<さぽおたあ通信 No.11 1996年10・11月合併号>

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P1 挨拶と目次


〜 ごあいさつ 〜

 皆様お元気でお過ごしでしょうか?  まずは、お詫びから。「月に一度のさぽおたあ通信」のはずなのに今号は10・11月合併号となってしまいました。いいわけは幾らでも出来るのですが、ともかく申し訳ございませんでした。今後はこの様なことがないよう、スタッフ一同気持ちをこめて、長田のこと・「すたあと」のことを伝えていきたく思います。

 今号は合併号といことで、若干ページも増えています。お読みになってご意見等がございましたら、ぜひとも「すたあと」へお手紙・お電話・電子メールなどいただけたらと思います。

<目次>

2〜3頁  「すたあと長田ホームページ」のご案内
  4頁  “桜亭”の金田真須美 本紙デビュー
  5頁  「君のこころは此処にいると、僕は信じる」〜梅田隆司くんへ〜
  6頁  御蔵通5‐5 第4回「社長」というお方パート2
  7頁  すたあと長田のサタデーエクスプレスのページ
8〜9頁  のぶ日記 −Vol.1−(10/12〜10/16)
 裏表紙  つれづれなるままに 第4回 ・編集後記


P2・3 「すたあと長田ホームページ」のご案内


「さぽおたあ」のみなさん、こんにちは! 昨年10月から「すたあと長田」にお世話になっている沼田英俊と申します。私、東京に住む29歳の大学院生なのですが、実は神戸出身の輩(県立長田高OB)であります。

 ところで、「すたあと長田」にも今流行りのインターネットを使った「ホームページ」があるってこと……皆さん、ご存じでした? 今年6月20日号(Vol.3 No.7)以降の「Weekly Needs」を今一度ご覧下さい。裏面最下段にホームページのアドレスがちゃんと掲載されていますね。

 昨年10月23日に、幾多の震災ボランティア団体のホームページに先駆けて開設された「すたあと長田オンライン」は、今年10月末現在、画面総数104枚・掲載写真総数437枚という、非常に大がかりなデータベースに発展しています。長田のプレハブ事務所から電子メールで送られてくる文章を元に、「Weekly Needs」全バックナンバーの内容、FMわぃわぃの番組内容、さぽおたあ通信などなど、非常に盛りだくさんの内容が、綺麗な写真や楽しいイラストとともに掲載されています。「Weekly Needs」に至っては、“発行日前日には最新号内容が掲載される”という素早さです!

「復興に向かう被災地の状況を、広く神戸以外の地域に在住の方にお伝えすること」が、当初からの目的です。遠隔地にお住まいの「さぽおたあ」の方にとっても打ってつけの情報源ですね。「さぽおたあ通信、まだ来ねぇなぁ〜」と今日も苛立つ貴方、学校・職場・自宅・近所のネットカフェにて、下記アドレスに今すぐアクセスしましょう!

http://dbs.c.u-tokyo.ac.jp/labs/sakurai/start/
「すたあと長田オンライン」

※本年11月以降、アドレスが上記に変更されました

< 「すたあと長田オンライン」の目次 >
1.「すたあと長田」とは
 1.1 河合・前代表からのご挨拶
 1.2 すたあと長田のプロフィール
 1.3 すたあと長田のアルバム

2.「Weekly Needs」
 2.1 Vol.1(1995.3.12〜1995.7.30)
 2.2 Vol.2(1995.8.6〜1996.1.28)と番外編
 2.3 Vol.3(1996.3.14〜)
 2.4 号外『みすが夏まつり』他

3.すたあと長田の「サタデー・エクスプレス」
 3.1 「FMわぃわぃ」での放送風景
 3.2 ゲストコーナー
4.すたあと長田からのインフォメーション
 4.1 特集号を作りました!!
 4.2 「つづら折りの宴」ご協力のお願い
 4.3 サタデー・エクスプレスのご案内
 4.4 写真集『アプローチ』紹介

