「Weekly Needs」1995.9.3号(Vol.2 No.3)

Vol.2 No.3 表紙

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’95.8月、うだるような長田にて。


盛り上がった夏祭り”大きな盆踊りの輪ができた”
 月がー出た 出たー
月がー出たー ヨイヨイ
皆さんもよくご存じのこの「炭坑節」のフレーズが8月26・27日、JR新長田駅の北に位置する松野住宅内の公園に響きわたった。子どもからお年寄りまで、夏の夜の暑さを吹き飛ばすように、にぎやかに盆踊りが行われた。周りをマンションなどの建物に囲まれたこの公園は決して広い方ではないが、それでも櫓を中心に作った踊りの輪は、100人近くになっただろうか。
 踊りの演目は「炭坑節」のほか、「平和音頭」「一足す一音頭」「お月見音頭」など様々で、駒沢大学教育学部のOBの方々のリードによって行われた。炭坑節は知ってても他の踊りは.....と戸惑っていたのもはじめだけ。多くの人が楽しんで踊れたようだ。かくいう私も夢中になってマスターしようと踊っていた一人である。27日には、ソウルフラワーユニオンのアトラクションもあり、韓国・沖縄などの歌が披露された。集まった人達は、手拍子を打ったり、踊ったり。また、綿菓子やたこせんなどが無料で子ども達に振る舞われたりと、「地元のほのぼのとした夏祭り」という雰囲気。
 夏休み最後の土日、子どもも大人も存分に楽しめたのではないだろうか。
(とく)

この夏、町の復興は.....
この夏、避難所は
 市内の避難所が8月20日をもって閉鎖された。以後残るのは、待機所と呼ばれる数カ所の施設で、仮設住宅に入れない避難者の方々は、そこに移って生活することになる。ちなみに長田区内では、旧庁舎と新長田勤労市民センターの2ヶ所。避難者数は着実に減っては来たが、「かつては避難所だった」その場所に残る方は多く、早く避難所を解消したい行政側との溝はさらに深まりそう。
仮設住宅は
 一方、仮設住宅では、自治会が作られ始めており、既に活動を始めているところも。14人目を数えた孤独死を二度と起こさないために、また、いつまで続くか分からない仮設での生活を、皆で助け合って頑張っていくために、自治会はとても大事だ。この夏、仮設で問題となったのは、脱水症状。クーラーをつけないと、とても中にいられないほど熱がこもるので(窓を開けると舗装されてないため砂埃が入る)、多くの人が脱水症状を訴えた。
テント村は
 多くの被災者が震災直後からテントを張って暮らしている市内の公園。長田区内にも数カ所が存在する。しかし、法律や仮設住宅建設を盾に公園からの立ち退きを求める行政側と、団結して自分たちの生活を守ろうとするテント村生活者との間で、ここでも対立が見られる。
「ホントの復興」はいつ?
 大きな流れとしては、町は復興してきてはいるが、この夏も多くの問題を残したまま終わろうとしている。夏の動きというテーマでこれまで書いてきたが、「ホントの復興」という意味で、次の機会に町の動きを捉え直してみたい。

 これから秋を迎える長田の町。今までと変わらぬ紅葉が映える季節を、今までとは違った気持ちで見られるのだろう。木々が全て紅く染まったとき、長田の町は、人は、どう移り変わっているのだろうか−−。
(河合 敏雅)

お地蔵様に見守られて.....
 毎年、この地で地蔵盆を迎えてきた長田の人が呟く。「今年の地蔵盆は特別や。この辺に住んどった人も何人か亡くならはったし、子供の数も減ってしもうて。供養ていうか.....気持ちがな、去年までと全然ちゃう。」何もかもをめちゃくちゃにした激しい揺れと火の猛威には、さすがのお地蔵様にも耐え難かったに違いない。傷だらけのお地蔵様。かろうじて残された祠。御心は残る。護られている住民は、声を掛け合い協力し、地蔵尊を建て直した。
 8月23日、地蔵盆。提灯が吊され、お供え物が幾つも寄せられる。線香を手にした子供達が大きな袋を下げてそぞろ歩く夏の夜。近所の人々が集まれば、区画整理や住宅問題。今、直面し頭を抱えている問題が後を絶たない。去年の地蔵盆には一体どんな話題が持ち上がったんだろう。会話はだんだん熱くなり、子供達の袋の中は、だんだんお菓子でいっぱいになっていく。ひっそりと、あるいは明々と、それぞれ独特の雰囲気を持っている地蔵尊。不思議と、何処を訪ねても似たような穏やかな気持ちになるのは、お地蔵様の表情が優しいせいだろう。
 御詠歌が流れ、人々の様々な思いがお地蔵様の御心に届き、宿っている。
(りか)


中林ちゅうりん配達員日記

ココロの居場所〜旭若松公会堂の場合〜


 8月20日、あの震災から216日目にして災害救助法に基づく避難所が閉鎖となった。前々から聞いていたとはいえ、避難所で生活されている方々はどうされるのだろうと、私たちはウィークリーニーズを手に、それぞれの配達地域へと散らばった。

避難所は...
 7月末頃から、徐々に人数が減り、20日を待たずに閉鎖された所や、10世帯あまりの家族が、これからの暮らしに不安を抱きながらも残られる、という所...。またある避難所は、待機所となった。受け入れ体制は遅れ気味だそうだが、できるだけ住み良いようにと準備に忙しそうであった。このように、避難所としての結末は様々であったが、人間が人間らしく生活をしていく上で最も必要な衣食住に関わる問題だけに、簡単には解決しないであろう。

