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花室川だより

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花室川(はなむろがわ)は、私の住む団地のそばを流れる川で、両岸に水田を従え、果ては霞ヶ浦に注いでいます。土手の粘土の地層からナウマン象の化石が見つかります。春は土手に菜の花が咲き乱れ、夏は水田にホタルが舞ったこともありましたが、最近はほとんど見なくなりました。秋には水田が黄金色に染まります。冬には、タゲリやシギの渡り鳥が目にとまるようになりカモがゆっくりと水面に三角を描きます。

2006年10月10日(火)
これから始める「花室川だより」

今日から「花室川だより」をはじめます。無理をせずに書くべきことがある日にだけ書くこととします。まずは、よろしくお願いします。

2006年10月11日(水)
男心と秋の空

明日からの「農業と光技術研究会」のために新幹線で浜松まで移動。仕事が終わってホテルコンコルド浜松に宿泊。つくばは晴れていたが東京から雲が増え静岡では雲が厚くたれ込め、浜松では雨になった。女心と秋の空か。広辞苑などでは女心ではなく男心。それにしても、昔に比べると、人工衛星情報やそのコンピュータ処理の発達で、天気予報が随分当たるようになった。しかし、人工衛星でもコンピュータでも女心や男心はどの程度読み取れるのだろうか。

2006年10月13日(金)
ラッキーだが損した気分も

浜松からの帰り。上野発19:15のフレッシュひたちは、スーパーひたち車両を使うので普段から人気。10分くらい前で自由席も立っている人がいる。反対ホームには19:30の通常のフレッシュひたち。それも長蛇の列。そうか、今日は金曜日。金曜夜の特急はいつも混む。通常は空いている先頭に近い自由席車両に。しかし、そこもながーい列。ドアが開いて、座れるかな、と心配しつつ入ると予想が的中。仕方ないので先頭の指定席車両へ。ここはまだ空いている。きょろきょろ見回して10C席へ。動き出すまで誰も来ない。検札で510円払う。空き席はないか、と聞いても車掌は「もし来たら立ってください」以上に言わない。柏はともかく佐貫まで座れればあとは10分強で土浦着、それでもいいか、と思いきや牛久でも来ずに土浦まで座り続けた。こういう経験は常磐線では2回目か。ラッキーか、でもハラハラしつつ座っているのは落ち着かず払い損という気もする。

2006年10月14日(土)
花火と医療と

雨で1週間延期された土浦の花火大会。朝早くからドン、ドンとうるさかった。花火はやはり夏の風物詩。夏に売れ残ったのを処分するのではないか、と言ったら、来年用の宣伝なのだ、と叱られたことがあった。見には行かなかった。
 医療に市場原理を入れるか、国の支持で行くべきか、を問うアンケートをNHKがやっていた。いのちが金で取引されるような社会にはなってほしくない。こまった風潮だ。

2006年10月15日(日)
自転車のち静岡

昼前に自転車で花室川沿いに霞ヶ浦まで行ってきた。途中、常磐線がクロスしているところでは線路沿いに枝を出すルートをとって、お気に入りのコースを走る。カタカナのトの字のルート。トの字の上先端が霞ヶ浦にあたる。所要時間約1時間20分。花室川では釣り人多し。子供は勿論、女性も一人。河口では3漕もの船が出て釣っている。常磐線沿いの田圃でヒコバエを機械で刈り取っているお百姓さんがいた。このあと、きっと鋤き込むのだと思う。

午後は、明日の浜松行きに備え静岡まで。陽気がよいせいか、新幹線も静岡の呉服町もけっこうな人出。

2006年10月16日(月)
大地の芸術祭、感謝の夕べ

浜松の会議終了後、夜、東京で「大地の芸術祭 感謝の夕べ」という会合に参加。感謝する側かされる側か?企画にも携わったので両方か。参加者数34万人は、対前回14万人増。それに代表されるとおり「大成功」(これは十日町市長の談)。地元の人も以前に増して積極的に参加され、「こへび隊」という若者ボランティアを始め多くの人たちが支えて成功に導いた。芸術がただ作り見るだけのものではなく、人と人のつながりや、人と大地、農村と都市とのつながりを新たに作り出している。里山の復興にもつながる可能性を秘めている。次は3年後に多分また熱い夏を繰り広げるに違いない。

