#03 心のきずな v01
before
 眠れない……。
 星空を見上げながらミルクは眠れない自分を持て余していた。明日も早いと言うのに……。
 眠れないときは山羊の数を数えるといい、と言ったのは誰だっただろう? もうずっと前の記憶だ。最近はあんまり役にたたないが……。
 あの娘はまだ、カニパンの処に居るのだろうか……。
 カニパンが困っている娘を追い出す……。そんなコトは有り得るはずがなかった。
「あ〜あ、あたしらしくないわ……」
 何も答えてくれない星々を後にして、ベッドにもぐり込み、無理矢理眠りについた。

 パシャパシャ。
 公園でのスチール撮りも、快晴の空の下、快調だ。
 少々寝不足だけど、そんなのはいつものことだ。もう何年も前に慣れた。
 周りを取り囲んでるファンの子達にも、やじうまにも、もう慣れ切っていた。
 ミルクにとって、この世界は、すでに刺激的では無いのかも知れない。
 それでも、今、目の前の仕事をいいかげんにする気はミルクにはなかった。まぁ、たまに、わがままは言うけれど……。
 ……?
 カニパン!?
「イゴール、今、カニパンって聞こえなかった?」
「さあ、聞こえたような、聞こえなかったような…」
 ……ん〜……。
「はい、ミルクちゃ〜ん、次は水着のお写真をとるわよ、お着替えしてきてね」
 さっきの声、気の所為だったのかしら。
 ロケバスに着替えに戻りながら、そう、ミルクは考えようとした。しかし……。
 !
 さっきの声、まさか!?
 アンジェリカの顔が頭に浮かぶ。
 うんん、まさかね。
 ……、でも、やっぱり気になるのよね、さっきの『カニパン』って声。
「いやっ、離して!」
 ええっ!
 さっと、ロケバスの陰に身を隠す。
「いやっ」
 アン!
 20メートルほど先の木の陰からアンジェリカと彼女を追いかける男が出てきた。
 やっぱり。
 また、あの男に捕まってる。
 でも、なんで一人でこんな処に居るの? しかも猫を抱えて…?
 カニパンとキッドは!?
 辺りを見回す。見回すのだが……。
 居ないじゃないのよ〜!!
 どこ行ってんのよ〜! 全くも〜。役立たず!
 ああ〜あ、連れて行かれちゃうわよ、あの娘。
 ……。
 知〜らないっと。
 これでいいのよ。厄介者はとっとと連れて行ってもらっちゃう方が、せいせいするんだから。
 連れて行かれれば、彼女はおそらくもう、カニパンの処には戻ってこないに違いない。
 でも……、
『どうして教えてくれなかったんだよ!』
 な〜んて、アイツにネチネチ言われるのもしゃくよね〜……。
 さらわれるアンジェリカを見過ごすことは、多分カニパンを裏切ることになる。そしておそらくカニパンは一生あたしを許してくれないだろう……。しかし、アンジェリカを助けなきゃならない義理はない。ましてやカニパンと一緒に暮らす彼女を。
 そうね、ここは取り敢えず警察呼んで……。
「助けて!」
 アンジェリカが悲痛な叫びをあげる。
「なんてやってたら、間に合わないじゃないの!」
 まてよ……。
 誘拐犯逮捕に協力したアイドルってのも悪くないわね。
「うん。悪くないわ」
 それが、ミルクが自分自身を納得させられる唯一の理由だった。
 アンジェリカの為でなく、カニパンの為でもなく、自分の為。ミルクはそう自分自身にに言い聞かせた。
「きゃ〜! 誰か来て〜! 誘拐よ、誘拐よ〜!」
 アンジェリカを連れて行こうとしている、あの男 ェ動揺している。どうやら上手く行きそうだ。
「きゃ〜、誰か早く来てぇ! 誰かぁ!」
 ミルクの声を聞いて、撮影スタッフや、ファンの人達が続々と走ってきた。
 アンジェリカがその隙をついて男の手を振り払って逃げてくる。
「こっちよ、アン!」
 男は状況が不利だとさとって逃げ始めた。
 ひとまず安心だ。
「お嬢様〜!」
 心配したイゴール達が駆けてくる。
 しかし、兎も角も、アンに話を聞かない訳には行かない。
「ちょっと、来なさい、アン」
 ミルクとアンジェリカは逃げるように駆け出した。
 路地に入り込み、非常階段の陰に隠れる。
「行ったわ」
 イゴールとスタッフを上手くやり過ごせたようだ。彼らには悪いけど、ちょっと時間が必要だ。
「あの男もなんとか撒いたみたいね。アン、あなたって、いつもあの男に追われてるけど一体何者!? どういう関係?」
 兎も角、あの男の正体がわからないと、打つ手も打てない。
「わからない」
 記憶の方は、どうも進展してないようだ。
「あっそ、まぁいいわ。で、その猫はなんなの?」
「ジェリー」
「へ!?」
 もちろん、名前を訊くつもりでは全く無かったのだが。
「お風呂に入れて上げるの!」
「そ、そうね。泥だらけだもんね」
 どこまでも、すっ惚けた娘ねぇ。こんな娘のどこがいいわけ? カニパン。
「ねえ、あなた、まだカニパンの部屋に居るんでしょ? その後、カニパンとはどうなってるの?」
「どうって?」
「同じ部屋に一緒に住んでて何も無いワケ!?」
 無いとは思う。無いとは。でも、カニパンは一人暮しで、15歳だ……。何も無いと確信するには、あまりにも材料に欠いていた。何も無いと信じるには、すにミルクも少々大人になってしまっていた。
「何もって?」
 無表情に答えるわね。もちろん、これぐらいで怯むミルクではない。
「そ、そのぉ、夜中に強引に押し倒されたとか、……、プロレスしよう、とか言って寝技を掛けられたとか、って訊いてるのよ」
 われながら、陳腐なセリフだ。全く。
 こんなトコトで余裕あるセリフが吐けるようになるには、もうちょっと時間が必要なようだ。
「無いけど…」
 相変わらず表情が無い。
 無駄だ。遠回しな質問は彼女には無駄だ。時間も労力も。
「はーもー、じれったいわね! ようするにぃ、あなたカニパンのコト好きなの!?」
「いいえ、別に」
 ダメだこりゃ。これ以上話しても無駄だわ。ま、何も進展はなさそうだから、別にいいけどね。
 カニパンもおそらく、こんな彼女に手を出すことは……あんまり無いと思う……。
 カニパンが彼女のことをなんとも思ってなければだが……。
「ところで、カニパンはどこにいるの?」
 !
 アンジェリカの肩ごしに人影が目に入る。
「ああっ!」
 あの男だ。
「走って、アン!」
 ミルクとアンジェリカはすぐさま逃げ出した。
「待て!」
 男の声が路地にこだました。

