ソヴェト旅行記   アンドレ・ジイド(著)  小松 清(訳) ジイド全集 第12巻 新潮社
1950年


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歴史を1936年で輪切りにして見せてくれる, 2012/12/5

大学に入ってしばらくした頃、ふと手に取った本がアメリカとソ連の経済・社会・文化などを統計数字などにより比較していて、おもしろい、と引き込まれました。それによると、経済発展のスピードやら科学の進み方などがソ連がとても早く、素晴らしいレベルに到達している、そして、それは社会主義という仕組みによるものである、という結論になっていたと記憶しています。本の名前や著者は忘れてしまい思い出せないのですが、著者は、多分、大学の先生だったと思うのです。

そんな本を読んでいたところに、友人が紹介してくれたのが、この本、ジイドの「ソヴェト旅行記」でした(今回読んだジイド全集第12巻には、その他に「ソヴェト旅行記修正」が集録されています。それも含めてレビューします)。彼は、この本は、是非読んで検討してみる価値がある、というような言い方をしたと思うのですが、決して押し付けるような言い方でなかったのが記憶に残っています。しかし、それ以来、この本に接する機会がなく今に至ったのでした。

その間に、ソ連は崩壊しましたが、アメリカをはじめ資本主義国が良い状態かといえば、まったく違うわけで、人類は、その当時とほとんど変わらない程度に、幸せな社会を求め続けているのです。

今、歴史のこの時点で、ソ連の崩壊、特にその糸口を辿ることは意味のあることではないか、と思うのです。その意味でも、この本は、適切な内容を蔵しているといえそうです。

ジイドが、ソ連を旅行したのは、1936年6月17日から同年9月3日まででした。6名で旅を始め、5名で終えています。ウージエヌ・ダビが旅に病んで帰らぬ人になったのです。そこで、この本が、ダビに献ぜられることになったのでした。そもそも、この旅が、ゴルキイの病が篤いと聞き決行されたものでしたが、ジイドたち一行は、到着の翌日、ゴルキイを見舞うことなく、葬儀に参列することとなったのでした。

ですから、この旅は、悲しみに始まり、悲しみをもって終ったのです。それも、二重の意味で悲しみをもって終わることとなったのでした。ダビの死は、この本が彼に献ぜられたところに悲しみの大きさを見ることができるのですが、この本の内容そのものが、もうひとつの悲しみを示していることは、そのことがジイドにとっての悲しみに止まらず、人類にとっても悲しみとなっているということが、読み終わって見えてくるのです。

ジイドが書いているところから、結論とも見える個所を引いておこうと思います。いわく、「ソヴェトの今日の行き方をみると、私たちが常に資本主義制度において峻烈に非難してきたものが、やがて復活しさうな情勢の波にのってゐるやうである」。そして、代表的、典型的事例をいくつかあげたあとで続けます。「これでは、また近いうちに、もう一度、十月革命をやらねばならぬことになるだろう。今や、まさしく、停まれ!と警告の叫びをあげる時である」と。

この本の出版により、ジイドが孤立するに至ったのは、当然のことでした。

私が、友人にこの本を教えられた当時もその後も、ソ連の現状を批判ないし非難する文章は、運動会の玉入れのごとくに打ち上がっているのですが、ジイドの文章は、世界的作家の文章らしく、具体的な姿を描くにおいても旅人たちの会話を再現するにおいても、その場が瞼に思い描けるほどであり、感情的でなど全くないのです。つまり、世に出ていたイデオロギー丸出しであったり、感情的憎悪であったりするものとは違い、読んで、冷静にかつ客観的にことを想わせる文章です。

1936年までの時代、十月革命、国内戦、新経済政策、5か年計画と社会経済は移り変わってきました。レーニンが24年に逝き、27年の党大会でスターリンの地位は盤石のものになっていました。キーロフ暗殺事件を合図にしたごとくに粛正の嵐も吹き起こっていました。そうした時代、ジイドは2カ月半にわたり、大都会だけでなくジョールヂャ(グルジア、スターリンの出身地)など、辺地をも訪れ、幹部だけでなくコルホーズや街中の人々とも交わり、この本を書いたのでした。2カ月半にわたる作家の目は、ソ連社会の深いところまで見通していました。

今現在、この本を読むと、まさに歴史を1936年で輪切りにして見せてくれる気がします。そして、その歴史の世界史的意味を考える素材を提供してくれるのです。私は、そういうところを生き生きと作家の目で映し出しているところと、その作家の目なるものの凄さに、特別強く引き付けられて読み終わりました。

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