春の戴冠 辻邦生(著) 新潮社

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ボッティチェルリ、またはフィレンツェの春とその終り, 2012/1/14

 私の住んでいた街の市民会館の表壁に、ほとんど裸に近い乙女の舞い踊るレリーフが彫られていました。中学生の私にとって、それは眩しくも美しい壁でした。そのレリーフが、ボッティチェルリの「春」という絵の一部であることを間もなく知りました。

「春の戴冠」は、そのボッティチェルリと彼の住んだフィオレンツァの「春」とその終りを濃密に描いた小説です。この小説ではボッティチェルリは、この物語の話者である古典学者フェデリゴによってサンドロと呼ばれますが、サンドロは、ルネッサンス期の真っ只中で、且つメディチ家の隆盛期にあったフィオレンツァで絵画に打ち込んでいます。<あの桜草、この桜草>ではなく<桜草の永遠の原型>を描くことを追及します。それは、『春』『ヴィーナスの誕生』などの制作を通じて<神的なもの>や<他者への愛>などへ進化発展して行きますが、サンドロが晩年まで深く追及し続けたものでした。

しかし、そうしたサンドロの絵画の追及が行われる中、フィオレンツァと彼の絵の最大の理解者でスポンサーであるメディチ家にもやがて経済的・政治的な曲がり角が兆しはじめ、窖(あなぐら)に落ちて行くがごとくにフィオレンツァから追放されるに至ります。その後にジロラモ(サボナローラ)の神的政治が展開し、やがて激しい政争が展開され、ジロラモが処刑され、フィオレンツァに静かな時が訪れます。それは、同時にサンドロの絵画の終焉でもありました。

サンドロの時代は、実は、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなども活躍したフィオレンツァの絢爛たる春の時代でした。この本の中では、サンドロ以外、そうした天才たちの姿はわずかしか現れませんが、さらに同時代に活躍したコロンブスやマキャベッリなどをも思い浮かべるなら、どんなに活発で華やかな時代であったかが分かります。しかし、そうした中にも輝かしいだけでなく有為変転の流れがあることが分かります。その中で、天才芸術家も知識人も普遍を求めつつも時代の申し子であることは避けられません。そこから生ずる諸々の葛藤がこの濃密な物語にちりばめられているのです。

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