『資本論』全三部を読む(全7冊)  新日本出版社 (2003/5〜2004/5)   不破哲三(著)
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マルクスも発展途上であって、それは現代に引き継がれている,  2011/6/4

本書は、「代々木『資本論』ゼミナール・講義集」と副題が付いています。つまり、共産党本部における『資本論』全三部を1年間で読もうというゼミナールの講義録をもとに出来上がった本なのです。講師は、いうまでもなく著者がつとめたのです。著者は、マルクスを歴史の中で読む、とか、科学の目で世界を読むとか、実践も研究も唯物弁証法を生き生きと駆使する方法論を展開してきました。この本も、その立場で書かれています。

第1冊
 先が待ち遠しい

本書全七冊は、難解といわれる「資本論」を面白く読みやすい書に換える解明本です。近年、マルクスの人気が高まっているのは、世の中がそうさせているわけですが、「資本論」が、そうなる仕組みをも明らかにしてくれるのですから、まさに現代的な書なのです。マルクス又は「資本論」は時代遅れだ、と思っている人に是非読んでいただきたい本です。現代と未来を解く鍵はマルクスが握るのですが、それを使うのは私たちです。本書は、まさにその鍵を私たちに手渡してくれます。この本を手引きにして実際に「資本論」を読んでみませんか。以下、如何に左様か、を見て行こうと思います。

本書は、上にも記したように、二十一回に及ぶ講義の内容を補強して出来たものであり、かなり詳細にわたっています。資本論は、現代の日本人にとって分かりにくい記述が多いのですが、そういう資本論の解説において、分かりやすいこと、他に類を見ないのではないでしょうか。なぜかといえば、まず、ここでマルクスは何をいおうとしているのか、といったことを、最初に分からせてくれます。それを階層的にやってくれるのです。つまり、資本論全体で、第一部から第三部のそれぞれにおいて、また、各篇において、各章において・・・、と要所々々でそれを展開します。マルクスの記述の流れを分からせてくれてから、具体的な中身の解説に移るのです。いきなり、個々の記述にかみつくのに比べ、それによりいかに分かりやすくなることか。森を行くこれからの道筋が見通し良くなって安心して読めるのです。これが、本書の最大の特長だといえましょう。

そのうえで、解説の中身はレベルが高いです。理論的に厳密なだけでなく、マルクス、エンゲルスの論文のみならず『資本論』の各種草稿や手紙などを参照して、マルクスが言わんとするところを解明して行きます。その際に見えることなのですが、著者は、それを、「『資本論』自身の歴史の中で読む」と言っています。さらに、現代に生きる資本論という側面を、資本論の記述に沿って分からせてくれます。

そうした読む又は講義するにあたってのいわば立ち位置と『資本論』の成り立ちが、まず冒頭三分の一、つまり第一講で扱われます。そして、第二講で『資本論』を冒頭の商品論から解説します。たとえば、初心者は「労働日」(第8章)から読み始めると良い、ともいわれるのですが、それをしません。それには、理由があるのですが、それは本書を読んでゆくと自ずと分かってきます。

全七冊を通してエピソードなどをも含め資料類が豊富です。本第一冊では、たとえば、日本の貨幣制度、レーニンの市場経済の理解に関する中国での講演などが載せられ理解を豊かにしてくれます。



第2冊 剰余価値の解明の到達点

本冊は、「貨幣の資本への転化」から「絶対的剰余価値の生産」を経て「相対的剰余価値の生産」のうち「機械と大工業」の途中まで、です。ですから、剰余価値の概念、起源、生み出される仕組みなどが綿密に明かされます。そのなかで、労働力の概念、労働日について労働時間の短縮と未来社会について論じられ、機械論については「労働強化」が剰余価値を生み出す仕組みなどについても説明されます。

資本論全三部を通して、G−W−G(G:商品、W:貨幣)といった定式が資本の運動などを追うために使われますが、この冊からそれが顔を現します。

資本論は,当然のことながら弁証法の方法に則って書かれています。本冊では、「発生論的」研究方法、”事実の集大成”による証明という方法、量的変化と質的変化、などについて、それが使われている場所で具体的に解説されます。

本冊の核心部分は、剰余価値の解明の到達点を理解し、具体的に、現代において、あるいは、未来社会においてその解明がどういう力を発揮するかを身につける点にあります。それが、資本論全体を理解するための基礎にもなります。


第3冊 資本の本源的蓄積と現代の雇用問題、等々

本冊は、「相対的剰余価値の生産(後半)」のあと、「絶対的および相対的剰余価値の生産」へと続きます。後者の最後では、剰余価値論全体として質と量の両面からまとめます。絶対的と相対的の区別と関連、といったぐあいです。