5.神戸以外の地域に住む方からの協力手段
 5.1 支援金のお振り込み先
 5.2 「さぽおと」システムのご案内

6.神戸の主なボランティア団体案内
7.ゲストブック


P4 「桜亭」の金田真須美 誌上デビュー


 私、神戸の地に生まれ育ち、はや37年。他の住民同様、昨年1月17日朝っぱらの大揺れで住居、職地(自営)共に大きなダメージを受け、なす術も無く自宅に残った食物を背に原付バイクで親類や知人の安否を訪ね、焼け跡やガレキの変わり果てた街を走り回る。時にはバケツや鍋を手に給水車を追っかけたり、通りがかった先で破裂した水道管から溢れる水を見つけては「ラッキー!」とばかりに頭を洗ったりと。そんな中、1月20日頃より長田区役所そばの新湊川公園にてボランティア活動を始める。

 多くのボランティアがこの地を離れ、人影もまばらになった同公園で、春まだ浅い4月10日、高級会員制屋台(と私は信じてる)「桜亭」を成りゆきで開店するも、今年8月半ばのおっきな台風に身も心もメゲてしまいアッケなく閉店(地震に台風……かないまへんわ)。しかし、開店から閉店迄の辛く苦しいテント営業も沢山のボランティア達に支えられ、商売もそっちのけで仮設支援やイベント開催、人間のせわにネコのせわ等々。とりわけ大変なのがネコのせわで、震災後、動物への救済支援は皆無に等しく、人間さまと同じく被災していてもその命の尊さは私たち人間のエゴイズムに依って都合の良いときにのみ存在するらしい。とは言え動物愛護について語っても意見が分かれたりもどかしかったりと若輩者(?)の私では誌面で収拾つけかねるので、読者の皆さんに「仮設住宅」を分かってもらえたらと、今号より連載させて頂きます。

 震災直後の住宅事情がすさまじかったのは国内外周知の事と思うが、アメリカのジャーナリストは震災後30日を過ぎても避難所の通路に溢れる様にして夜を過ごす市民を見て「近代文化国家とは信じ難い」と書いていた。そんなある日の深夜、人間関係のトラブルから避難所を出てきたという、70才に近いおばあちゃんと公園で出会った。たった一枚の毛布とわずかな荷物を大事そうに抱え、伊丹(長田から約30km)の親類宅まで歩いていくと聞き、私達数人のボランティアは思いとどまらせる為まずは温かい飲み物をすすめ「今夜はもう遅いし危ないから明日にした方がええわ。とりあえず今夜はこの公園に私らと泊まってってえな〜」と2時間がかりで説得した(彼女の頑固さにはその後もかなり泣かされたもんや)。翌朝おばあちゃんを見つけると、昨夜とは別人のような表情で冷たい風の中公園の洗い場で元気に炊き出しのかたづけをして居た。その日から我々と共にボランティア活動にたずさわりながら、住まいとしていた公園のテントを幾度か引っ越しし、3月半ばには立ったばかりの桜亭テントで暮らし始めた。私の家は、すき間だらけのブルーシート張りながらも何とか住む事が出来た為、夜はおばあちゃん一人が留守番という事も度々あったが、それまでおばあちゃんが寝おきしていたテントに比べると、当時畳12枚分の運動会テント(正式名は判らん)それもコタツ付きは当時なかなかのもんで、拾い集めた家財道具もおばあちゃんと私には宝物のように誇らしく、出入りする若いボラメンバー達にしつこい程自慢していた。

 ここまで読んだ人の中には「きっとこのおばあちゃんは頼る身よりも家も無いかわいそうな年寄りなんだ」と思われるだろう。確かに家は全壊した。それも借家人、そして年寄りだ。だが身寄りはいたのだ。結婚相手とは若い頃に離婚したものの2人も娘さんがいる。そして伊丹市には、裕福に暮らす兄も。神戸の西と東に各々暮らす娘さんは共に被災し、ご主人や子供達とやはり仮住まいの身で、わずかながらも年金で暮らせるおばあちゃんとしては娘達の方がふびんでならなかったのだ。まして実の兄の家とはいえ主婦である義理の姉の気遣いを思うと気が重くなるらしく、私とのテント生活を選んだのである。

