プリーター“ほりでぇ吉田”の淡路レポート

※取材日:1996年5月27日〜29日
前号へVol.3目次次号へ
『淡路島マップ』
(拡大時400KB)
『淡路各町の被災・仮設』
(拡大時400KB)

1.北淡町


◎北淡町役場・災害復興本部の人の話
 北淡町の被災者は、一人を除いて皆さん北淡町内の仮設住宅に入られた。
その一人は、仮設住宅に移るかどうか迷っているうちに、手続きが遅れ、町内の仮設住宅に入れず、五色町の仮設住宅に移り住んでいる。
 富島地区は、区画整理に入っているので、新しい家がまだ建てられない状況。
 仮設住宅は暑いので、夏が来る前に新しい家を完成させて、引っ越しをする人が多い。また、「正月をちゃんとした家で迎えたい」という心理から、年末の頃にも引っ越しラッシュがあるだろう。
 若い人は、自力で新しい家を再建していくが、お年寄りは取り残されがち。北淡町は、お年寄りが多い。

◎北淡町社会福祉協議会の人の話
 現在、社会福祉協議会では、震災に関するボランティアはしていない。メンタルケアを目的にふれあいセンターでの行事をしている。
 元々あった社協の活動をいままで以上に活発にするようになった(高齢者福祉を例に挙げると▽給食サービス▽入浴サービス▽障害を持つ人のリハビリ教室▽ヘルパーの派遣▽移送サービスなど。移送サービスは、入浴サービス・リハビリ教室等のために行われる)。
 社協で把握出来ている限り必要に迫られるニーズは無いし、中途半端な活動は出来ない(小さな町なので、「どこの誰」というように、顔が見えているので余計に中途半端なことは出来ない)。
 精神科医が子どもに対して、ケアを行っている。
 洲本からボランティアの人たちが来てくれて、仮設住宅に慰問をしてくれている。
 仮設住宅に移っても、コミュニティーは生きている。元々のご近所さん同士を集めて仮設住宅に引っ越しているので、お年寄りでも特に寂しがることは無い。いままで通りの「ご近所づきあい」をしてもらっている。これは、行政にとっても町民の状況が把握しやすいので、対応し易くもなる。一石二鳥以上の効果がある。
 再建する力のある人(特に若い人)は、早く仮設住宅を出られるけど、力のない人(どうしてもお年寄り)は、仮設住宅に残りがちである。そういった場合に、仮設住宅に取り残されて寂しい思いをさせないように、元からのご近所さんとお付き合いが出きる距離にある仮設住宅に、移転できるように、行政に働きかけている。


◎吉田の「北淡町」補遺レポ
 北淡町役場から北に向かい2kmぐらい行くと海側に仮設住宅が見える。その仮設住宅の向かいの道を山側に入り数10m行くと金網に囲まれた空き地に、野島断層が地表にむき出しになっている所がある。
 空き地に50cmほど段差が出来ていたが、ブルーシートが掛けられていた。ブルーシートをめくって見てみるが、土をかぶっていて何も見えない。しかし、その直線上にまたがる垣根や塀が斜めに傾けられ壊されている。反対を見るとアスファルトが持ち上げられ、亀裂が走り、穴が空き、マンホールの穴が歪んでいる。
 「ここから全てが始まった」と考えてもみたが実感は沸かない。
 ここから10mしか離れていない所に仮設住宅が建てられている。この仮設の住民はどの様な気持ちで、毎日この場所を見ているのであろうか。
 この仮設住宅(約100戸)の敷地の中には、仮設の商店が建っている。聞けば昨年の4月から営業を始めていると言う。品揃えも、なかなか充実していた。