 はあはあはあ。
 こんなことなら、人の多いトコを離れるんじゃなかった。
「こっちよ」
 二人は、手近なビルに飛び込んだ。
「んも〜、早く来てよ、早く! んん〜っ」
 いつも遅く感じるエレベータが、今は、またさらに遅い。
 やっとエレベータの扉が開く。
 たったった。
 男が、ビルに飛び込んで来て、階段を掛け登ろうとしてこちらに気付く。
「あ、やばい、急いで!」
 あわててエレベータに飛び込む。
 男が締まろうとするエレベータの扉に手を掛ける。
 がしゃん。
 しかし、扉は彼を容赦無く拒否した。扉に安全装置の無い、ボロビルの安エレベータも偶には役に立つもんだ。
 ふぅ、とミルクは数秒から長くても数十秒の安息に一息ついた。
 ガクン、ガウゥウン。
「きゃあ!」
「あん!」
 ちょっと揺れたと思ったらエレベータが止まる。
 おそらくアイツだ。
 このままでは逃げ切れない。
「脱いで!」
「ええっ!?」
「いいから、早く脱ぎなさい。全部!」
 服を取り替えてあの男をごまかす。
 上手く行くかどうかはわかんないけど、このままでは、いずれ追い詰められる。追い詰められたときに、あたしに打てる手はない。その前にやれることだけはやる。それがミルクの生き方だった。
 ……む……。プロポーションには自身があるんだけど、この娘もなかなかね……。
 ……おおきいわね。
 ちらっと自分の胸を見ながら、ちょっと嫉妬するミルクだった。(作者註:アンもそんなに大きいわけではありません)
 カニパンもやっぱり大きい方がいいのかしら……?
 ぶっ。
「ちょ、ちょっと、ぱんつはいいのよ。ぱんつはっ!」
「え…? 全部って……?」
 アンジェリカは納得行かないようだ。
「服を交換して、アイツをごまかすんだから、見えない処はいい〜のよ!」
「ごめんなさい……。あたし、記憶がないから……」
 ったくも〜……。カニパンったら、全く、こんな娘と、どうやって付き合ってんのかしら。
 ミルクは一つため息をついた。

