ノロさん、いろいろ調べてみましたが病院船の「赤十字」は確実にジュネーブ条約によるマークで明らかです。だが何処に登録するのか、単にマークを付けて国際機関に宣言すれば良いのかこの辺判りません。
また「白十字」は判りません、検索してみましたが当たりません。 ただ緑地に白十時は安全旗だそうで私も緑十字だとばかり思ってましたのでつまり反対の白地に緑十字驚きました。
このあたり人間の目の錯覚ですね。 また白十字が引揚船に付いて居たとすると此れは国際的に如何なのでしょう、学童の引揚に使われた「阿波丸」の撃沈、この船は白十字のロゴだったそうです。 そうすると若しかすると赤十字ロゴでなければ撃沈されても仕方が無かったのかも知れません。
それなら多くの引揚船に白十字が使われていた事情は調べる必要があるかもしれません。 兎に角スイスの国旗の反対になるので、目の錯覚もあるし思い込みも出来ます。
国旗の事に関してはノーラさんが引揚の時17歳でしたか、自分の17歳当時の記憶を参考にすると、他の多くの方が見たと言う事も有りますし、私は掲げてあったと思ってます。
尚、(中央に船橋、煙突がある船でマストが前、中央、後にある船を基準に)国籍を示す旗は船尾で、船首には小さな社旗、前マストには行先旗、中央のマストに掲げられるのは船名符字、水先旗、そのほかの信号旗が掲げられ掲揚策は3,4本ありそれぞれ別に掲げられます。 後マストには大きな社旗、そして船尾には国籍を示す国旗が掲げられます。 此れは帆船の頃からの決まりで、最近の船は航海灯の関係からどこか前方には前マストらしきものがあり、レーダーマストを兼ねた中央のマストがあり此れが前マストに掲げるべき行先旗も掲げるようです。
後のマストが無い船もあり航海灯の関係で、この場合船橋構造物の一番船尾に付けるようです。 つまり航海灯は船橋両舷に舷灯左赤右緑と前マスト灯、後マスト灯、船尾灯船尾の旗竿に付くなどは今の船でも何処かには必ず付いてます。 |
No.2334 ノーラ 2009年11月27日(金) 14:20
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No.2335 3歳も!!! fullahead 2009年11月27日(金) 14:57
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逆サバ読んで仕舞い申し訳もございません。 ヤベー… |
No.2336 赤十字旗 ノロ 2009年11月28日(土) 16:17
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fullaheadさん、 いろいろ調べていただいて有り難うございます。勉強になりました。 ところで、氷川丸の赤十字旗はどれにあたるでしょうか。私が見た位置はとにかく高い位置にあってよく見えたことは確かです。そして船首方向から近づいたとき日の丸より先に見えたのです。
ですから、必ずしも前マストでなく後マストであっても、上記の「高い位置」「日の丸より前」の条件は満足されます。つまり赤十字旗は後マストであったかも知れません。後マストだとすると「社旗」に替わる位置に揚げられていた、ということになるでしょうか? |
No.2337 白十字 ノロ 2009年11月28日(土) 21:08
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fullaheadさん、 白十字がわかりました。「交換船」です。戦時に敵国に残留している自国民を互いに交換した「交換船」が、黒地に白十字マークを標識としたのだそうです。「交換船」で検索するとウィキペディアがあります。 白龍丸など引き揚げ船の一部が、この交換船の形式をとったのかも知れませんね。
そう言えば、No.2326の葫蘆島での興安丸も、見直すと黒地に白十字です。 |
No.2338 病院船の情け ノーラ 2009年11月29日(日) 7:47
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昨日、桜木小同期会に行ってきました。「喜寿」の仲間です。
宴たけなわの時に、この「日の丸」を話題にしてみました。 殆どが、長春→錦州→葫蘆島→佐世保の体験者で、当時14歳。
ところが、日本の戦後の社会を左右してきたような働き手の人にしては、葫蘆島の思い出が今ひとつはっきりせず「そういえば日の丸見た」とか「有ったかなあ」などとあやふやな返事で、「たぶんアメリカや中国の現場の人間の温情で、停泊中だけ掲げていたのではないか」というにとどまりました。
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No.2339 年月の彼方 ノロ 2009年11月29日(日) 7:58
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ノーラさん、有り難うございました。 葫蘆島港の日の丸も、年月とともにかすんで行きますね。 でも、私のなかでは昨日のように鮮やかです。
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No.2340 此処の雰囲気 fullahead 2009年11月29日(日) 8:29