2006年10月22日(日)
納骨・50日祭終了

母の納骨と50日祭が終了。長男の運転で帰宅。運転してもらうのは自分でやるのとは随分違って楽だ。

2006年10月24日(火)
バンコク着

朝早く家を出てタイ国際航空で成田からバンコク着。明日から酸性雨(EANET)の会議、3日間。

2006年10月26日(木)
義母が今朝98歳で亡くなった

千葉に住んでいた義母が今朝亡くなったというメールが届いた。98歳であった。通夜に出るのは無理なので葬儀に出られるよう、飛行機を昼行便から前夜の夜行便に替えることを旅行会社に頼んでみる。

2006年10月27日(金)
チケットがとれた

夜行便のチケットは、日本からの情報では満席だったが、こちら(バンコク)の窓口ではすんなりとれた。会議終了後、23:20に発つと何とか葬儀には出られるはず。

2006年10月28日(土)
葬儀、そして帰宅

自家用車で土気に着くと、葬儀は進んでいたが、参列はできて遅ればせながら焼香もできた。明治生れの大往生。終了後、妻と自家用車でつくばに帰る。バカナビに従い、木場辺りを経由して常磐道で帰るはめとなった。

2006年10月29日(日)
休養他

午前休養。午後は次男の話を聞く。夜は、エスパルスがガンバに静岡のチームらしくここ一番で惨敗したビデオを見て機嫌が悪い。

2006年10月31日(火)
ようやく秋に

10月も終わりになってやっと秋らしい日が続くようになった。舗装道路に車を走らせると、どこからともなく枯れ葉が舞ってきて巻き上げられたりする。空の色、夕焼けの色、山肌の色、木々の佇まい、草花の色など、どこにも秋の気配が漂い始めた。温暖化といえども四季というサイクルまではなくせないようだ。

2006年11月1日(水)
土の百科事典=土の萬象學舎

丸善で、夕方から「土の百科事典」の編集幹事会。総論編の目次、キーワード、章節の内容の確認、特にダブりの調整など。この本は、土の萬象學舎とでも言える本。学者の視点ではなく民衆の視点から読める事典。学者も民衆から学ぶことができる仕事。やっていて楽しい仕事である。

2006年11月5日(日)
パンク

上広岡保育所前の変則十字路へ太い通りから狭い通りへ進入しようと右折時、太い通りへ出ようとして停車中の車両が中央寄りに出っ張っていたので左にふくらみ加減に右折した。そうしたら左前輪が縁石に激突気味に乗り上げガタンといったと思ったらパンク。停まってスペアタイヤに履き替えて後、ディーラーへ。修理代13,000円也。スピードを落としてゆっくり右折すべきであった。授業料か。

2006年11月6日(月)
風邪気味

夫婦で風邪気味。誰が持ち込んだのだ?今の内に直そうと連れ合いは買い置きの薬を飲んで、ザブンと風呂に入って寝るという。小生は、22時から湯川秀樹のテレビを見たい。買い置きの風邪薬と風呂とで乗り越えられるか?

2006年11月9日(木)

仕事帰りに、長男の家に届け物で寄り道。風邪気味なので長居はしないと早々に引き揚げたが、孫たちも少々風邪気味とのこと。帰り際にお母さんが、薬を2種類持たせてくれた。暑さがいつまでも残った夏から急に秋そして冬へと移行しつつあり、日中暑いくらいで夜は寒いという日が続く。年寄りから子供まで身体の調節が追いつかない。これも気候変動のせいか?