「あなた、真っ直ぐ、カニパンの処に行くのよ!」
 そう言いながら、扉に手を掛けた。
 きい。
 エレベータの扉は案外簡単に開いた。
 男もまだ来てない。上手く行きそうだ。
 ミルクとアンジェリカは右と左に別れて走り出した。

 ……。聞き耳を立てる。
 男はあたしの方に来てるようだ。ひとまず成功か。
 兎も角、もうちょっと逃げ回っていなければ。

 はあはあ。
 もう、10分ぐらいにはなるだろうか……。
 まだ懲りずに追いかけてくる……。アンジェリカでなく、あたしを……。
 ……? あたしの逃げる理由は? もしかして、もう無いのでは?
 たったった。
 あいつが駆けてくる。
「もお、しつこいわね」
 ちょっと考えてみると腹が立ってきた。
 ミルクは自分から男の前に飛び出した。
「いいかげんにしてよ!」
「お、お前は!?」
「あなたねぇ、か弱い女の子を追い駆け回して、男として恥ずかしくないの?」
「アンジェリカはどこだ!?」
 聞く耳持たないようだ。確信犯なのだろう。
「だれが誘拐犯なんかに教えるもんですか。プラネタリウムに居るなんて」
 こんなヤツに教えることなんて何もない。
「プラネタリウムか…」
「しまったぁ」
 あちゃあ……。あたしゃバカか?
 ぐいっ。男が腕を掴む。
「一緒に来い」
「え、ちょっと離してよ、離しなさいよぉ!」

「どこに居る、アンジェリカ。……ホールか」
 もぉ、カニパンったら、まだこんなところに居たの? どうしてさっさと逃げないのよぉ!
 男は何か変わった機械でアンの居所がわかるらしかった。もっとも、あまり有効範囲は広くないようだが……。
「来い」
 男が腕を引っ張る。
 もぉ……。