続いて「労賃」が来ますが、マルクスの労賃論が画期的意義を持つことを説明するところから入ります。そして「資本の蓄積過程 上・下」に移りますが「下」では、本源的蓄積が解明され、資本論第一部は終ります。

これらのなかで、注目すべき点として、マルクスの論がきわめて現代的な意味をもつことを示してくれることです。それは、本冊に限らず至る所にあるのですが、本冊では、たとえば、機械経営と雇用の問題において、マルクスの議論が、現代の雇用の現状と違わないところを、これまたたとえば、日本の鉄鋼産業の事例で検証しつつ示してくれます。

また、そのほか、日本との関係でも解説に熱がこもります。資本論第一部の中で、もっとも重要な議論として資本の蓄積過程が解かれるなかで、日本における農民からの土地の収奪をヨーロッパと比較していますし、そこでは、時々顔を出すマルクスの日本論がオールコック『大君の都』に依るところを具体的に見せてくれます。日本でも本源的蓄積の歴史は「血と火の文字」で書かれたことを示します。

そのほか、本冊でもマルクスの未来社会論、弁証法的研究方法論をいくつかのところで抽出して解説しています。また、底本をひたすら読むのでなく、フランス語版をひもとき両者の異同に注目します。マルクスによるアダム・スミス批判は、全冊を通じて解説され、それらを批判的に継承して経済学を発展させたマルクスの大きさが見えてきます。

評者の関心からは、「大工業と農業」の節で「科学の意識的な技術学的応用」の概念が顔を出すことです。これに関する解説も別のところで本格的に欲しいと思いました。

第一部はここまでですが、本冊に至って、次を待たれるワクワク感がいっそう増してきました。


第4冊 難しい内容も興味深く読める

第二部がここから始まります。冒頭35ページを使い、第二部が謎もあれば波乱もあるドラマチックな本であり、資本論の要をなすことを示します。恐慌論の本番ともいえる展開があるところはその最たるものです。もうひとつ、第二部以降、エンゲルスの編集の手が大幅に入るのは、途中でマルクスが大病を患ったりしたためですが、その編集の経過を年表風に、エンゲルスがマルクスの草稿をどう利用したかの対照表を使ったりして検討します。そして、たとえば、マルクスが示した構想と実際の刊行本とが乖離していることから、さらに言いたかったことは何か、といったことも第二部では示しますよ、と期待を膨らませます。

さて、本冊では「資本の諸変態とそれらの循環」の篇で、資本が市場経済の世界に登場します。資本の循環が、G−Wという定式により貨幣資本が生産資本に転化するところから解説が始まります。この定式は、さらに複雑な循環過程へと展開されて行きますが、まずはじめにその定式について説明がされ、それを使ったマルクスの例解も具体的に金額を使って解説されます。具体的かつ分かりやすい解説なので、初心者でも順を追って読めばマルクスの言わんとすることが理解できます。さらに、著者は、この定式を使って自民党政治がいかに独占資本のために支援をしているか、国会経験などを通して紹介し、この定式も、いやな定式が出てきたな、ではなく、マルクスも結構楽しいことを考え出したな、と思って読んでほしい、と書いています。

「資本の回転」篇では、マルクスの回転論には重要な”錯覚”があり、エンゲルスもその枠内にとどまっていたと著者は書き、資本論のエンゲルスの文章を紹介しています。

また、10章、11章で、それぞれアダム・スミスとリカードウが登場しますが、著者は、本冊最後に経済学の歴史を振り返る補論を配して、年表を示し、彼らだけでなく18,19世紀を中心に経済学者をマルクスの言を引きつつ評しケインズあたりまで論じます。近代経済学から見たマルクスを論ずるところでは、宇沢弘文さん、森嶋通夫さんも登場します。こうした記述は、マルクスを歴史の中で読むとする著者の姿勢から全冊を通じ貫かれます。


第5冊 マルクスが第二部で書き残したものをみて、第三部に入って行く

本冊では、第二部の残りを読み第三部に入ります。

「資本の回転」の後半では、リカードウ学派の大きな弱点が利潤と剰余価値を区別出来なかったところにあり、このことから理論的な崩壊に至ったことをマルクスの記述に追います。そして、可変資本の回転と市場の関係の考察をとおして、その背景に二度の恐慌の経験があったことを紹介します。著者は、それに関しマルクスが残した「覚え書」を読み込み、次の第三篇で何を論じようとしたのか、と考察し、マルクスはそこで立ち入った恐慌論を述べようとしたのではないかと推測します。