 私達2人は、たまに様子を見に来るおばあちゃんの娘さん(当時、妊娠8ヶ月でお腹パンパン!)からも不思議がられる程、年齢差を乗り越え快適に過ごしていた。そして、待ちに待ったおばあちゃんの仮設当選発表の日がやって来たのだ。

(金田真須美)


P5 「君のこころは此処にいると、僕は信じる」
〜梅田隆司くんへ〜


 早いもんで、あれからもう3ヶ月が経とうとしている。
 「すたあと長田」は相変わらず人が居ないが、「ウィークリー・ニーズ」は2週間に1回、ちゃんと発行している。のぶが頑張ってるからね。部数も4月の新方針切り替えの時から増え始めて、再び1万部に達しようとしているのだ!
 ラジオも毎週毎週放送している。もう40回を越した。バカボンがミキサーをしっかりこなしているのだ(と、言っておこう)。

 震災から1年10ヶ月が経ったけど、長田にはまだ更地が広がっている。多くの人が戻れないままだ。だから「すたあと長田」のプレハブがあるし、だから「ウィークリー」も存在する訳なんだけど、さすがにこれだけの時間が経つと、事態はそう簡単に解決しそうもない。

 神戸での「語る会」にはたくさんの人がきた。「徳島屋クリーニング」のご夫婦と「黒田酒店」のおかみさん、「ボラ・セン」の旧メンバーに「わいわい」のスタッフ、そして「すたあと」の新旧メンバー。東京からおばちゃん(あらばき印刷の関根さん)も駆けつけてきたし。
 夕方からは場所を懐かしい「ジャンボ」に移して、みんなで遅くまで話した。マスターも元気だぞ。
 そうそう、ご両親とお姉さんには菅原のまちを歩きながら「プレハブづくり」の説明をちゃんとしたからな。

 君が此処にくる度に、今神戸で、長田で何が必要か、「すたあと」は何をすべきかを話していた。撤退後のピースボートの中で、君が「すたあと」の(いろんな意味で)一番の理解者だったと、俺は思ってる。
 6月に上京したとき、時間の折り合いがつかず会えないと思っていたら、君の方から夜中にバイクで出てきてくれたよな。2時間ほど「すたあと」のこと「まちづくり」のことを話して、別れた。これからの活動の方針を話したら、君は「そういう動きが大切なんだよ!」って言ってくれたよね。うれしかった。
 それが、君と会った最後になっちまった。

 「すたあと長田」のプレハブは今もあの震災後の状況から地続きで、建っている。
 僕らも地続きで活動している。だから、どんなに遠くにいたとしても、君の仕事はまだ終わってないんだと思いなよ。君だって、そう思うだろ?

 君のこころは此処にいると、僕は信じている。

(小野幸一郎)


P6 御蔵通5‐5 「社長」というお方 パート2


 と、言うわけで社長編パート2であります。なんのことだかわからない方は2号前の「さぽおたあ通信」をお読み下され。

 パート1の訂正をひとつ。「無罪の七施」と書きましたが、「無罪」は「無財」です。社長が「罪がないんと違う」と嘆いておられました。謹んで訂正いたします。
 で、「無財の七施」とは一体なんでしょう、社長?
「財がないから顔で、こころで、口(言葉)で、目で、体で、施す。そして、席を譲り、宿を貸す」

 雨が降る寒空の下、まだ湊川公園にいたピースボートのボランティア(故・梅田君らしい)と出会った時、社長は初めてこの言葉の意味を実感をもって感じられたそうです。その時の「感動」が原動力の1つになって、震災後の社長の活躍があったと言っても過言ではない(と思う)。

 前回の文章を書いてから今回までの間に「みすが夏まつり」という催しを8月に行い(ウィークリー本誌及び号外参照)、灘区の琵琶町にコンテナ集会場を作り、御蔵5・6の「町づくり協議会」の話し合いにずっと参加されてきた社長。ちょっとぐらいお休みになられたよいのに、相変わらず日曜日もほとんど御蔵に顔をだされる。タフである。

