれその輪郭がはっきりとしてくる。
「あれ・・・1人・・・・?」
こちらへと降りてくるその人間は俺の良く知った顔だった。
一見すると無表情にすら見えるその顔には、付き合いの長さ故に良く解る怒りが見て取れる。
色々な事を思い出しながら、俺は事が穏やかには済まないだろうと感じていた。
正直、ちょっと可愛いと思う。
しかし、そんな事よりも今気になるのは、彼女が手に持った剣と、彼女の姿を見てから真剣味を帯びたライルの表情だった。
「誰かと思えばクレアじゃねえか、元気そうだな」
「おかげさまでね」
静かだが力が込められた口調はなにか怖いものがある。
ライルが苦手だと言っていたのはクレアというこの娘の事なのだろうか?
訊きたいのだが、ライルも向こうもマジっぽい表情なので訊くに訊けない。
「兄貴は・・・どうした?」
「お父さんの部屋にいるはずよ、ここに来るのはもう少し後になるでしょうね」
「そうか・・・で、お前はここで何やるつもりなんだ?」
ライルのその問いに、彼女は1つ息を吐き出すと、ゆっくりと答えた。
「そうね、俗っぽく言うと・・・・落とし前を着けるってとこかしらね」
彼女が手に持った剣を抜いたのは、その台詞を言い終わろうかとする時だった。
「落とし前・・・だと?」
「身勝手な貴方に、姉さんがどれだけ傷ついたかをわからせるにはこれが一番でしょう?・・・・抜きなさいよ」
「本気かよ・・・・・お前・・・・」
「本気も本気よ・・・・。抜かないの?」
「無抵抗で終われせるってのは・・・駄目か?」
「骨の5・6本って所ね・・・、動かなければすぐ済むわ」
「・・・・・・そいつは困る、痛いのは嫌だ」
そこで、ライルは剣を抜いた。
「それでいいわ・・・・・いくらなんでも、無抵抗の人間を斬るのは・・・・・騎士道に反するしねっ!」
言葉の最後の部分を半ば叫ぶ様に吐き捨てて、彼女はライルへと突進した。
「アルス、離れてろ!」
ライルは叫びつつ俺がいる方向とは逆へと走った。
だが、それを見て、クレアは次の行動を起こしていた。
「月輪刃(がちりんじん)っ!」
怒号と同時に、彼女の剣が虚空を薙いだ。
振り抜かれた切っ先から迸った闘気は円盤状になってライルを狙って飛んでゆく。
「なっ!?」
驚きの表情を見せながらも、ライルは運動能力にものを言わせて進んでいた方向とは逆の方向へと床を蹴って飛んでいた。
ライルがつい先程までいた場所に気弾が直撃し、轟音を立てつつ床の一部をふっとばす。
ついさっきまで静かだった部屋は、にわかに騒がしくなっていた。
そして俺は、それをただ眺めてていいのかと今更ながらに考え始めていた。
ムーナイア国王ザルステム=テラ=ムーナイア様の言葉に、私はそう返していた。
国王の執務室は非情時とは言えいつもと変わらず静まり返っている。
窓から見える景色はすっかり夜の闇に包まれていた
「ここへ来る様にと君に言ってから、私はそれを変えた覚えは無いのだよ」
「では、一体?」
私が口にした疑問の台詞と供に、私は自分が物理的に揺れるのを感じた。
一瞬立ちくらみかとも思ったが、そうではないらしい。
「!?・・・これは・・・・?」
「下だな、方向からすると・・・・・」
階下から更なる震動が伝わってきたのはその時だった。
震源は恐らく・・・・。
「会議室だな、ディーン、悪いが行ってくれるかね。多分、さっきの件も含めて、やったのはあの子だろう。どうにか止めてやってくれ」
「解りました」
短く返事をすると、部屋の入り口近くに置いておいた剣へと私は歩き出した。
「すまないな、本当なら私が止めに行くべきなのだが・・・・・」
「お気になさらずに。弟のやった事が原因ですから、兄である私にも責任はあります」
「・・・・そうか、ライルは明日改めて連れて来てくれるか?今日は大変だろうからな・・・」
「・・・・承知しました」
一礼して、部屋を出ると、私は全速で駆け出した。
家の隣である城で何かあったのだろうか?