2006年11月12日(日)
自転車で

東京に「木枯らし1号」とのこと。つくばも赤城山から強い風が吹き付けた。そんな中、自転車を風に向かって小一時間走らせ職場まで行き、同じ道を帰ってきた。帰りは追い風で楽だったが、おなかが減ったのとお尻が痛いのとで往生した。あと30数年生きなければならないとすると体力を維持して狸のようなおなかを解消し、気力もそれにふさわしく持ち続けなきゃ、そんなことを1年半ほど前にフッと思って始めたこと。無理と不注意には気をつけて、断続的でも続けようと思っているのだが、実は、この夏は少々さぼり気味。今日は、じっとしてると寒いので、思いついて乗り出したのだった。今夜はゆっくり入浴しよう。 

2006年11月15日(水)
石油漬けでない社会は来るのか

表参道の国連大学でバイオマス・ニッポンという国家プロジェクトの国際会議があって参加してきた。石油漬けの社会でなく自然エネルギーを活用した持続的社会をつくるための道をバイオマス、つまり植物起源の各種燃料を上手く使えるような新技術に求めようというプロジェクトである。ASEAN諸国の現状と可能性を知ることはできたが、学問の世界では、本当は、更にその先を読むような研究が始まっているはずである。21世紀末には、どのようなエネルギー事情になっているのだろうか。
 家に帰ってサッカーを見ていたらテレビが急に津波情報になってしまった。千島で地震があったためである。

2006年11月17日(金)
相続

相続手続きが、今日の郵便局でようやく終わった(と思う)。電話の権利はどうすればよいか、これだけはまだ残っているが、草薙の家の公的支払いなどもだいたい終わった。あとはあっても小さな事だけのはず。今日は、母の名前の「鑛」の字が違う、とかで訂正印を押して書き直しさせられた。そんなことまであるので、けっこう面倒なものだ。

2006年11月18日(土)
酸性雨で汗をかいた福沢諭吉

慶応大学日吉校舎でシンポジウムあり。小生も岐阜県伊自良湖の酸性雨影響の解析結果を講演。会場前に福沢諭吉の銅像あり。それこそ酸性雨や大気汚染でひどく汗をかいていた。

2006年11月22日(水)
喪中ハガキ

喪中ハガキを300枚近く出した。2枚ほど、亡くなった方に出しそうになって、すんでの所で気がついて失礼せずにすんだ。パソコンで大量処理すると思わぬ失敗をしかねない。

2006年11月23日(木)
バラクータのブルゾン

曇り、風なし。午後、静岡へ移動。途中、銀座ソニービル、ライトアップにてバラクータのブルゾンを購う。ブレザーをブルゾンに着替え、品川から「こだま」にて静岡へ向かう。大戸屋にて夕餉。

2006年11月24日(金)
中央研究所、浜松駅前
浜松の紅葉はつくばより遅くてカエデなぞ、今が盛り。中央研究所にて環境研のS氏を囲んで一日中議論。夜は、浜松駅前、紅すずめにて夕餉、談笑。草薙に帰り泊。
2006年11月25日(土)
くっきり晴れて雲もなし

空が、くっきり晴れて雲もなし。新幹線から、龍爪山も富士山もくっきり見える。ふとみると安倍奥の山が真っ白。雲かと見まがうがやはり雪。神奈川に来て、大山も高尾山もくっきり。視線を東京方向に移すとどんよりとした空気が覆っている。その違いに驚く。東京に一生住む人と田舎に一生住む人とでは寿命も違うのではないか。つくばも良く晴れて空気がひんやりとしていた。

2006年11月26日(日)

陰。出張して寝不足で帰ってくると帰り着いた次の日あたりまで寝不足と疲れが尾を引く。寝不足は、早寝と寝坊で何とかして、疲労の方は、日がな一日、床(寝床ではない、ゆかである)上に過ごし、新聞を取りに行く以外、下足を履かなかった。しかし、ごろごろしてると精神上良くないので、少なくとも寝不足が解消した後には、パソコン上で保留となっていた写真の説明書きやらして過ごす。それだけでも結構調べものでたいへんなんだけれども、それだけだと、家人の機嫌が悪いので、霊舎の造作治し等も少しはする。
 灯油が今年は巡回販売だと1300余円もするという。今年は、せめて通勤途上のホームセンターにポリタン持ち込みでしのごう、と決めた。