北淡町『小倉団地』
(野島断層脇の仮設)
『野島断層』(1) 『野島断層』(2) 『野島断層』(3)
他にも『野島断層』(4)『野島断層』(5)あります。


2.五色町


◎五色町役場の人の話
 北淡町や一宮町ほど被害はなく、仮設住宅の数も70戸と北淡町・一宮町に比べて少ない。災害公営住宅の入居が、すでに始まっていて、県営住宅も来年に完成。町営住宅もできるので、来年中には、仮設住宅の解消が出来るだろう。現在、すでに仮設住宅を出られている方が相当おられる。
 被害が比較的小さかったので、震災直後に北淡町にボランティア活動の応援に行ったこともある。いまでは、町内のボランティアグループが慰問活動をしたり、年末には仮設住宅に餅を配ったり、春の桜の季節に、桜の名所に仮設住宅の住民を連れていくなどの活動をしている。社協でも仮設住宅で餅つきをして、その餅を住民の皆さんに配ったり、仮設住宅を回る活動をしている。


3.一宮町


◎一宮町高齢者生活福祉センター「ゆうゆうライフ」内
一宮町社会福祉協議会の人の話
 町の人口約1万人、3千世帯。 仮設住宅は、17ヶ所に376戸(1番多いところは、84戸)ある。
 田舎の良さが発揮できた。倒壊家屋の何処に人が埋まっているか(普段その人が、寝ている場所)まで近所の人が把握できていた。母屋の他、離れなど、一軒の家でもいくつかの建物がある家であれば、一部が被害を受けても、残った建物で生活できるといった、建物の利点もでてきた。
 県からの支援がなかなか来なかったが、四国四県(徳島・香川・愛媛・高知)の県社協の合同応援チーム(徳島がリーダー)が2月1日に応援に来てくれた。四国から阪神地域には入り難かったが、(鳴門大橋の働きもあり)近い淡路島に真っ先に応援に来てくれた。
 四国四県のプロジェクトチームが、「ゆうゆうライフ」内にベースキャンプをはりたいと申し入れがあったが当時避難者も多く居たため、近くの別の場所に設置してもらった。
 一宮町社会福祉協議会ゆうゆうライフの場所は、役場からも近く、四国四県のベースキャンプにも近かったので、役所の情報を早く手に入れることが出来たし、町民のニーズをベースキャンプに伝えたりとネットワーク作りに役立った。
※2月末までのニーズ件数260件(4分の1は、倒壊家屋からの家財道具の取り出し)。ボランティア等スタッフのべ人数1200人。(四国四県によるコーディネート)

 長期的な被災者への支援活動を考え、活動の中心を地元に移すため、2月末日に、四国四県のチームは撤退。3月1日より、地元社会福祉協議会による支援活動を開始。
 3月1日淡路地区社会福祉協議会連合会による島内社協震災支援センターを発足。事務所は、一宮社協ゆうゆうライフに配置。
 淡路島の1市10町の連係をとり、比較的被害の少ない地域の社協がコーディネートを行った。各市町からの個人レベルのボランティアの参加もあった。
※3月の活動:ニーズ件数145件。ボランティア数589人(のべ人数780人)。(島内社協によるコーディネート)


『一宮町応急仮設住宅一覧表』
(拡大時400KB)


◎吉田の「一宮町」補遺レポ
 一宮町内は、国道沿いの民家の壁などが崩れていたりと、今でも被害の様子が目に見えて解る。一宮に限ることではないが、神社の鳥居が壊れているのがあちらこちらで見掛けられる。