いい感じー
 さて、配達員ちゅうりんが、そんな漠然とした中で「いいなぁ」と感じた公会堂をご紹介してみたい。その公会堂は当初約50人の方が寝泊まりをされていた避難所で、例のごとく「ここはどうなるんですか」と、おっちゃんにウィークリーニーズを手渡しながら尋ねると、「ここはもう避難所と違うけど、人がいつも集まってくる場になってるから、これからも持ってきてよ」という返事が戻ってきた。その言葉通り、大勢の人がおっちゃんを囲み、子供達も傍らでキャッキャッ言う。楽しそうな夕食会が今にも始まりそうな雰囲気があった。

ふれあいの場
 震災前、この公会堂は地区の会議やお葬式の際に用いられるだけだった。それが今ではみんなが集まって憩える場になっている。「地震のおかげで、今まで顔しか知らんかった人とも話するようになったなぁ」「私らが仮設へ行ったきりになると集まれる場がなくなるし、この5丁目の人らを勇気づけたいから、通ってるんや」と、この公会堂を管理するおっちゃんとネェさんは話してくれた。

これから...
 避難所が閉鎖になり、今まで培った人間関係がまた振り出しに戻る。一人暮らしの寂しさなどからアルコールや薬物への依存が深まり.....。考えると恐ろしいことばかりが浮かんでくるが、あの公会堂のように、一声かければみんなが集まるふれあいの場を、寂しい人が憩える場を地域ぐるみで作っていくことが、これからの大きな課題であるように思う。
(中林加奈)


あきちゃん・かんちゃん「すたあと勉強室」No.3

−まちづくりを考える−

かん
大火事におおた、御菅や新長田のあたり、歩いていると涙が出てくるなぁ。空き地だらけや。
あき
町づくりってそんなに時間がかかるものなの。
かん
JR新長田の南や駅前では、市街地再開発が行われているね。住んでいる人の特別の協力がいる地域だ。
あき
区画整理の事業も行われているでしょ。
かん
新長田では駅の北側とその横の鷹取東地区、そして御菅地区の3つだね。時間がかかっているのはその通りだ。
あき
この地域のため、道路を広くしたり、公園を作ったりするんでしょ。
かん
でも、人によっては自分の土地が小さくなったり、別の場所に移らなあかんかったりするから、市と住民の話し合いが何度も要るんだ。今、区画整理のあるこの3地区で、それぞれ「まちづくり協議会」が作られて、市の計画をみんなで話し合っているところなんだ。
あき
気分良く住めたり気軽に買い物が楽しめる町が早く欲しいね。
かん
だからこの地区に住んでいる人達のまちづくりの考えを、一つにまとめることが、今求められているんだよ。
あき
「まちづくり協議会」って大切なのね。みんなが出席しないといけないのね。
かん
地震で大変な目にあったけど、みんなで相談して、次の世代のためにも、いい町が作れたらいいね。
(あき・幹)

<参考> 長田区内のまちづくり協議会

※これら以外にも、まちづくり協議会のつくられている地域があります。編集部で把握しているのは、今の所以上です。
※貴方の住む街がつくられる上でとても重要な協議会です。みなさん参加されますようお願いします。


町の声 配達の途中で.....


 あなたはこのページをどこで読んでいるのでしょう。喫茶店で?それとも店頭に置いてあったのを手にとってくれたのでしょうか?そのウィークリーニーズを配っているのは、特に問題意識を持っているというわけでもない、何となく「すたあと」に関わった普通の人です。
 今、神戸の町全体が模索しているなか、私たち自身もそれなりに、配達しながら、被災地が抱える問題点や納得のいかない話とぶつかって、悩んだりもするのです。
 そんな目から見た、長田への思いです。

おばちゃんの生き方に感動
 私の配達する区域は、御蔵菅原、北町周辺。言うまでもなく、一番被害の大きかったところ。配達先で切なくなるような話を聞いては、返答に詰まることもしばしば。
 さて、ここからは、御蔵通のあるおばちゃんの話。山本たみよさん。70歳(仮名)。山本さんの家も全焼してしまって、しばらく避難所で過ごした。でも山本さんは10年近く続けてきた商売を再び一からやり直すことにした。「この店を建てるために、借金もしたんやから」。返せるかどうかは、今後にかかってくる。それでも山本さんが「一大決心」をしたのは、独り身なこともあって、「結局、人は働かなければ生きていけない」から。もっとも避難所にいたら、8月20日までは食べていけただろう。でも山本さんは、春の終わりにはお店を再開させた...。

頑張ってる人も応援して!
 山本さんに8月20日のウィークリーニーズを届けに行った。ちょうど「持ち家修繕助成」と「民間賃貸住宅入居助成」の義援金のことが載っていた。家を修繕することもなく、店も借りたわけではない山本さんは義援金をもらえない。しかし、もう一度商売をやり直す上で、より一層の行政のサポートが欲しい。いくら表面上はしっかり店を再建して順調な様に見えても、この周辺の店はお客という大切な要素を失っているのだ。
 「みんな仮設に入るやん。この辺、もうどんどん人おらんようになってしもて」。行政に甘えてはいないけれど、ぎりぎりのところで、みんな頑張っているんだ。
 仕事をしなかったら死んだも一緒、という山本さんから見たら、「避難所でいつまでもお世話になっているというのは我慢ならない」ことなのだ。そんな山本さんの代わりに、市民の意見を文字にして残していけたら、と思う。
(家田 慈子)

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