『夢、翔ばたくときを信じて……』 Story「3」

「お願いっ!!」
 沙希が叫んだ。
 キーパーが"彼"の足元のボールに飛びつくよりも早く、"彼"はその右足を振り抜く!
 ボールはキーパーの上を越え、ゴールの左隅へ一直線に向かっていく……そして……。

 ――バシィィィーン!!

 

 夕方と言うにはまだ早い時間。休日の学校にはまだいくつかのクラブが活動をしていて、校舎からもグラウンドからも生徒の声も聞こえてくる。
 サッカー部はというと、試合終了後、末賀高校と1時間の合同練習を行なってから、後片付け、解散となった。もう対抗試合で活気のあったサッカーグラウンドに人の姿はない。そんな静かなグラウンドの脇にある体育倉庫に、2つの人影があった。沙希とみのりだ。
「いくら虹野先輩が、やっておくから帰っていいって言ったからって、誰っ1人手伝わないなんて、まったくなに考えてるんでしょうね! ほんっとにもう!」
 みのりは大きな看板を持って倉庫の中に入りながらふてくされていた。看板は、対抗試合告知用の看板で、今日の朝から校門の脇に立てかけてあった物だ。みのりの背丈の1.5倍くらいはある大きな物だが、木の枠に紙を貼りつけてあるだけなので、みのりでも簡単に移動させることができた。
「ごめんね、みのりちゃん。私が勝手なこと言っちゃって……。大変だよね?」
「あ、いえ、別にそういうつもりじゃ……」
 みのりも沙希にこう言われてはなにも言えない。みのりにとってはちょっと"ズルイ"セリフだ。
「みんな、試合で疲れてると思うし、それに、部員の負担を少しでも軽くすることがマネージャーの仕事だから」
「それはそうなんですけど……。えーと、先輩。この看板はここに置いておけばいいですか?」
「あ、うん、そうね。その棚と棚の間に立てかけておけば邪魔にならないかな」
「わかりました」
 みのりは沙希に言われたとおりに、持っている看板を棚と棚の隙間に押し込んだ。
「よいしょっ……と。でも、こんな薄い紙を貼っただけじゃ、すぐ破れちゃいますよね。大丈夫なのかな」
 そう言ってみのりが看板を指差した。
「そうね。それじゃあ……」
 沙希が看板に近づくと、
「えいっ」
 突然、沙希が人差し指を看板に突き刺した。
「あ、先輩!? そんなことしていいんですか?」
「ふふふ。この紙は1回きりなのよ。使う度に張り替えてるから破っても平気なの。だから、こうやってぇ……えい、えい、えいっ」
 声とともに沙希は人差し指で看板にドンドン穴をあけていく。
「あ、ずるい。私もやりた〜い! そーれ、えーいっ!」
 ずぶっ!
「う〜ん、気持ちいいこれ〜! もう1回もう1回っと」
「みのりちゃん。破るのはいいけど、その代わり、次に看板を使うときは、破った人が張り替えるんだからね」
「せ、先輩……それを先に言ってください……」
「うふふ……。えーっと、これで片付けも終わりかな」
「あ、先輩。一緒に帰りましょう?」
「あー、えっと……私、ちょっと寄らないといけないところがあって……」
「え〜! そんなぁ〜。今日こそは一緒に帰れると思ったのに……」
 2人で最後まで残っていただけに、みのりの顔はいつにも増して愕然とした表情になる。こういう顔されると沙希も弱い。
「で、でも、すぐに済むと思うから、もしあれだったら先に着替えて、更衣室で待ってて」
「はい、わかりました!」
 2人が倉庫から出ると、みのりは嬉しそうに更衣室へ向かった。そして沙希は……。

 