読んでいた本を机に置いて部屋を出ると、そこでまた似たような音が聞こえた。
妹の顔と、私と同じ金色の髪の男の姿が脳裏に浮かんだ。
「・・・・・・まずい・・・・かな」
呟いた時には、私はもう走り出していた。
意を決して剣を抜いたその瞬間、俺のすぐ横の床が吹っ飛んだ。
気弾が直撃したせいらしい。
「そこの男ッ!、下手に手出しするなら命の保証はしないッ!」
遠くから黒髪の少女がこちらを睨みながらそう叫んだ。
怖い・・・・俺はちょっとだけ止めるのをやめたくなった。
そう思っているそばから、クレアと呼ばれた黒髪の少女はライルに向かって小さな気弾を連続で放った。
ライルはそれを跳んでかわすと、同時に間合いを詰めていた、一気に取り押さえるつもりらしい。
だが、次の瞬間、
「月楼天向斬(げつろうてんこうざん)!」
叫ぶと同時にクレアは大地を蹴った。
同時に剣を振り上げるクレアにライルはやはり反撃しない、剣を抜きはしたがそれはクレアが放った一撃を回避するのに使われただけだった。
剣と剣がぶつかる音が部屋に響いた次の瞬間、鈍い音と供にライルが吹っ飛んだ、クレアに蹴り飛ばされたのである。
派手な音と供にライルは落下地点にあった机とぶつかると、鈍い動きで立ち上がった。
「・・・・・手加減しろよ、ちったあよ・・・・・・」
「言いたい事はそれだけかしら?」
「まあな・・・・」
「一つ聞かせてもらっていいかしら?」
「・・・・どうぞ・・・」
「何故抵抗しないの?」
クレアの言葉にライルはすぐには答えなかった。
一瞬の沈黙の後、話し出す。
「抵抗すれば・・・・お前は満足するのか?」
「・・・・・・・しないわッ!」
叫ぶと同時にクレアは一気に走って間合いを詰め、剣を後方へ引いた。
「くっ!」
ライルはその動きに反応して防御態勢を取り、一瞬硬直する。
その瞬間、クレアは片手で持った剣を逆手に持ちかえると、それを床に突き刺した。
「しまっ・・・・!」
ライルの言葉は続かなかった、クレアの当て身が入っていたからである。
「月裏・・旋円投(げつりせんえんとう)ッ!」
クレアは流れるような動きでライルの体を軽々と肩越しに放り投げた、まるで手品か何かの様だったが、それで行動が終わった訳ではなかった。
床に突き刺した剣を引きぬくと、彼女は吹き飛んだライルへ向かって走り出している。
「月楼・・・・・・」
さっきライルを迎え撃った飛び上がる一撃を放つつもりらしい、今度こそまずいと思った俺は剣を握りしめた、その瞬間である、
「これ借りるわね」
不意に隣から声がしたと思ったら、俺は剣をひったくられていた。
声に反応して横を向いた時、目に映ったのは長く美しい金色の髪だけで、
横へ振った視界を正面へ戻した時には、金髪の女性が俺の剣を手に宙を舞っている光景だった。
「てんっこうざんっ!」
クレアが跳んだ、そして、空中で受身が取れないライルに向かって剣を振り上げる。
だが、その振り抜かれた剣はライルの体を捕らえる事は出来なかった。
先程の金髪の女の子がそれを上から剣で受け止めていたからである。
金属同士がぶつかる音がして、俺は安心の溜息をもらした・・が、
放り投げられたライルの体がこっちに向かって飛んでいる事にその時気付いた。
「なぁッ!?」
叫んだ直後に、ライルの体が眼前一杯に広がり、俺はライルの直撃をくらって倒れた。
ものすごく、痛い。
「・・・・・ライル、大丈夫か?」
どうにかその一言を搾り出すと、俺はゆっくり立ち上がった。
「何とかな・・・・・・お前は?」
「あんまり大丈夫じゃない・・・・」
「・・・悪い・・・」
短く俺に向かってそう言いながら立ち上がったライルは、先程自分が投げられた場所の方をじっと見やった。
その動きにつられて、俺もそちらを見ると、そこでは先程の二人が対峙したまま睨み合っていた。
「剣を退きなさい、クレア」
そう言い放った金髪の少女の顔は未だに俺には見えない。
後姿だからである、片やそう言われたクレアはその整った顔を歪めた。
「私はっ!」
「解ってるわ!・・・・・・もういいから、やめなさい」
それきり、二人供押し黙ってしまった。
周りの空気がとてつもなく重い、俺に背を向ける形になっているライルもまた黙って二人の方を見つめるばかりだ。
重苦しさに耐えかねて俺が口を開きかけた瞬間、今まで閉じられていた俺達とは逆方向にある会議室の扉が開く。
「やはり・・・・・、クレアか・・・」
姿をあらわしたのはライルのお兄さんだった、その表情はやや苦々しげである。
「・・・・・姉さんに免じて、ここは退くわね・・・・」
そういうと、クレアは剣を鞘に収め、自分が入ってきた入り口へと歩き出した。