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昨日、旗、マークなどについて「懐かしい日本の汽船」の長澤さんにお聞きしてます、何れお返事を頂けるものと思ってます。 引き揚げて来られた方も此処の様に内容の濃い物を毎日のように見てる方と、ただ人生の一時期の出来事と捉えている方とでは、記憶の更新が違います、薄れて行くままにしてると何時か思い出そうとしても思い出されなくなるそうです。 その点我等「満州談話室」のご常連、室長のローラさんに感謝しなければ…
ノロさん、確かにそうでした交換船と言うのがありました、だが戦後になっても交換船と言う戦争相手国との民間人交換の方法を取っていたのですか、もっとも講和条約までは戦時中かもしれません、国連ではまだ日本は敵国扱いだったと思います。 |
No.2341 交換船 ノロ 2009年11月29日(日) 19:20
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fullaheadさん、 おっしゃるように講話条約までは戦時中だし、葫蘆島はまだ内戦下の港です。 ただ、交換船というのはウィキで見ると第三国の人が立ち会ったりなかなか厳密なもののようです。引き揚げの時そのような正式な交換船があったとは思えないので、なんとなく交換船の塗装にした、という程度ではないか、と想像しています。 |
No.2342 長澤 さんのコメント fullahead 2009年11月30日(月) 8:05
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「懐かしい日本の汽船」の長澤さんからコメントをいただきました、下に張ります、驚きです、政府の通達では船尾に日の丸を掲げる事になっていたそうです、然し写真で見ると船尾にE旗を掲げたものもあり、当時現場では混乱してたのかも知れません。 ********************************************* こんにちは。 帰還輸送に従事した船腹の船体に描かれた白十字マークについての標記に関する規定の文章はまだ確認できていません。 時期にもよるかと思いますが千歳丸(日本郵船)、興昌丸(東亞海運→光運輸)、會寧丸(朝鮮郵船)、朝博丸(川崎汽船)等に描かれています(「在外邦人引揚の記録」 - 昭45,奥村芳太郎,毎日新聞社 等)。 また引揚当時国旗が掲げられていたということですが、「引揚げと援護三十年の歩み」(昭53 厚生省援護局)に収録されている「艦船ヲ以テスル在外地軍官民内地還送計画(昭二〇、一〇、一二 軍務一第一九二号)の「其他ノ出動準備」に「標識ハ各艦艇艦尾ニ『日ノ丸』大檣ニ『E』旗ノ端ヲ切取リタル燕尾旗ヲ掲揚シ・・・」という記述があります。
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No.2343 日の丸を見た説 ノーラ 2009年11月30日(月) 8:19
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No.2344 やはり正式に ノロ 2009年11月30日(月) 8:28
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fullaheadさん、有り難うございました。 やはり正式に日の丸を掲げていたのですね。恐らく進駐軍の承認もあったのでしょう。 シンガポールで黒旗を掲げたというのは、英軍がその日の丸をわざわざ黒旗に換えさせたので屈辱を感じた、ということでしょう。 |
No.2345 日の丸 ケン 2009年11月30日(月) 23:23
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この調子でいくと日の丸が出たり、隠れたりが何時までも続きますね。長澤文雄氏の「艦船ヲ以テスル在外地軍官民内地還送計画(昭二〇、一〇、一二 軍務一第一九二号)の「其他ノ出動準備」に「標識ハ各艦艇艦尾ニ『日ノ丸』大檣ニ『E』旗ノ端ヲ切取リタル燕尾旗ヲ掲揚シ・・・」という記述があります。が厳密には10月10日はJASCAPの設立した日です。JASCAP番号、標識、運航許可証携帯の規定をしたのは12月9日です。
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No.2346 此れで決着 fullahead 2009年12月1日(火) 7:51
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ケンさん有難うございます、此れで公式には決着ですね、引き上げてきて来られた方々ももう一度記憶の中の日章旗を鮮明にして、記憶の更新をしてくださる事でしょう。 ローラさんのサイトはこのような場を提供してくださる事で凄い、改めてお礼を申し上げます、尚、長澤様有難うございました。 |
No.2349 てことは ノーラ 2009年12月1日(火) 17:49
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見えたのも有り、なんですね?
