歴史隆々
〜〜名将伝〜〜


このゲーム、武将は次々死んで行き、新たな武将が仕官しては死んでいきます。戦争すれば2割くらいは死んでしまいます。
しかし、中には出世に成功して名を馳せる武将も現れたり、乱数の妙を感じたりするんですよね。
名前を付けるときは、能力を見てないので、意外な人が出世したり面白いです。
(下に行くほど没年は古くなってます)
(陣頭に立つ=総大将。文字では目立たないけれど全軍の指揮は勝敗に大きく影響します)
D.蟹名静(マリア様がみてる より)
野心 17 人望 35 知力 41 武力 95
享年 26歳 < 77〜 102 >
バートラー国 元帥
100年1月、当時 23歳、U.バートラーに少将として仕える。主君の友人であったと言われる。
100年4月、F.烏丸ちと中将指揮のもとフルデマイヤー国ケンプヒルト城攻略戦に参加。
100年4月、城内への強行突入に成功、ケンプヒルト城を陥落させる
100年8月、ジムバーグ西の戦いにおいて、ファレンミニヨン軍と対戦。前衛を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、戦力差で優る敵に、みごと勝利。侵攻作戦は成功。ファレンミニヨン領ジムバーグを制圧。功績により中将に昇進。
100年9月、カルシェイドの南東 部方面軍を解任、首都に戻る。
100年11月、S.藤堂志摩大将指揮のもとルーベマイヤー国ゲッテンバー城攻略戦に参加。
100年11月、城内への強行突入に成功、ゲッテンバー城を陥落させる
101年2月、U.バートラー君主指揮のもとルーベマイヤー国ファレンドル城攻略戦に参加。
101年2月、城内への強行突入に成功、ファレンドル城を陥落させる
101年6月、ブラウナイト南の攻防戦において、五嵐たま軍と対戦。陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。侵攻作戦は成功。五嵐たま領ブラウナイトを制圧。功績により大将に昇進。
101年7月、カルシェイドの地を拠点とする、C.片瀬志麻元帥揮下の南東 部部方面軍に配属。
101年9月、ローニ川の戦いにおいて、五嵐たま軍と対戦。右翼を担い。勝利。侵攻作戦は成功。五嵐たま領ローニを制圧。功績により上級大将に昇進。
101年10月、カルシェイドの地を拠点とする方面軍に配属が決定。
101年11月、カルシェイドの南東 部方面軍を解任、首都に戻る。
102年5月、ビュナイト平原の戦いにおいて、五嵐たま軍と対戦。左翼騎馬隊を担い、敵側面への攻撃等、活躍し勝利。敵侵攻軍を撃退。功績により元帥に昇進。
102年7月、ゲッテンニ東の戦いにおいて、五嵐たま軍と対戦。前衛を担い、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。侵攻作戦は成功。五嵐たま領ゲッテンニを制圧。
102年7月、U.バートラー君主指揮のもとバートラー国ゲッテンニ城攻略戦に参加。
102年10月、フォテンレクス南の攻防戦において、ジムガルト軍と対戦。陣頭に立つ、巧妙な敵の伏兵の前に部隊は混乱、敗戦。ジムガルト領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。自身は乱戦の中、戦死。享年 26歳。
***
秀でた武力を背景に、血気盛ん勇猛果敢に突撃を繰り返す。
その狂気とも思われるほどの突進ぶりは、戦記中の「敵の退路を絶つ」「敵本隊への突撃等」「敵側面への攻撃等」全て突撃による戦果のコメント。
戦をすれば昇進するというくらい、驚異的な出世を遂げたが、前線での活躍が目立つため、それが禍して何度も命を落としかけたり、全滅の危機に直面。
総大将に任命されてもそのスタイルは変わらず、味方への指示そっちのけで突撃繰り返したのは大きなマイナス材料。
最後もやはり突進が裏目に出て敵の策略にはまり最前線にて孤立、壮絶な討ち死にであった。

このタイプは有能な指揮官に付くか有能な参謀を持つかしないと能力が発揮できない。
出世するに従って総大将に立つケースが増えたが、それが個人にも軍にも仇となってしまった…。
しかし、不利な戦も勝利に変えるほどの活躍でバートラー国躍進の立役者の一人である事は誰もが認めるところ。

