ヨオロッパの世紀末 吉田健一(著) 岩波文庫 (1994/10)
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現在にも生きるがごとき吉田の世紀末, 2007/10/27
ここでいう世紀末は、勿論、1800年代の世紀末であって1900年代の世紀末ではない。しかし、20世紀末こそ、ヨーロッパはアメリカに代わらんとして活気があふれ、今でもそれは続いているようにみえる。そのような時にあたって、ヨーロッパとは何であったか、何であるか、何であろうとしているか、この本を通しそれらを吉田さんと議論してみようと思った。惜しむらくは、問いかけても応えてはくれず、19世紀末のことを繰り返し示して答えてくれるのみであった−−−
まず最初に、吉田健一の文章は、独特の調子があって、なれないとむずかしく感ずる。だからといって、ゆっくり読むとかえって分かりにくく、一文を一気に早く読む方が理解しやすい。そのうちに次第に読み方のコツが分かってくる、という文章である。
吉田のいうヨオロッパの世紀末は、嘆美、退廃といったいわゆる世紀末文化の常識とは全く異なる。吉田はまずヨオロッパとは何かを問う。つまり、ギリシャ、ローマ以来の歴史の中で、ルネサンスを経て18世紀に到達を見たヨーロッパとしての特性、即ち、優雅さ、人の気持ちを労うのを礼節とみる気風、快楽の追求などの特性にみられる成熟した文化を指摘する。ところが19世紀になるとそれらが愚劣、偽善、粗雑へと転落し、生を見失い実利に徹した社会となった、とみる。(ついでに、日本が摂取したヨオロッパはそのようなヨオロッパであった。)そして、世紀末にいたり、それを否定しヨオロッパを取り返そうとする動きが現れ、それがヨオロッパの世紀末である、という。それは言葉に最も端的に表れており、ボードレールが、そのような健全な精神の持ち主の典型であるという。
そのような文脈をたどって本書を読んだとき、吉田の指摘は、ひょっとすると20世紀末から今に至るも姿を変えてではあるけれども、依然として生きているように思うのだが、如何であろうか?