難しい言葉に弱いもんでm(v_v)m |
No.2350 戦後すぐの混乱期 fullahead 2009年12月2日(水) 7:07
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指揮系統の混乱、通信が無線だけと言うことを考えれば有り得る事だと思います。 例へ連合軍が命令違反だと言ったとしても連合軍に撃沈されたと言う話は聞きません。 SCAJAPがどうのこうのと言っても国外ではその国の主権が先でしょう、あったと思います。 |
No.2351 例外規定? ノロ 2009年12月2日(水) 14:57
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fullaheadさん、 混乱のなかであり得たのではなく、日の丸を揚げることが引き揚げ船に適用された例外規定だったのではないでしょうか? なぜなら引用してくださった通達のなかにすでにSCAJAP旗のことも言及されているからです。 当時は中国の内戦が進行中であり、北朝鮮やソ連の出方も不透明であり、なにが起こるかわからない海上です。かえって国籍が明瞭なほうが安全と考えたかも知れません。駆逐艦などにSCAJAP番号と並べて描かれた日の丸マークがその傍証になります。 |
No.2352 連合国と言うものの fullahead 2009年12月3日(木) 10:27
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占領地の一司令官の通達が国際的にはどうっだたか今になっては知りえませんが当時占領した日本を巡って各国でいろんな駆け引きがあった事は色んな所から知ることが出来ます、その真否については判りませんが。
私は有り得た事と思ってます、日本では神様見たいに思われていても、世界的には一地方の司令官、後に大統領になった欧州の司令官とは違ってたのではないでしょうか。 元軍艦に日の丸が付いていたのはどう言う経緯だったか、日の丸が付いてると反って攻撃されやすいと思います、戦時中にそんなばかげた事するわけ無いし、本当に此れが傍証かもしれません。 ノロさんこの辺でお開きにしますか。 |
No.2353 元軍艦の日の丸 ノロ 2009年12月3日(木) 16:05
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いろいろわかって、また皆さんのおかげで真実に近づくこともできた、いいスレッドだったと思います。
ひとことだけ付け加えます。元軍艦は、軍艦の形をしているだけにやっかいです。こんなのがうろうろしていたら、国府の軍艦と誤認した中共軍、韓国の軍艦と誤認した北朝鮮から、攻撃を受けかねません。元軍艦の日の丸マークは、それに対する配慮だったのではないでしょうか。 |
No.2356 余計なお世話ですが 通りすがり 2009年12月3日(木) 21:19
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せっかく、気持ちよくこのスレを終わらせようとしているところ恐縮ですが、真実という観点からこれだけは認識しておいて欲しいと思います。
日の丸、白十字の掲示については時期と船の所属をきちんと理解した上で調査された方が良いと思います。 時期とは、 1.SCAJAP付与前 2.SCAJAP付与後〜講和条約締前まで 3.講和条約締結後 の3つの時代。
また、船の所属については商船と艦船(広義の軍艦、海軍船)でわけて考える必要があります。
興安丸は戦時中に病院船として使われたことはありませんし、高砂丸は戦時中、国際条約に従って白色船体に緑の帯、赤十字を描いていました。従って、SCAJAPのない十字を描いている2321, 2326のような塗色の写真は昭和27年以降のもの、すなわち上の3の時代のものですから日の丸を掲揚しているのは当たり前です。この時代については誰も日の丸掲揚について異論はないでしょう。