「俺は、小野の手のひらの中で踊らされているからなぁ」

 ちょっ、ちょっと待った。あ、そうそう、申し遅れましたが僕は「SVA神戸」のスタッフである浅野さんと、兵庫商会の3階にある「会議室」をお借りi占拠?)して、「まち・コミュニケーション事務局」なる別のグループを立ち上げて活動していまして、はあ。もひとつおまけでいえば、一応「アルバイト」として兵庫商会からお給料をもらってたりしまして、はあ。
 と、言うわけで田中社長には本当にお世話になっているのであります。はい。

「近頃の神戸市は全くあかん!」

 この頃ことあるごとに社長の口からこの台詞が漏れるのですが、確かに1年以上「まちづくり」に関わって結局何がu進展」したのかと言えば、現実のところ「区画整理」の話でしかなく、ここにいた人たちが戻れる目星も、再建のメドも、相変わらず見えないままです。「ほんま、疲れるなぁ」の世界なのだ。
 それに輪をかけて本業の自動車部品商の仕事も業界自体i社長は「兵庫県部品商組合」の理事長も務めている……)が大きな転換期を迎えようとしており、ホント、気が休まる時があるんですかねぇ。

 社長の一番凄いところは、おそらく「一体、どこまで考えていらっしゃるんだろ?」と、おもわずいぶかしんでしまう程の懐の広さといえるでしょう。とにもかくにも「御蔵5‐5」にあれだけのボランティアグループが集まって活動ができているという事実はデカイ。よそは知らないが、uすたあと長田」の今の活動はなかったろうな。「まち・コミ」に至っては会社の中にあるんだもんな。俺なんか食わせてもらってるし……。

(ニコニコ笑いながら)「君たちが仕事してくれれば、神戸市に一泡ふかせられるよ」

 ほ、ほんまですか?ま、ともかく一緒に頑張りましょうね、社長!

(小野 幸一郎)


P7 すたあと長田のサタデーエクスプレス


サタデーエクスプレスのゲストコーナーは、東京スタッフ・金原雅彦さんほか数名の手によって文章化され、沼田さんの制作する「すたあと長田のホームページ」(本紙3ページ参照)に掲載されています。是非ご覧下さい。また、文章をプリントした物を希望者に郵送できるように作業を進めています。興味のある方は、すたあと長田までご連絡下さい。


P8・9 のぶ日記 Vol.1(10/12〜10/16)


 このコーナーは、数人の“さぽおたあ”からの要望で連載することになりました。

 第一回目の今回は、2週間に1回発行している「ウィークリーニーズ(以下、W・N)」の制作に追われる数日間の報告を書かせてもらいたいと思います。

10月12日(土)
 今日は『FMわぃわぃ』の『すたあと長田のサタデーエクスプレス』の生放送の日である。ぼくの担当は、インフォメーション(以下、インフォ)の原稿づくり。金曜日の夜に仕上げれば楽なのだが、いつも放送日の午前中にあわてて書いている。インフォ書きはなかなかしんどい。何がしんどいかは、次回にでも書かせてもらいましょう。
 正午過ぎ、なんとか時間どおりにインフォを書き上げると事務所ではスタジオ入りの前の打ち合わせが始まっている。参加メンバーはディレクター兼D・Jの小野さん、アシスタントD・J久美ちゃん(中川久美子)、ミキサーのかっちゃん(勝山和哉)、『桜亭のリキんでます!』担当の和田幹司さん、それに今日のゲスト・沼田英俊さん(2ページ参照)。
 ゲストコーナーのテーマについて話をしていたのだが、ゲストは沼田さんなので、インターネットに関するテーマを考えていた小野さんに対して「インターネットなんて言っても(わいわいを)聞いてる人はわからないよ」と沼田さん。結局沼田さんの実家のある岩岡(神戸市西区)に焦点をあてて「神戸と言ってもいろいろあるで」になった。
 1時30分頃すたあとの事務所をあとにして2時前スタジオ入り。僕は、ミキサーのアシスタントをしたのだが、時間出し(出演者に残り時間を知らせる)のタイミングを間違ったり、余計なことを言ってかっちゃんを混乱させたりと足を引っ張りまくり。3時、とりあえず無事放送終了。ホッ
 事務所に戻ってきてから定例のミーティングが始まる。10月17日発行の「W・N No.15」と、来週の土曜日に僕とバカボンがすたあとに居ないため「No.16」10月31日発行分についても話し合った。
 ミーティング終了後、沼田さんと震災・活動記録室に行き、記録室の代表・実吉さんから「しみん情報玉手箱」についての説明を受けた。「しみん情報玉手箱」は、記録室が最近始めたサービスで、ここにFAXの電話からダイヤルして電話のプッシュ音で応対する機械を操作すると欲しい情報を手に入れられるというもの。W・N最新号もこのシステムで引き出せるようにしてくれました。「実吉さん、ありがとう」
 ちなみに「しみん情報玉手箱」の電話番号は、078‐681‐6232 W・Nの情報番号は、8002#です。