2006年11月27日(月)
今度の週末あたりは休養だ

陰時々雨。身体の具合が何となく良くない。風邪が抜けにくかったり、血便が1回だけだけど出たり、帯状疱疹の後遺症っぽく背中が痛んだり、そして機嫌も悪い。このところ、歳の割に、休みを取らなさすぎたか、少し疲労が貯まったと見える。今度の週末あたりは休養だ。

2006年11月28日(火)
景気の良いのは銀行の世界

つくば陰、浜松晴のち陰。舘山寺の近くの大学まで日帰り。
 帰りのタクシーで、運転手「マンションが良く建つけど、そんなに入る人がいるのかねー」小生「貯金しても利子もろくに付かないしマンションでも買うか、となる人はいるかもねえ」「景気が良いって、どこの話か、銀行の世界の話かねえ?」「利子を付けないってことで、何百兆円も銀行がもうかったらしいよ」「税金で再建したうえに、大もうけして、利子付けないんじゃ、おこっちゃうね」・・・結構、本当のところが見える会話だった。

2006年11月29日(水)
銀行はまた儲かる

晴。一部の心ない人間によって、善良な人間が迷惑を被ることの多くなったことよ。
 今日は、銀行に行ったら、明年1月から、ATMで送金する額の上限が10万円に下げられるとのこと。窓口で送金する場合は身分証明が必要だそうだ。不正送金防止のためらしい。
 小生はそんな送金をしょっちゅうする身分でないが、例えば、子供の学費を仕送りする親などは、この制限に引っかかって2回に分けて送ることもあるだろう。手数料が2倍以上になって銀行はまた儲かる。この法律を変えたのは、きっと銀行の代表みたいな国会議員だろう。

2006年11月30日(木)
キャッシュカード。ベトナム料理。

陰時々晴又雨。最初は昨日の補足。マネー・ロンダリング/テロ資金供与防止のためと、「ATMで送金する額」は正確には「ATMで現金送金する額」が正確で、キャッシュカードを使えば良いのだそうだ。いずれにせよ、吸い取れるならどんな小さいところでも・・・という感じは否めない。銀行員は良い人が多いのに銀行はあまり良くない。

昼に、仲間とベトナム料理レストランにてフォーを中心としたランチセットを食す。チョット辛いので、食べ終わる頃には、大の男が3人揃って鼻をすすりながら「暖かになった」とか言って食べていた。ベトナム料理ってのは、概して日本人には食べやすく人気のものが多い。

2006年12月1日(金)
中国残留「孤児」訴訟

晴×陰。落ち葉著し。中国残留「孤児」に国家は賠償せよ、と神戸地裁判決。国がどう出るか。判決中で北朝鮮拉致の場合を引き合いに出している。これは、ヒョッとすると議論を呼ぶ可能性有り。いずれにせよ大きな第1歩。

2006年12月2日(土)
小春日和

晴。小春日和。休養日。自転車でゆったりと花室川畔を走る。釣り人、成果を待つ猫、歩く人、水鳥、常磐線の電車・・・。

2006年12月3日(日)
少年野球応援

連日小春日和。長男の少年野球応援。5年生以下による新人戦初の公式戦。4チームのトーナメント。1分け(抽選勝)1敗で何と準優勝。けが人が多くてベストメンバーでないとはいえ課題の残った試合。終了後、監督からたっぷりお小言。小学生からチャンと指導されたチームが国中でこんな風にやってるのだから、日本の野球も強くなるはず。

2006年12月4日(月)
パンの街

今日も小春日和。昼においしいパンを買ってパン屋さんのサービスコーナーでコーヒーを頂いて、などと思ってパン屋さんに行ったら、おばさまたちが子供連れなどで来ていて全席満席。つくばはパンの街である。

2006年12月5日(火)