長沢氏が提供された軍務・・・の計画はあくまで計画でその通り実施されたかどうかはわかりません。ただその通り実施されたのなら、ここのローラさんが書かれている「引き揚げ船」の「駆逐艦、春月(ハルヅキ)」にたとえ日の丸が掲揚されていても矛盾はありません。しかしこの軍務・・・はあくまで「艦船ヲ以テスル在外地軍官民内地還送計画」すなわち空母とか駆逐艦のような海軍艦船に関するものであり、「標識ハ各艦艇艦尾ニ『日ノ丸』。。」とあることに注意するべきです。ご存じのように通常海軍艦艇は旭日旗を掲げます。ここではそれに代わり日の丸を掲揚すべしといっているだけです。この時代の朝博丸のような商船は米軍により日章旗の掲揚を禁止されており、いまのところそれをはっきり覆す資料も写真もないというのが現況でしょう。http://station.catorea.ne.jp/modelers/topgallery.html に昭和20年9月の暁南丸の写真が掲載されていますが、やはり日の丸はありません。 |
No.2357 日章旗 fullahead 2009年12月4日(金) 8:29
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旗へのこだわりは私にもあります、外国の港でいろんな国の船が停泊してる時その港の国の小さな船にまでその国の旗がひらめいています。 日本の港では官公庁の船を除き日本籍の船は日章旗を掲げません、タグボートや漁船も掲げません、何時もどうして掲げないのか不思議に思ってました。 国旗に対する思いが違ってるのかも知れません。
また出航するとすぐ旗は仕舞われ航海中は国旗は掲げません、航海中国旗が掲げられるのは軍艦と遭った時だけでは無いでしょうか、機関の方なので詳しくは知りません、たまたま目にした時の事です、航海中は忘れてる時を除き見たことがありません。
曉南丸の写真は多分出航後沿岸海域を航行中の写真だと思いますそうすると国旗や船名符字、行先旗は既に仕舞われたと思います、軍艦から撮った写真だそうですが軍艦に対する敬礼がしてないのは終わった後か、公海まで駆逐艦が護衛してたか、または灯火信号でいろんな情報連絡済だったと思います。
それにしても綺麗な船ですね、石炭焚きの船でもともと乗り組みも多かったのでしょう、この船で引き上げて来た方は忘れられないでしょうね。 |
No.2358 有り難うございます ノロ 2009年12月4日(金) 11:52
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通りすがりさん、こんにちは。 いろいろな資料を有り難うございました。興安丸は確かに病院船になったことはないようですね。ということは、戦時中はずっと関釜航路についていたということでしょうね。
病院船だったと書いてあるページも二、三あるので安易に信用しましたが、たぶん高砂丸と取り違えたものでしょう。高砂丸、興安丸が同じような塗装(黒色船体、輪郭つき十字マーク)で載っているページがありました。http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki/hikiage/hikiage.html
そこで通りすがりさんにお聞きしたいのですが、両船のこのような塗装、マークは何時頃の、どんな任務のときのものでしょうか。またマークは何の標識でしょうか。
もうひとつ、真実ということで言えば、私にとっては、21年の10月に葫蘆島港で氷川丸の船尾に揚がっていた日の丸が絶対の真実です。これは私一人が見たのでなく、無蓋貨車ひと列車の全員が見て、いっせいに声をあげた、その声もくっついた記憶です。通りすがりさんは、この氷川丸の日の丸についてどのように考えられますか? |
No.2359 確認 fullahead 2009年12月4日(金) 13:16
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今朝書き込んだ後元船長に確認しました、旗については書き込んだこと間違いありません、また日章旗についても聞きましたが、殆どの彼の引き上げた時の友人は見たといってるそうです。 元船長は昭和5年生まれです。