「アンしゃん、それで、ミルクしゃんは無事なんでしゅか?」
「無事よ。一応ね」
 予備照明のみのホール中央にカニパンとキッド、そしてアンジェリカが居た。
「ミルク!」
「またキミか」
「お前は!?」
「キミに用は無い。さあ、来るんだアンジェリカ!」
 男が階段をゆっくり下り始める。
「いや」
 アンがカニパンの後ろに隠れる。
 いちいち挙動が不審だけど、カニパンを信用してることだけは分かる。
「怖がることはない。とにかく話し合おう。さあ、こちらへ来るんだ。お前の力になろう」
 こいつの言うセリフもいちいちヘンだ。一体なんなの? この二人は!?
「いや、来ないで!」
「何故だ、アンジェリカ。 何故怯える? 何故拒絶する!? わたしが、このわたしが分からないのか、アンジェリカ!?」
「いやああ」
「うにゃぁ」
 アンジェリカが両手で耳を塞いだので抱えていたネコ……ジェリーだっけ、が逃げる。
「来るな!」
「どけ! キミには関係無い! それとも、キミがアンジェリカに何かしてるのか!?」
「何かって何よぉ!」
 そんなコト、あってたまるもんですか。
「オレが何をするって言うんだよぉ!」
「アンジェリカ、まさか例の件、この少年に話したのではあるまいな?」
 やはり、この二人はなにか訳有りらしい。まぁ、わたしには関係無いことだけど。
「例の件って……、何のことだ!?」
「まさかな」
「さあ、来るんだアンジェリカ。そして共に行こう。我々が本来居るべき場所へ」
「いや、来ないで」
「来るな! アンが嫌がってるのが、あんたにはわかんないのか!?」
「キミに何が分かると言うんだ!」
「わかるさ。見たくないから目を背ける。聞きたくないから耳を塞ぐ。そして今、アンはあんたに近寄って欲しくないから、『来ないで』って叫んだんだ。人間として、当たり前の行動だ」
 ……。カニパン……あなたってそれでいいの?
「人間として!? だと。……キミの方こそ、何一つ分かっていない」
 男がなにか重要なコトを言ったような気がした。しかし、男が例の様に手を掲げたのであたしはそっちの方に気をとられた。
 こいつが、手を上げたとき機械が変な挙動をするのだ。
 ゴゴゴ……。
「なんなのよ、コイツ」
 プラネタリウムの上映機が意志を持ったロボトの様に動き始めた。
「アンジェリカを捕まえろ!」
 ガゴーン。
 上映機がカニパンとアンジェリカを襲う。
「うわっ!」
 上映機の動き自体はそんなに素早くないようだ。
 しかし、アンジェリカを庇うカニパンを見てると……。
「カニパン、どうするデシ!?」
「行くぞキッド! モーターバイクパーツッ!」
 カニパンが何かを右手を上げて何かを掲げると、それがカッと光った。
 次の瞬間キッドがモーターバイクモードになっていた。
 掲げたヤツは先日のヤツと一緒のようだ。
「アン、乗って」
「はい」
 アンジェリカが乗るとすぐキッドは走り始めた。
「ちょっと、アタシは〜!!」
 あたしは!? あたしは無視なの!? ちょっと、カニパン!? 不意に視界がぼやけた。
 キキーッ!
 ホールの端でカニパンがターンする。
 !?
 ど〜も、逃げるわけではないようだ。あたしを置いて逃げるわけでは……。
 ガズーン。
 上映機の動きは相変わらず正確さもスピードも欠いている。カニパンはその攻撃を縫いながら敵を分析してるようだった。
 ブル〜ン。
 カニパンが上映機に向かって一層スピードを上げた。何かするようだ。ケガしなければいいんだけど……。
 カニパンが何かコードらしきモノをつかんで、上映機に投げかける。
 ばしゅぅ。
 瞬間、上映機のボディ表面を火花が走った。暗い室内での、その火花は、一瞬咲いた花の様でもあった。
 もくもくもく。しゅうううう。
 煙をあげて上映機の運動は停止した。
「おのれ……」
「まだやる気!?」
 掴まれている力が緩んだので振りほどく。
「お前には関係無い」
 ばしィ。
 思いっきりひっぱたいた。
「人のことこれだけ巻き込んでおいて、よくそんなコトが言えるわねェ!」
 全く、非常識にも程が有る。
「そんなんだから彼女に逃げられるのよ。女の子はね、しつこくされればされるほど逃げたくなるのよ! わかる!?」
 コイツがこんなだから、アンジェリカがカニパンに惹かれたりするのだ。カニパンがアンジェリカを渡せないのだ。全くも〜。
「振り返って欲しければ、薔薇の花束でもプレゼントすることね」
 ぷしゅ〜。
「なんの騒ぎだ!」
 ドアが開いて、騒ぎを聞き付けてか警備員達がやってきた。
 男は、別に悪びれず、歩いて急ぐでもなく立ち去って行った。
 一体、アイツなんなの? 折角あたしがアドバイスまでして上げたってのに。
 それはそうと、
「ちょっと、カニパン!」
 一言言ってやらないと気が済まない。
「よくも、あたしを見捨てて逃げ出そうとしたわね!」
 あたしの気も知らないで。
「逃げたんじゃないよ。バイクは二人しか乗れないし、それに映写機ロボトの暴走を食い止める方が先だと思ったんだ」
 まあ、型どおりの返事だ。別に気の利いたセリフを求めたわけじゃないけど。
「ふん、一体何してたのよ、ここで」
「何って、仕事だよ」
 !
「ああっ! 仕事と言えばあたし、スチール撮りの途中だったんだぁ!」
 幾らわたしがわがままだからって、こんな何も言わないまますっぽかすのは、かなりまずい。
 あ〜ん、もう、なんでこんなコトになったのよぉ!
 あの娘が来てから、全然上手くいかないわ。ミルクは走りながら少し唇を噛んだ。


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