亡き後を継いだ息子も、同じような突進タイプ。初陣で大戦果を挙げて准将から少将へと昇進した。
同じような未来が訪れなければ良いのだが…。
***


K.ファルシータ=フォーセット(シンフォニック=レイン より)
野心 62 人望 53 知力 91 武力 90
享年 38歳 < 64〜 102 >
ファレンミニヨン国 元帥
100年1月、当時 36歳、T.ファレンミニヨンに大将として仕える。適材適所の配属であったと言われる。
100年6月、ベスヒルト南の攻防戦において、クラインフェン軍と対戦。右翼を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。侵攻作戦は成功。クラインフェン領ベスヒルトを制圧。功績により上級大将に昇進。
100年8月、使者としてバートラー国に赴き両国の同盟を締結させることに成功する。
100年11月、使者としてバートラー国に赴き両国の同盟を締結させることに成功する。
101年2月、バートラー国ゲリクラルト城攻略戦に着手。
101年5月、ゲリクラルト城を包囲戦の末、陥落させる
101年9月、フォテンテン平原の戦いにおいて、バートラー軍と対戦。陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。敵侵攻軍を撃退。この勝利によりバートラー国に講和を結ばせることに成功。功績により元帥に昇進。
101年12月、ギスバーグ山の戦いにおいて、クラインフェン軍と対戦。陣頭に立つ、一時は敵の退路を絶つなど奮戦するが、敗戦。ギスバーグ地区は放棄、撤退を余儀なくさせられる。
102年5月、ジムバーグ川の戦いにおいて、クラインフェン軍と対戦。陣頭に立つ奮戦するが、敗戦。クラインフェン領侵攻作戦は失敗に終わり、撤退を余儀なくさせられる。
102年7月、T.神楽明日元帥指揮のバートラー軍にフォテンテン城を包囲される。
102年7月、バートラー軍の猛攻を防ぎきれず、フォテンテン城は落城する
102年7月、バートラー国に拠点フォテンテンを制圧され降伏。捕虜となり処刑。享年 38歳。
***
小国の智将として名を馳せる。
勇猛さで陣を駆け回り、陣中に於いては謀を巡らせ、少ない戦力で出来る限りの軍運営を担った手腕は特筆に価する。
また、外交の手腕も高く人材不足の小国にとってまさに柱とも言うべき働きを見せたが、強国に飲み込まれる運命は変えられなかった。
最後は戦力を首都方面に回し、自身の防衛に避けず、やむを得ない篭城戦で敗戦。国力の限界を一身に集めての玉砕でした。
まだ38歳。生き延びればどこまで名声を伸ばしただろうか…。
***


S.佐藤聖(マリア様がみてる より)
野心 22 人望 89 知力 93 武力 72
享年 65歳 < 37〜 102 >
クラインフェン国 宰相
100年1月、当時 63歳、A.クラインフェンに中将として仕える。能力アピールでの昇進であったと言われる。
100年3月、ターザルツ南の戦いにおいて、ルーベマイヤー軍と対戦。前衛を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。敵侵攻軍を撃退。この勝利によりルーベマイヤー国に講和を結ばせることに成功。功績により大将に昇進。
100年6月、ブレーシスク南の攻防戦において、ルーベマイヤー軍と対戦。左翼騎馬隊を担い、いくつかの敵部隊を粉砕し活躍、勝利。敵侵攻軍を撃退。
100年7月、ミュールサムソンの地を拠点とする方面軍に配属が決定。
100年11月、ルーベマイヤー国ウェルルク城攻略戦に着手。
100年11月、ウェルルク城を包囲戦の末、陥落させる
101年3月、フォテンゲルト北の攻防戦において、ファレンミニヨン軍と対戦。左翼騎馬隊を担い、敵の退路を絶つ等、活躍し、勝利。侵攻作戦は成功。ファレンミニヨン領フォテンゲルトを制圧。功績により上級大将に昇進。
101年7月、サンジュハイト平原の戦いにおいて、ヒルデレイター軍と対戦。陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。侵攻作戦は成功。ヒルデレイター領サンジュハイトを制圧。功績により元帥に昇進。
101年7月、ヒルデレイター国サンジュハイト城攻略戦に着手。
101年7月、城内への強行突入に成功、サンジュハイト城を陥落させる
101年12月、ギスバーグ山の戦いにおいて、ファレンミニヨン軍と対戦。陣頭に立つ、敵本隊への突撃等、活躍し勝利。侵攻作戦は成功。ファレンミニヨン領ギスバーグを制圧。
102年1月、クラインフェン国宰相の任を受ける。同時に方面軍総司令官の任を解かれ、首都に戻る。
102年1月、W.佐藤聖を養子に迎える
102年2月、使者としてジムガルト国に赴き両国の同盟を締結させることに成功する。
102年2月、ヒンデンバー城において病に伏せ逝去。享年 65歳。
***
極東の小国だったクライフェン国を4強の一角まで強力にした立役者。
策を練れば手堅く、突撃しても冷静さを失わず戦況を読みながら指示を出す手腕は東部列強の中でも優れていた。
宰相に任命された直後の病死は経歴の唯一の傷になったのかもしれない。
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