晴時々陰。この時期にしてはとても寒い日が続く。

先日の日曜、NHK「小さな旅」は横浜港の氷川丸。横浜少女合唱隊が「海は呼ぶ、海は呼ぶ・・・」ときれいな合唱を聞かせてくれた。で、小学校時代、夏のグランドに音楽室から聞こえてきた女生徒の合唱を思い出した。それも「山は呼ぶ、ららら、山は呼ぶ、ららら・・・」という歌を。きっと、これら両歌は姉妹に違いない、と思った。本当だろうか?海の方は、「海は招く」という歌なそうだ。山の方の名は憶えていない。

2006年12月6日(水)
日本近代史以上にイスラムを知らない

3年前に訪れたスペイン、ポルトガルの旅行記をまたぞろ書き始めて半月ほど。それは、熟した柿が落ちるような出来事だったのだが、この間の作業を通し痛感したこと: ヨーロッパ中世の頃、隣の地でイスラム社会の興隆がなかったらとしたら、近現代のヨーロッパの発展はなかったかもしれないということ。

わが国の近代史を我々は知らなすぎる、としばしば話題にするが、イスラムのことはほとんど全く知らないのではないか。イスラムがテロの元兇みたいにブッシュが言った時、自分なりの知識を以て冷静に判断できたであろうか。

2006年12月7日(木)
沈下橋

陰。仕事の帰路、以前から地図で気になっていた小貝川の沈下橋を見てきた。つくばエクスプレス鉄橋の少し北の湾曲部。四万十川や大井川の大きなものと違って、精々乳母車なら、という程度でリヤカーはちょっときついのでは。自転車は危ない。しっかりと作られていてチョットした洪水くらいでは勿論びくともしない。今は日が短く、行った時には既に薄暗く、写真に撮れなかったので、又の機会に撮ってきて貼ることにしよう。

2006年12月8日(金)
紅葉狩りどころか踏んだり蹴ったり

陰。日米開戦の日も巷は静。
 金曜恒例で浜松より所長代理来る。やはり恒例で昼に二人、ゆずきりで会食。曰く、義母八三歳が、「今年は紅葉を見せに、連れて行かんのか」と言ってきた。そうこうするうち、腹がおかしい。病院に行ったら転んで足のくるぶし近くを骨折。腹はノロウィルスと判明。東海地方では流行中とか。踏んだり蹴ったりで紅葉狩りのかわりの二週間の入院。年寄りは元気でも重々気をつけなくちゃ。

2006年12月9日(土)
雨の土曜も

雨。気温、朝より昼が低いか。早朝より千葉まで高速道を行く。雨の土曜日、トラックは結構多いが乗用車も多く、浦安では出口に車の長蛇の列。帰りは夜、雨降り止まず。依然として車の流れもひきを切らず。トヨタなどのほかに、石油会社も経常利益戦後最高になるのでは。

2006年12月10日(日)
人出多し

晴。県議選挙。買い物は、つくば電気街、西武など。クリスマスセールなのか、人出多し。男も女も結構好い格好にて繰り出している。やけっぱち気味に、買い物、着るものなぞ楽しんでいるか。

2006年12月11日(月)

晴×陰。灯油スタンドのお兄さんが「今年は早くから寒い。温暖化のせいかな。チャンと知っている。

朝日夕刊「惜別」欄。郷里静岡などで縁のふたり、正森成二と山本肇。正森さんは旧制静高→東大と、中曽根元総理の後輩でも。小生がいた北海道の田舎町で、ロッキード事件の追及などを熱弁。大阪弁の暖かさと小柄な身体にみなぎるエネルギーとは強烈に印象に残った。山本さんは、新制静高の3年先輩のNHKマン、「ドキュメント太平洋戦争」は代表作。近年郷里に戻り静大で学生と戦争について語り合っていた。そのうち、話を聞く機会がないか、と思いつつ適わず。おふたかたのご冥福を祈ろう。

2006年12月12日(火)
県議模様に少しだけ変化

陰×雨。県議選挙の結果。新聞の見出しを拾うと「自民5減、民主は2増、公明1増、共産は現状維持」。議席数はそれぞれ39、6、4、2。他に無所属14は保守が多い。自民は減でも39/65。会派別議席が決まらないと正確ではないが、今回の結果を議席の変化と読むのは皮相に過ぎ、もうひとつの見出し「『保守王国』に変化か」は疑問。有権者の意志の変化が見え始めた、と読んでおくのが無難だろう。

