アンナ・カレーニナ レフ・二コラェヴィチ・トルストイ(著)米川正夫(訳)ロシア・ソビエト文学全集 17、18(1964) 平凡社
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トルストイの歴史・文明批判の中間到達点, 2012/10/8
あらすじ
アンナ・カレーニナは、ぺテルブルグの高級官僚カレーニンの妻です。アンナはモスクワに向かう列車の旅の途上、ヴロンスキー伯爵に出会い強く惹かれます。その後、ふたりはモスクワで、またぺテルブルグでしばしば顔をあわせ、次第に親しみを増してゆきます。そんな中でアンナは、カレーニンの優秀ではあるがいかにも官僚的な生き方とそんな彼との結婚生活とを厭わしく感ずるようになり、罪悪感との板挟みに苦しむようになります。彼女はやがてヴロンスキーとの子供を身ごもりそれを夫に告げます。当時のロシア社会で離婚は容易なことでなく、カレーニンもそれを認めようとしません。彼女は、すべてを投げ捨ててヴロンスキーのもとに行くことを選び、生まれた娘をつれヨーロッパに旅立ちます。
他方で、ヴロンスキーとの結婚を考えていたキチイは、彼の気持ちがアンナに移ったことを知り失意の日々を過ごしていました。やがて彼女は、インテリゲンチャの貴族地主レーヴィンの飾り気のない純朴な心に惹かれてゆきます。彼は、農民たちと語らい農業経営に知恵を働かせ地道な生活を送ることに幸せを感じています。ふたりは結婚し、日々の生業を誠実に進めるような生き方に価値を見出してゆきます。
アンナは、ヴロンスキーとともにロシアに戻ってきますが、ペテルブルグの社交界に彼らが受け入れられる余地はありませんでした。かてて加えて彼女はヴロンスキーの自分への愛情が冷めたのではないかという疑念に苛まれ、終に鉄道に身を投げてしまうのでした。
レビュー
「アンナ・カレーニナ」を不倫小説とする読み方が世間の一部にあるようです。たしかにそう読むことも出来ましょうが、それはかなりの程度、皮相的な読み方というものです。もっともっと、いろいろな読み方ができて、そのひとつに、トルストイの思索の一つの到達点として読むことが可能です。
私が読んだ本の訳者による巻末の解説によれば、この作品は、トルストイが最も油ののりきった時期、「戦争と平和」を出版した後、試行錯誤の中で思索を繰り返した上に出来上がった作品とのことです。そして、これ以後、よく知られているような思想家としての側面をいっそう強めていったのです。つまり、本書は、トルストイの思索人生の中間における到達点を示しているということができるというわけです。
具体的には、社会を担っている階級としての傲慢さの上に奢侈、退廃などが覆っていた貴族社会の姿が縷々描かれると同時に、それが象徴的にアンナの死により強く否定される反面、ひかえめですが肯定的に描かれるのが、キチイとレーヴィン、特にレーヴィンに描かれる農民とともに生きるところに価値をおく思想です。これは、トルストイの主張に他なりませんし、多分、世人により繰り返し指摘されてきたところです。
もうひとつ、私が、注目したいのは、リアルに描かれる当時のロシア社会の姿のうち、農民の姿です。貴族社会とともに農村と農民の姿が生き生きと描かれています。農民とともに野良で働くレーヴィンも輝いてみえます。トルストイがここで描く農民は、純朴で素直でおとなしく働き者で、神を深く敬います。しかし、それを読んだ多くの読者は、時にそこに多少の疑問を感ずるのではないでしょうか。私たち日本人読者も、実際を見ていなくとも、いろいろな書物で、違った姿を知らされているからです。
たとえば、「米欧回覧実記」に久米邦武が描いた農民の悲惨な実像は、それが瞥見であったとしてもアンナたちの生きた時代、つまりツァーリによる農民解放が行われた後、ロシア革命に先立つ時代のことである故に強く印象に残るのです。そして、何よりもロシアの農民をリアルに描いて秀逸なのは「静かなドン」です。そこに見られるコサック農民は、久米の見た時代の次に続く時代の農民ですが、トルストイの描く農民気質をもつだけでなく、悲惨だったり、残酷であったりするとともにユーモアに長け、歌が好きで上手です。その他にも当時の農民を描いた書物は枚挙に事欠きません。トルストイのリアリズムにすくい取られたのは農民のほんの一面なのです(これは、貴族社会の姿を含め、彼のリアリズムの価値をおとしめるものでないことは勿論ですので付言しておきます)。
つまり、本書は、ロシア革命の激動に向かう前のロシア社会を舞台に、退廃が進んだ貴族社会の中で古い仕来りに縛られる貴族女性の苦悩を克明に描き、それに対しトルストイが対置した生き方を開明的貴族レーヴィンとその妻キチイに求めようとした大河小説なのです。しかし、実際の「アンナ・カレーニナ」は、こんな要約に押し込められるものでなく、もっと生き生きと人と時代が描かれるリアルなドラマであることはいうまでもありません。