10月13日(日)
 いよいよW・Nの制作が本格的に始まる日曜日になってしまった。何日か前から原稿の打ち込みなどをやっておけばゆとりをもてるのに、いつも、日曜日になってから、あわてすべての作業を始めてる。
 今回は、16日(水)の夜から東京に行く予定なので、いつもよりも日程が厳しい。しかし、気持ちばかり焦っているけど、手はあまり動いてない……。
 とりあえず、表面のメインの記事は既に原稿があるので、打ち込みと校正がすぐに始まった。今回の校正は、僕と小野さんに加えて、沼田さんにも手伝ってもらった。
 そのあとは「あきちゃんかんちゃん」「インフォ」などの打ち込み。今回も打ち込みは僕一人だったので、だらだらと作業していった。
 一人での作業はカッタルイので、レイアウトなどの仕上げの作業は、明日にしよう。
(PM10:00頃)……あれ、裏面の記事が(企画すら)無いぞ!?

10月14日(月)
 兵庫区ボランティアというところが「復興たまねぎ」という機関誌を出していて、その中に橘さんという方書いたの記事があった。このひとには、5日くらい前に、鹿ノ子台ボランティアの西野さんから紹介してもらって、お会いしていたので「この記事をW・Nに転載しよう」と思い付き、さっそく橘さんに連絡。許可をもらうと文章を抜粋してW・N向けの原稿を制作。出来上がると同時に橘さんの勤務する御旅仮設住宅に行き、本人に文章の確認をしてもらう。これで、やっと今回の制作に使われる原稿がすべて揃った。

 夕方頃になり、いよいよレイアウト。この作業と同時に、今回からは『ルビ(ふりがな)』を付けることにした。きっかけは「W・N No.7」の記事を書くときに遡る。取材させてもらった、仮設のおばあちゃんは長田区四番町の出身で「漢字が読めないのでふりがなをふって欲しい」と言っていたので、以前から考えていたが、どういった方法で作業をすれば良いのか考えつかなかったので、実行できなかった。ところが最近マックの編集ソフトに『ルビ機能』が付いていることを知ったので、さっそく実行することにした。
 企画はよいのだが、作業量の増えること増えること。いや、それ以上にどの漢字にふりがなをふるべきか、また、どの程度やさしい漢字ならふりがなをふる必要はないのか、悩む悩む。かといっても一人きりの編集作業、相談する相手もおらず、しまいに考えるのがめんどうになって「え〜い 全部にふりがなふっちゃえ〜」ってことにした。そして、版下を作って見てみると、ふりがなの分、字と字の間隔が少なくなり、紙面が真っ黒(のイメージ)! その後スタッフの間から非難の声多し。くすん
 版下を作っていると、真須美さんが「今回のタイトル(のイラスト)どんなん?」と聞いてきた。……あれ、タイトルがないぞ!? タイトル書きは、主婦の加瀬さんに事前にお願いしていたのだが、今回、加瀬さんの家にそれを取りに行くのを忘れていた。
 翌日の朝一に加瀬さんからタイトルを貰ってくる予定として、今日のところは裏面の印刷を横ちゃんに託して、ひと休み。