2006年12月13日(水)
ぐち

陰のち雨。一日中、某出版社の「講座」本の校正。編集委員という名のボランティア。出版社というものは、編集委員何の太郎兵衛、と本に記すことで「名誉」を与えて只働きさせ商売するものらしい。文化国家というのは、そういう仕組みに支えられるものなのだろうか。

2006年12月15日(金)
加藤さんの「扇動」

陰時々雨。加藤周一さんが東大駒場の講演で「今怒っている老人と、今は静かである学生が、もし一緒に動けば、憲法9条の『改正』計画は挫折するだろう。両者に共通する自由こそ、協働ができる根拠である」という話をしたという。上手いことをいって「扇動」したものである。その詳細を「絶學無憂」に書いておいた。

2006年12月15日(金)
教育基本法「改正」案可決成立。

陰のち晴。教育基本法が、教育の憲法から教育管理法に変わった。防衛省もできることだし、あとは憲法を変えれば戦争準備は万端となる。それはいけない。

2006年12月16日(土)

陰時々晴。おだやかな日。洗濯干場兼テラスの透明屋根のほこりが積もって冬の日差しの通りが悪いので水をかけてモップでこすってやった。

レンコンが今、掘り取りの盛り、とテレビが報じていたので、いつも自転車で通る蓮田に行ってみた。しかし、今日はやっておらず、2枚の蓮田の一枚はネットが張ってあって明日にでも掘りそう。あと一枚は、昨日あたり掘ったような雰囲気。ここでも胸まで浸かって掘るのだろうか。

ペダルを踏みながら考えた:近年の談合、裏金献金、各種偽装等々と他面での大きな格差。そんな流れの源流は、80年初頭だったのではないか。行革に関する土光さんの調査会、一連の行革立法、前川さんのレポートなどがあって、その後、竹下さんの消費税、バブル崩壊、細川さんの小選挙区制などの経済・政治の変遷があり、アメリカからの「年次要望書」とやらで規制緩和が国際化し、小泉さんに至って頂点に達し、景気が回復した、とやらの現代史。過去にはまだなりきっていないこの四半世紀をもっとチャンとおさらいしてみる価値がありそうだ。

2006年12月17日(日)
すす払いと蟷螂

陰×晴。すす払いと風呂の大掃除。枯蟷螂が障子に影を映していた。今年も師走は暖かである。

2006年12月18日(月)
生まれたて

晴。連れ合い10万。吾輩600、発展途上、いや生まれたてだね。

2006年12月19日(火)
イルミネーションと控訴

陰。夕方、図書館に寄り、つくばセンターのイルミネーションを見ながら帰ってきた。こういうのをセンス良くしつらえるのは大変なことだ。お金をかけ、一生懸命やってもきれいになるとは限らない。

夕餉に、ブリのあら煮を食す。大根とショウガがうまくバランスされていた。冬の料理の代表選手。冬の富山で食したブリカマも忘れがたい。

先日の中国残留孤児賠償裁判で、国が控訴していた。何ということか。

2006年12月20日(水)
Y.H が

陰のち一時晴。Y.H.が死んだ。帰宅したら連れ合いが「大変だよ」と。目線の先に喪中ハガキ。12月9日に67歳で永眠、とあった。永眠するなよ、こんなに早く、と思ったが、好きな酒がエンドレスに飲めるぞ、と誘った悪い奴があの世にいたらしい。今は冥福を祈るのみ。

2006年12月21日(木)
年内に残された最大の問題

陰。年末年始休暇は、喪に服して読書と決めたが、読む本の候補がたくさんありすぎて決まらない。年内に残された最大の問題だ。

安倍総理がご指名の税調会長がスキャンダルで辞任。御用学者の中の御用学者と思っていたが、思っていた以上に俗物だった。

2006年12月22日(金)