4.津名町


◎津名町役場・厚生課の人の話
 町内約4800戸のうち全・半壊の被害を受けたのが約1500戸。
地震発生直後には、避難所に300人〜400人が居た。特にボランティアスタッフは、配置せず、役場の職員が避難所の対応にあたっていたが、「避難者のまとめ役」や「物資の窓口」ぐらいで、ほとんど避難者自身に任せていた。例えば、救援物資の米や炊き出しの材料も避難所に持って行くだけで、調理などは、避難者自身が行っていた。ただし、炊き出しをしてくれるのが、比較的若い人たちで、「動く人」と「動かない人」(特にお年寄りは、動く人が少なかった)が、極端に見えてくるのが、当時の不安だった。
 2月7〜9日に(早くも)100戸の仮設住宅が建てられた。「災害弱者から、仮設住宅に移ってもらう」との指示があったので、お年寄りから、仮設住宅に移り住んでもらうことになる。避難所での問題であった、「何もしない人」から避難所を出ることになったので、避難所の面でも都合が良かったし、お年寄りにとっても、「他人に炊事(世話)してもらうことに対しての甘え」が芽生える前に仮設住宅での自炊する生活を始めることになったので、(新たに)別の問題が増えることを回避できたと思う。
 2月20日にも100戸の仮設住宅が建ち、早いうちに避難所は、解消できた。
 津名町内に建てられた仮設住宅の総数は、260戸。うち、242戸は、開発の進む海側の埋め立て地で、病院やSATY(ショッピングセンター)の近くで、立地条件の良い場所にある。
 残りの18戸は、どちらかというと山よりの中心部から離れるところだが、居住しているのは、農家の人たちで、行動力もあるので、心配する必要は無いだろう。
 津名町でも高齢者の問題が心配の種。海側の仮設住宅・242戸のうち独り暮らしの高齢者の方が55〜56名ほど居られる。月1回保健婦さんが仮設住宅を訪問してくれている。
 すでに35世帯が仮設住宅から転出している。入れ替わりで入居された人もいるので、現在の空きは15戸。今年の秋に災害公営住宅が100戸出来る。来年の3月末頃にも災害公営住宅が出来るので、これから全部で220戸の住宅が出来る予定なので、それで、被災した皆さんの受入れが出来ると思っている。
 仮設住宅には、自治会は無い。
 志筑地区から仮設に移り住んでいる人が多いのだけれど、元々住んでいた地区にいまでも深く関わり、住民票を移さない人がほとんど(仮設住宅に住民票を、移しているのは、20件程度)で、そこの町内会長さんが、町の広報を配布されて、今でも、元々の自治会の中で生活を続けている。(広報については、役場も仮設住宅に配っているので、ダブルこともある)
 仮設住宅の中で、新たに自治会を作っても、自治会のまとめ役になるであろう比較的若い人たちの方が、早くに仮設住宅から出て行くことになるだろうから、世話人が居なくなって行くであろう。
 役場の職員(自分が中心に)が、なるべく仮設住宅に足を運んで、建物のトラブルなど(簡単な修理など)も対応し、住民に顔も覚えてもらっているので、役所が自治会長の役割をしているのかもしれません。

