先古典期 BC200年頃から 古典期
AD900年頃までマヤの中心地として栄えたティカル
AD292年(8.12.14.8.15)最古(最初)・・・AD869年(10.2.0.0.0)最後の石碑建立
平和で静かな宗教都市、祭礼のときだけ人が集ると言われてきたティカルはマヤ文字の解読(85%が読み解かれている)によって
宗教都市であり防御施設も発見され最盛期には5万人の人口を抱えた交易都市であると修正されつつあるらしいのです^^;
建造物は増改築が繰り返され、カトゥン(7200日)ごとに石碑を建てる習慣があったのでAD869年から次のカトゥンまでにティカルは
放棄されたと考えられる。忽然と消えた文明と言われてきたマヤは近年それほど急激でなくもう少しゆっくりとした衰退・・崩壊
だったと解釈されているそうなのです。滅びた原因については外敵の侵入や交流のあったティオティワカンの衰退が影響するもの
諸説はあるもののまだ定説がない・・そうですφ(. .)そして・・後古典期のチチエン・イッツアー
(AD1000)へと時代は移って行った。
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