冬至だが、陰故日が一層短く感ず。今年の師走は日照が少ない。職場の忘年会、会場のはべり屋は、和食なれど海洋もの中心。自家でカボチャと柚子湯が待っていた。

昨日の「御用学者」は説明がいるようだ。近いうちに「H.R.の手記」ででも説明することに。

2006年12月23日(土)
孫、御先祖様

晴のち陰。娘一家と新宿でデート。孫は5ヶ月。1歳5ヶ月ほどにしっかりした顔つきをしている。亭主似である。孫にX’masプレゼントを贈り、自分にセーター、シャツを購う。

上野の神仏具街、みす平総本店にて御霊舎を買って帰る。御先祖様も今までの居候に終止符。

2006年12月24日(日)
餌台に小鳥が来ない

晴。すす払いの第2弾。

今年は、庭の餌台に小鳥が来ない。昨年の今頃は頻繁に訪れていたと思うのだが。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」は、春になっても小鳥が来ない、というところから始まる。それを思い出してしまう。さて

2006年12月25日(月)
富士山に見事な雪

晴×陰。久しぶりに浜松行。富士山に見事な雪が積もって絵のよう。去年は、この時期、貧相な雪しか被っていなかったように思うのだが、それは気候変動のためか、記憶減退のためか。

2006年12月26日(火)
雨、替玉

陰後大雨、後半風甚。TXを秋葉原で降りて上界に出たら大雨。昼食ラーメン。替玉のサービスあり、とあったので、午後の会議に替わりに出てくれるのかと思いきや、ラーメン玉のおかわり無料。その後、神谷町、代官山、秋葉原、研究学園と電車から外に出る度に風が強まり帰宅したらびしょ濡れ。おかしな低気圧。まさに気候変動。

2006年12月27日(水)
プーク

晴強風。孫たち2人と計4名、人形劇団プーク、「12の月のたき火」。人形劇は約40年ぶり。孫たちは初めての経験。

孫たちは、TXでつくばへ降り立ったら、「つくばは良いねえ、人も多くないし・・・」とのこと

2006年12月28日(木)
どうでも良いこと

晴温暖。半日、ご用仕舞いのあいさつ。「お世話になった、来年もよろしく」に対して、三種類の返事。@良いお年を、A来年もよろしく、B喪中ってことに触れてから、来年もよろしく。個人的に近しい方にBが多いのは当然だが、@も多い。Aが必ずしも喪中を知っている方でないのはおもしろい。いちいちうかがうわけにもいかないのでそのあたり、よく分からない。しかし、どうでも良いことだから、どうでも良いのである。夜は次男来る。

2006年12月29日(金)
雑誌

晴。一日中強風故室内で片付け。雑誌が、送りつけられるものもあり結構多い。ほんの少し読んだだけで捨てるもの多し。まだ読みたい記事の残っている雑誌を捨てずに残す。いつ読むのだろう。

2006年12月30日(土)
古代インドでは

晴時々強風。テレビの「今年1年」番組は良くない題材揃い。

古代インドでは人生を四期に分けたとのこと:曰く、学生期→家住期→林住期→遊行期。今、どこにいるか。どこもありそうだが、まあ林住期というところか。

2006年12月31日(日)
大晦日

晴暖。正月はないが大晦日や新年は来る。区切りの大掃除、ここ半月で予定を終了。庭を眺めたら、茶色の芝生に雑草が混生し緑が目立つ。やや草丈過小だが芝刈り機を掛けてみた。結構刈れてすっきりした。貯蔵養分を使って再生した雑草を刈ると春本番の雑草の再生が弱くなるはず。しかし、こんな年は初めて。庭の隅の沈丁花が蕾をふくらませて呆けた感じの花さえ付けている。温暖化は、急激に姿を現している。

2007年1月3日(水)
どひゃどひゃでない番組

薄陰。風あるも穏。今日はほぼ三昧。余裕あり。
 須賀敦子を扱うTV番組ありと知り、番組表を見るとBS朝日。我が家では不可観。しかし、BSでは民放といえどもどひゃどひゃでない番組あるを知る。

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