先程までの激情ぶりが嘘のような静かな表情である、どこか、寂しそうでもあった。
「クレアっ!」
「お父さんの所なら今から行くわ、心配しないで」
呼びかけるライルのお兄さんの声に、振り向きもせずに応えた彼女はそのまま部屋を出て行く。
「ライル、お前達は先に家に帰っていろ!、私はもう少し遅くなる!」
それだけ叫ぶと、お兄さんもクレアを追って部屋を出ていった。
残されたのは、金髪の少女と俺達二人だけである。
金髪の少女がこちらへと振り返った。
整った顔立ちの美しいと表現するべき彼女は、ゆっくりとこっちへ歩み寄ってくると、俺の前で立ち止まった。
「ありがとう、剣、返すわね」
「あ、ああ。こっちこそ。おかげでライルも助かったよ」
「別に気にしないで、私にも責任がある事だから」
「は?」
それはどう言う事かとは聞けなかった。
話しかけるタイミングを逸したからである、言おうと思った時には彼女はもう俺の前にいなかった。
振りかえると、彼女がライルと向かいあっている。
「元気そうじゃない」
「おかげさんでな・・・・・助かった」
対するライルは神妙な顔をしている。
どうやら、彼女が『苦手な人』だったようだ、意外である。
「ふーん、珍しく素直だってことは、少しは悪いと思ってるんだ?」
「なんだそりゃあ・・・、お前、怒ってないのかよ?」
「ふふふっ・・・どうかしらね?」
悪戯っぽく笑うと、金髪の少女は入り口へと向かって歩み去っていった。
男二人でそれを見送るという姿はなんとなくマヌケな物がある。
完全に彼女の姿が見えなくなった頃、ようやくライルは俺の方へ向き直った。
「帰るか」
「・・・・ここ、こんなになってるけどいいのかよ?」
「兄貴達がなんとかすんだろ、さっさと帰ったほうがいい、多分な」
「そーか、お前がそういうならそうなんだろ」
そうして、俺達は歩き出した。
何より、あいつがどう思っているのかが良く解らない。
怒っているならそう言ってくれればそのほうがよほど気が楽だ。
そう考えていると、横から声がかけられた。
「あのさ、ライル」
「何だよ?」
「いや、あの金髪の子って名前なんつーの?」
噂をすれば影が差すというのとは少し違うが、考えているとその話題が出るというのは正直心臓に良くない。
大体話題の主が主である、俺は少しの間押し黙った。
「答え0たくねーんなら別にいいぜ」
「いや、ちょっと考え事してただけだ、あいつの名前はセレネフィス=レネ=ムーナイア」
「ムーナイア?・・・・王室関係者なのか?」
「王女だよ、プリンセスって奴だ」
「じゃあ、あの黒髪の娘は?」
「あれはクレネフィア=レネ=ムーナイア、セレネの妹さ」
「ふーん、で、金髪の娘はお前の彼女か何かだったのか?」
いきなりの質問に、俺はちょっと顔をしかめた。
「お前なぁ・・・」
「答えたくないんなら・・・」
「いいよ、答える。彼女っつーか、結婚約束した相手だよ」
「はぁ!?、何すかソレ!?」
今度はアルスが驚いた、どうやらアルスの想像を超えていたらしい。
「親同士が決めた許婚って奴だよ、強制力はないから大した事じゃないけどな」
「十分大した事じゃねーか、お前、満更でもないんだろ?」
「ノーコメントだ」
「へいへい、それで、何やったんだ?」
「何って・・何だよ?」
「何か怒らせるような事したんだろ?」
コイツ・・・本当にヘンな所で鋭い。
話を良く聞いていない様で実は良く聞いているのだろう・・・。
「まあ、ちょっとな・・・」
「ふーん、ちょっとね・・。でもさ、俺が見る限り全然怒ってる様には見えなかったぜ?」
「・・・まあな、だから俺も困ってるんだよ、あいつの考えてる事が良く解らない」
「うん、でもそりゃあ多分考えるだけ無駄だな」
「何で?」
「俺達は彼女じゃないからな、だから気楽に考えた方がいいぜ、お前は彼女に嫌われてない。それでいいじゃん」
そう言って歩いて行くアルスを見ながら、俺は歩みを止めた。
それでいい・・・それはそうかもしれない、だが、俺が気になったのはアルスだった。
俺と同年齢でこれだけさばけた考え方をするコイツの過去に何があったのだろうか?
気にはなる、でも、まだそれは俺が聞いても良い事じゃあないような気がした。
「・・・・それでいい・・・か、・・・そうだな」
アルスの後を追って俺は歩き出した。
天空に浮かぶ月、その柔らかい輝きはあいつの笑顔と同じ物だ。
話をしてみようと思った。
もう、自分には望むべくも無いものだと思っていた物だが、もしかしたら・・・・取り戻せるかもしれない。
―月夜に感じた予感は結構当たるのよ―
昔聞いた言葉が不意に蘇る。
そうかもな・・・・この予感、信じてみよう、俺は、そう思った。