パリの手記〈5〉空そして永遠 辻 邦生(著) 河出書房新社 (1974)
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小説家/文学者としての本格的なスタート, 2013/10/22
この巻(1960年8月16日〜1961年3月3日)では、パリの文学修行が終盤となり、辻さん得意の抽象的論議はますます深化するのですが、併せて実作に則った具体的記述が増えます。 スペイン・南仏の旅(8月18日〜8月31日〜9月16日)を行います。サン・セバスチアンからスペインに入り、サラマンカ、マドリード、トレド、バルセロナなどを回ります。その後、フランスに戻り、カルカッソンヌ、ツールーズを経てクスコーでは有名な壁画を見ます。セートの印象は強く、「青海が身体じゅうにしみこんでい」て、「そこに十字架が浮かぶ」と書き、「なぜセートの海の色があんなに僕を感動させ・・・・僕をこの詩に近づけたかがわかる」とヴァレリー『海辺の墓地』のことを記しています。プロヴァンスを巡ったあと、グルノーブルではモーパッサンの足跡を訪ねます。 10月4日には、留学延長のためには指導教官の証明がいると伝えられ、指導教官のいない身として帰国を決意します。しかし、佐保子夫人は学位論文を書くためにそのままカンパーニュ・プルミエール街のアパートに残ることとなるのです。 ドイツの冬の旅(12月7日〜1月はじめ)では、友人のフロベニウスの誘いでフライブルグ滞在をした後、チューリッヒ、ウィーン、ザルツブルグ、ミュンヘン、フランクフルト(年越し)を巡ります。 そして、1月31日、ラオス号で帰国の途につきます。帰路なので航路上の風景や行動記録は当然のこと、往路に比べ少なくなります。すでに10月14日に「<大きな自己>に達したように思う」と書いていますが、それらを踏まえ、帰国に向けた決意が書かれ、3月3日、横浜に帰着し、3年7カ月のパリ留学が終ります。 「『パリの手記』の終りに」というあとがきが付されています。 この巻を読んでいて目についた論議を、以下に、摘出しておきます。 「ある」ということの姿を見失っている、として、「存在」「小説」について考察し「物語とは・・・・」と論を進めます。 「ある旅の終り」(後の「見知らぬ町にて」)を作るにあたって「小説は物の外にいて書く」ことを見出したとして、さらに「小説とは現実の衣装をきたイデーの表現である」と書きます。 「純粋主観→『あらわれ』の世界→世界の中の空白→現象的緊張→・・・・→感動→充足→表現の完成→より純化した主観。そして同じ循環がつづいてゆく」と主観の発展を記します。 情緒をもった映像を作り出すことが考察されます。 「書くこと---それは真に実在せしめる唯一の行為」として、さらに「芸術の意味」「本質的なものは」何か、が探索されます。 ドイツなどの冬の旅を題材にして「私」「物語」「個」「厚い現実」などのキーワードを駆使して文学技法が述べられます。 「ブッデンブロークス」における主題とエピソードに関し、モーム「小説はストーリーで考える」を引いて、小説家はエピソード(ストーリー)によるほか表現手段をもたないと論じ、生きたエピソードということをはじめ詳細な論述が展開されます。 そして、「これ以上は『作品』そのもので示さなければならない」と書きます。 この間、「ある旅の終り」(後の「見知らぬ町にて」)、「影」「城」「ある告別」が執筆され、「回廊にて」が「マーシャの記憶」として登場します。 この巻で取りあげられる著名作家とその作品は、トーマス・マン「ブッデンブロークス」、シェイクスピア「マクベス」、ヘミングウェイ「武器よさらば」、モーム、デュ・ガール「チボー家」、トルストイ「アンナ・カレーニナ」、モーパッサン「赤と黒」「パルムの僧院」、プルースト「失われた時」のいくつかの巻、リルケはあまり出ません。 全五巻、読みようによっては、一つのロマンでもあります。 |