パリ・コミューン : 一女性革命家の手記 下
ルイーズ・ミッシェル 著 天羽均, 西川長夫 訳 人文書院 (1972)
「血の週間」とニューカレドニア、リアルな描写が多い 2013/6/12
上巻は、「V コミューン」の章の7節まででしたが、下巻は、そのつづき、「上げ潮」と題された同章8節からです。
上巻と同様、多くの資料からの引用にルイーズの経験を交え、「人民の波」が国外にも拡がる様を描きます。そして国内、地方のコミューンの動きも活発に展開されます。1871年における女性たちの運動、フリー・メーソンの動きも描かれます。しかし、5月も中旬を過ぎようとする頃、コミューンの力をヴェルサイユの力が侵食し始めます。無人のサン・クルー門からヴェルサイユ軍2万5千が21日夜、パリに入城しました。堤防を洩れた水は急激に勢いを増して市内を蹂躙し始め、殺戮が始まります。
その第W章「大虐殺」では、それまでの章と違って、ルイーズ自身の経験談が多く書かれていてリアルです。たとえば、次の通りです:
「じっさい私たちは『パリは勝利する!』とくり返しながらも、ヴェルサイユ軍が入ってくるであろうことを予感しているのだ。私たちにとって確かなこと、それは死を賭した防衛戦をおこなうということである。
区役所の前で第六一大隊の連盟兵と一緒になった。彼らは私に言った。
『こちらに来ませんか。われわれは死地におもむくのです。最初の日あなたはわれわれと一緒だった。最後も一緒になりましょう』。」
ルイーズが経験した「血の週間」が始まるのです。その後、彼女は、身代わり逮捕された母親を助けるために自ら出頭し、サトリの監獄に収容されます。サトリの様子が第4節に描かれます。
第X章では「それから」と題して、ニューカレドニアへの流刑から帰国までが描かれます。彼女は、航路中、船酔いもせず、地理をはじめ万象に関心を示し描写します。彼女は、つぎのように書きます:
「私はコミューン以前にはショーモンとパリのほかはどこにも行ったことがなかった。コミューンの歩兵中隊と行動をともにしていたときに巴里の周辺を眺め、ついでいくつかのフランスの町を監獄からのぞき見ただけだった。私はずっと旅を夢みてきたのだ。その私が今、まるで二つの砂漠のあいだにいるかのように、空と海にはさまれ、波と風のほか何も聞こえない大洋のまっただ中にいるのであった」。
また、本人の書くところによれば、彼女が無政府主義者であることをはっきり自覚したのはこの航海の途上だったとのことです。ニューカレドニアの自然も描写されていますが、流刑生活においても創造力を働かせいろいろな戦いを繰り広げます。仲間との交流も豊かです。島の描写に交えて、詩が多く引用されています。帰国後の戦いもかいつまんでになりますが描かれて終わります。彼女は、1898年5月20日、パリ、と巻末に印して本書を書き終わっています。
詳しい年表が巻末に付され、これはとても役に立ちます。
なお、上巻は霞ヶ浦市立図書館、下巻は千葉県立中央図書館から、つくば中央図書館の相互貸借制度により借りて頂き読むことが出来ました。