10月15日(火)
 朝起きると同時に表面の印刷を始め、昼頃、印刷が終わると同時に配達を始める。何と言っても、明日が東京に行く日である。急いで配達をしなくてワ。配達員それぞれに担当の配達先があり、他の人の担当に決められないところすべてを僕の担当としている。この日は、バカボンと2人で配達に回った。
 一言で配達といっても、お店もあれば、仮設住宅もある。まとめて束で渡すところもあれば、郵送するものもあるし、一軒一軒ポスティングしていく仮設住宅もある。その中で、ポスティングする仮設住宅(須磨区、西区)から先に配達して行く。日が暮れてから行くと、足音などで迷惑を掛けかねないので、明るいうちに仮設住宅へ。
 いつもは水曜日に配っている新聞販売店への配達も1日早く済ませ、明日の作業を軽減させる。夜7時頃に配達を中断、事務所に戻り、郵送(配達の協力団体へ)するW・Nを封筒に入れる作業をしてこの日の作業をきりあげた。

10月16日(水)
 9時頃、遅い起床。雑務を片づけた後、正午頃からバカボンを引き連れ配達に出発。
ぼこぼこのマイカーで、郵便局から始まり長田区のお店・仮設住宅、北区の仮設住宅の配達先を回る。
 今日の夜東京に向けて出発するので「早く配達が済んだら仮眠を取ろう」と考えていたのに、配達から戻ってきたのが午後5時過ぎ。作業終了かな……と思うと、なんやかんやと雑務が残っており。仮眠どころか荷物をまとめる暇もなく、しかも予定より2時間遅れの9時頃に出発! 東京までの運転 が心配である……。

それでは、次号でまたお会いしましょう。

(吉田 のぶ)


P10 つれづれなるままに


 みなさん、こんにちは! 今回も健康について書きたいと思います。

 最近、無農薬野菜とか有機農法とかが話題になっていますが、実は農薬野菜と同様に有機農法で作られた食物にもとても恐ろしいことが隠されているのです。そもそも「有機」とは、有機=有効微生物群のことを指しますが、この有効微生物群を土にまぜて土を肥やし、化学肥料や除草剤をまったく使用せずに食物を育てるのが有機農法です。
 この時、有機農法は一般にフンや尿に含まれているものを使用します。フンや尿を畑にまいているところを見たことがある人も多いと思いますが、このフンや尿は、いわゆるチッ素やリン酸、アンモニアを含んでいます。これを土にまぜて発行させると、硝酸塩が多量に含まれた土ができあがります。この硝酸塩が多量に含まれた土で食物を育てると、その食物自体も硝酸塩だらけになります。いわゆる金太郎アメの様にどこを切っても硝酸塩だらけなのです。この硝酸塩が多量に含まれた食物を食べると、口の中の腔内細胞と硝酸塩とが化学変化をおこし、亜硝酸塩に変化します。この亜硝酸塩が食堂を通って胃に入ると胃液と化学変化をおこし、ニトロソアミンというものになります。このニトロソアミンは、強力な発ガン性物質で、これを投与されたマウスは、百匹中九十匹がガンになるといわれています。

 良いと思って食べている食物も裏をかえせば毒を食べている場合もあるのです。健康ブームで有機や無農薬というだけで安心というのは誤りです。みなさんも、しっかりした目を持って食物を見ていかないとダメですよ。

(パミール)

※次回につづく


編集後記


 「さぽおたあ通信」の発行が著しく送れたことを、あらためてお詫び申し上げます。
 僕たちすたスタが、最も歓びを感じるのは、やはり、ウィークリーニーズ等の活動に対して反応があったときです。

 現在の被災地で、他の多くのボランティア団体が行っている“友愛訪問”などの 活動と違い“情報発信”といった活動を行うすたあとでは、活動を通じて直接被災者と顔を会わせることが少ないのです。そういった活動を続ける中で、たった1本でも、たとえそれが“お叱りの電話”であっても反応が来たことに対して歓びを感じます。
 11/16に「いつも読ませてもらってます。がんばって下さい」と、伝えるためだけに電話をくださった方がいました。同じ日に「みんなの伝言板のコーナーを見て電話した」という方もおり、少なからず、活動に対する反応が増えてきているのを感じます。そして、そうした方々の声を活動に取り入れることで「まちと仮設(遠隔避難者)をつなぐ」という、ウィークリーニーズの目的を果たしている事実を感じ得ます。

(吉田 のぶ)



numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp