OldDays But GoodDays

私は自分がどんなふうに他人の目に映っているか気になる小心者で、どうも自分に自信が持てずに生きてきました。たとえて言えば、こんな感じです。普段食べているカレーライスは、”辛い”という味が前提にありますが、私が感じている”辛い”という味覚は果たして他人と同じ感覚なのだろうか、という疑念があるのです。
「心を開かせる技術」(幻冬舎新書)より。 1959・4/4 3歳


武蔵野台地の片隅に生きる4人家族は幸福で満ち足りた生活を送っていた。
「依存したがる人々」より。
1960・4/4 4歳

県立川越高校は男子高で、学区内の中学の生徒会長たちが集まるような学校であった。受験直前に交通事故で1ヶ月入院、大手術となった私。街頭戦で逮捕され拘留された水沢。共によく現役で受かったものだと思う。
早稲田に進んだ私は経済学を学びながらも、相変わらず女子とはまったく口もきけない青年であった。(中央・水沢努、左・私 右N君)。1973・11 修学旅行にて。17歳「ブント新代表となった水沢努」(「創」2007・11月号より)


大学では4年間経済学を学んでいた。授業に半分ほどしか顔を出さなかったためか僕の成績はからっきしだったが、卒論として仕上げた「スターリン主義としての毛沢東主義批判と中国経済の展望」だけはめずらしく「優」をもらった。
「裏本時代」より。   
1977・8 軽井沢 21歳。


人が変わったかのように私は取材に走り、風俗嬢をはじめとして、強面の男たちや夜の世界の男たちをインタビューしてきました。不思議なもので、仕事となると、人見知りだの口べただのと言っていられず、自分でも信じられないほど、コミュニケーションがとれるようになっていました。「心を開かせる技術」より。 1981,11,3 九段下にて。25歳。

ケンメリL20型エンジンを2600ccにボアアップして、外見もサイドミラーやリアウイングをGTーR仕様に仕上げ車高を落としていた。改造されたエンジンは闘犬のような低いうなりをあげ、外見と相まってよく暴走族にからまれる。「裏本時代」より。 1982・8,大洗海岸にて。 26歳。


1984年の冬はやけに雪の多い季節だったと、何年たっても
僕の記憶に残るだろう。・・・・来月、僕は28歳になる。
ひとり取り残されたような生活を送っていると、このまま時が過ぎていくのも
いいかなと思えてしまう。雪は3月31日をもってようやく止んだ。
「AV時代」より。  1984・3 27歳。 大学を卒業して2年目、組織を拒絶して生きようと思った青年は思わぬ
出逢いで幻想のかけらに触れることができた。かけらでも、控えめにきらりと
光ってくれさえすればよかった。  (撮影・原田正治)
「裏本時代」より。  1981・3/4  23歳。 



川越高校時代、授業をさぼって午前中の街を歩くと、青空が心に染みたものだ。
私がフリーの文筆業を将来、営んでみようと思ったのも、時間に縛られない暮らしに憧れたからだった。
「悪党ほど我が子をかわいがる」より。  1994・7/17 伊東にて。38歳。
深呼吸して、ハンドルを握る。自分が事故を起こしては元も子もない。
車が発進する。

「悪党ほど我が子をかわいがる」より。1994・7 38歳。

42歳で結婚し、43歳で父になった。
時は移ろい、人も変わる。
中年になった私は、買い物帰りに息子の手をひき、あの面影橋の電信柱の脇を通る。ふと立ち止まった。
10代の私がたたずみ、問いかけてくる。
「幸せかい?」
ああ、親子4人、塵労にまみれながら、なんとかやってるよ。「悪党ほど我が子をかわいがる」より。  1998・12 42歳。(撮影・駒村吉重)