前に書いた、綺麗な船と言うのは皮肉でも何でも有りません、ペンキこそはげてますがクリッパー型の船首、バランスの取れたマストと煙突、最後はどうなったのでしょう、消息を知りたいものです。 |
No.2360 ハッピーエンド ケン 2009年12月5日(土) 1:18
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ノロさんのお陰で引き揚げ船の日章旗の有無、なんのことやらと出くわしたJASCAPと燕尾旗など思わぬことに関心がいきました。ノーラさんの櫻木小のお友達が「あったかな、みたかいなー、そういえば」と朧気にいわれたこと、引き替えノロさんのように乗船まえにみた日の丸旗に歓喜の声をあげたことまで記憶されていること、その時の心象で関心事もちがったのでしょう。 fullaheadさん 暁南丸 は 本当に綺麗です。当時の造船技術でこんなに優美な曲面船形ができたものと驚いています。もっとも本船は元モナコクルーザーヨットで拿捕されたものと知ってなかば納得。 |
No.2361 日本郵船歴史博物館 ノロ 2009年12月5日(土) 9:20
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昨日、日本郵船歴史博物館というところに、氷川丸の日の丸についてファックスで問い合わせました。一週間ぐらいで返事をくれるそうです。返事があったらまたご報告します。 |
No.2362 氷川丸 通りすがり 2009年12月5日(土) 10:14
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ノロさまへ
氷川丸の航海履歴をみますと、 9次号 21年9月24日博多発、9月27日葫蘆島着、9月30日葫蘆島発、10月3日博多着 10次号 21年10月17日博多発、10月23日葫蘆島着、10月24日葫蘆島発、10月29日博多着
ノロさまが21年10月に葫蘆島にいらしたのなら、この第10次号にご乗船したことになります。
高橋茂氏の「氷川丸物語」(S53かまくら春秋社)に次の記載があります。「十八日付の新聞は次のように報じている。−葫蘆島-博多間の引揚病院船氷川丸(一万二千トン)は十七日朝、関門海峡西口の沈船を縫って門司港第三岸壁に赤十字のマークも鮮やかに巨体を横づけにした。」
つまり、ノロさまがご乗船された氷川丸はSCAJAP管理下にある日本商船ではなく、軍用病院船としての資格を維持していた船と理解するのが適当と考えます。
そして「氷川丸とその時代」(2008年海文堂)に当時の引揚者の手記(引揚者が下船した後ロビーのカウンターに残されていたもの)としてつぎのものが掲載されてあります。「葫蘆島、我々遺送者、。。。(中略)。。。昭和二十一年八月六日夕方、。。。(中略)ソシテミヨ!其ノ向カフニハ白色ノ船体に赤十字ノ一際鮮ヤカニ巨船氷川丸ガ岸壁ニ横付ケサレテヰルデハナイカ、然モマスト高ク翻ルハ日章旗、(後略)」
因みに国際条約による病院船の規程には「病院船ハ総テ其ノ國旗ト共ニ「ジェネヴァ」條約ニ定メタル白地ニ赤十字ノ旗ヲ掲ケ又中立國ニ屬スルモノナルトキハ右ノ外指揮ヲ受クル交戰國ノ國旗ヲ大檣ニ掲ケテ之ヲ標識スヘシ」とあります。
ノロさまがご乗船された氷川丸には(場所は船尾かマストかという違いはありますが)日の丸が掲揚されていたというのが事実でしょう。
前にも申し上げましたが、このことが「引揚船」すべてにあてはまるわけではなく、各船の所属と時期をきちんとわけて調査されないと、単なる日の丸を見た、見ないという水かけ論に終わってしまうと思います。
高砂丸、興安丸の黒色船体、輪郭つき十字マークにつきましては、私はただの通りすがりで詳しくは存じません。想像はつきますが撮影年月日がわからないのでいい加減な発言は控えさせていただきたくご容赦ください。 |
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