11月1日(水)〜7日(火)、長田区役所の7Fは広い広いギャラリーになった。ソウルを始めとする韓国各地を訪ね、写真を撮り続けてきた女優の黒田福美さん。韓国のことをみんなに伝えたいと思い始めて10年経つという彼女の、いわゆる「写真旅行記」が展示された。題して「韓国ソウル 私の10年物語」。この10年間での訪韓はゆうに60回を越えると言うから本当にびっくり!そんな彼女のカメラのとらえたソウルが長田にやってきた。
ソウルの写真は「普段着のソウルを思わせ、楽しく、興味深いものだった。市内の活気ある市場の様子などは印象的だった。日本には多分ないであろう漢方薬の材料のお店や、きのこだけを売る店が当然のように市場に軒を連ねていたり。そんなところが韓国の生きた文化を感じさせる。写真には事情通の黒田さんによる、韓国の伝統的な風習や、韓国が誇る「おいしいもの」の紹介などが添えられていて、余計に引き込まれてしまったのだった。この写真展で、韓国には行ったことがなかった私も、本当に「行ってみたい!」と思った。それほど身近に感じられたから。長田には韓国籍の方が多い。写真を眺めながら韓国語でおしゃべりしていたご夫婦もいらっしゃった。やはり懐かしい風景なのでしょうか・・・。黒田さん自身も「韓国に対する関心が高い関西での開催こそが夢」と語っておられた。関心がなかった人でもこれがきっかけになれば良いなあ、と思う。
(いえ)
黒田さんにサインしてもらう いえ&りか(証拠写真?) |
にんにくの山(!)に囲まれたおじさん −写真展パンフより− |
−3日(祝)と5日(日)には、同じく長田区役所で3つのイベントが催されました。
続けてどうぞ。−
写真展の最中の3日(祝)には同じ会場で写真教室が催された。講師は南洋での珊瑚や色鮮やかな魚たちの水中写真の撮影をされている中村征夫さん。「コンパクトカメラでも、ちょっとしたコツを知れば良い写真が撮れる!」というのが授業の内容だった。ちょうどそのとき奥尻島に居合わせたという中村さんの被災体験も話して下さった。お話もさることながら、中村さんの作品のスライド「ガラパゴス」などはみずみずしい感性にあふれ、効果音とあいまって、感動を呼んだ。
実は、さすが写真教室だけあって、写真教室の出席者には実際にコンパクトカメラで「わが町、長田」の写真を撮る、という宿題を出されていたのだ。それには理由があった。「さっき見て来た神戸・長田展」として、宿題の中から彼が選んだ作品が、東京都庁などで展示されることになる。
(いえ)
たくさんの人が感動して泣いた。コンサートを企画した女優で写真家の黒田福美さんも、体を震わせて泣いた。飛び入りで、「神戸や長田の今をPRします」、と言って下さったジャーナリストの黒田清さんの目にも涙があった。
白龍さんがデビュー曲のアリランを唄い、韓国からわざわざやってきてくれた趙東振さんのチームがしみじみと唄い込んでくれた。在日の韓国や朝鮮の人には胸にこみあげるものがあったようだ。新井英一さんの”清河(チョンハー)への道”も長田区役所の広場いっぱいに拡がり、魂を揺さぶるものであった。CDを買ってサインまでしてもらった。
長田を自慢するなら、コンサートに来てくれた観客のみんなもよかったし、準備をされた三民会やボランティアの人の熱心さが伝わってきた。加えて、女優を感じさせない、黒田福美さんの心優しい姿にみんなが感動した。あんなに心の美しい人が長田にやってきてくれたんだね。ありがとう。帰りにごちそうになったチゲ鍋もとびっきりおいしかった。カムサハニムダ。
(幹)
真っ白なTシャツも潔々しくて良いけれど、自分の絵をプリントしてできたオリジナルTシャツは、もっと嬉しい。たとえば、小さな子どもが絵を描いて、お母さんが型紙を作るという見事なコンビプレー。また高校生くらいの男の子がコツをつかんで4枚も作ったり。写真も絵も、一点一点が持つ独特の雰囲気がある。目で見て感じとることのできるそれは、とても面白い。
(りか)
※以上、とっても賑やかな3連休でした。
(中林 加奈)
1月21日(日)に行われる「つづら折りの宴」の会場が、正式に長田神社に決定いたしました!みなさんに親しまれている由緒深い「ながたさん」に、是非お越し下さい!(屋台も出ます!)
「つづら折り」出演者紹介「朴保(パクポウ)&切狂言」の巻
朴保が魂の底から声を絞り出す。やや掠れ気味の張りのある声に込められた怒りと哀しみに、会場に居合わせた人々はすすり泣き、ある者は拳を震わせる。 異国の地に葬られ
人としてうかばれたか
霊は眠らずさまよい
今も泣いている
朴保、40歳。在日一世の父と日本人の母の間に生まれた。少年の頃は、広瀬保という名前で、日本人として日本の学校に通う。日本人と韓国人の狭間で悩んでいた彼にとって、音楽はまさに魂を解放させてくれる世界だった。
そして24歳の時、ついにレコードデビュー。その時、広瀬友剛となった彼に、運命の転機が訪れた。きっかけは、韓国の宋昌植の「ウエプロ」だった。「最初、正直言ってピンと来なかった。(中略)それが何度か聞くうちに最後には、この曲は俺がやるしかないって思うようになったんだ。」79年広瀬友剛は「ウエプロ」をひっさげて全国ツアーにまわる。その頃から朴保は、急激な勢いで父の祖国への思いを深めていき、自分らしく生きていくためには、コリアンである父の性を名乗るべきだと考える。
朴保の誕生である。彼は「朴保&切狂言」というバンドを結成。農楽やパンソリなどコリアンの民族音楽を取り入れ、独自の音楽を築いていった。音楽活動の場も変わっていった。平和運動、差別に反対する在日コリアン青年の集い、・・・求める人達がいれば、たとえノーギャラであっても、朴保&切狂言は出かけていき、歌い続けた。
阪神大震災の時には、いてもたってもいられなくなり、何度も神戸に歌いに行った。「七転び八起き」という元気のいい曲は、罹災者たちを励まそうと生まれた歌だ。「自分の生き方を通すことが、ロックだ」この言葉は、まさにその後の彼の人生を象徴することになったのだ。
朴保の歌。それはまさに、魂の歌なのである。
(「ワンコリアフェスティバル」からの抜粋です。)
この1年の長田の様子を写真やビデオで個人的に撮影されてきた方、よろしかったら是非「すたあと長田」までご連絡下さい。長田の様子を広く世に伝えるために役立たせて頂ければと思います。
(担当 小野)
1月21日(日)、長田神社にて行う予定の「つづら折りの宴」。震災で被害を受けた方はもちろん、震災後初めて神戸を訪れた方にとっても気持ちを新たに出来る「宴」をと、今その準備を進めています。そして、この企てに携わっているのは、想いひとつで動いている神戸のボランティア有志です。
そこで、いまこの企画の主旨に賛同して下さり、「宴」を援助して下さる方を求めています。個人・企業は問いません。興味のある方はご連絡下さい。
TEL 030-81-42250 金田まで