その第三篇は「社会的総資本の再生産と流通」です。実際には、この中でそうした恐慌論は展開されません。著者は、マルクスの草稿にある第三篇の目次案などを参照しながら、三つの内容からなる「再生産過程の攪乱」が書かれる予定だったのではないか、と推測します。三つとは、恐慌の可能性、恐慌の根拠と原因、恐慌の運動論です。

また、第20章が複雑な構成になっていますが、その原因を考察します。それは、編集を行ったエンゲルスが、マルクスの草稿を「つなぎあわ」せたのですが、そのつなぎあわせ方にある、というのです。「再生産過程の仕組み」を解明する流れの要所々々に「貨幣の還流」の考察をつなぎあわせたところに原因があると具体的に示した上で、再生産論を分かりやすく読むためには、その「貨幣の還流」の話が出てきたら潔く飛ばすべし、と薦めています。そのうえで、どの節は注意深く読むようにとも言っています。

第三部に入りますが、冒頭で、第三部の草稿をみて、エンゲルスがどんな編集をしたかを確認し、その主題と内容をつかむように、とマルクス自身の記述を紹介しつつ注釈します。たとえば、第一部:生産過程、第二部:流通過程ときたのだから、第三部ではその統一について見ると思うかも知れないが、実はそうではなく、「全体として考察された資本の運動過程から生じてくる具体的諸形態」を叙述するのだ、つまり、1+1>2であり、その差αとしての「具体的諸形態」を研究するのだ、というのです。


第6冊 力になる知

第二篇「利潤の平均利潤への転化」から始まり、第五篇「利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本」へと進むうちに、現代においても展開される具体的な姿が見えてきます。「生産価格」「費用価格」「企業者利得」「利子」などと、比較的日常目にすることの多い概念が扱われます。しかし、これら概念が動き回る世界、つまり「資本家たちの階級意識の世界」では、たとえば、彼らの生産部面がどれだけの剰余価値を生んでいるかではなく、総資本がどれだけの総剰余価値を生み、それがどれだけの平均利潤率となって現れるかこそが関心事であることが示されます。また、利子と企業者利得とへの利潤の分裂がおこると、それら観念が搾取関係を隠してしまうことも明らかになります。利子生み資本に関しては、貨幣が自動的に利子を生み続けるという妄想をも引き起こします。これらからも見えるように、まさに現実に展開する階級闘争の実相が理論的に明らかにされるのです。

本冊では、信用論がなぜ未完成となったか、などいくつかの問題がエンゲルスの編集方法と照らして追求されています。また、第20章は「商人資本に関する歴史的スケッチ」ですが、ここでも日本の歴史の中から興味深い事実が紹介されています。

また、「資本の物神的姿態と資本物神との観念とが完成する」ことについて、著者は、ここまでのいくつかの冊においても分かりやすくかみ砕いてくれるのですが、ここでも事例をもとに示してくれます。

このように、むずかしいとされる第三部も、身近な事柄と関連させたり、エピソード的な事実や具体例と結びつけたりして分かりやすいものに変身させられます。それでいて、マルクスの記述を正確に理解し、その上でのプラスをしてくれるのですから、「知は力」というときの力を与えられる感を強くするのです。


第7冊 とうとう最後まで来た

第六篇の地代論と第七篇「諸収入とその源泉」で資本論全三部の読了となります。

土地所有論は、独自の大冊が予定されていたとのことですが、ここでは、差額地代、絶対地代、建築地地代、鉱山地代、資本主義的地代の歴史などにつきまとめられています。著者は、それら内容をかみ砕いて示すとともに、日本との関係を記し、未来論として読み解きます。

第七篇では、「資本−利潤、土地−地代、労働−労賃」という、何が何をもたらすかを現す「三位一体的定式」なるものを批判して、そんな現象論的見方では本質も歴史も消えてしまうという批判を紹介します。これも資本主義の諸関係の神秘化が頂点に達したものである、と言って、資本論で言ってきたことをおさらいします。また、物質的生産の領域を支配する「必然性の国」は、人間本来の自由な活動が花開く「自由の国」の基礎をなす、という命題をも提起しています。

最後の章は「諸階級」と題され、資本論本文は「ここで草稿は中断している」として締められます。この終章でマルクスは、階級形成の基準論の入り口で筆を置いています。この先で、当然、その本当の基準、標識は何か、というところへ進んでいったはずだ、といって、この先を自分で挑戦してみなさいと著者は読者にけしかけます。が、その解答を与えている人がいる、といってレーニンの論を紹介しています。

かように、各冊、まるで少年雑誌の次号が出るのを待つように、次冊が待ち遠しくなる、そんな本です。

なお、本冊には、「人名索引」と「マルクス、エンゲルス、レーニンの文献索引」が付されています。第一冊からこれらを利用したいのであれば、本冊をも手元に置くと便利かも知れません。

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