「やっぱりいたんだ……」
「あ……虹野さん……」
 ガチャン。
 部室のドアが閉まる。沙希が思ったとおり、部室では"彼"が1人、ベンチに座ってボール磨きをしていた。グラウンドが湿っていたから、ボールの汚れはいつもよりひどい。試合だけなら使うボールも少なかったのだが、合同練習があったので、ほとんどのボールが汚れている。
「今まで片付けやってたの? ごめん。手伝わなくて……」
「あ、別にいいの。それがマネージャーの仕事だもの。あなたこそ、今日みたいな日でもボール磨きしてる……」
「今日は試合にもほとんど出れなかったし、練習も合同練習は1時間で終わっちゃったから、普段の練習より動いてないくらいだよ」
 "彼"はすこし苦笑した。
「た、確かに試合は途中からだったけど、で、でも、すっごくがんばってたよ! だから……」
 沙希の表情が沈む。
 すべて自分のせいのような気がしてしまう。沙希はそのことについて、以前友達に「沙希らしいけど人を傷つけることもあるから気をつけた方がいい」と言われた覚えがあった。それは沙希自身もわかっているのだが。
 そんな沙希を"彼"が気遣う。
「あ、虹野さん、気にすることないって。オレの方こそ最後、シュート外しちゃって……。あそこで入れてれば引き分けられたのに」
「そんな、どんなに上手い人だって、シュートを外すことはあるもの」
「うん、そうだね。ありがとう。励ましてくれて」
「ううん。私には、なにもできないから……。ミサンガもやっぱり御利益なくって……だ、だめだよね。あんなへたっぴなミサンガじゃ……」
 沙希は、泣きそうになってる自分に気づいて、うつむいてしまった。
 いつからこんなに泣き虫になってしまったんだろう。昔はここまですぐには泣かなかったはずなのに……。
「虹野さん、そんなことないって! ミサンガがあったから、あの末賀高校と互角に戦えたんだよ! オレだって、きっと試合に出れなかった……だから、ね?」
「う、うん……ありが……」
 そのセリフの最後のほうは言葉になってはいなかった。そして、気がつくと沙希は"彼"の胸に抱きついていた。目からは大粒の涙が溢れ出ていた。
「ご、ごめんね……。な、なにも、泣くことなんか……ないのにね……。ほんとは私、もっとあなたの力になりたくて……でも、なんにもできなくて……私は、ただがんばってって言ってるだけで、だからあなたは迷惑なんじゃないかって……あ、あなたがサッカーやめるって言ったのも……そのせいだと思って……そ、それに今日だって、試合中なのに、私はマネージャーなのに、自分のことばっかり考えてて……それで……それで……」
 心の中にあるタガが外れ、沙希は泣きじゃくりながら、心の内に隠していた想いを一気に言葉にしていく。そんな沙希を"彼"はぎゅっと抱きしめた。気持ちが高ぶっている沙希の鼓動と"彼"の鼓動は重ならない。しかしそれが逆に強く、沙希に"彼"を感じさせていた。そのせいか、泣きじゃくる沙希は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
 "彼"は沙希の両肩を掴むと、そっと自分から引き離した。沙希はうつむいたまま、涙でくしゃくしゃになった顔を手でぬぐっている。
「虹野さん、聞いて。オレってさ、きっとサッカーの才能なんてなくて、でも、サッカー好きだしレギュラーにもなりたいから、これからもずっと努力していこうと思うんだ。でも、オレって虹野さんが思ってるほど根性なくて、また、いつかみたいに途中で投げ出すかもしれない……」
「…………」
「だから、虹野さん。これからもオレのこと応援してくれないかな? 少しも迷惑なんかじゃないから。そうすれば、きっと最後までがんばれるから。昨日まで、サッカーやめるなんて言ってたヤツがこんなこと言っても説得力ないかもしれないけど……今なら自信を持ってそう言えるから……」
 沙希は顔を上げた。自然と2人はみつめあった。沙希の顔は、涙は止まっていたが、目は真っ赤になっていて、頬には涙の流れたあとがはっきりとわかる。
「……うん……」
 沙希はただ、"彼"の言葉にうなずいた。
 私、彼のそばにいていいんだね……。これからも彼のこと応援していっていいんだね……。彼のこと、好きでいていいんだよね……。
 再び、沙希の目に涙が溜まりだす。"彼"とって、そんな沙希がどれほどいとおしく見えることだろうか。
「虹野さん……。オレ、虹野さんのこと……」
 ガチャ!
 突然、部室の入り口が開き、"彼"の言葉はかき消された。そして、制服に着替えたみのりが部室に入ったきた。急の襲来に、2人は慌てて身を離した。2人とも、同じように顔が赤くなっている。
「虹野せんぱ〜い! こんなところにいて〜。あ、やっぱり先輩がいるし……」
 みのりは"彼"のことを見た途端、あからさまに嫌悪の表情を浮かべた。
「みみ、み、みのりちゃん! ま、待っててって言ったのに、あの……」
 沙希は必死で泣き顔を腕で拭う。でも、おもいっきり泣いた沙希の顔は拭って済むような状態ではなかった。そして、それはみのりの気づくところとなった。
「あ! 先輩、もしかして……泣いてませんか……? ……うぅ〜、嫌な予感がして来てみればぁ〜っ!」
 みのりの体が怒りに振え、そして手にも力が入っているのがわかる。
「先輩! 虹野先輩になにしたんですか〜っ! に・じ・の・先・輩を、泣〜か〜せ〜るなんてぇ〜! ぜ〜ったいに、ゆ〜る〜せ〜な〜い〜っ!!」
「み、みのりちゃん!? 違うの、そうじゃ……みのりちゃん!!」
 沙希の声は、もはやみのりには届いていなかった。近くにあったサッカーボールを手に取ると、みのりは本能の赴くまま、怒りにまかせてそのボールを"彼"に投げつけた。もちろん1球では済まない。何度も何度も"彼"に向かって怒りのボールがすっ飛んでいく。
「おい、み、みのりちゃん! 誤解だ〜っ!!」
「絶対、絶対、許せな〜いっ!!」

 バコッ!!

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Story「2」

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