 「でも、もし、これが神戸の方だったら、私は仮設に足を運ぶことなんて出来ませんね。こわくて……。」

 仮設以外の人たちからの批判がある。

「仮設住宅ばかりちやほやされて!」

というような……。
 救援物資などは、何にしても260個ずつ(仮設住宅の数)しか来ない! そりゃ不満も出てくるだろう。仮設にこだわる必要は無いのかもしれない……。
 仮設住宅の敷地内に設けられたふれあいセンターは、社会福祉協議会内のボランティアセンターが管轄している。ボランティアセンターでつくるボランティア連絡会には、震災前から手品・音楽・大道芸などを行う町民のボランティアスタッフが30名ほど登録されており、毎週、ふれあいセンターでボランティアによる行事が行われている。そのほか、「ふれあい喫茶」のような憩いの場を提供している。
 地震発生直後の早いうちから、宗教団体や企業ぐるみ(サンヨー電気など)の応援が来てくれたが、町内の人たちのボランティア活動が目立った。
 ボランティア連絡会を通じて引っ越しなどの活動をしてくれた人たちもいる。これも、ほとんどが町内の人だった。
 避難所のとりまとめなどは、役場の職員だけで対応できたので、とくに役場からボランティアに仕事を依頼することは無かった。ボランティアに依頼していたら、逆に、自分たち役場の職員は、コーディネートの仕事に追われていただろう。理想的な形で対応できていたと思う。
◎吉田の「津名町」補遺レポ
 町境を知らせる『津名町』と書かれた標識には、金塊の文字と絵が描かれている。  数年前(バブルの頃)「ふるさと創成」とやらで、国から一億円が送られたとき津名町は、一億円分の金塊(約63kg)を買い“静の里公園”に展示した。
 この金塊を展示する建物の外壁には、こんな内容の貼り紙が貼ってあった。
「先の兵庫県南部地震では津名町も多くの被害に遭い、この金塊も莫大な復興資金にあてられる事となりましたが、皆様から精神的にも支援いただき、手放すことなく展示を続けることができました」
 国道沿いを車で走っても、震災の被害の様子は、特に目に付かないが、住宅街の細い路地にはいると空き地が目に付き、家がとびとびで建っていた。
 町内で、一番ひらけている辺りから、国道を外れ海側に行くと、埋め立て地の地域がある。そこには『SATY』というショッピングセンターが有り、そのSATYに面して、お伽の国を想わせる商店街が有る。そんな、お洒落なショッピング街と道をへだてた反対側には、プレハブの仮設住宅が立ち並ぶ。
 真上から見たら、ほぼ正方形に近い土地に、242戸の仮設が建てられている。片側は、賑やかなショッピング街だが、あとは殺風景である。海に面したところは、高さ3mぐらいの防波壁が威圧感を感じさせる。しかし、立地条件は、とても良い。買い物は勿論、病院も近いという。

 


5.吉田の「淡路レポ」総括 


 今回、淡路の震災後の状況をいろいろと聞いてきた中で、何より印象に残ったのは、やはり『地域単位で仮設住宅に移り住んでいる』という話。
 今、神戸で、多くのボランティアが関わり、重要な問題となっている『心のケア』の問題が、淡路ではコミュニティーを守ることで殆ど回避されています。確かに当時の状況から考えると、淡路と同じ対応をするのは、不可能だったでしょう。だからといってこのままでよいのでしょうか。
 先日、姫路の仮設住宅にお住まいの方もこんな事を言ってました。

「今からでも(仮設から仮設に引っ越しして)10世帯・20世帯だけでも元長田区民・元兵庫区民といった形で集まることはできないだろうか」

 たとえ少しであっても、状況が改善されるのであれば、意味があると思います。
 また、淡路でのこの度の対応は、神戸・阪神地域では「理想論」「(神戸では)無理」と言われてしまうのでしょうが、今後、都市型大地震が起きたとしても、また同じ事を繰り返すしかないのでしょうか…。素人考えですが、地域ごとの住民のリストを作るなどをして、コミュニティーを守る対策などはたてられないでしょうか。
 ただ、行政だけがいくら努力したとしても、不可能でしょう。それどころか、下町のように深い近所付き合いをしている所なら良いが、都会にありがちな『ご近所に住む人の顔も知らない』状態では、いざと言うときに、コミュニティーを守ろうにも守りようがないでしょう…。
 長田区内のある自治会長の方とこんな話をしたことがあります。

「今、(専門知識を持たない人が)ボランティアをするのに、『震災』にこだわるのであれば、神戸で活動するよりも、今後、起こるかもしれない地震の事を考えると、地元で自治会の働きを活発にするなどのコミュニティー作りをした方が意味があるのではないか」

 また、一宮町の社協の人も、

「どうせボランティアやるんだったら、地元でやりなさいよ!」

と、同じようなことを、僕らに言って下さいました。
 事実、震災が起こるまでもなく、東京では『孤独死』が問題になっています。仮設住宅での問題は『仮設だけの問題』ではないのです。
「この度の阪神淡路大震災は、私達に、数々の問題提示をしてきた」と、多くのメディアが報じていますが、ここで大切なのは、『問題を認識すること』ではなく、『その問題をどう改善していくか』ではないでしょうか。

1996.6.15  すたあと長田スタッフ  吉田 信昭


−「すたあと長田」ホームに戻る−


numata@sakuraia.c.u-tokyo.ac.jp