フーシェ革命暦〈1〉、<2><3>・・・・各辻邦生全集〈11〉、<12>
  辻 邦生(著) 新潮社(2005)

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フランス革命にフーシェはいかに飛び込んで行くか,
 2015/10/8

はじめにあらすじを見ておきます。

第1部:フランス、ナントの船主の家に生まれたジョセフは、修道院付属の寄宿学院で学び、後にはそこの教師として、ナントを皮切りに、いくつかの町の学院で物理化学を教えるのですが、併せて国を鳥瞰する立場から各階層の人々と接しつつ社会の動きを見つめ続けました。社会は諸産業の進展はあるものの、貴族と聖職者の衰退、農民の窮乏がすすみ、王国の財政は逼迫し、やがて破産寸前に追い込まれ、大小の政変をはらみつつ1780年代後半の歴史は動いてゆきます。

第2部:フランス王国の財政は破綻寸前になり、農民への課税は厳しく執行され、他方で、貴族には免税特権が認められていました。財政を建て直すには貴族の免税特権を止めるしかないことは明らかでした。民衆は、次第にあちこちで暴動を起こし、国王は、貴族、聖職者、ブルジョワからなる三部会を招集します。民衆は、革命的になってゆき、ジョゼフも学院から休暇をもらいパリへ向かいます。1789年5〜6月、三部会は国民議会に変わり、頭数議決制度を制定するのですが、6月23日、国王は、軍隊による国民議会への干渉を強行します。国民各階層は国民議会を支持して動き、7月14日、バスチーユで銃撃戦が始まり、激高した市民は市長をも惨殺してしまい、「バスチーユは陥ちた、自由万歳、フランス万歳」と大合唱が街々に響いたのです。

第3部:パリ市民は熱狂し、議会では、財政改革≒憲法改正、封建特権の放棄などがすすみました。ジョゼフは、学院のあるアラスへ帰り、休暇の延長・更新をし、政界への希望が膨らんでゆきます。8月4日、議会では、貴族の免税特権、封建特権の撤廃が議決され、人権宣言草案の検討も行われます。10月5日、パリの女性たちは「ヴェルサイユにパンをもらいに行く」と7千名余が行進を行い、小麦の緊急輸送証明書が国王により発行されます。その夜、国王は、封建制廃止令の無条件承認を与えます。10月6日午後、国王・王妃は小麦などを積んだ荷車と共にパリへ出発し、夜10時頃、チュイルリー宮へ入りました。翌日、示威行進は、国王と王妃のパリ遷幸祝賀行列に変わっていました。ミラボー・ラファイエット・ネッケルの首班の座をめぐる三つ巴の攻防や国王・王妃を取り込んだ亡命・反革命の動きも起こっていました。(未完のまま)

さて、辻さんは、この作品において、ジョセフ・フーシェをどう描いたのでしょうか。

ジョセフ・フーシェは、修道院付属寄宿学院の物理化学教師として、フランス王国を鳥瞰することに強い関心を持つ学究の身です。学院にある精神の自由が気に入っており、読書が好きでJ.J.ルソーなどに共鳴しています。実践派というより理論派です。そのようなジョセフが、諸階層の人々と交わる中で、フランス王国の諸相を知り、次第にその流れに足を踏み入れてゆきます。

第1部から未完に終わる第3部までに、フーシェは政治の最前線に加わっていないのですが、後に「裏切者、陰謀家、爬虫類的人物、営利的変節漢、岡引根性、背徳漢」(シュテファン・ツバイク)等々、あらゆる侮蔑的罵詈を浴びせられることと、辻さんの描く傍観的、鳥瞰的、自由な視点のフーシェとは、どうつながってゆくのでしょうか。

この物語は、トリエステに蟄居中のフーシェの回想録なのですが、その中に、「善し」を基準として行動を判断したのだ、と呟くところがあります。つまり、ものごとを鳥瞰し、どういう行動をすれば最善か、と判断し行動した結果が、人々をして彼をそのような評価に至らしめた、ということらしいのです。何せ、未完に終わった物語ですから、そこのところは、抽象的な回顧の言葉としてしか書かれませんので、論理としても情緒としても確かめることが出来ないのはまことに残念です。

では、次に、辻さんはフランス革命をどう描いたのでしょうか。

辻さんの描くフランス革命は、立憲君主制を実現したブルジョア革命です。貴族や僧職者が納税をまぬがれていたような封建特権の下で、ブルジョアジーを含めた民衆は、重税を負担し続ければ、いつか爆発を起こすこととなるのですが、経済の発展により力をつけてきたブルジョアジーが発言力を強め、それが牽引力となって議会を動かし、民衆の動きと相俟ってフランス革命を成功させたのでした。辻さんは、女性の力も大きかったと描いています。辻さんは、人権宣言については、具体的にはほとんど触れていません。

そのようなフランス革命に至る前夜、革命まっただ中の幾コマかを生き生きと描くにあたって、フーシェ自身は少し距離を置いて眺めているのですが、王宮の中、貴族の動きなどは、自身で歩くこと以上に、プロンという黒幕のブルジョアジーとミュリエル、マリ・ジョンクールという庶民階層出身のいわば「女隠密」を配して報告させます。これにより、当時のフランス王国の典型的側面が重層的にドラマチックに分かるのです。つまり、あまりありそうもないこと、起こりそうもないことでも、全く不可能ではないとして描かれます。例えば、革命の緊迫した局面で、ミュリエルが、急遽、王妃の侍女の小間使いになり、王妃の言動に接し、それを重要情報としてプロンやフーシェに伝えるのです。そうしたところから、やや通俗的であるのですが、おもしろさ、ワクワク感が生じてくるのです。

辻さんが、この先を書くことがあったなら、これ以後のいわゆる恐怖政治のパリとそこで活躍する人々、そしてフーシェのドラマが楽しめたのに、これまた残念なことです。

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