『ある密かな恋』 Story「4」

「ね〜! 沙希もこっち来て一緒に記念写真撮ろうよ〜!」

 3月1日。
 卒業式も終わり、昇降口の前にはたくさんの人の輪があった。その輪ができたり消えたりくっついたり分かれたりしている。 沙希もその中のひとつにいた。


 私立きらめき高校に残る伝説。
『校庭の外れにある古木。卒業式の日にその樹の下で、女の子からの告白で生まれたカップルは、永遠に幸せな関係になれる……』


 当然、今年もこの伝説にあやかる卒業生がいることだろう。ただ実際のところ告白する生徒は少数で、多くの生徒は伝説を伝説としたままで卒業していってしまう。もちろん伝説を否定しているわけではない。できることなら伝説にあやかりたいと思っているのだ。でも、みんながみんな、いつも誰かを想いながら暮らしているわけではない。あやかりたくてもあやかりようがない。それが大半なのだ。
「あ〜! 今、目ぇつぶっちゃった〜! お願いもう1回! もう1回だけ〜! ね、沙希も良いでしょ?」
「……え、う、うん」
 クラスメートが盛り上がってる横で、沙希は一人浮かない顔でたたずんでいた。昨日の事を思うと、周りの声も頭を素通りしていく。
 ……きっと今頃、彼と藤崎さん、伝説の樹で……。
 詩織は伝説の樹の下で"彼"に告白するのだと言う。それに対して、沙希は"彼"の机に手紙を入れることができなかった。そして詩織に自分の気持ちを話すこともできなかった。そもそも、それを言ったところでどうにもならない事はわかっていた。
 もう幼なじみのままでいるのは嫌なの、か……。
 そんなの、贅沢だよ……。
 沙希のスカートのポケットには、今もまだ手紙が残っていた。未練が残っているのだろう。沙希はどうしても捨てることができなかった。
 藤崎さんが伝説の樹の下で彼に告白して、二人が恋人どうしになって、それで終わり。それは分かっている……。でも、もしかしたら……そう、実は彼も私のことを想っていてくれて、それで、今にも彼が私の肩をポン、って叩くの。そして……。
「沙希ちゃん」
 その声と共に、誰かが後ろから沙希の肩を叩いた。
 えっ……!
 沙希は一瞬、体をビクつかせるとゆっくりと振り向いた。するとそこに立っていたのは親友の未緒だった。
「未、未緒ちゃん……」
 沙希は一瞬でも期待した自分が情けなくなった。そして恥ずかしさで瞬時に顔が火照るのを感じた。
 良く考えれば、彼は私の事「沙希ちゃん」なんて呼んだ事無いもんね。いつも「虹野さん」って呼んでた。私、彼に「詩織」って呼んでもらえる藤崎さんがいつも羨ましくて……。
 藤崎さんは、私が欲しいものをみんな持ってるのに……。ひとつくらい分けてくれたってバチは当たらないよ……。
 ……なんか私、嫌な女の子だね……。
 そんなことを考えると、さっきまでの火照った顔がまた、沈んだ表情になっていた。
「沙希ちゃん、元気無い……。大丈夫? あの、どこか体の具合でも……?」
「そ、そういうわけじゃないの、ははは……」
 そう言って沙希は慌てて手を振った。それでも暗い表情は変わらない。
 気を取り直して未緒に話しかける。
「未緒ちゃん一人? 帰るんだったら一緒に……」
「それがさっき早乙女さんに、一緒に帰らないか、って言われてて……」
「あ……、そっか……」
 沙希は思い出した。二人は2日前くらいに付き合い出したのだった。その話を聞いた時、沙希は素直に「おめでとう」と言えた。二人に自分を重ねることができた。今は、ただ羨ましいだけ。二人を見ていられないくらいに……。
「あ、虹野さ〜ん!」
 後から来た好雄が間の抜けた声を上げた。
「虹野さんも一緒だったのか〜。あ……、えっと、虹野さんも一緒に帰る?」
 好雄は、未緒の親友である沙希に気を使ったのだろう。チラッと未緒を見てからそう言った。
 沙希は小さく首を横に振った。
「気を使わないで。今日は卒業式だもん。二人っきりで帰ったほうがいいよね。早乙女君もその方がいいでしょ?」
「そ、そう? ごめんね〜!」
 好雄の鼻の下がダラーンと伸びる。
「早乙女君、しっかり未緒ちゃんをつかまえておかなきゃなきゃだめよ。未緒ちゃん人気あるんだから。ね、未緒ちゃん?」
 沙希はそう言って未緒にウィンクしてみせた。
「やだ、そんな、沙希ちゃんたら……」
 未緒は下を向いてしまった。沙希には表情まで見えなかったが、きっと頬を赤らめているのだろう。今日の沙希とは正反対の理由でうつむいている。
「あ、いたいた。虹野せんぱーい!」
 3人が声のほうを向くと、そっちからみのりが走ってきた。
「あ、みのりちゃん」
「虹野先輩、卒業おめでとうございます!」
「おいおい、みのりちゃん、俺も一応卒業なんだけど……」
「あ、優美のお兄さんもおめでとうございます。そんな事より虹野先輩。なんか先輩の事探してましたよ、野球部の例の先輩」
「えっ……」
「"そんな事"って言い方はないだろう、みのりちゃん。あれ、虹野さんどうかした?」
「沙希ちゃんどうかしましたか?」
「先輩?」
 硬直した沙希を3人が見つめた。
「あの、私、ちょっと行ってくる!」
 突然、沙希はまるで何かが弾けた様に走り出した。
「先輩!? ちょっと、そんな慌ててどうしたんですか! 先輩!」

続く

Story「3」

委員会室へ戻るHOMEへ戻る